カテゴリー「スポーツ」の記事

2009年10月30日 (金)

「左ワンダフルエース」の夢再び

2009年10月30日(金)20時01分15秒   

今回のドラフト1位指名ですが、たぶん、落合監督は、菊池の獲得にあまりこだわっていなかったと思いますね。

昨年のドラフトで、中日のスカウト陣が、読賣が指名した、右のスラッガー大田を、あえて横槍を入れる形で強行指名する予定だったのを、急遽、監督の希望で、まずは左打者の即戦力として期待できる野本に変更したという経緯があり、中田スカウト部長の面目が丸つぶれになってしまったので、今年はあえて自分の意見を主張しなかったのではないかと推察します。

元々、落合監督は、入団当初から完成された選手や、超●●級という選手を獲得するより、自分の“眼力”で発見した、磨けば光る原石の選手を、独特の指導法で超一流に育てることに喜びを感じるタイプの指揮官だと思います。

たとえば、2003年の秋季キャンプで監督に就任早々、当時は誰も見向きもしなかった、荒木と井端の一二番コンビを、「彼らは日本一の二遊間だ」というコメントのもと、徹底的に厳しい練習を課して鍛え上げた結果、翌年からはすばらしいコンビプレーを披露できるようになって、いつの間にか「アライバ」が日本一の二遊間の代名詞となったわけで、あれはまさに落合監督の眼力の賜物といえるでしょう。

さらに、今年でいえば、それは野本やブランコであり、まだまだこれから大きな伸びしろが期待できると思って、厳しい中にも愛情あふれた指導をこれからも続けていくと思います。

したがって、超高校級の菊池を育てるというより、今年の1位と2位で指名した、高校生左腕コンビを、お互いのライバル心を煽りながら、両方ともうまく育てて、コンビとして売り出そうと期待していると思います。

そして、長年のドラゴンズファンとしては、是非とも、このコンビによる「さわんだふるA」((c)たかみね駆先生)の復活を見たいものです。

http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=21041 

特に、個人的には、2位で指名された小川龍也君にスターダムにのし上がってほしいですね。

まず、久々に千葉県出身のスター候補生であることが挙げられます。

中日ドラゴンズは、1970年代から1990年代にかけて、谷沢健一、鈴木孝政、宇野勝、与田剛と、千葉県出身の“全国区”のスターを輩出しましたが、その後は少し、そこまで存在感のある人材を育てることはなかったので、ここは是が非でも、再び“千葉枠”の復活を願いたいですね。

そして、小川君に期待するもう1つの理由は、真の「龍・竜」の名を持つ人材が入団してくれそうなことです。

これまでも、「龍」や「竜」、あるいは干支の「辰」を名前に持つ選手が何人も在籍していましたが、何故か、読みが「たつ」だった人がほとんど(「たつお」とか「たつや」とか「たつみ」とか)で、今回、久々に「りゅう」という読み方をする人が入団してくれそうなのです。

そしてさらに、育成枠のほうでも1人、赤田龍一郎(あかだ りゅういちろう)君という、「龍」を名前に持つ人材が入団してくれそうで、ドラゴンズの今年のドラフトの裏ミッションは、実は「りゅう」の補強だったのでした。

|

2009年10月25日 (日)

実戦形式の秋季キャンプ第1S終了

といったところでしょうか。

中日ドラゴンズの球団経営上は、第1Sが3戦開催できて、相手がスワローズという在京球団だったので客足が心配されましたが、一応満員御礼だったようですので、入場料収入に加えて、観客のマーチャンダイズ商品の売り上げ(これが結構利ざやがいいらしい。どのようなイベントでも。人件費がほとんどかからないからね)、そして、テレビやラジオの媒体に対する放映料収入、さらには親会社の新聞の購読料(オフシーズンに入るとガタっと落ちるはず)など、一般に報道されている赤字幅を、かなり圧縮するのに貢献したのではないかと思います。

また、選手個人にとっては、特に若手と中堅にとって大変貴重な体験を積んだことと、自分たちの課題がいろいろと見えたのではないでしょうか。

我々ファンも、10月下旬までシーズンを過ごせたことに、素直に感謝したいと思います。

これで、ドラゴンズにとっては、いよいよストーブが必要な季節に突入することになりますね。

|

2009年10月17日 (土)

デントナの背番号も

知らないくせに♪

>自分

それどころか、彼のファーストネームがジェイミーだということも、さらにいえば、彼の苗字のスペルがD'ANTONAだということさえ、今まで気が付きませんでした。

ところで、Dのあとの「 ’」はどういう意味?

迂闊でした。

彼の本当の恐ろしさに、この試合でやっと気付くことができたのですが、時既に遅しでした。

ヤクルトの公式ホームページの選手プロフィールによると、彼の特技は「釣りと狩り」だそうですが、むしろ、「スペースバンパイア」ですね。

http://www.yakult-swallows.co.jp/players/004_dantona.html

本日の試合の分岐点は、6回裏に和田選手が右中間にヒットを打って一死一三塁のチャンスとなるも、谷繁捕手がスクイズのサインをファールで失敗した直後に見逃し三振に倒れた瞬間で、そこで試合の流れが変わったことを敗因に挙げる人が最も多いと思いますが、実は、その直前にもっと恐ろしいことが起きていました。

そう、和田選手が右中間にヒットを打ってファーストベースに駆け込んだ直後に、「それ」が起きたのです。

和田選手は、2回裏の無死一塁の好機で併殺打を打ってしまった失敗を取り返すが如く、4回裏には先制ホームランを放ち、さらに6回裏にはチャンスを広げる安打を打ち、順当に行けば、この試合のヒーローになるところでした。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2009/index.php?date=20091017#0_b6

ところが、一死一三塁の好機を演出した和田選手に対して、あろうことか、敵チームのファーストベースマン、デントナが、それを祝福するかのように微笑みながら近付いてきて、和田選手に抱き付いてきたのです。

その抱擁を嫌がって手で払いのけようとする和田選手をものともせずに。

まるで、「すごいね、和田ちゃん。そのパワーをボクにも分けてくれよ」とばかりに。

かくして、巧みにそのパワーを吸い取ったデントナ選手は、レギュラーシーズンに1点台という驚異的な防御率を誇ったチェン・ウェイン投手から、7回表のチャンスで、ものの見事に逆転2ランホームランを放ったのでした。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2009/index.php?date=20091017#0_a7

つまり、谷繁捕手が好機でスクイズを失敗する直前に、デントナ選手が和田選手に抱きついてお立ち台パワーを吸い取った時点で既に試合の流れはヤクルトに傾いてしまったのでした。

恐るべし、D’エイントナのスペース★バンパイアパワー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%A2

侮りがたし、高田スワローズの死んだ振り作戦

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8202.html

まあ、これで、中日球団経営者が目論んだ、第三戦にまでもつれて目一杯入場料収入を挙げるという展開に持ち込んだ(中日球団は、CS第1Sしか主催者収入が得られないシステムになっています)ので、球団経営者はひとり皮算用をしてほくそ笑んでいると思いますが、本当にそうなるかなあ。

もし、そうだとしたら、是非とも、明日の試合では、ブランコ選手あたりが早めにデントナに抱きついて、そのパワーを吸い取り返してほしいものです。

|

まさに、フリューゲルス現象ですね。

2009年10月17日(土)15時14分32秒

楽天の快進撃。

ノムさんの解任発表が、結果的に楽天ナインとファンの闘志に火を点けてしまったという、かつて、サッカー天皇杯の直前に横浜フリューゲルスの解散が発表されたところ、選手とサポーターの団結心が異様に高まり、あれよあれよという間に勝ち進んでいって、最後は優勝してしまったという逸話がありましたが、その雰囲気と似てますね。

今年の日本シリーズは、土日開催がすべてパリーグの球場になっており、パに花を持たせるシステムになっていますね。

http://eplus.jp/sys/web/sports/npb/ns09.html

さて、本日はうちの球団にとってはCS(くそったれシリーズ)の開幕戦なので、どういう展開となるのかは楽しみではあります。

|

2009年10月13日 (火)

“空気”を読み過ぎて墜落(笑)

2009年10月13日(火)20時08分41秒   

しかし、昨日のヤクルト対読賣の最終戦は痛快な結末になりましたね。

ヤクルトからすれば、この試合自体は、勝つに越したことはないけれども、単独最多勝利の可能性があった館山投手をベンチ入りさせないと決めた時点で、球団としては個人成績に関する縛りはほぼなくなり、あとは、いかに城石と花田の引退に花を添えてやるかしか頭になかったはず。

ところが、読賣は、たてまえ的には内海に二桁勝利を挙げさせてやりたいということにはなっていましたが、さすがの読賣球団も、このところの世界的な大不況の影響で、人件費の高騰は極力抑えたいというのが本音のはず。

ただでさえ、リーグ戦三連覇のご祝儀で、主力選手に対しては、ある程度年俸をアップさせなければならないのに、内海みたいにどさくさ紛れの二桁勝利投手に対して、さらにわざわざインセンティブを上澄みする必要もない、とベンチが気が付き、そういう両軍の“思惑”が一致して、思わぬ逆転劇が生まれたのかもしれません。

8回裏に代打として最後の打席に入った城石に対して、雷神だか風神だかいつも迷う越智投手が、彼に対してとても変化球を投げられる雰囲気ではなかったと、試合をテレビ中継していたスカパー・旧フジテレビ739の解説者、高木豊が喝破していましたが、その“空気”を読んだ城石が、ど真ん中の直球をもの見事に捉えて二塁打を放ち、まずはチャンスメーク。

