本日のナゴヤドームで開催されたデーゲーム「中日対讀賣」戦は、中日ドラゴンズが中盤まで保っていたリードを終盤まで守り切れず、悔しいうっちゃり負けでしたね。
決勝点は、敵の伏兵ともいえる寺内にまさかの決勝本塁打を打たれてしまい、残念な対讀賣二連敗を喫してしまいました。
昨晩のナイターはWEBでも観戦できず、本日はスカパーの中継映像でやっとテレビ観戦できましたが、昨晩は、ラミレスやイ・スンヨプなどの“大物”のホームラン攻勢に苦汁を飲まされたのに対して、本日は、小笠原やラミレス、アルフォンゾなどのビッグネームを、中盤までは懸命に抑えた、往年の今中を彷彿とさせる直球を投げるチェン・ウェインが、7回表に同点に追いつかれた後のピンチを何とか凌ぐも、遂に8回表に、昨年苦手だった寺内にはたとえヒットを打たれてもホームランは打たれないだろうと思った矢先の、ジャストミートの左中間に一直線の当たりを打たれてしまいました。
いわば、大物による目くらまし作戦の合い間に、まんまと伏兵の強烈な槍の一突きにとどめを刺された感じでしょうか。
まあ、今年のドラゴンズは、シーズン前の落合監督の言葉にあったように、「ファンがじれったいと感じる場面も多々あるでしょうが」という趣旨の言葉に象徴されるように、いわば2006年に事実上のピークを迎えていたドラゴンズの戦力を、いったん“リセット”して迎える新シーズンなので、ファンもしばらくは長い目で若手の成長を見守るしかないでしょうね。
それでも、本日の試合の終盤で、ブランコ、野本、藤井の“新鮮力”は、初めて讀賣の守護神クルーンの160キロ近いファーストボールとフォークを“体感”することができたので、これから続く長いペナントレースで、彼と何回も対戦することになる際の貴重な体験になったことでしょう。
特に野本などは、空振り三振に斬って取られた内角のフォークは、それこそ“消える魔球”に出会ったような表情を浮かべていましたね。これも“勉強”です。
ところで、2004年の落合ドラゴンズの誕生と軌を一にするかの如く、東海地方の経済状況も、一時は年間に2兆円の利益を上げたトヨタ自動車に象徴されるように好景気に沸き、しばらく繁栄を続けてきましたが、昨年夏に起こった、アメリカ合衆国のリーマンショックに端を発した世界的な大不況の影響をもろに受け、景気も一気に冷え込んでしまったようです。
そして、今度は中日ドラゴンズもその影響をもろに受けて営業成績も冷え込み、いわゆる、一番の稼ぎ頭となる接待用の年間シートが売れなくなり、それも理由の1つとなって選手の年俸を抑えざるを得なくなり、“外資系”に転職する主力選手の流出を防ぐこともできず、窮余の策として、比較的人件費が低く抑えられる、マイナーリーグの若手を特訓したり、ハングリー精神旺盛な若者を鍛えて、巨大戦力を誇る讀賣軍団に立ち向かおうとしていますが、それと対等以上に闘うには、もう少し時間が必要なようです。
いわば、ここ数年、我が世の春を謳歌していた落合ドラゴンズと東海地方に、いよいよ大きな試練の時が訪れたようです。
一方、私が住む関東地方にも、政治的に試練が訪れた県があります。
そう、私が育った県、千葉県です。
さて、このブログでも、一度取り上げたことのある「ちば論」ですが、
http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9bc9.html
前回の「モリケンの襲来」を、“市川の良心”によってかろうじて撃退した千葉県も、今回は周到な「完全無所属」の演技にまんまと騙された多くの素朴なちば県民によって、とうとう「モリケンの逆襲」を許してしまいました。
ところで、この「モリケン」という愛称ですが、なぜか、名前に「ケン」が付く人物は苗字の最初の二文字とセットにした愛称で呼ばれる傾向が強く、最近のプロ野球では、広島の前田健太が「マエケン」、遥か昔には、喜劇役者の榎本健一が「エノケン」と呼ばれていた歴史を考えると、1970年代の青春スターとして名を馳せた森田健作が「モリケン」という愛称で呼ばれていたのも、その人気の高さを物語るものといえそうです。
