ベンのように

22時07分20秒

本日のナイターは、ウェブ観戦していて、途中まではブランコが打った先制弾をかろうじてケンタが守っていたのを、まず、あろうことかピッチャーのルイスに同点弾を打たれ、さらに向こうのケンタこと栗原に逆転弾を食らい、さらにさらにランナーが出て一死満塁で小林正に交代したところで体調が最悪になり、トイレに駆け込みそのまま眠りこけてしまいました。

昨日から、喉がいがらっぽくなってきて、完全なけんびき風邪を引いてしまったようで、身体というのは正直なもので、今まではとても風邪を引いているほどの余裕さえなかったところを、やっと引いても安心という状況になったとたんにこの始末です。

で、駆け込んだトイレで眠りこけたあと、ふと我に帰ったのが21時ジャストで、PHSの「プロ野球速報」サービスを見て、「試合終了」の表示がされていて、やっぱり3対2で中日が1点差で負けたのね、とスコアをよくよく見ると、中日が勝ったことにされていて、そんなバカなと思いつつ、スコアの詳細を見ました。

すると、あの7回裏一死満塁の大ピンチを凌いだうえに、9回表に、敵の守護神永川から森野が逆転2ランのピンポイントで勝ち越したようで、狐につままれたような勝利の余韻に浸っております。

ほとんど負けた試合なのに、一瞬の隙をついて勝ったという試合ですね。

不思議な試合でしたが、カープスにとっては悪夢のような試合だったことでしょう。

今朝方は、家を出る直前に、マイケル・ジャクソンの訃報に接し、やはり、そんなに病状が悪化していたんだというのが正直な感想ですね。

昼休みに、スタバで休憩していたら、近くのアラサーの女性2人組がマイケルのことを話題にしており、彼の享年が50歳だったというのが意外だったらしく、とてもそんな風には見えなかったと言ってました。

いわば、我々と同世代の元世界的なアイドルが死を迎えたということですね。

私的には、彼が歌った曲で、今最も聴きたい曲は「ベンのテーマ“Ben”」ですね。

彼が、虚飾にまみれたショービズの世界で生きていったなかで、唯一、かろうじて彼の心象風景を吐露することができた曲だったような気がします。

狂ったショービズの世界、狂った主人公のもとで、唯一、その心をわかってあげてたのが、主人公が飼っていた小さな1匹のネズミ。

最後は、そのベンと一体化することで、この狂った世の中に別れを告げようとする主人公。

Now it’s us.

Now it’s we.

ようやく安住の地に旅立つことができる。

Like BEN.

ベンのようにね。

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いつの間にか中日が

強くなっていました。

このところ、仕事の締め切りにに追われて、土日を返上して分刻みの待ったなしの悲しい働き人間とならざるを得なかったのですが、ようやくひと山越えて、“通常の”忙しさに戻ることができました。

ドラゴンズも、地元に帰って、本日のナイターの前に2日間も休みが取れたということで、戦力をしっかりと整えてオリックス戦に臨めたこともあり、久々の快勝でした。

それにしても、打撃陣では、いよいよ平田良介外野手が本領を発揮してきそうな予感がしますね。

まず、あの笑顔がいい。

敢えて言えば、底抜けのバカ明るさがいい。

                                     ↑

                           もちろんほめ言葉ですが。

昨晩、深夜残業後の帰宅時の終電の車中で、youtubeで拾った「1982年の中日対讀賣戦、先発江川で4点差をつけられた試合を引っくり返す」という映像をwalkmanで見ていて、飛びぬけて偉丈夫な大島泰徳外野手のごっつい体格に、改めて惚れ惚れとしていたんですが、私が、勝手に「大島2世になれ」っと、けしかけている平田が、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b29b.html

いよいよ、持って生まれた長打力を開花させつつありますね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200906/CK2009062102000043.html

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ところで、本日のトーチュウの「社会面」で、玉川オンラインの東山にしこ氏の心の師匠こと、大槻教授

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/typeb2005/typeb200612.htm

が久々にコメントを寄せていました。

例の、オタマジャクシが空から降って来る現象について、超常現象に詳しい学術派の代表として。

もう1人、カエルの生態に詳しい大学教授のほうは匿名を条件に取材に応じたようですが、大槻教授は喋ること喋ること。

「オタマジャクシの密度は水と同程度で、泥や水草より軽い。このため、水面のオタマジャクシだけが飛ぶことも説明できる。」

という自説まで披露して、マスコミの注目を浴びようとしています。

もちろん、これは年末の「オカルト信者vsアンチオカルト学派」特番に向けた仕込みとみました。

東スポや週刊プレイボーイあたりでは、この現象は宇宙人が湖面の水を吸い上げてサンプルを採取するついでに起きた副産物であるという立場をとっており、そのバックにはUFO信者が付いているはずですから、最終的にはそれを論点にして、大槻教授側も激論を戦わせることができると読んでいるのでしょう。

まあ、この現象の真相はなかなか明らかにできそうもないでしょうから、両陣営にとって、非常に都合のいい現象が起こったものです。

しかし、単なる自然現象や鳥による仕業ならば、なぜ今まで、同様な現象が報道されてこなかったのかが、少々疑問に思いますね。

ちなみに、私の推測は、アメリカ人に対しては牛の内蔵をくりぬくことで、「人類よ、牛ばっかり食っていておごるなかれ」という警告を発したのですが(俗に「キャトルミューティレーション」と呼ばれた“現象”ですが、最近はハゲタカやカラスがついばんだことにされていますが)、その後、人類はBSE:狂牛病という自然界からのしっぺ返しを食らうことになりますが、日本人に対してはオタマジャクシで脅かしとけばいいや、と思って、日本各地にばらまいているのだと思います。