そうしたところにもってきて登場したのが、お騒がせ男デントナ。

彼は、確か現時点では来季もヤクルトでプレーできるという保証をまだもらっていないと思われ、これから始まるCS第1Sでの結果とあわせて、まだまだ「試金石」の打席が続いており、一昨日の“疑惑の本塁打”を放った打席と同様に、常に真剣勝負を挑んできており、結果的に四球を選んだのは当然であったといえます。

そして、二死一二塁となった状況で代打を告げられたのは、今シーズン一軍で目立った成績を残していない衣川だったので、これまた死にものぐるいで粘った末に、今シーズン初安打となった同点打を放ちます。

そして、さらに逆転の二塁打を放った次打者は、これまた昨季にソフトバンクから戦力外通告を受けた後に、かろうじてトライアウトでヤクルトに拾ってもらった吉本だったわけですから、読賣側の中継ぎエース、越智ちゃんは、えらい大変な場面で損な役割を押しつけられたものです。

http://www.yakult-swallows.co.jp/game/archive/200910/20091012/index.html

いわば、この試合に限っていえば、ヤクルト側の選手たちの背負っているもののほうが、既にモチベーションが極端に下がっている讀賣の選手たちのそれより遙かに重かったので、あれよあれよという間に逆転されてしまったのでしょう。

読賣ナインが、敗戦が決まってベンチから引き揚げていく際には、ひとり、二桁勝利の権利を得て降板したあと、それを後続投手に台無しにされた内海投手だけが、記者団に囲まれながら憮然とした表情で球場出口の通路に向かっていく様子が、旧・フジテレビ739の映像で映されていましたが、そりゃあ仕方ないでしょう、内海君。

恨むのなら、妙にヤクルトベンチにいらぬ気遣いをして、逆転されるキッカケづくりをした、お人好しの読賣首脳陣を恨みなさい。

まさかとは思いますが、最後は読賣側の、これまで散々“出来レース”を提供してくれたヤクルト球団への恩返し? 

|

2009年10月12日 (月)

「燃えよ! ドラゴンズ1990」の節をつけて

当時、目立った応援歌がなかった気の毒な讀賣ジャイアンツのために、うちの応援歌を貸して歌ってあげたものです。

♪一番篠塚インチキホームラン

オワリ

あの、右翼ポールの遥か右側を通過した大ファールボールを、当時はテレビ中継映像で見ましたが、昨日は、その類のシーンを生で見ることができました。

今度は、ヤクルトさんのために替え歌を進呈します。

♪四番デントナインチキホームラン

オワリ

昨日の7回裏のヤクルトの攻撃で、うちの万年秘密兵器、山井投手から疑惑の当たりを放ったデントナ選手でしたが、ビデオ映像で確認するまでもなく、左翼ポール後方に陣取って、その打球の行方を追っていた我々ドラゴンズファンは、打球がポールの外側(ファールゾーン)か内側(フェアゾーン)を通過したのかどうかを確認できる、唯一といっていい位置に陣取っていたわけで、打者が打った瞬間にそのボールが、最初は「これはヤバイ! もしかして逆転ホームランか?」と思った後に、左翼ポールに近づくにつれてぐんぐんとフック軌道を描き、左翼ポールの真中あたりを、我々外野席から見た時の向かって右側にそれたとき、その付近に居た多くのドラゴンズファンが安堵の溜息をもらしました。

万が一、ボールが左翼ポールの向かって左側を通過したのなら、そういう反応は起きずに、「あーあ!」という諦めと、背信の逆転弾を打たれた投手に対する怒りの喊声が沸いたはず。

たとえ自軍に不利な状況となっても、とても嘘の演技ができるほど、プロ野球観戦者はスレてはいません。

ところが、次の瞬間に、サードベース付近という遥かかなたから、一瞬のうちに打球の行方を見定めなければならない審判は、フェアかファールかの審判を下さなければならず、ある意味、非常に気の毒な立場に置かれているともいえますね。

いみじくも、落合監督が「審判も(今回の件では)被害者だ」と発言したのもよくわかる状況でした。

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091012-554648.html

「フェアかファウルかが問題ではない。あの映像が流れたことが問題なんだ。あれを流した以上、オレは出ていかなくてはならない。退場にならなければ収まりがつかないだろう。判定が覆れば、高田監督が退場にならないと収まらない。監督が退場しなければ収まらないんだ。審判も被害者だ」。

さすが、ビデオ判定の導入そのものには反対の姿勢を示している落合監督だけに、審判に抗議する理由もふるっていますね。

まあこれで、少々事前の盛り上がりに欠けていたCS第1ステージに“遺恨”が発生して、選手たちの中により一層の闘争心が芽生えたことが、今回の“消化試合”の収穫かもしれませんね。

|

2009年10月 5日 (月)

頑張れヤクルト ?

2009年10月 5日(月)13時03分56秒   

ということで、新橋のニュー新橋ビル地階にある、熱狂的ヤクルトファンの大将がやっているまぐろ専門料理店「あかね屋」に昼飯を食べに行ってきました。

店内には10月のヤクルトカレンダーが飾ってあり、今季末で戦力外となる木田投手や、吉本選手など、少々マニアックな選手が4人ほど登場していましたが、読賣ファンだらけの東京の地で、やはり、気力を振り絞って精一杯応援しているのでしょうね。

鉄火丼定食(昼食は、まぐろぶつ定食の二品しかない、漢らしさ!)を食べ終わってお代を払う際に、「頑張ってくださいね」と心の中でそっとささやきながら店を後にしました。

まあ、ヤクルトが晴れてリーグ戦3位でCSに出場した場合、今度は敵味方に分かれるので、あまり親しげに声をかけるわけにはいかないし、対中日戦の試合があるときは、やはり来店するのを自粛してますしね。

|

2009年10月 3日 (土)

「朝鮮戦争」2009?

2009年10月 3日(土)15時05分7秒

「ファーム日本選手権」をスカパー(CS)の中継で観戦してます。

予想通り、うちは高卒ルーキーの伊藤準規が先発でした。

先日、名古屋ドームの最終戦、あの立浪の引退試合の中、伊藤投手の、ひときわフレッシュな輝きを見せていた投球が印象に残っていたので、これは、「ファーム日本選手権」という“大舞台”を前にした、テスト登板(度胸試し)という位置付けで登板させたのだと思われ、見事その“試験”に合格したので、本日の試合の先発を任されたのでしょう。

初回は、最初のバッターに二塁打を打たれ、無死一二塁の大ピンチを招きましたが、三番大田をはじめとする讀賣のクリーンアップを抑え込み、まずはピンチを脱し、将来の大物の片鱗を見せています。

讀賣は、先発投手に、本来は一軍の戦力で十分通用する久保を持ってきているうえに、打者にも、イ・スンヨプや小田嶋など、本来は一軍に出場してもおかしくない面々を打者に揃えて、大人げない打線を組んできたので、うちも、イ・ビョンギュや野本を加えて対抗しており、ただのファーム日本一決定戦ではない、親会社の新聞社同士の面子をかけた激戦の様相を呈しております。

|

2009年10月 1日 (木)

やはり中部日本ドラゴンズは

2009年10月 1日(木)11時03分43秒   

中部経済圏を基盤とした球団であって、全国区の球団では決してないわけで、たとえ、中日唯一といっていいほど、全国区の人気を誇る立浪選手の引退セレモニーといえども、関東地方に基盤を置く、東京放送(略称、TBS:Tokyo Broadcasting System)にとっては、必ずしもおいしいコンテンツとはいえないので、試合終了後のイベントを中継するために、わざわざ放映権の延長料金を中日球団に払いたくない、というより、スポンサーの都合でさっさと次の番組に移れということでしょう。

正直なところ、立浪の引退セレモニーまで中継を続ける義理はないので、落合監督の地元最終戦のスピーチが終了した時点で、首都圏を主な商圏としているTBSが経営するCS放送局「JNNニュースバード」は、さっさとテレビ(CS)中継を打ち切ったのでしょう。

幸いにも私は、「JNNニュースバード」の中継映像に加えて、「東海ラジオガッツナイター」の音声で試合を聴いていたので、ニュースバードが試合後のセレモニー映像の中継を途中で打ち切るというテロップが流れてきたのを見て、そこからは東海ラジオの音声中継放送だけを頼りに、シーンを心の“眼”で想像しながら、立浪選手の引退セレモニーを最後まで聴き届けることができました。

(高性能ラジオとクレードルの組み合わせによる、往時をしのばせる“ラジカセ”スタイルの受信機
http://www.sanyo-audio.com/icr/rs110/index_rs110mf.html
にAMループアンテナを設置したところ、かなり良好な状態で東海地方の放送局が聴こえます。ただし、電波状態が安定するのは夕方からですが)

聞くところによると、TBSラジオも中継を途中で打ち切ったそうで、やはり関東の放送局や、TBS資本のCS放送は、中部地方の球団には冷たいですね。

まあ、所詮、東京中心主義の世の中において、中日球団は地方の煙ったい球団にすぎないということでしょうね。

なにせ中日ドラゴンズは、球界の元・盟主、読賣巨人軍(笑)グループが主導して盛り上げようとした「WBC」戦略に反旗を翻した、KY球団でもありますしね。

それでも、CS放送の「プロ野球ニュース」では、立浪の引退セレモニーを、ダイジェストとはいえ、かなりの部分を映像で見せてくれて、それ自体は大変ありがたかったのですが、今年から、「プロ野球ニュース」は、旧・フジテレビ721(「1」なのか「2」なのか、いまだによくわからない)で放映しているため、旧・フジテレビ739しか見れない「スカパープロ野球セット」契約者は、その番組が視聴できないという、これまた意地の悪い戦略を始めています。