そんな、日本全国1億総「モリケン」ファンみたいな状況の中でも、私が「モリケン」のあやうさやうさんくささに嫌でも気付かされたのは、私がまだ千葉県民として、森田健作主演の青春テレビドラマを面白おかしく観ていた時でした。
1960年代中盤から1970年代中盤にかけて、当時の若者たちの心を掴んだ、日本テレビ系列の「青春ドラマシリーズ」の中の1編、「俺は男だ!」主役の剣道部キャプテンとして一躍お茶の間のアイドルとなった森田健作は、当時の男子の誰もが、モリケンが甲高いトーンで発する「吉川クン!」と、当時のアイドル・スター吉沢京子(現在は、テレビの富士薬品のCMソングに登場中)扮するドラマ・ヒロインの役名を呼ぶモノマネができるほどの絶大な人気を獲得していたのです。
そして、うちの弟も、そのドラマに“洗脳”されて、まんまと「モリケン」教にはまり、大ファンになってしまいました。
そのファンぶりはなかなか本格的で、ただ単にドラマにのめり込むだけでなく、雑誌の切り抜きなども集めていくうちに、ついに、「森田健作・オン・ステージ」なるLPレコードまでをも購入するほどになりました。
そうなると、弟は、私にもそのレコードを見せて、「兄貴もモリケン教に入れよ」みたいな雰囲気で迫ってきたのですが、私はそのレコードに封入されていた「森田健作・オン・ステージ写真集」を目にして、「あれ?」と思いました。
そのレコードは、人気絶頂だった森田健作が、ファンの前で、歌や踊りや芝居を大会場で披露した独演会の模様を、音声と写真で再現したもの(当時はビデオなどの映像媒体はあまりにも高価で、これが唯一のメディアミックス媒体)だったわけですが、まあ、あの独特の雰囲気を漂わせた歌はそれなりに楽しめましたが、「第2部」として収録されていた「演劇」では、何故か、太平洋戦争で玉砕していく神風特攻隊の青年に扮したモリケンが、お国のために精一杯命を捧げて敵艦に突っ込んで行くという、当時としてもかなり異様な雰囲気を漂わせたドラマの主人公を演じていたのでした。
写真集のキャプションにも、「日の丸のハチマキをキリリと頭に絞めて、旧・大日本帝国海軍の特攻服に身を包んだ軍服姿も凛凛しい森田健作が、憂国の戦士に扮して感動のドラマを演じてみせます」みたいな言葉が並び、「おいおい、随分と軍国主義的な役者じゃないの、モリケンは?」と、弟をからかったら、「モリケンはそんな男じゃない!彼は真剣に日本の行く末を憂えてるんだよ!」という反論を受けたものです。
その後、モリケンはさらにスター街道を驀進し、遂に、当時のアイドル・スターの頂点に立ったことを示す「グリコ・アーモンドチョコレート」のテレビCMに出演し、当時、「板チョコ」から「ひと粒チョコ」への転換を図って、客単価の上昇を狙っていた戦略に乗って、FM東京でも「森田健作ひと粒の青春」というトーク番組が始まり、それもリスナーに好評を博して、遂に、その題名を借りた「タレント本」まで出版され、引き続き、熱心なファンを続けていた弟はそれも購入して、私に見せてくれたのでした。
ちなみにその本では、FM放送の番組で森田健作とのトークの相手を務めたアシスタントのおねえさんの顔写真まで登場し、FM放送で披露していた魅惑のボイスとのギャップに少々戸惑いましたが、これは余談でしたね。
さて、さすがにその頃の彼の言動から、かなりのあやうさやうさんくささを感じていた私は、その本に書かれていることの挙げ足をとって、弟の目を覚ませてやろうと考えたところ、ちょうどいい具合に「香ばしいフレーズ」をその本の中に発見しました。
当時、「親を大切に」「人類皆兄弟」「一日一善」というフレーズで、積極的なテレビCMを流していた、右翼界のドンと呼ばれた笹川良一氏(当時の日本船舶振興会会長で、要するに、モーターボート競艇界のボスでもあった)と、森田健作が非常に親しいという噂が流れ、その傾向に、一部のファンが“引き”始めた頃であり、その動きに対して、森田健作がその本で“反論”を掲載していたのです。