ニビル星人が。

と、冗談半分で「二ビル星」と「二ビル星人」についてネットで検索したところ、2012年に地球にかなり近づくということがわかりました。

ゼカリア・シッチンの「火星は警告する」みたいな題名の書籍を最初に読んだときが1980年代の終わりで、その頃は、とても二ビル星が現れる時代には自分は生きていないだろうなあと思っていたら、いつの間にか、もうこんなに間近に迫っていたんですね。

ちなみに、NASAも、二ビルという惑星とは別の天体ですが、第10番惑星(冥王星を、惑星にしては規模が小さすぎて、この程度の“小惑星”なら、冥王星の軌道の外にいくらでも見つかるよ、ということで、冥王星を惑星の概念から除外する最近の学説では、第9番惑星ということになりますが)を発見したと発表しており、560年程度の非常に短い(ニビルと比較すると)周期で太陽系を周回しているらしい。

一方、二ビルは3,500年だか3,600年周期だったかなんだかですから、前回、日本に二ビル星人がやってきたのは縄文時代ということになり、まあ、遮光土偶だったかの容貌を当てはめようとすればそれが可能なわけです。

これをオカルトと捉えるかどうかは皆さんの判断に任せますが。

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本日の朝には、川上ケンシンと松坂が投げ合ったようですが、どうだったのかな。

福留コースケとかケンシンは、メジャーのお金に目がくらんで中日を出て行ったとという向きがありますが、私は、やはり人間関係が一番の要因で、事実上は、落合監督がチームを出て行くように仕向けていったのだと思っています。

コースケにしろ、ケンシンにしろ、やはり、(事実上の)前任者だった星野仙一氏の秘蔵っ子であり、その部分は避けて通れなかったんじゃあないかと思います。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_afee.html

一方、コースケと同じ1998年ドラフトの「逆指名組」でも、岩瀬は、別の要因で中日を逆指名した(元々、地元出身という要素が大きかった)ので、星野仙一氏に義理立てする要素は弱かったのでしょう。

ちょうど、今年から野球解説者に転身した種田仁氏が、高木監督の忘れ形見であったがために、

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_neststars2.htm

ドラゴンズがリーグ優勝した翌年の2000年に、彼ががに股打法でブレークしてどんなに素晴らしい活躍を見せても、星野政権下の中日で生きることは非常に困難だったので、横浜で、当時森監督との折り合いが非常に悪かった波留との交換トレードという形で中日を脱出するしか道がなかったのと同様に。

人間の好き嫌いというのは、そう簡単には変わらないからねえ。

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ちうにち、弱っああ!

地元のナゴドで東京もんに三タテを食らうの巻。

名古屋人、「わざわざ東京からやって来ました」という言葉に弱いからなあ。

私も、過日、さる愛知県のかなり有名な企業のトップインタビューに同席する仕事があり、そのトップの方と名刺交換をさせていただいた際に、会社名と自分の氏名を名乗った後に、「東京から参りました」と、思わず口走ってしまいましたが、先方も、その会社の社長に就任する前は、東海地方に本社がある企業の関東系の子会社の社長さんをやられておられたので(ちなみに、たとえば中日新聞が東京新聞を子会社にしたように、東京の会社を傘下に収めるのが名古屋人のステータスといえます)、懐かしく思われたのではないかと、勝手にポジティブ・シンキングしています。

さて、中日は絶不調のまま、5月2日に横浜にやってくることになりますが、まあ1日休んで中華街で豪遊して気分転換して(1人だけ赤坂で同級生のK岡たちと豪遊する人がいそうですが)、我々の前では頼もしい姿で闘ってほしいものです。

そういえば、「週刊現代」によると、モリケンはある新興宗教団体「K福の科学」に入信したのではないかという報道がされていましたが、たぶん、本人はそのようなつもりは全くなく、ただ、自分のありがたい主張を訴えに先方の集会に出向いてやった、というつもりだったのが、先方もそれを利用して、M氏(教団側の信者へのメールには、当初はイニシャルのみが示されていたとか。果たして来るか来ないか、最初は微妙だったんでしょうね)が遂に我が教団に入信したと、信者に勝手に思わせることで教団のステータスを高めることで、信者獲得をさらに煽る作戦なのでしょう。

モリケンが、前回の東京都で行われた選挙戦を闘って議員に当選した際、ライバルの候補が、その教団がライバル視する教団に属していて、結果としてその候補者を落選させてしまい、その教団から恨みを買ったため、本来はモリケンの支持母体である自民党側に属するその教団に関連する政党から、今回の選挙戦では支持を得られれなかったので、「安全策」として、K教団の支持を獲得しておく必要があったのでしょう。

まあ、モリケンにせよK教団にせよ、今は自分たちを売り出すことが最優先なので、お互いの利害が一致してますものね。

自分たちはそういう主張をすれば、あとは知らぬ存ぜぬ。

知らぬは、そういう事情を知らぬ「イ 言 者」(「儲けの源となる者」と書いて「信者」と読む)たちばかりなり。

昔からモリケンはそういう「傾向」でしたから、やはり変わらないなあ。

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8回表と9回表の価値ある1点

昨日の東京ドームの対讀賣戦は、試合開始から最後まで、レフトビジター応援席の19列目あたりでじっくりと観戦しました。

序盤に3点を先制するも、今シーズンに限って、それは必ずしも吉兆とはいえず、度々逆転の憂き目にあっていたのですが、今回はいつもの展開とは少々異なり、3回表に1点、6回表に2点と、効果的な中押し点とダメ押し点を取ることができたうえに、6回裏二死満塁の、ホームランを打たれればたちまち2点差となる緊迫した場面でイ・スンヨプが代打で登場するも、金曜日の同様なピンチでも彼を抑えた“左殺しのコバマサ”こと小林正投手が無難にスンヨプをポップフライに打ち取った時点でほぼ勝負がつき、あとは心穏やかに観戦することができました。