これは、今年から、スカパーの「JSPORTS」系列で始まった「野球好きニュース」と、「プロ野球ニュース」で伝えられる情報が、もろにバッティングすることと無縁ではないと思います。

いずれにせよ、このところは、プロ野球というコンテンツを巡って、放送業界が、お互いシビアにしのぎを削りつつ、かなりギクシャクした関係に陥っていることの現れでしょうね。

まあ、中日ドラゴンズを応援したかったら、地元メディアをチェックせよ、というのが、このところの世界的な大不況にさらされている、日本経済の中でサバイバルしていく知恵なのかもしれません。

さて、落合監督の、地元開催最終戦でのスピーチも、もちろん後半の日本シリーズでの優勝希望宣言は面白かったですが、それの前振りであった、「当初私が思っていた、世界的な不況のあおりを受けて……自分の中の許容範囲を超えるというか、約230万人の方々が我々の野球の一投足を見つめてきてくださいました。」という下りが非常に興味深かったです。

実際、観客動員数は対前年で約13万人減少したとのことですので、ここに込められた意味合いにはかなり深いものがありそうです。

-----------------------------------------------------
http://www.sanspo.com/baseball/news/090930/bsc0909302232003-n1.htm
今季のレギュラーシーズン主催試合を終えた中日は、地方開催5試合を含む計72試合の観客動員が、昨年より12万9400人減の229万8405人となったと発表した。(ナゴヤドーム)
-----------------------------------------------------

大雑把に計算すると、シーズンシートの高額チケット契約者の減少や、多くの入場者が球場に来て食事や各種グッズを買い求めることで得られるはずだった収入の減少などを考えれば、客単価@1万円×13万人=13億円程度の大幅な減収となってしまったことになり、確かにこれでは、タイロン・ウッズや川上憲伸、昨シーズンに退団した福留孝介などの高額年俸者を置いておけるほど球団経営に余裕がなくなってしまったということなのでしょう。

要するに、これだけ苦しい台所事情の中で、なんとかやりくりして、巨大資本を背景に業界を牛耳ろうとしている讀賣市場経済主義に立ち向かったんだよ、と言いたかったんでしょう。

確かに、反骨精神旺盛な落合監督らしい発言でしたね。 

http://dragons.jp/news/2009/09093001.html

今季ナゴヤドーム最終戦 落合監督・立浪選手あいさつ

2009/9/30

落合監督

09093001_1

本日を持ちまして球団主催、今シーズンの72試合の終わりのゲームを迎えました。

当初私が思っていた、世界的な不況のあおりを受けて自分の中の許容範囲を超えるというか、約230万人の方々が我々の野球の一投足を見つめてきてくださいました。

この場を借りて厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。

我々が求めていたペナントレース優勝、そしてクライマックスを勝ち上がり日本シリーズという第一ハードルは越えることができませんでしたけれども、2009年度の野球はまだまだ続きます。

2009年度の挨拶は11月3日、このナゴヤドームで日本シリーズの第3戦を迎え、我々の戦う元気な姿を皆さんにお見せしたいと思います。

最後の挨拶は、一つ残されている日本シリーズのチャンピオンフラッグを我々の手で勝ち取り、そのときに皆さま方に最後の挨拶をしたいと思います。本日はありがとうございました。

立浪選手

09093001_2

縁があって中日ドラゴンズという素晴らしい球団に入団することができ22年が経ちました。

たくさんの方々に支えていただき、たくさんのファンのみなさんに応援してもらいここまでやってくることができました。

プロ野球の世界に入る前は、今日自分の最後のユニホーム姿を見に来てくださった清原さん、桑田さんにあこがれてプロ野球選手をめざしました。

プロ野球選手になる前は、この身体でこの世界でやっていけるのかなという不安ばかりでしたが、プロに入ってからそして今まで身体が小さいと思ったことは一度もありません。

ただバッティングだけはと思ってここまでやってきました。

昨年引退を表明し、ここまできましたが、なかなか皆さんの声援に応えるバッティングはできなくなってきました。

理想である野球は打って走って守る。自分には守ることと走ることが衰えてきたのでユニホームを脱ぐ決意をしました。

代打にまわってからの3年間半。毎打席、暖かい声援と激励をいただいたことはしっかりとこの胸にしまいこみ、またいつかみなさんに恩返しができるようこれからの人生たくさんのことを学び、たくさんのことを勉強し、一回りも二回りも大きくなって帰ってきたいと思います。

22年間常にプレッシャーの中で戦ってきましたが、今日一日は楽しく野球をやらしてもらいました。

最高の花道を用意してくださった中日ドラゴンズ関係者のみなさん本当にありがとうございました。

そして最後に、代打として最後の生きる道を与えてくださった落合監督、そしてたくさんのサポートをいただいたコーチのみなさん、そして最高のチームメートにもめぐまれ、最高のファンのみなさんにかこまれて、幸せな野球人生を送ることができました。

この体もここまでよくもってくれました。

ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

これで心置きなくバットを置くことができます。

全国のドラゴンズファンの皆さん、そして私を応援してくださった野球ファンのみなさん、22年間本当にありがとうございました。

|

2009年9月30日 (水)

まあ、接待試合やろね

2009年 9月30日(水)13時21分46秒   

この三連戦は。

3連勝するかどうかはさておき、本日も立浪の引退セレモニーがあるので、まずは試合進行を早めることが最優先となるでしょう。

ただし、本人はぎっくり腰を発症してしまって、出場が危ぶまれているそうですので、挨拶のみかも。

仮に、引退試合が別にあるのなら、無理して出場する必要はないのですが、さて。

読賣も、昨日までの2戦は、メンバーを落として、これは接待試合だから負けてやっているんですよ、と世間にアピールしているようですし。

中日は、この「セレモニー」が終わったら、まずは10月3日に開催されるファーム日本選手権が最重要マターでしょうね。

というのも、開催球場が、親会社の中日新聞社が、新聞業界でも永遠のライバルである読賣新聞社と熾烈な販売競争を繰り広げている北陸エリアに位置する富山県立球場、通称アルペンスタジアムで行われるのですから、試合の趨勢とともに、号外などを含めた“宣材”が飛び交い、まさに場外バトルも必至の展開となることでしょう。

この日に備えて、短期決戦に強いという、唯一の「売り物」を持つ、イ・ビョンギュ外野手を、早々と一軍から“レンタル移籍”させたのでしょうから。

おっと、それに加えて、本来は一軍の戦力だった、井上カズキと山本マサも援軍に加わるのですから、これは心強い限りですね。

まずは、弟分が日本一になって、兄貴の仇を討て、というミッションが課せられているようです。

|

2009年9月29日 (火)

中日よ。KY球団になれ!

2009年 9月29日(火)14時29分30秒

中日ドラゴンズとしては、実質上ペナントレースが終わり、CS出場を巡る熾烈な3位争いをよそに、まるで帳尻合わせのような試合が続いておりますが、これまで、なんとなくWEBの裏側で書き溜めていたテキストを出すまえに、「潜望鏡」の役割を果たすこの記事を先に上げることにしました。

さて、日曜日の「セレモニー」が終わった井上カズキと山本マサをさっさと2軍に落とした落合監督と森チーフですが(試合後の「セレモニー」の様子を伝える映像で、涙にくれる選手や一部コーチの映像とは別に、彼ら二人の姿がまるっきり映らなかったのと、大本営新聞・東京版と呼ばれる翌朝の「東京中日スポーツ」にも、カズキについてのコメントがいっさい掲載されなかったのが、何かを象徴していると、私は思っていますが)、結局、二人ともいらねー(今季の戦力としては)、ということなのでしょうね。

井上カズキが、2007年の日本一優勝パレード終了後の感動的なスピーチの後で、落合監督がそのスピーチをベタ褒めしたその直後に、カズキは選手会長を辞めることを表明しましたが、あれは落合監督の褒め殺しだったと思っていました。

つまり、口だけ達者な奴はいらねーので、プレーで実績を出せ、という要求だったのでしょうね。

あと、長年にわたる、送りバントを巡る両者の“攻防”。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2004/2004SE03.htm

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_e38a.html

カズキになんとしてでも送りバントの指示を出してそれに従わせたい監督側と(それは、かの、バファローズのお山の大将時代には、決して送りバントのサインを出されなかったといわれる中村ノリヒロに対してでさえ、2007年のシーズンでは、再三再四、送りバントの指令を出し、ほとんど成功させた事実からも見て取れますが)、オレはあくまで打ってなんぼの男だという主張で、ときにはわざととしか思えなかった、送りバントのサインをみえみえのファールで“拒否”するカズキとの溝は、結局最後まで埋まらなかったような気がします。

たぶん、山本マサに対しても、落合監督は似たような評価をしているように感じられますが、「オレは、こちらから引退しろとは言わない。」という趣旨の発言を既に昨シーズンしており、それは、いつ辞めてもらっても結構ということの裏返しなのでしょう。

どちらかというと、球団経営上必要な選手という位置づけであり、現場監督側としては、本音をいえば戦力構想外と思っているのかもしれません。

また、前回の東京ドーム“決戦”で、イ・ビョンギュを起用した後に、勝負が決まるとさっさと2軍に落としたように、前回の対読賣戦と直前の対阪神戦は、采配上で“調整”したんだよ、と露骨に示したんじゃないかと勝手に思っております。

落合監督は、ある意味嘘を言わないという姿勢を貫く(たとえば、今年の前半の対讀賣戦でボロ負けした後に、まるで負け惜しみのように言い放った「あそこ(讀賣)を追っ掛けられるのはうちだけだ」発言で、マスコミやファンは、当初はてっきり大言に過ぎないと思っていたら、中盤からはそのとおりになった意外性に驚いたとともに、結局、一度も讀賣を逆転することなくペナントレースを終えることになり、ファンを落胆させましたが、彼は1つも嘘を言っていません。つまり、「追っ掛ける」のは自分たちだけであるというのは本当だったわけ、「追いつく」とも「追い抜く」とも言っていなかったのです)ために、あえて露骨な采配をして、業界からの“空気=圧力”を暴いたような気がします。

今年でいえば、やはり業界にとっては、とにかく一致団結して「WBC」を“連覇”したいというシナリオに基づいて業界全体を活気づけようという意図があったことは事実でしょうから、その“空気”に対して、あえて反旗を翻した中日球団がリーグ戦を優勝するということは、業界の裏の掟としては許されないことだったのでしょう。

まあ、CSがその“調整弁”としてどのような役割を果たすのかはわかりませんが、少なくとも、WBCの世界一に貢献しなかった球団が日本一になってしまうという事態だけは、業界全体の“総意”として避けたいと思っていることでしょうね。

 

|

2009年9月17日 (木)

今年のCSの主役は阪神?