それによると、「みんなは、笹川先生のことを、右翼で怖い人なんじゃないかと敬遠する人がいます。でも、ボクは違うんじゃないかなと思います。彼はとっても腰の低い人で、親孝行や一日一善の大切さを訴える人がそんな人のはずがないじゃないですか…」みたいなニュアンスの言葉が並んでおり、その点を弟に指摘したところ、さすがに弟も段々とおかしいと思い始めたらしく、その後、その本と「森田健作・オンステージ」は、彼の本棚からいつの間にか消えてしまいました。
その後弟は、今度は、カンフー映画を全世界に広めたブルース・リーにのめり込むようになり、「兄貴もブルース・リー教に入れよ」と再び迫ってくるようになり、まあそのお陰で、私も彼のことについては熱烈なファンでもないのに異様に詳しくなっていったわけで、結果的にその知識を応用して、こんな記事を書いたこともありましたね。
http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw07.htm
ちなみに、私も世の中を渡っていくためには、一応誰かのファンとなっておく必要があると思ったので、当時、唯一といっていいほど、アイドルなのに中日ドラゴンズファンを公言していた岡田奈々を、一応心のアイドルとしていました。
彼女は岐阜県出身で、本名が「やいひろこ」というのを、人から「やい、ひろこ」とからかわれるのが嫌で、絶対芸能人になって名前を変えてやると思ってデビューしたとも言ってましたね。
なお、このネタは、当時愛聴していた「東海ラジオガッツナイター」の中継放送の終了後に放送されていた若者向けの番組で仕入れたものでしたので、あくまで東海地方限定のものだったのかもしれませんが。
それにしても、どこまでドラゴンズ・オリエンテッドな人生だったんでしょうね。
さて、そんなわけで、早くからモリケンのあやうさやうさんくささにうんざりしていた私ですが、既に、千葉を離れて二十数年となる私には、今回の知事選で何か特別なことができるわけでもなく、千葉県民の選択をじっと見守ることしかできませんでした。
案の定、善良で素朴な多くの千葉県民、特に、房総半島の南部に位置する人達は、モリケンが醸しだすある種の熱心さで、「ちば」のロゴを作った千葉市の人たちが主張する「アカ抜けのしなさ」
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kouhou/logo/logo061102.html
を変革してもらえるのではないかという希望を持って投票に向かったものと思われ、今回の選挙では圧倒的な得票差で知事になることができたのではないかと推測しています。
さて、そんななかで、いくつかの雑誌でも、ようやく彼のあやうさやうさんくささを追及する動きが出てきたのは、ある種の救いかもしれません。
また、東山にしこさんによると、こんな動きもあったようです。
>17日の朝日新聞の第27面のコラムで市川市をとりあげていました。
>全体にこじつけくさいのですが、結びのところにこんな情報が。
>先の県知事戦では森田健作氏が圧勝したが、市内の得票率は
>県全体より低かった。
>やはりそうか!
>市川市民はせいいっぱい戦ったのだ。
>ありがとう、市川市!
>これからは県知事選は市川だけでやってほしい!
おお、市川市!
千葉県の良心、市川市にそんな「抗議行動」があったとは!
たぶん、賢明な市川市民は、今回の知事選では、自分たちの力をもってしても、とても、エセ「モリケンフィーバー」に踊らされている他市町村民の票田には敵わないと悟り、せめて、何らかの“良心”を示そうということで考えたのが、「積極的な意思による棄権」だったのでしょう。
さすが、たとえ転んでもタダでは起きない市川市民でした。
まあ、他の対抗する候補にも、政党の支持を巡る内部抗争があったりしてシラケてしまって投票に行かなかった面も多々ありそうですが、まあそこのところは許してあげて…。
♪今日も明日も頼むぞ そぅ! 我等の市川
そうだ、今や大きな試練にさらされている東海地方と千葉県。
頑張れ東海地方と千葉県。
そして、我らが中日ドラゴンズ。