さて、後半の8回表と9回表の攻撃は、試合の趨勢もほぼ決まり、あとは多少だらけた雰囲気になりがちですが、昨日の試合は違いました。

讀賣は、新戦力となる、オビスポという投手を敗戦処理として登板させて、慣らし運転兼戦力の見極めを図りましたが、簡単に二死を取ったあとに、中日の四番、トニ・ブランコに打席が回り、自信を持って投じた球を、いとも簡単に本塁打とされました。

ブランコのホームランの後、すぐにチェンジとなり、彼がファーストの守備に付くと、レフト外野席のドラゴンズファンを中心に「ブランコ・コール」が沸き起こりました。

当初、彼はそれに気付かなかったようで、というか、「既に試合の趨勢が決まった状況で打ったオレのホームランに、ドラゴンズファンが評価してくれるはずがないさ」ぐらいに思っていたようですが、荒木とキャッチボールしている最中にそのコールに気付き、ちょっと照れくさそうに手を挙げて応える姿が、なかなかよかったですね。

彼の現在の打率は2割台前半で、本塁打も4本と多少物足りませんが、昨日の試合でも初回にタイムリーヒットを打ったり、結構チャンスに強いというイメージを、ドラゴンズファンに与えてくれています。

それに、何よりも一生懸命にプレーしている姿を、ドラゴンズファンは案外評価しているように感じました。

聞けば、彼は、中日ドラゴンズに入団することが決まってから、歴代のドラゴンズ外国籍の助っ人の映像資料をもとに、いろいろと研究しながら、なんとか日本野球に溶け込もうと努力していたそうです。

いわば、トニ・ブランコは、偉大なるドラゴンズの四番、タイロン・ウッズの“幻影”と闘って勝利しなければ、ドラゴンズの次代四番の地位を獲得できないわけで、ファンもそれを知っているからこそ、ブランコに期待したり失望したりを繰り返しているのですが、このままの一生懸命さを保持していけば、必ず道は開けるのではないかと思います。

なんつーか、あの生真面目さはなかなかいいと思いますよ。

一方、9回表の1点は、ダメのダメのダメを押した得点でしたが、谷繁の離脱を受けた控え捕手たちが、ポスト谷繁の地位をめぐって熾烈な先陣争いを繰り広げた末に獲得した1点だったことに価値がありました。

特に、小山はいいですね。

なんというか、小山には大きな伸びシロを感じさせる雰囲気が漂っています。特に、シュアな打撃とともに、内野安打まで稼いでしまう脚力に裏付けされた走力にも魅力を感じましたね。

小山の活躍に刺激を受けたかのように、第三捕手として一軍昇格した小川も、小山に後れを取ってなるものかと、内野ゴロを打っても必死に走り、併殺崩れの間に三塁ランナーがホームを駆け抜け、プロ入り初打点を稼ぐ…。

一昨日の、中日頼みの守護神岩瀬が、讀賣の中堅亀井にまさかのサヨナラ悲弾を食らった、いやーな雰囲気を振り払ってくれた、先発川井投手も、お立ち台のインタビューでは6回表に代打を送られたことに対して、もっと投げたかったと素直な感想を漏らすアグレッシブさを持ち合わせていましたし、ハングリー精神旺盛な新鮮力が、ドラゴンズの危機を救ってくれたのが、何よりの“特効薬”になったのではないでしょうか。

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2006年4月7日、ナゴヤドームの対上原戦満塁弾の記憶映像とともに

2009年 4月24日(金)22時55分31秒   

なんか変な試合だったけど勝ってしまったというゲームでした。

うちも讀賣も変なミスが多かったし。

ただし、この試合の雰囲気を一変させたのは、間違いなく立浪の狙いすましたひと振りでした。

8回表の先頭打者として打席に立った立浪選手を、東京ドームのレフトビジター応援席前列9列目から眺めていて、「ここで立浪が同点ホームランを打ってくれたらなあ。それも目の覚めるような当たりで。そういえば、立浪のホームランって、彼は決してホームラン打者ではないけど打った瞬間にそれとわかる当たりが多いようなあ。」

などと考えながら、2006年4月7日のナゴヤドームで、9回裏に、当時の讀賣の主戦投手上原から、サヨナラ満塁ホームランを打ったシーン(当時私は、この映像をテレビでも観戦できなかったのですが、最近、youtubeに上げられていた映像を改めて見て、その鮮やかさに感心していたところでした)を、脳内で反芻していたところ…。

キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!

まさにそのシーンをビデオ映像で再現するかのような、讀賣のセットアッパー豊田投手の1ストライク1ボールのあと、まるで魅入られたかのように立浪の“ツボ”に投じられた直球に狙いを定めたバットが一閃すると、渾身のスイングから解き放たれた白球は、東京ドームの右中間方面スタンド目がけて一直線に吸い込まれていきました。

あれで、うちの選手たちが、最近ではめったに見られなくなった立浪さんの本塁打を負け試合にしてはならないというムードになったのが大きかったですね。

ベンチに陣取ったドラゴンズナインだけでなく、レフト側外野席を中心にして、祈る気持ちで応援していたドラゴンズファンに対しても、まさにアドレナリンが注入されたような一撃でした。

立浪も、昨年までは、2年先輩の桑田や清原が現役を続けている限りは自分が先に引退するわけにはいかないという強い気持ちを持っていたのでしょうから、その“心の重石”が取り除かれた今日、迷いなく今季限りでバットを置くという決意を固めたものと思われます。