2009年 9月17日(木)12時56分10秒   

昨晩、久々に実家から電話があり、阪神ファンの父親が、このところの阪神タイガースの“怪”進撃に対して、やはり相当喜んでいるようです。

これが、大部分の阪神ファンのいつわざる心境でしょう。

つまり、昨年は、あんなこと(ペキンペキン五輪の後の、非常に不可解な、大うっちゃられ負けを喫する)があったわけですから。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat32875712/index.html

中日は、2007年に、既に「CS」を活用した「逆転日本一」を経験済みなので、次は阪神さんどうぞと伝えて、と母親に伝言しておきました。

中日は、「ファーム日本一」だけでいいです。

今年は、富山市民球場アルペンスタジアムで開催される「ファーム日本選手権」の会場で、中スポと中日新聞の号外を配布して、読者層を拡大することのほうが大事ですから、なんとしてでも二軍は優勝する必要がありまからね。

そのために、いったんイ・ビョンギュを、落合監督は辻二軍監督に貸し出したのでしょうから。 

|

2009年9月16日 (水)

木枯らしが吹く前に

2009年 9月16日(水)22時48分56秒

プロ野球シーズンたけなわではありますが、いっとき、プロ野球から目を離して、時代劇のリバイバル・プロモーション企画のイベントに参加してきました。

こんなイベントでした。

●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
「木枯し紋次郎」ハイビジョン試写会(懇親会付き)
当選のご案内
  http://www.webserai.jp/2009/08/40-a8ad.html
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●

-------------------------------------------------催し2009年8月17日

木枯し紋次郎」ハイビジョン試写会(懇親会付き)に、40名様ご招待!

365日“時代劇”だけをお送りする唯一のテレビ「時代劇専門チャンネル」(スカパー!やケーブルテレビで放送中)は、この10月より、満を持してハイビジョン放送の「時代劇専門チャンネルHD」*を開局いたします。

この開局を記念して、市川崑監督×中村敦夫主演の名作TVシリーズ「木枯し紋次郎」の放送が決定!

テレビ放送に先駆けて行われるハイビジョン試写会に、ウェブサライ読者の方を特別にご招待いたします。

職人の手によって髪の毛一本一本まで鮮明に、肌の質感まで美しく蘇った映像を東京・神保町シアターの大型スクリーンで上映。72年のテレビ放送から37年の時を経て、ハイビジョン映像で生まれ変わった映像をご堪能いただけます。

試写会終了後は、神保町シアター近く、昭和24年創業の老舗喫茶店「ラドリオ」にて参加者様との懇親会を開催(乾杯ビールと旬のおつまみ付き)。昭和の香りが残る落ち着いた空間の中で、「木枯し紋次郎」と古き良き時代の思い出を語り合いませんか?

(*「時代劇専門チャンネルHD」をご視聴いただくには、「スカパー!HD」又は「K-CAT eo光テレビ」へのご加入が必要となります。お問い合わせは、カスタマーセンター:03-5549-2214までどうぞ。)

■試写会概要

開催日時: 2009年9月16日(水)
試写会:18:00開場、18:30スタート
懇親会20:00~21:00(乾杯ビールと旬のおつまみ付き)
※お店自体は21:00以降もご利用いただけます
場所:
東京・神保町シアター(試写会) 地図
ラドリオ(懇親会) 地図
参加費: 無料

※会場までの交通費は当選者様のご負担となります。予めご了承ください。

Map

試写会の司会には、"ちょんまげブーム"の仕掛け人、時代劇研究家のペリー荻野氏が登場。(懇親会にも参加!)

Perri

■応募方法について

募集人数:40名様(20組)
※お一人様でもご参加いただけます
締切:2009年8月28日(金)23時
問い合わせ先:
ニフティ株式会社 ウェブサライ編集部

※当選者の発表は9月上旬に当選者の方にのみ、ウェブサライ編集部(ニフティ株式会社)よりメールにてご連絡いたします。

※本イベントの当落に関するお問い合わせにはお答えできませんので、予めご了承ください。

※応募終了いたしました。たくさんのご応募、誠にありがとうございます。

■作品情報
「木枯し紋次郎」(1972年・TVシリーズ・全18話・カラー)
原作:笹沢左保 監修:市川崑 演出:市川崑/池広一夫/森一生 ほか
主演:中村敦夫
ゲスト:小川真由美/藤村志保/原田芳雄 ほか
主題歌:上條恒彦『だれかが風の中で』

Img01

上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は、十歳のときに故郷を捨て、その後一家は離散したという天涯孤独の身。いつしか無宿渡世の世界に足を踏み入れ、長楊枝をくわえてあてのない旅を続けている。「あっしには関わりのねえことでござんす…」と、何事にも関わりを避ける紋次郎だが、行く先々で事件に関わることになる。

-------------------------------------------------

主催者側の説明によれば、多数の応募者のなかから抽選で小人数が選ばれたとのこと。

試写会に応募するための「WEBフォーマット」に、自分のブログのURLを入力する欄があり、そこに記入した、私の「私的『木枯し紋次郎』考」の一文が、幸いにも選考者の目にとまり、高倍率を突破できたのだとしたらうれしいですね。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_6160.html

さすがに、この抽選会に是非とも当選したかったので、「WEBフォーマット」の応募動機欄には、少々気合の入った一文を書いてみました。

**********************************************
●「時代劇専門チャンネルHD」、「木枯し紋次郎」に関するご感想・ご意見などございましたら、ご自由にお書きください。

「木枯し紋次郎」の本放送が放映された1970年代初頭。

当時、中学生だった私は、主人公の、虚無的だが凛とした姿勢を貫く生き様に大きな共感を覚えるとともに、その、うぶな中学生にはちょっと“オトナ”過ぎるドラマ設定と、江戸時代後期の名もなき人達のリアルな風俗、そして、主人公が置かれた、過酷で悲惨な運命のしがらみを振り払おうとして抜き放つ、怒りの長ドスの一閃を、毎回楽しみにしながら、テレビの前に釘付けになって観ていました。

さらに、21世紀初頭には「時代劇専門チャンネル」で、その「木枯し紋次郎」シリーズが全て放映されるというニュースを聴き、当時、狂喜乱舞してシリーズをビデオに録画し、その後発売された「DVDボックスセット」も買い求めました。

「時代劇専門チャンネル」での初回放送時にも、1970年代の本放送放映時の感動が改めて蘇るとともに、この「江戸時代ロードムービー的青春活劇」を、自分もそれなりに人生経験を積み重ねて行くうちに獲得した、新たな視点から観れるようになりました。

このたび、ハイビジョンの高精細クオリティで、市川崑監督をはじめとする映画スタッフ陣こだわりの映像、そして、主演を務めた中村敦夫のあまりにストイックな「演技」と、彼に関わろうとする一癖も二癖もある悪女を演じる、当時の新進女優陣の「艶技」、さらに、憎々しさを通り越してお見事としか言いようがない悪役男優陣の「厭技」を、試写会会場の大画面で再確認できる機会があるというニュースを聞いて、早速応募させていただきます。
**********************************************

さて、「紋次郎のハイビジョン試写会」は、なかなか面白かったですね。イベントの演出例としても。

まず、普段はテレビの「小画面」(といっても、1970年代当時の14型程度が主流だった時代と比べれば、遥かに大きい画面ですが)とは比較にならない、試写会会場の大スクリーンで、「木枯し紋次郎」の生き様を“体感”できたことに意義がありました。

このイベントは、小学館のサライと、スカパーの時代劇チャンネルのタイアップ企画で始められたものだそうで、今回が初めての試みとのことで、先方も手探り状態でことを進めているのがかえって好感がもて、いろいろな意味で参考になりました。

参加者は十数人程度ということで、懇親会会場のラドリオでも、当初は初対面のファン同士で多少ギクシャクしつつ、アルコールが適度に入ると、おおいに盛り上がるという雰囲気もなかなか面白かったですね。

参加者も、紋次郎について異様に詳しい人と、時代劇全般に興味がある人が半々と、そのブレンド具合もちょうどよかったのかもしれません。

今回のMC役を務めたペリー荻野さんからも、当時の撮影裏話をいろいろと伺うことができたのも収穫でした。

今回の企画で、もっとも力が入っていたのは、時代劇チャンネルHDの放映をこの10月から開始する時代劇チャンネルさんですが、当然、いろいろな時代劇のコンテンツを、次々とハイビジョン放送する計画なのだそうですが、ここで、何故、「木枯らし紋次郎」をあえてテストマーケティングの題材に選んだのか、その真相を聞いてみたいと思いました。