久々に、立浪の凄さを体感した一瞬でした。

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23日の対阪神戦、延長戦負けの感想

2009年 4月24日(金)14時26分8秒   

とにかく、鳥谷は中日戦で打ちますよね。
   
あと、桧山や関本や平野がよく打つよね。

金本は、ライバルだった川上がいなくなったので意外と打たなくなったし、新井は広島時代にはよく打たれたが阪神に移籍したら打たなくなった気がしますね。

ところで、「玉川オンライン」の管理人、東山にしこさんの感想は、こんなでした。


さてきょうはせっかく吉見が投げていたのに、パヤパヤ・パヤノからわたしの大嫌いな鳥谷が勝ち越し弾を打ちやがって、ほんとにあの鼻くそやろうは何とかならないのでしょうか。

ハシケン(編集部註:広島カープスから大リーグに挑戦中の高橋建投手の愛称)がいないので、ハシケンをひいきするエネルギーがそのまま、鳥谷への憎悪に転じています。

トリタニはなにも悪いことしてないし、態度も発言も別に問題ないんですけどねぇ…。たぶんたまたま自分が見たマケ試合でトリタニが活躍することが、数回かさなっただけだと思います。

それはたまたま自分が見た勝ち試合でハシケンが活躍したからファンになったのと同じですね。

待て。
ハシケンが活躍したのは中日戦だ。

引用オワリ

さて、鳥谷の悪いところは、もちろん顔が鳥に似ていることですよ。人間が鳥に似てはいけません。

それなのに、鳥に中日は打たれるんだよなあ。

実は、中日の敗戦の大部分を、チェンを含め、ネルソン、パヤノなどの外人が請け負っていることが案外知られていないよね。

昔は、ラミレス1号、2号とグラセスキあたりが請け負っていた役割でしたが。

まあ今年は絶対勝たねばと思わないのが観戦のコツでしょうね。

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かろうじて1点差のまま

2009年 4月21日(火)22時17分3秒

朝倉と岩瀬のリレーで逃げ切ったようですね、中日。

チャンスを活かせない“ジャイアント貧打”打線は相変わらずですが、何気に健太がチームの危機を救っているのが頼もしいですね。

先日の対讀賣三連戦の最終戦にも、朝倉はベンチ入りして、野手と一緒になってチームを応援している姿が頻繁にテレビに映り、三戦目の中盤の中日のピンチのときに中日ベンチの様子が放映された際に、落合監督がコーチに自身の指示を授けた後に、ベンチ内で応援する朝倉を見つけて、一言二言声を掛けた後、朝倉がにっこりと微笑んでいる姿が映されました。

その緊迫した場面に似つかわしくない、ちょっとほのぼのとしたシーンで、いわば一服の清涼剤のような役割を果たしていましたが、ひょっとしたら、首脳陣は朝倉健太を、ポスト川上憲伸の筆頭と考えているのかもしれませんね。

さて、モリケン問題ですが、いよいよ「週刊大衆」のような、ちょっと真剣には政治を取り上げないような雑誌や、「SPA」のような少々“右寄り”の雑誌にまで、「期待はずれ」の批判記事が掲載されるようになるとともに、そんなトンデモキャラを無批判に選んだ千葉県民もバカにされているようです。

まあ、このレベルにさえモリケンのあやうさとうさんくささが“報道”されるようになってきたのは、非常に喜ばしい傾向ですね。

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名古屋と大阪が花を持たされているうちに、いつの間にか讀賣が

本日のデーゲームも、形の上ではシーソーゲームの様相を呈してはいましたが、まあ、中日は、ある意味今の戦力なら、この結果を甘んじて受け入れる必要がありますね。

もう、あの完成された2006年の中日ドラゴンズを支えた主力の衰えは隠せず、これからは、打撃陣ではブランコや藤井や野本の伸びシロに期待せざるを得ず、これからもいろいろとミスやエラーを重ねながら、少しずつ経験を積むしかないのでしょうね。

それにしても、中日が2007年に53年ぶりの「日本一」に浮かれ、阪神が2008年の後半までの「独走」に浮かれていたなかで、実は讀賣が2009年には「三連覇」を狙っている事実に気が付いていない人たちが多いことに、少々うすら寒さを感じますね。

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東海地方と千葉県に訪れた大きな試練とは?

本日のナゴヤドームで開催されたデーゲーム「中日対讀賣」戦は、中日ドラゴンズが中盤まで保っていたリードを終盤まで守り切れず、悔しいうっちゃり負けでしたね。

決勝点は、敵の伏兵ともいえる寺内にまさかの決勝本塁打を打たれてしまい、残念な対讀賣二連敗を喫してしまいました。

昨晩のナイターはWEBでも観戦できず、本日はスカパーの中継映像でやっとテレビ観戦できましたが、昨晩は、ラミレスやイ・スンヨプなどの“大物”のホームラン攻勢に苦汁を飲まされたのに対して、本日は、小笠原やラミレス、アルフォンゾなどのビッグネームを、中盤までは懸命に抑えた、往年の今中を彷彿とさせる直球を投げるチェン・ウェインが、7回表に同点に追いつかれた後のピンチを何とか凌ぐも、遂に8回表に、昨年苦手だった寺内にはたとえヒットを打たれてもホームランは打たれないだろうと思った矢先の、ジャストミートの左中間に一直線の当たりを打たれてしまいました。

いわば、大物による目くらまし作戦の合い間に、まんまと伏兵の強烈な槍の一突きにとどめを刺された感じでしょうか。

まあ、今年のドラゴンズは、シーズン前の落合監督の言葉にあったように、「ファンがじれったいと感じる場面も多々あるでしょうが」という趣旨の言葉に象徴されるように、いわば2006年に事実上のピークを迎えていたドラゴンズの戦力を、いったん“リセット”して迎える新シーズンなので、ファンもしばらくは長い目で若手の成長を見守るしかないでしょうね。

それでも、本日の試合の終盤で、ブランコ、野本、藤井の“新鮮力”は、初めて讀賣の守護神クルーンの160キロ近いファーストボールとフォークを“体感”することができたので、これから続く長いペナントレースで、彼と何回も対戦することになる際の貴重な体験になったことでしょう。

特に野本などは、空振り三振に斬って取られた内角のフォークは、それこそ“消える魔球”に出会ったような表情を浮かべていましたね。これも“勉強”です。

ところで、2004年の落合ドラゴンズの誕生と軌を一にするかの如く、東海地方の経済状況も、一時は年間に2兆円の利益を上げたトヨタ自動車に象徴されるように好景気に沸き、しばらく繁栄を続けてきましたが、昨年夏に起こった、アメリカ合衆国のリーマンショックに端を発した世界的な大不況の影響をもろに受け、景気も一気に冷え込んでしまったようです。

そして、今度は中日ドラゴンズもその影響をもろに受けて営業成績も冷え込み、いわゆる、一番の稼ぎ頭となる接待用の年間シートが売れなくなり、それも理由の1つとなって選手の年俸を抑えざるを得なくなり、“外資系”に転職する主力選手の流出を防ぐこともできず、窮余の策として、比較的人件費が低く抑えられる、マイナーリーグの若手を特訓したり、ハングリー精神旺盛な若者を鍛えて、巨大戦力を誇る讀賣軍団に立ち向かおうとしていますが、それと対等以上に闘うには、もう少し時間が必要なようです。

いわば、ここ数年、我が世の春を謳歌していた落合ドラゴンズと東海地方に、いよいよ大きな試練の時が訪れたようです。

一方、私が住む関東地方にも、政治的に試練が訪れた県があります。

そう、私が育った県、千葉県です。

さて、このブログでも、一度取り上げたことのある「ちば論」ですが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9bc9.html

前回の「モリケンの襲来」を、“市川の良心”によってかろうじて撃退した千葉県も、今回は周到な「完全無所属」の演技にまんまと騙された多くの素朴なちば県民によって、とうとう「モリケンの逆襲」を許してしまいました。

ところで、この「モリケン」という愛称ですが、なぜか、名前に「ケン」が付く人物は苗字の最初の二文字とセットにした愛称で呼ばれる傾向が強く、最近のプロ野球では、広島の前田健太が「マエケン」、遥か昔には、喜劇役者の榎本健一が「エノケン」と呼ばれていた歴史を考えると、1970年代の青春スターとして名を馳せた森田健作が「モリケン」という愛称で呼ばれていたのも、その人気の高さを物語るものといえそうです。

そんな、日本全国1億総「モリケン」ファンみたいな状況の中でも、私が「モリケン」のあやうさやうさんくささに嫌でも気付かされたのは、私がまだ千葉県民として、森田健作主演の青春テレビドラマを面白おかしく観ていた時でした。

1960年代中盤から1970年代中盤にかけて、当時の若者たちの心を掴んだ、日本テレビ系列の「青春ドラマシリーズ」の中の1編、「俺は男だ!」主役の剣道部キャプテンとして一躍お茶の間のアイドルとなった森田健作は、当時の男子の誰もが、モリケンが甲高いトーンで発する「吉川クン!」と、当時のアイドル・スター吉沢京子(現在は、テレビの富士薬品のCMソングに登場中)扮するドラマ・ヒロインの役名を呼ぶモノマネができるほどの絶大な人気を獲得していたのです。

そして、うちの弟も、そのドラマに“洗脳”されて、まんまと「モリケン」教にはまり、大ファンになってしまいました。

そのファンぶりはなかなか本格的で、ただ単にドラマにのめり込むだけでなく、雑誌の切り抜きなども集めていくうちに、ついに、「森田健作・オン・ステージ」なるLPレコードまでをも購入するほどになりました。

そうなると、弟は、私にもそのレコードを見せて、「兄貴もモリケン教に入れよ」みたいな雰囲気で迫ってきたのですが、私はそのレコードに封入されていた「森田健作・オン・ステージ写真集」を目にして、「あれ?」と思いました。

そのレコードは、人気絶頂だった森田健作が、ファンの前で、歌や踊りや芝居を大会場で披露した独演会の模様を、音声と写真で再現したもの(当時はビデオなどの映像媒体はあまりにも高価で、これが唯一のメディアミックス媒体)だったわけですが、まあ、あの独特の雰囲気を漂わせた歌はそれなりに楽しめましたが、「第2部」として収録されていた「演劇」では、何故か、太平洋戦争で玉砕していく神風特攻隊の青年に扮したモリケンが、お国のために精一杯命を捧げて敵艦に突っ込んで行くという、当時としてもかなり異様な雰囲気を漂わせたドラマの主人公を演じていたのでした。

写真集のキャプションにも、「日の丸のハチマキをキリリと頭に絞めて、旧・大日本帝国海軍の特攻服に身を包んだ軍服姿も凛凛しい森田健作が、憂国の戦士に扮して感動のドラマを演じてみせます」みたいな言葉が並び、「おいおい、随分と軍国主義的な役者じゃないの、モリケンは?」と、弟をからかったら、「モリケンはそんな男じゃない!彼は真剣に日本の行く末を憂えてるんだよ!」という反論を受けたものです。

その後、モリケンはさらにスター街道を驀進し、遂に、当時のアイドル・スターの頂点に立ったことを示す「グリコ・アーモンドチョコレート」のテレビCMに出演し、当時、「板チョコ」から「ひと粒チョコ」への転換を図って、客単価の上昇を狙っていた戦略に乗って、FM東京でも「森田健作ひと粒の青春」というトーク番組が始まり、それもリスナーに好評を博して、遂に、その題名を借りた「タレント本」まで出版され、引き続き、熱心なファンを続けていた弟はそれも購入して、私に見せてくれたのでした。

ちなみにその本では、FM放送の番組で森田健作とのトークの相手を務めたアシスタントのおねえさんの顔写真まで登場し、FM放送で披露していた魅惑のボイスとのギャップに少々戸惑いましたが、これは余談でしたね。