とにかく、過去のフィルム作品をハイビジョンの画質でリマスターするのは、途方もない時間と手間がかかることがわかりましたが、それにかかる人件費他のコストをかけてまでも、今回勝負に打って出たわけで、そこには、何らかの勝算があってのことでしょう。

http://www.webserai.jp/special/kogarashimonjiro/index.html

なかなか意欲的な先行投資であるとともに、地上波デジタルへの切り替えに向けてハイビジョンテレビが普及していくことを見越して、この戦略を打ち出したのでしょうね。

http://www.jidaigeki.com/special/0910_1/

ところで、「紋次郎試写」の感想としては、今回の試写は、テレビ本放送時の第1回放映分だったのですが、当初の放送予定では第3回目だったのを、初回放映日が1972年の元旦だったために、とにかくなるべく明るい話を選ぼうということで、当時の人気女優の中でもひときわ輝いていた、小川真由美がヒロインを演じた回を最初に繰り上げたそうです。

市川監督が小川真由美に要求したのは、日本のブリジット・バルドーのイメージで演技しなさいとのことだったようで、時代劇なのに“サイケ(デリック)な”メイクと派手な色柄の衣装と、なるほどその試みは成功しているとともに、ある意味、その後の紋次郎シリーズよりもドラマの色調と色彩が明るい異色作でしたね。

案外、第1回放映分は、多くの視聴者が未見のケースが多く、その後の評判を聞きつけて視聴者が増える傾向が強いものですが、当時、中学生だった私もその1人で、たしか、第3回放映分ぐらいから見始めたのですが、私も第1回放送分を久々に観て、ストーリーの後半部分をほとんど覚えていなかったことに愕然としました。 

さて、今回の「木枯し紋次郎」のリバイバル企画、丁と出るか半と出るか、木枯らしだけがその行方を知っていることでしょう。

|

2009年7月18日 (土)

一生のホームランを2本見た男は

だれあろう、この私でした。

1本は、昨晩のハマスタのナイター、横浜対中日戦、9回表の中日の攻撃中に、中村一生選手が、プロ入り初ホームランを、レフトポール際の中段席に放り込んだのを、間近で目撃したシーンです。

試合の行方がとっくの昔に決していた9回表に、左翼席前列付近席から彼の打席を見つめていたら、打った瞬間に、まずは内野席のドラゴンズファンから大歓声が挙がり、それがしだいに外野席に波及してきて、遠い夜空に舞い上がった白球が、ぐんぐんと加速度を増していきながら、こっちのほうに向かって来ました。

「やばい、このままボールが自分に当たるのでは?」

と思った瞬間、その予想を裏切るかのように、さらにボールの高度が加算され、自分の座席の左5メートル上の中段席に飛び込み、壮絶な争奪戦の末に、サラリーマン風の男性中日ファンが、勝ち誇ったようにそのボールを高く掲げて、喜びを表現していました。

すると、球場の警備員が駆け付け、何やら話し込んでいたと思ったら、今度は中日の球団職員と思われる人物も登場して、たぶん、「プロ入り初本塁打」の記念球となったボールの処理を巡って、何らかの交渉が成立したのでしょう。

ところで、幸運なことに私は、中村一生選手のホームランを、関東地方にいながら、これで2回見たことになります。

もう1回は、2006年に東京ドームで開催された、フレッシュオールスターで優秀選手賞を獲得した、彼の2ランホームランを打ったシーンでした。

この時、彼は両親を球場に招待しており、見事優秀選手賞を獲得して活躍するという“親孝行”を果たしていました。

彼が、落合監督が期待するように、“大器晩成型”の選手になれば、2006年と、昨晩のホームランを体験したことは、将来にわたる自慢話になると思います。

|

2009年7月 7日 (火)

タクヤの快速球の球筋にタカマサを見る

7月5日に行われた、中日ドラゴンズ対讀賣ジャイアンツ戦終盤の中日側の継投は、3投手の見事なパーフェクトリレーで、久々に溜飲を下げることができました。

まず、7回表の1イニングを任された河原純一投手の、栄光と挫折を味わった者のみが醸しだす、慎重かつ老獪なピッチングによってその流れがもたらされ、8回表の1イニングを引き継いだ浅尾拓也投手は、若者のみに許される、恐れを知らぬ小気味良いピッチングで三者三振に打者を斬ってとって良い流れを保ったまま後に託し、9回表最後の1イニングは、円熟という言葉がぴったり当てはまる岩瀬仁紀投手の完璧無比の投球で、1点差を危なげなく守り切りました。

特に、2番手の浅尾投手は、いつも以上に速球に伸びとキレがあり、「快速球」という言葉が、それを形容するのに最も相応しいものであったといえます。

この場合、「剛」速球でも「豪」速球でもなく、まさに「快」速球という言葉が最も相応しく、ここで思い起こされるのが、1974年に颯爽と登場した鈴木孝政の快速球でしたね。

中日ドラゴンズが20年ぶりにリーグ優勝を果たしたこの年、シーズン中盤の対巨人戦で、今日でいう“中継ぎ”投手、当時はただリリーフ投手と呼ばれていた役目で登板した鈴木投手は、王選手と長嶋選手の、いわゆるONコンビを、持ち前の速球でいきなり連続三振に斬ってとることで一躍球界の注目を浴び、その後は速球王の名前をほしいままにしました。

その速球の球筋は、とにかく伸びとキレが素晴らしく、「スパーン」とキャッチャーミットに吸い込まれていく感じ。

当時は、スピードガンがまだ普及しておらず、またテレビの中継映像も、バックスクリーン側から撮影するカメラもなく、唯一、ネット裏に設置されたカメラが撮影した、審判とキャッチャー、さらには打者が重なり合う背中越しの映像のみで、ピッチャーが投げる球種が直球か変化球かを判断しながらテレビ観戦する方法しかなかったのですが、その画面を通してでさえ、鈴木“タカマサ”のストレートは別次元の速さを誇っておりましたが、当時の鮮やかな球筋を思い起こすような、今宵の浅尾“タクヤ”の速球の伸びとキレでした。

たとえば、現在では阪神の藤川投手や、古いところでは、往年の小松などの速球は、いわゆる剛速球と呼ばれるもので、相手をねじ伏せるような印象を与える速球なのですが、この日に浅尾が投げた速球は、スピードガンの球速表示が自己ベストに近い156キロだったというだけでなく、球道を滑るように進んでいき、そのままキャッチャーミットに吸い込まれていく感じ。

5日の試合では、8回表の讀賣の攻撃時の2番手打者だった亀井が三振に斬っとられた際に、最後の1球を唖然と見送るしかなかった球が、まさにその快速球でしたね。

これまでの浅尾の投球では、スピードガンは常時150キロ以上を表示していて、確かに球が速いということは証明していましたが、それ以上に、5日の球筋は、ちょっとレベルが上がったという印象がありました。

そうそうこの感じ。

本日から、ドラゴンズは神宮球場にやって来て、まずは2位攻防戦を行う訳ですが、是非とも、浅尾の速球の球筋を生で観たいものです。

|

2009年6月26日 (金)

ベンのように

22時07分20秒

本日のナイターは、ウェブ観戦していて、途中まではブランコが打った先制弾をかろうじてケンタが守っていたのを、まず、あろうことかピッチャーのルイスに同点弾を打たれ、さらに向こうのケンタこと栗原に逆転弾を食らい、さらにさらにランナーが出て一死満塁で小林正に交代したところで体調が最悪になり、トイレに駆け込みそのまま眠りこけてしまいました。

昨日から、喉がいがらっぽくなってきて、完全なけんびき風邪を引いてしまったようで、身体というのは正直なもので、今まではとても風邪を引いているほどの余裕さえなかったところを、やっと引いても安心という状況になったとたんにこの始末です。

で、駆け込んだトイレで眠りこけたあと、ふと我に帰ったのが21時ジャストで、PHSの「プロ野球速報」サービスを見て、「試合終了」の表示がされていて、やっぱり3対2で中日が1点差で負けたのね、とスコアをよくよく見ると、中日が勝ったことにされていて、そんなバカなと思いつつ、スコアの詳細を見ました。

すると、あの7回裏一死満塁の大ピンチを凌いだうえに、9回表に、敵の守護神永川から森野が逆転2ランのピンポイントで勝ち越したようで、狐につままれたような勝利の余韻に浸っております。

ほとんど負けた試合なのに、一瞬の隙をついて勝ったという試合ですね。

不思議な試合でしたが、カープスにとっては悪夢のような試合だったことでしょう。

今朝方は、家を出る直前に、マイケル・ジャクソンの訃報に接し、やはり、そんなに病状が悪化していたんだというのが正直な感想ですね。

昼休みに、スタバで休憩していたら、近くのアラサーの女性2人組がマイケルのことを話題にしており、彼の享年が50歳だったというのが意外だったらしく、とてもそんな風には見えなかったと言ってました。

いわば、我々と同世代の元世界的なアイドルが死を迎えたということですね。

私的には、彼が歌った曲で、今最も聴きたい曲は「ベンのテーマ“Ben”」ですね。

彼が、虚飾にまみれたショービズの世界で生きていったなかで、唯一、かろうじて彼の心象風景を吐露することができた曲だったような気がします。

狂ったショービズの世界、狂った主人公のもとで、唯一、その心をわかってあげてたのが、主人公が飼っていた小さな1匹のネズミ。

最後は、そのベンと一体化することで、この狂った世の中に別れを告げようとする主人公。

Now it’s us.

Now it’s we.

ようやく安住の地に旅立つことができる。

Like BEN.