さて、さすがにその頃の彼の言動から、かなりのあやうさやうさんくささを感じていた私は、その本に書かれていることの挙げ足をとって、弟の目を覚ませてやろうと考えたところ、ちょうどいい具合に「香ばしいフレーズ」をその本の中に発見しました。

当時、「親を大切に」「人類皆兄弟」「一日一善」というフレーズで、積極的なテレビCMを流していた、右翼界のドンと呼ばれた笹川良一氏(当時の日本船舶振興会会長で、要するに、モーターボート競艇界のボスでもあった)と、森田健作が非常に親しいという噂が流れ、その傾向に、一部のファンが“引き”始めた頃であり、その動きに対して、森田健作がその本で“反論”を掲載していたのです。

それによると、「みんなは、笹川先生のことを、右翼で怖い人なんじゃないかと敬遠する人がいます。でも、ボクは違うんじゃないかなと思います。彼はとっても腰の低い人で、親孝行や一日一善の大切さを訴える人がそんな人のはずがないじゃないですか…」みたいなニュアンスの言葉が並んでおり、その点を弟に指摘したところ、さすがに弟も段々とおかしいと思い始めたらしく、その後、その本と「森田健作・オンステージ」は、彼の本棚からいつの間にか消えてしまいました。

その後弟は、今度は、カンフー映画を全世界に広めたブルース・リーにのめり込むようになり、「兄貴もブルース・リー教に入れよ」と再び迫ってくるようになり、まあそのお陰で、私も彼のことについては熱烈なファンでもないのに異様に詳しくなっていったわけで、結果的にその知識を応用して、こんな記事を書いたこともありましたね。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw07.htm

ちなみに、私も世の中を渡っていくためには、一応誰かのファンとなっておく必要があると思ったので、当時、唯一といっていいほど、アイドルなのに中日ドラゴンズファンを公言していた岡田奈々を、一応心のアイドルとしていました。

彼女は岐阜県出身で、本名が「やいひろこ」というのを、人から「やい、ひろこ」とからかわれるのが嫌で、絶対芸能人になって名前を変えてやると思ってデビューしたとも言ってましたね。

なお、このネタは、当時愛聴していた「東海ラジオガッツナイター」の中継放送の終了後に放送されていた若者向けの番組で仕入れたものでしたので、あくまで東海地方限定のものだったのかもしれませんが。

それにしても、どこまでドラゴンズ・オリエンテッドな人生だったんでしょうね。

さて、そんなわけで、早くからモリケンのあやうさやうさんくささにうんざりしていた私ですが、既に、千葉を離れて二十数年となる私には、今回の知事選で何か特別なことができるわけでもなく、千葉県民の選択をじっと見守ることしかできませんでした。

案の定、善良で素朴な多くの千葉県民、特に、房総半島の南部に位置する人達は、モリケンが醸しだすある種の熱心さで、「ちば」のロゴを作った千葉市の人たちが主張する「アカ抜けのしなさ」

http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kouhou/logo/logo061102.html

を変革してもらえるのではないかという希望を持って投票に向かったものと思われ、今回の選挙では圧倒的な得票差で知事になることができたのではないかと推測しています。

さて、そんななかで、いくつかの雑誌でも、ようやく彼のあやうさやうさんくささを追及する動きが出てきたのは、ある種の救いかもしれません。

また、東山にしこさんによると、こんな動きもあったようです。

>17日の朝日新聞の第27面のコラムで市川市をとりあげていました。

>全体にこじつけくさいのですが、結びのところにこんな情報が。

>先の県知事戦では森田健作氏が圧勝したが、市内の得票率は

>県全体より低かった。

>やはりそうか!

>市川市民はせいいっぱい戦ったのだ。

>ありがとう、市川市! 

>これからは県知事選は市川だけでやってほしい!

おお、市川市! 

千葉県の良心、市川市にそんな「抗議行動」があったとは!

たぶん、賢明な市川市民は、今回の知事選では、自分たちの力をもってしても、とても、エセ「モリケンフィーバー」に踊らされている他市町村民の票田には敵わないと悟り、せめて、何らかの“良心”を示そうということで考えたのが、「積極的な意思による棄権」だったのでしょう。

さすが、たとえ転んでもタダでは起きない市川市民でした。

まあ、他の対抗する候補にも、政党の支持を巡る内部抗争があったりしてシラケてしまって投票に行かなかった面も多々ありそうですが、まあそこのところは許してあげて…。

♪今日も明日も頼むぞ  そぅ! 我等の市川

そうだ、今や大きな試練にさらされている東海地方と千葉県。

頑張れ東海地方と千葉県。

そして、我らが中日ドラゴンズ。

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おお、市川市!

2009年 4月18日(土)15時53分29秒   
   千葉県の良心、市川市にそんな「抗議行動」があったとは!

たぶん、賢明な市川市民は、今回の知事選では、自分たちの力をもってしても、とても、エセ「モリケンフィーバー」に踊らされている他市町村民の票田には敵わないと悟り、せめて、何らかの“良心”を示そうということで考えたのが、「積極的な意思による棄権」だったのでしょう。

さすが、たとえ転んでもタダでは起きない市川市民でした。

♪今日も明日も頼むぞ そぅ! 我等の市川

さて、昨日のサウナでは、約2時間半後に会議があり、それには十分間に合うつもりで風呂に入っていたのですが、なんと、洗い場でメガネを紛失するという、まるでDPのチケットを紛失したにしこさんを笑えぬ失態を演じてしまいました。

このサウナの様子はよくわかっているので、普段はメガネをロッカーに仕舞ったまま風呂場に行くのですが、今回は、少々“油断”していました。

通常、風呂場にメガネをかけたまま入ることが多いのですが、高温サウナに入るときは変形してしまう恐れもあるし邪魔になるので、ロッカーに置いていくことが多いのですが、濡らしたタオルにメガネをくるんでサウナに入るという裏技があり、少々いい気になって風呂場に入っていたところ、その包みがほどけて、風呂場のどこかに落ちてしまったようなのです。

それに気が付き、慌てて周りを探しても見つからず、いよいよ係員を呼んで、落し物として届けられていないかとか、メガネなしの状況の私には見つけられなくても、通常の視力がある係員なら見つけてくれるのではないかと期待して、風呂場から出ようとしたその時です。

「チョットイイデスカ? メガネ サガシテル?」

と、片言の日本語で外人さんが話しかけてきたのです!