ベンのようにね。

|

2009年6月20日 (土)

いつの間にか中日が

強くなっていました。

このところ、仕事の締め切りにに追われて、土日を返上して分刻みの待ったなしの悲しい働き人間とならざるを得なかったのですが、ようやくひと山越えて、“通常の”忙しさに戻ることができました。

ドラゴンズも、地元に帰って、本日のナイターの前に2日間も休みが取れたということで、戦力をしっかりと整えてオリックス戦に臨めたこともあり、久々の快勝でした。

それにしても、打撃陣では、いよいよ平田良介外野手が本領を発揮してきそうな予感がしますね。

まず、あの笑顔がいい。

敢えて言えば、底抜けのバカ明るさがいい。

                                     ↑

                           もちろんほめ言葉ですが。

昨晩、深夜残業後の帰宅時の終電の車中で、youtubeで拾った「1982年の中日対讀賣戦、先発江川で4点差をつけられた試合を引っくり返す」という映像をwalkmanで見ていて、飛びぬけて偉丈夫な大島泰徳外野手のごっつい体格に、改めて惚れ惚れとしていたんですが、私が、勝手に「大島2世になれ」っと、けしかけている平田が、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b29b.html

いよいよ、持って生まれた長打力を開花させつつありますね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200906/CK2009062102000043.html

***

ところで、本日のトーチュウの「社会面」で、玉川オンラインの東山にしこ氏の心の師匠こと、大槻教授

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/typeb2005/typeb200612.htm

が久々にコメントを寄せていました。

例の、オタマジャクシが空から降って来る現象について、超常現象に詳しい学術派の代表として。

もう1人、カエルの生態に詳しい大学教授のほうは匿名を条件に取材に応じたようですが、大槻教授は喋ること喋ること。

「オタマジャクシの密度は水と同程度で、泥や水草より軽い。このため、水面のオタマジャクシだけが飛ぶことも説明できる。」

という自説まで披露して、マスコミの注目を浴びようとしています。

もちろん、これは年末の「オカルト信者vsアンチオカルト学派」特番に向けた仕込みとみました。

東スポや週刊プレイボーイあたりでは、この現象は宇宙人が湖面の水を吸い上げてサンプルを採取するついでに起きた副産物であるという立場をとっており、そのバックにはUFO信者が付いているはずですから、最終的にはそれを論点にして、大槻教授側も激論を戦わせることができると読んでいるのでしょう。

まあ、この現象の真相はなかなか明らかにできそうもないでしょうから、両陣営にとって、非常に都合のいい現象が起こったものです。

しかし、単なる自然現象や鳥による仕業ならば、なぜ今まで、同様な現象が報道されてこなかったのかが、少々疑問に思いますね。

ちなみに、私の推測は、アメリカ人に対しては牛の内蔵をくりぬくことで、「人類よ、牛ばっかり食っていておごるなかれ」という警告を発したのですが(俗に「キャトルミューティレーション」と呼ばれた“現象”ですが、最近はハゲタカやカラスがついばんだことにされていますが)、その後、人類はBSE:狂牛病という自然界からのしっぺ返しを食らうことになりますが、日本人に対してはオタマジャクシで脅かしとけばいいや、と思って、日本各地にばらまいているのだと思います。

ニビル星人が。

と、冗談半分で「二ビル星」と「二ビル星人」についてネットで検索したところ、2012年に地球にかなり近づくということがわかりました。

ゼカリア・シッチンの「火星は警告する」みたいな題名の書籍を最初に読んだときが1980年代の終わりで、その頃は、とても二ビル星が現れる時代には自分は生きていないだろうなあと思っていたら、いつの間にか、もうこんなに間近に迫っていたんですね。

ちなみに、NASAも、二ビルという惑星とは別の天体ですが、第10番惑星(冥王星を、惑星にしては規模が小さすぎて、この程度の“小惑星”なら、冥王星の軌道の外にいくらでも見つかるよ、ということで、冥王星を惑星の概念から除外する最近の学説では、第9番惑星ということになりますが)を発見したと発表しており、560年程度の非常に短い(ニビルと比較すると)周期で太陽系を周回しているらしい。

一方、二ビルは3,500年だか3,600年周期だったかなんだかですから、前回、日本に二ビル星人がやってきたのは縄文時代ということになり、まあ、遮光土偶だったかの容貌を当てはめようとすればそれが可能なわけです。

これをオカルトと捉えるかどうかは皆さんの判断に任せますが。

***

本日の朝には、川上ケンシンと松坂が投げ合ったようですが、どうだったのかな。

福留コースケとかケンシンは、メジャーのお金に目がくらんで中日を出て行ったとという向きがありますが、私は、やはり人間関係が一番の要因で、事実上は、落合監督がチームを出て行くように仕向けていったのだと思っています。

コースケにしろ、ケンシンにしろ、やはり、(事実上の)前任者だった星野仙一氏の秘蔵っ子であり、その部分は避けて通れなかったんじゃあないかと思います。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_afee.html

一方、コースケと同じ1998年ドラフトの「逆指名組」でも、岩瀬は、別の要因で中日を逆指名した(元々、地元出身という要素が大きかった)ので、星野仙一氏に義理立てする要素は弱かったのでしょう。

ちょうど、今年から野球解説者に転身した種田仁氏が、高木監督の忘れ形見であったがために、

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_neststars2.htm

ドラゴンズがリーグ優勝した翌年の2000年に、彼ががに股打法でブレークしてどんなに素晴らしい活躍を見せても、星野政権下の中日で生きることは非常に困難だったので、横浜で、当時森監督との折り合いが非常に悪かった波留との交換トレードという形で中日を脱出するしか道がなかったのと同様に。

人間の好き嫌いというのは、そう簡単には変わらないからねえ。

|

2009年5月 1日 (金)

ちうにち、弱っああ!

地元のナゴドで東京もんに三タテを食らうの巻。

名古屋人、「わざわざ東京からやって来ました」という言葉に弱いからなあ。

私も、過日、さる愛知県のかなり有名な企業のトップインタビューに同席する仕事があり、そのトップの方と名刺交換をさせていただいた際に、会社名と自分の氏名を名乗った後に、「東京から参りました」と、思わず口走ってしまいましたが、先方も、その会社の社長に就任する前は、東海地方に本社がある企業の関東系の子会社の社長さんをやられておられたので(ちなみに、たとえば中日新聞が東京新聞を子会社にしたように、東京の会社を傘下に収めるのが名古屋人のステータスといえます)、懐かしく思われたのではないかと、勝手にポジティブ・シンキングしています。

さて、中日は絶不調のまま、5月2日に横浜にやってくることになりますが、まあ1日休んで中華街で豪遊して気分転換して(1人だけ赤坂で同級生のK岡たちと豪遊する人がいそうですが)、我々の前では頼もしい姿で闘ってほしいものです。

そういえば、「週刊現代」によると、モリケンはある新興宗教団体「K福の科学」に入信したのではないかという報道がされていましたが、たぶん、本人はそのようなつもりは全くなく、ただ、自分のありがたい主張を訴えに先方の集会に出向いてやった、というつもりだったのが、先方もそれを利用して、M氏(教団側の信者へのメールには、当初はイニシャルのみが示されていたとか。果たして来るか来ないか、最初は微妙だったんでしょうね)が遂に我が教団に入信したと、信者に勝手に思わせることで教団のステータスを高めることで、信者獲得をさらに煽る作戦なのでしょう。

モリケンが、前回の東京都で行われた選挙戦を闘って議員に当選した際、ライバルの候補が、その教団がライバル視する教団に属していて、結果としてその候補者を落選させてしまい、その教団から恨みを買ったため、本来はモリケンの支持母体である自民党側に属するその教団に関連する政党から、今回の選挙戦では支持を得られれなかったので、「安全策」として、K教団の支持を獲得しておく必要があったのでしょう。

まあ、モリケンにせよK教団にせよ、今は自分たちを売り出すことが最優先なので、お互いの利害が一致してますものね。

自分たちはそういう主張をすれば、あとは知らぬ存ぜぬ。

知らぬは、そういう事情を知らぬ「イ 言 者」(「儲けの源となる者」と書いて「信者」と読む)たちばかりなり。

昔からモリケンはそういう「傾向」でしたから、やはり変わらないなあ。

|

2009年4月27日 (月)

8回表と9回表の価値ある1点

昨日の東京ドームの対讀賣戦は、試合開始から最後まで、レフトビジター応援席の19列目あたりでじっくりと観戦しました。

序盤に3点を先制するも、今シーズンに限って、それは必ずしも吉兆とはいえず、度々逆転の憂き目にあっていたのですが、今回はいつもの展開とは少々異なり、3回表に1点、6回表に2点と、効果的な中押し点とダメ押し点を取ることができたうえに、6回裏二死満塁の、ホームランを打たれればたちまち2点差となる緊迫した場面でイ・スンヨプが代打で登場するも、金曜日の同様なピンチでも彼を抑えた“左殺しのコバマサ”こと小林正投手が無難にスンヨプをポップフライに打ち取った時点でほぼ勝負がつき、あとは心穏やかに観戦することができました。

さて、後半の8回表と9回表の攻撃は、試合の趨勢もほぼ決まり、あとは多少だらけた雰囲気になりがちですが、昨日の試合は違いました。

讀賣は、新戦力となる、オビスポという投手を敗戦処理として登板させて、慣らし運転兼戦力の見極めを図りましたが、簡単に二死を取ったあとに、中日の四番、トニ・ブランコに打席が回り、自信を持って投じた球を、いとも簡単に本塁打とされました。