おお、これは神の御助けだ!

と、私は、その親切で胸毛の厚い(これは全然本テーマと関係ありませんが)外人さんが誘導して指し示してくれた場所に置いてあったメガネを拾うことができたのです。

私は、その、いわば視力の恩人の外人さんに、何回もお辞儀をして感謝の意を示すとともに、敬虔なクリスチャンといわれるタイロン・ウッズやトニ・ブランコのように天の神様に感謝の意を示しながら、その場を去ることができたのでした。

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うん! こういう記事を載せてほしい

中スポWEBより。

野本、24時間野球を考える 努力でつかんだ「6番右翼」

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200904/CK2009041402000038.html

落合監督、ブランコに付きっきり きょうから甲子園で阪神3連戦

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200904/CK2009041402000035.html

こういう記事を読者は求めているんですよね。

たとえば、昨年、多くのドラゴンズファンに惜しまれつつ中日球団を去った、中日ドラゴンズ史上最大の貢献をした外国籍選手、タイロン・ウッズでさえも、最初から完成された選手だった訳ではなく、パワーはあるがチャンスに極端に弱いとか守備が致命的に下手だとか、この球団で幾多の試練に直面しながらも果敢にそれに立ち向かって懸命の努力で補ったからこそ、ナインやファンの信頼を勝ち得て、野球選手としての“天寿”を全うすることができたのだと思います。

その頂点に達した象徴ともいえるのが、2006年10月10日、東京ドームにおける、対讀賣最終戦にして地方興行雨天順延代替開催試合(したがって、いつものようなドラゴンズファンの“入場規制策”が取られることなくチケットが販売された結果、多くのドラゴンズファンが東京ドームに集結できた理由となった)、延長12回表の中日最後の攻撃で、前打者の福留孝介が勝ち越し打を放って1点リードした興奮が醒めやらぬ一死満塁2ストライク2ボールの平衡カウントの状況で、当時の讀賣の守護神左腕、高橋尚から放った、あの沈着冷静で鳴らした落合博満監督をも試合中に号泣させた、まさに優勝を決定づける、左中間上段席に文字通り突き刺した満塁本塁打でしょうね。

あの試合を東京ドームで生観戦した、今でも鮮やかに蘇ってくる記憶と共に、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_19da.html

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/index.html

その場に居合わせた感動と興奮と臨場感を、現在もyoutubeの映像などで追体験できる、大変恵まれた時代となりましたが、彼をあそこまで好機に強くさせ、相手球団からも畏敬の念で見られるような存在にまで成長させた最大の要因は、やはり落合監督と出会ったことに尽きるのではないでしょうか。

あの、とどめの満塁弾を放った後にダイヤモンドをゆっくりと一周してベンチに戻って来たタイロンとしばし抱き合う落合監督のシーンが、何ともイイんですよね。

“おお、タイロン。よくやった。(Good job Tylon,good job…my son!)”

“Thank you boss! We made it!(サンキュー ボス! やったぜ!)”

みたいな心の会話が交わされて、落合監督はいつまでも愛しいタイロンを抱きしめていたかったのだが、タイロンは他の戦友とも喜びを分かち合いたいので、監督の腕を心ならずも振りほどきながら歓喜に沸く隊列へと向かって行く…。

なんか、例えは少々変ですが、昭和40年代に一世を風靡したスポコン漫画「巨人の星」に出てくる、主人公、星飛雄馬の敵役、中日ドラゴンズ所属の元・メジャーリーグ・セントルイス・カージナルスの主砲だったアームストロング・オズマと、主人公の実父だった星一徹ヘッドコーチの師弟関係を彷彿とさせるようなシーンでしたね。

ところで、もしタイロンがドラゴンズに移籍することなく、下位でずっと低迷を続けていた横浜ベイスターズのお山の大将のままで選手生活を終えていたとしたら、たぶん、本塁打王や打点王などの個人タイトルはたくさん獲得できたかもしれませんが、それらの“勲章”や大金では決して得られなかったであろう、かけがえのない「何か」を獲得することはできなかったんじゃあないかな。

もちろん、現在のトニ・ブランコは、往年のタイロン・ウッズと比較したら到底かないっこありません。

でも、現在の彼の謙虚さと熱心さを保持して、このまま落合監督を信じて、粘り強く練習と研究を積み重ねていったら、ひょっとしたらタイロン以上の大物になれるかもしれないのです。

なにせ、落合監督は、ドラゴンズの現役選手時代には、元・メジャーリーガーだったゲーリー・レーシッチを一番弟子として落合道場に入門させ、さらに、タイロン・ウッズが心酔する絶大なるボスとして振る舞うことで、彼ら異国の助っ人たちの信頼を勝ち得てきた実績があるのですから。

それでは最後に、敢えて、ドラゴンズをいったん“卒業”した福留孝介

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_afee.html

の座右の銘を借りて、野本圭とトニ・ブランコ、2人合わせてトニ・ケイコンビとして未来の中日ドラゴンズを支えることになる若武者たちにこの言葉を贈ることにします。

「練習に勝る天才なし」。

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トーチュウの「ショットガン・フォーメーション」?