ブランコのホームランの後、すぐにチェンジとなり、彼がファーストの守備に付くと、レフト外野席のドラゴンズファンを中心に「ブランコ・コール」が沸き起こりました。

当初、彼はそれに気付かなかったようで、というか、「既に試合の趨勢が決まった状況で打ったオレのホームランに、ドラゴンズファンが評価してくれるはずがないさ」ぐらいに思っていたようですが、荒木とキャッチボールしている最中にそのコールに気付き、ちょっと照れくさそうに手を挙げて応える姿が、なかなかよかったですね。

彼の現在の打率は2割台前半で、本塁打も4本と多少物足りませんが、昨日の試合でも初回にタイムリーヒットを打ったり、結構チャンスに強いというイメージを、ドラゴンズファンに与えてくれています。

それに、何よりも一生懸命にプレーしている姿を、ドラゴンズファンは案外評価しているように感じました。

聞けば、彼は、中日ドラゴンズに入団することが決まってから、歴代のドラゴンズ外国籍の助っ人の映像資料をもとに、いろいろと研究しながら、なんとか日本野球に溶け込もうと努力していたそうです。

いわば、トニ・ブランコは、偉大なるドラゴンズの四番、タイロン・ウッズの“幻影”と闘って勝利しなければ、ドラゴンズの次代四番の地位を獲得できないわけで、ファンもそれを知っているからこそ、ブランコに期待したり失望したりを繰り返しているのですが、このままの一生懸命さを保持していけば、必ず道は開けるのではないかと思います。

なんつーか、あの生真面目さはなかなかいいと思いますよ。

一方、9回表の1点は、ダメのダメのダメを押した得点でしたが、谷繁の離脱を受けた控え捕手たちが、ポスト谷繁の地位をめぐって熾烈な先陣争いを繰り広げた末に獲得した1点だったことに価値がありました。

特に、小山はいいですね。

なんというか、小山には大きな伸びシロを感じさせる雰囲気が漂っています。特に、シュアな打撃とともに、内野安打まで稼いでしまう脚力に裏付けされた走力にも魅力を感じましたね。

小山の活躍に刺激を受けたかのように、第三捕手として一軍昇格した小川も、小山に後れを取ってなるものかと、内野ゴロを打っても必死に走り、併殺崩れの間に三塁ランナーがホームを駆け抜け、プロ入り初打点を稼ぐ…。

一昨日の、中日頼みの守護神岩瀬が、讀賣の中堅亀井にまさかのサヨナラ悲弾を食らった、いやーな雰囲気を振り払ってくれた、先発川井投手も、お立ち台のインタビューでは6回表に代打を送られたことに対して、もっと投げたかったと素直な感想を漏らすアグレッシブさを持ち合わせていましたし、ハングリー精神旺盛な新鮮力が、ドラゴンズの危機を救ってくれたのが、何よりの“特効薬”になったのではないでしょうか。

|

2009年4月24日 (金)

2006年4月7日、ナゴヤドームの対上原戦満塁弾の記憶映像とともに

2009年 4月24日(金)22時55分31秒   

なんか変な試合だったけど勝ってしまったというゲームでした。

うちも讀賣も変なミスが多かったし。

ただし、この試合の雰囲気を一変させたのは、間違いなく立浪の狙いすましたひと振りでした。

8回表の先頭打者として打席に立った立浪選手を、東京ドームのレフトビジター応援席前列9列目から眺めていて、「ここで立浪が同点ホームランを打ってくれたらなあ。それも目の覚めるような当たりで。そういえば、立浪のホームランって、彼は決してホームラン打者ではないけど打った瞬間にそれとわかる当たりが多いようなあ。」

などと考えながら、2006年4月7日のナゴヤドームで、9回裏に、当時の讀賣の主戦投手上原から、サヨナラ満塁ホームランを打ったシーン(当時私は、この映像をテレビでも観戦できなかったのですが、最近、youtubeに上げられていた映像を改めて見て、その鮮やかさに感心していたところでした)を、脳内で反芻していたところ…。

キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!

まさにそのシーンをビデオ映像で再現するかのような、讀賣のセットアッパー豊田投手の1ストライク1ボールのあと、まるで魅入られたかのように立浪の“ツボ”に投じられた直球に狙いを定めたバットが一閃すると、渾身のスイングから解き放たれた白球は、東京ドームの右中間方面スタンド目がけて一直線に吸い込まれていきました。

あれで、うちの選手たちが、最近ではめったに見られなくなった立浪さんの本塁打を負け試合にしてはならないというムードになったのが大きかったですね。

ベンチに陣取ったドラゴンズナインだけでなく、レフト側外野席を中心にして、祈る気持ちで応援していたドラゴンズファンに対しても、まさにアドレナリンが注入されたような一撃でした。

立浪も、昨年までは、2年先輩の桑田や清原が現役を続けている限りは自分が先に引退するわけにはいかないという強い気持ちを持っていたのでしょうから、その“心の重石”が取り除かれた今日、迷いなく今季限りでバットを置くという決意を固めたものと思われます。

久々に、立浪の凄さを体感した一瞬でした。

|

23日の対阪神戦、延長戦負けの感想

2009年 4月24日(金)14時26分8秒   

とにかく、鳥谷は中日戦で打ちますよね。
   
あと、桧山や関本や平野がよく打つよね。

金本は、ライバルだった川上がいなくなったので意外と打たなくなったし、新井は広島時代にはよく打たれたが阪神に移籍したら打たなくなった気がしますね。

ところで、「玉川オンライン」の管理人、東山にしこさんの感想は、こんなでした。


さてきょうはせっかく吉見が投げていたのに、パヤパヤ・パヤノからわたしの大嫌いな鳥谷が勝ち越し弾を打ちやがって、ほんとにあの鼻くそやろうは何とかならないのでしょうか。

ハシケン(編集部註:広島カープスから大リーグに挑戦中の高橋建投手の愛称)がいないので、ハシケンをひいきするエネルギーがそのまま、鳥谷への憎悪に転じています。

トリタニはなにも悪いことしてないし、態度も発言も別に問題ないんですけどねぇ…。たぶんたまたま自分が見たマケ試合でトリタニが活躍することが、数回かさなっただけだと思います。

それはたまたま自分が見た勝ち試合でハシケンが活躍したからファンになったのと同じですね。

待て。
ハシケンが活躍したのは中日戦だ。

引用オワリ

さて、鳥谷の悪いところは、もちろん顔が鳥に似ていることですよ。人間が鳥に似てはいけません。

それなのに、鳥に中日は打たれるんだよなあ。

実は、中日の敗戦の大部分を、チェンを含め、ネルソン、パヤノなどの外人が請け負っていることが案外知られていないよね。

昔は、ラミレス1号、2号とグラセスキあたりが請け負っていた役割でしたが。

まあ今年は絶対勝たねばと思わないのが観戦のコツでしょうね。

|

2009年4月21日 (火)

かろうじて1点差のまま

2009年 4月21日(火)22時17分3秒

朝倉と岩瀬のリレーで逃げ切ったようですね、中日。

チャンスを活かせない“ジャイアント貧打”打線は相変わらずですが、何気に健太がチームの危機を救っているのが頼もしいですね。

先日の対讀賣三連戦の最終戦にも、朝倉はベンチ入りして、野手と一緒になってチームを応援している姿が頻繁にテレビに映り、三戦目の中盤の中日のピンチのときに中日ベンチの様子が放映された際に、落合監督がコーチに自身の指示を授けた後に、ベンチ内で応援する朝倉を見つけて、一言二言声を掛けた後、朝倉がにっこりと微笑んでいる姿が映されました。

その緊迫した場面に似つかわしくない、ちょっとほのぼのとしたシーンで、いわば一服の清涼剤のような役割を果たしていましたが、ひょっとしたら、首脳陣は朝倉健太を、ポスト川上憲伸の筆頭と考えているのかもしれませんね。

さて、モリケン問題ですが、いよいよ「週刊大衆」のような、ちょっと真剣には政治を取り上げないような雑誌や、「SPA」のような少々“右寄り”の雑誌にまで、「期待はずれ」の批判記事が掲載されるようになるとともに、そんなトンデモキャラを無批判に選んだ千葉県民もバカにされているようです。

まあ、このレベルにさえモリケンのあやうさとうさんくささが“報道”されるようになってきたのは、非常に喜ばしい傾向ですね。

|

2009年4月19日 (日)

名古屋と大阪が花を持たされているうちに、いつの間にか讀賣が

本日のデーゲームも、形の上ではシーソーゲームの様相を呈してはいましたが、まあ、中日は、ある意味今の戦力なら、この結果を甘んじて受け入れる必要がありますね。

もう、あの完成された2006年の中日ドラゴンズを支えた主力の衰えは隠せず、これからは、打撃陣ではブランコや藤井や野本の伸びシロに期待せざるを得ず、これからもいろいろとミスやエラーを重ねながら、少しずつ経験を積むしかないのでしょうね。

それにしても、中日が2007年に53年ぶりの「日本一」に浮かれ、阪神が2008年の後半までの「独走」に浮かれていたなかで、実は讀賣が2009年には「三連覇」を狙っている事実に気が付いていない人たちが多いことに、少々うすら寒さを感じますね。

|

2009年4月18日 (土)

東海地方と千葉県に訪れた大きな試練とは?