2009年 4月13日(月)13時02分53秒

それにしてもトーチュウの第一面は、「川上憲伸メジャー初勝利」による、中日大敗に対する“逃げ記事”かよ。

今までは、中日が負けると、F1やらFC東京やら競馬やら、石川県出身の松井秀樹やらの記事で、ドラファン以外のちょっとコアな読者を引きつけるしかなかったわけですが、これで、中日出身のメジャーリーガーが福留と合わせて2人になったので、晴れて? 中日関連で第一面を扱えるようになり、関東在住中日ファンのハートをがっちり掴まえておこうという「ショットガン・フォーメーション」とみました。

今年の中日は地元優先で、たぶんビジターはこんな感じで、「基本的には負け越し。時々大勝」みたいな試合が展開されて、ファンは一喜一憂することになりそうですね。

まあ、今年は面白い試合をしてもらうことと、将来に可能性を見いだせるような闘い方をしてくれればよいと、前向きに考えていこうと思います。 

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対カープス「CS」第2戦の戦評

2009年 4月12日(日)01時29分24秒

さて、カープスにとってのクライマックスシリーズともいえる、マツダZawa-Zawaスタジアムのオープニングゲーム第2戦ですが、スカパーの実況中継で、8回表の中日の攻撃を見届けてから、休日出勤をこなすために家を出ました。

好投していたチェンの代打の立浪が、珍しくチャンスでマエケンからヒットを打ったのですが、あまりにも当たりがよすぎて2塁ランナーの野本がホームを突けず、二死一三塁に。

そうなると、トップバッターに打順が戻ってしまい、こういうチャンスにはめっぽう弱い荒木が、その場の雰囲気にいたたまれなくなり、マエケンの初球をあっさり打って平凡なセカンドゴロに終わり、せっかくの勝ち越し機がふいに。

まあこうなると、試合の趨勢はほぼ決まったかなと、家を出たあとは通勤電車の車内、PHSの「試合速報」で途中経過を確認したら、案の定、8回裏に中日の救援陣が点を取られて万事休す。

それも、満塁で押し出しの四球を2つも与えて2失点するという体たらくだったようですね。

その後の報道によると、リリーフでチェンの後を継いだ清水昭(落合監督の通称、ゲンちゃん:まだ名人とは呼べないので敢えて「ちゃん」付けしているとか)が、バント処理の際、マツダの西日に目が眩むという“太陽がいっぱい”現象にやられてピンチが拡大したのだとか。

ただ、先頭打者を四球で歩かせたことが、そういう“悲運”を呼び込んだともいえるでしょうね。

これでカープスファンは、さぞかし溜飲を下げたことでしょう。

勝ち投手のマエケンこと前田健太は、いまや、高橋建が担当していたケンちゃん枠と共に、前田枠まで埋めるご活躍ですね。

なんか、スカパーで解説していた達川みつをも、マエケンのコントロールの良さを絶賛していて、「こりゃあ、同じ背番号だった大先輩の佐々岡に匹敵しますよ。ただし、ボール半個分だけ劣りますけどね」という手放しの誉めようでした。

まあそれでも、チェンが先発として結果を出してくれたので、少しずつ投手陣が整備されていけば、4月は戦力整備の月と思うことにしましょう。

それにしても、阪神も、昨年終盤のメイクドンデンですっかりダメトラに逆戻ってしまって、対讀賣最終兵器としても使えないし、セ・リーグのペナントレースはどうなってしまうのでしょうかね。

でも、甲子園に戻って中日と対戦する時だけは強気に出て来るんだろうなあ。

ああ、おもこない! 

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心眼で、見えないシーンを観ると

2009年 4月 3日(金)18時08分59秒

やぱり、開幕投手は浅尾でしたか。

にやり

先発投手がアナウンスされたときには、さぞかし女性ファンの「キャー!」という嬌声が球場内に響き、落合監督は、まずそれを聴きたかったんじゃあないかな。

今年の中日の開幕戦は、東海地方の不況を反映してか、始球式を、人件費が安くて済む身内の、“陰気のナカ”こと、中利夫、元・中日監督が務め、それが地味すぎるというブーイングを見事サプライズではねのけましたね。

ちなみに、私は仕事場でネット観戦となり、そのシーンを映像では観れませんでしたが、昭和40年代に一世を風靡した勝新太郎主演の柔道テレビ映画「くらやみ五段」の如く、心の眼で思い浮かべることにします。

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ジャイ対ドラオープン戦生観戦寸評

2009年 3月25日(水)20時04分34秒 

うーーん、レベルの低い野球をやってるなあ、ドラゴンズは。

4回表にブランコがソロホームランを打った直後に東京ドームに入場しましたが、初回3失点した先発の中田はへろへろだし、アライバも、守備位置をリバースしたら、なんか両者とも守備範囲が狭くなっているように思われるし。

お互いが逆のポジションだったら捕球していたのではという当たりがヒットで抜けていくんですよね。

なんか、全体的に攻撃も淡泊だし。

ブランコの応援テーマは♪ベテランのテーマだし…。

と思ったら、2打席連続でブランコがホームランを打ちました!

2打席目しか目撃していないのですが、その当たりは、右中間方面に130メートル弾で、確かにパワーは期待できますね。

スイングと打球の速さはウッズより速い感じ。

ウッズは、スイングは決して速くなく、むしろ遅い感じがしましたが、振り遅れ気味に出したバットにボールを乗せて、人並み外れた怪力にものを言わせて押し込んでいくような打法でしたが、ブランコのそれは、いわゆるカブレラタイプの、ボールがまるでピンポン球のように弾き返されていく感じでしょうか。

日本の野球に慣れてきたら、さらに期待ができそうです。

確かに、ファーストの守備も安心して見ていられそうだし。

一方、讀賣も今のうちにブランコの弱点を探そうとして投げている感じではありますが、これからかなり警戒してくると思いますね。

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