本日のナゴヤドームで開催されたデーゲーム「中日対讀賣」戦は、中日ドラゴンズが中盤まで保っていたリードを終盤まで守り切れず、悔しいうっちゃり負けでしたね。

決勝点は、敵の伏兵ともいえる寺内にまさかの決勝本塁打を打たれてしまい、残念な対讀賣二連敗を喫してしまいました。

昨晩のナイターはWEBでも観戦できず、本日はスカパーの中継映像でやっとテレビ観戦できましたが、昨晩は、ラミレスやイ・スンヨプなどの“大物”のホームラン攻勢に苦汁を飲まされたのに対して、本日は、小笠原やラミレス、アルフォンゾなどのビッグネームを、中盤までは懸命に抑えた、往年の今中を彷彿とさせる直球を投げるチェン・ウェインが、7回表に同点に追いつかれた後のピンチを何とか凌ぐも、遂に8回表に、昨年苦手だった寺内にはたとえヒットを打たれてもホームランは打たれないだろうと思った矢先の、ジャストミートの左中間に一直線の当たりを打たれてしまいました。

いわば、大物による目くらまし作戦の合い間に、まんまと伏兵の強烈な槍の一突きにとどめを刺された感じでしょうか。

まあ、今年のドラゴンズは、シーズン前の落合監督の言葉にあったように、「ファンがじれったいと感じる場面も多々あるでしょうが」という趣旨の言葉に象徴されるように、いわば2006年に事実上のピークを迎えていたドラゴンズの戦力を、いったん“リセット”して迎える新シーズンなので、ファンもしばらくは長い目で若手の成長を見守るしかないでしょうね。

それでも、本日の試合の終盤で、ブランコ、野本、藤井の“新鮮力”は、初めて讀賣の守護神クルーンの160キロ近いファーストボールとフォークを“体感”することができたので、これから続く長いペナントレースで、彼と何回も対戦することになる際の貴重な体験になったことでしょう。

特に野本などは、空振り三振に斬って取られた内角のフォークは、それこそ“消える魔球”に出会ったような表情を浮かべていましたね。これも“勉強”です。

ところで、2004年の落合ドラゴンズの誕生と軌を一にするかの如く、東海地方の経済状況も、一時は年間に2兆円の利益を上げたトヨタ自動車に象徴されるように好景気に沸き、しばらく繁栄を続けてきましたが、昨年夏に起こった、アメリカ合衆国のリーマンショックに端を発した世界的な大不況の影響をもろに受け、景気も一気に冷え込んでしまったようです。

そして、今度は中日ドラゴンズもその影響をもろに受けて営業成績も冷え込み、いわゆる、一番の稼ぎ頭となる接待用の年間シートが売れなくなり、それも理由の1つとなって選手の年俸を抑えざるを得なくなり、“外資系”に転職する主力選手の流出を防ぐこともできず、窮余の策として、比較的人件費が低く抑えられる、マイナーリーグの若手を特訓したり、ハングリー精神旺盛な若者を鍛えて、巨大戦力を誇る讀賣軍団に立ち向かおうとしていますが、それと対等以上に闘うには、もう少し時間が必要なようです。

いわば、ここ数年、我が世の春を謳歌していた落合ドラゴンズと東海地方に、いよいよ大きな試練の時が訪れたようです。

一方、私が住む関東地方にも、政治的に試練が訪れた県があります。

そう、私が育った県、千葉県です。

さて、このブログでも、一度取り上げたことのある「ちば論」ですが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9bc9.html

前回の「モリケンの襲来」を、“市川の良心”によってかろうじて撃退した千葉県も、今回は周到な「完全無所属」の演技にまんまと騙された多くの素朴なちば県民によって、とうとう「モリケンの逆襲」を許してしまいました。

ところで、この「モリケン」という愛称ですが、なぜか、名前に「ケン」が付く人物は苗字の最初の二文字とセットにした愛称で呼ばれる傾向が強く、最近のプロ野球では、広島の前田健太が「マエケン」、遥か昔には、喜劇役者の榎本健一が「エノケン」と呼ばれていた歴史を考えると、1970年代の青春スターとして名を馳せた森田健作が「モリケン」という愛称で呼ばれていたのも、その人気の高さを物語るものといえそうです。

そんな、日本全国1億総「モリケン」ファンみたいな状況の中でも、私が「モリケン」のあやうさやうさんくささに嫌でも気付かされたのは、私がまだ千葉県民として、森田健作主演の青春テレビドラマを面白おかしく観ていた時でした。

1960年代中盤から1970年代中盤にかけて、当時の若者たちの心を掴んだ、日本テレビ系列の「青春ドラマシリーズ」の中の1編、「俺は男だ!」主役の剣道部キャプテンとして一躍お茶の間のアイドルとなった森田健作は、当時の男子の誰もが、モリケンが甲高いトーンで発する「吉川クン!」と、当時のアイドル・スター吉沢京子(現在は、テレビの富士薬品のCMソングに登場中)扮するドラマ・ヒロインの役名を呼ぶモノマネができるほどの絶大な人気を獲得していたのです。

そして、うちの弟も、そのドラマに“洗脳”されて、まんまと「モリケン」教にはまり、大ファンになってしまいました。

そのファンぶりはなかなか本格的で、ただ単にドラマにのめり込むだけでなく、雑誌の切り抜きなども集めていくうちに、ついに、「森田健作・オン・ステージ」なるLPレコードまでをも購入するほどになりました。

そうなると、弟は、私にもそのレコードを見せて、「兄貴もモリケン教に入れよ」みたいな雰囲気で迫ってきたのですが、私はそのレコードに封入されていた「森田健作・オン・ステージ写真集」を目にして、「あれ?」と思いました。

そのレコードは、人気絶頂だった森田健作が、ファンの前で、歌や踊りや芝居を大会場で披露した独演会の模様を、音声と写真で再現したもの(当時はビデオなどの映像媒体はあまりにも高価で、これが唯一のメディアミックス媒体)だったわけですが、まあ、あの独特の雰囲気を漂わせた歌はそれなりに楽しめましたが、「第2部」として収録されていた「演劇」では、何故か、太平洋戦争で玉砕していく神風特攻隊の青年に扮したモリケンが、お国のために精一杯命を捧げて敵艦に突っ込んで行くという、当時としてもかなり異様な雰囲気を漂わせたドラマの主人公を演じていたのでした。

写真集のキャプションにも、「日の丸のハチマキをキリリと頭に絞めて、旧・大日本帝国海軍の特攻服に身を包んだ軍服姿も凛凛しい森田健作が、憂国の戦士に扮して感動のドラマを演じてみせます」みたいな言葉が並び、「おいおい、随分と軍国主義的な役者じゃないの、モリケンは?」と、弟をからかったら、「モリケンはそんな男じゃない!彼は真剣に日本の行く末を憂えてるんだよ!」という反論を受けたものです。

その後、モリケンはさらにスター街道を驀進し、遂に、当時のアイドル・スターの頂点に立ったことを示す「グリコ・アーモンドチョコレート」のテレビCMに出演し、当時、「板チョコ」から「ひと粒チョコ」への転換を図って、客単価の上昇を狙っていた戦略に乗って、FM東京でも「森田健作ひと粒の青春」というトーク番組が始まり、それもリスナーに好評を博して、遂に、その題名を借りた「タレント本」まで出版され、引き続き、熱心なファンを続けていた弟はそれも購入して、私に見せてくれたのでした。

ちなみにその本では、FM放送の番組で森田健作とのトークの相手を務めたアシスタントのおねえさんの顔写真まで登場し、FM放送で披露していた魅惑のボイスとのギャップに少々戸惑いましたが、これは余談でしたね。

さて、さすがにその頃の彼の言動から、かなりのあやうさやうさんくささを感じていた私は、その本に書かれていることの挙げ足をとって、弟の目を覚ませてやろうと考えたところ、ちょうどいい具合に「香ばしいフレーズ」をその本の中に発見しました。

当時、「親を大切に」「人類皆兄弟」「一日一善」というフレーズで、積極的なテレビCMを流していた、右翼界のドンと呼ばれた笹川良一氏(当時の日本船舶振興会会長で、要するに、モーターボート競艇界のボスでもあった)と、森田健作が非常に親しいという噂が流れ、その傾向に、一部のファンが“引き”始めた頃であり、その動きに対して、森田健作がその本で“反論”を掲載していたのです。

それによると、「みんなは、笹川先生のことを、右翼で怖い人なんじゃないかと敬遠する人がいます。でも、ボクは違うんじゃないかなと思います。彼はとっても腰の低い人で、親孝行や一日一善の大切さを訴える人がそんな人のはずがないじゃないですか…」みたいなニュアンスの言葉が並んでおり、その点を弟に指摘したところ、さすがに弟も段々とおかしいと思い始めたらしく、その後、その本と「森田健作・オンステージ」は、彼の本棚からいつの間にか消えてしまいました。

その後弟は、今度は、カンフー映画を全世界に広めたブルース・リーにのめり込むようになり、「兄貴もブルース・リー教に入れよ」と再び迫ってくるようになり、まあそのお陰で、私も彼のことについては熱烈なファンでもないのに異様に詳しくなっていったわけで、結果的にその知識を応用して、こんな記事を書いたこともありましたね。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw07.htm

ちなみに、私も世の中を渡っていくためには、一応誰かのファンとなっておく必要があると思ったので、当時、唯一といっていいほど、アイドルなのに中日ドラゴンズファンを公言していた岡田奈々を、一応心のアイドルとしていました。

彼女は岐阜県出身で、本名が「やいひろこ」というのを、人から「やい、ひろこ」とからかわれるのが嫌で、絶対芸能人になって名前を変えてやると思ってデビューしたとも言ってましたね。

なお、このネタは、当時愛聴していた「東海ラジオガッツナイター」の中継放送の終了後に放送されていた若者向けの番組で仕入れたものでしたので、あくまで東海地方限定のものだったのかもしれませんが。

それにしても、どこまでドラゴンズ・オリエンテッドな人生だったんでしょうね。

さて、そんなわけで、早くからモリケンのあやうさやうさんくささにうんざりしていた私ですが、既に、千葉を離れて二十数年となる私には、今回の知事選で何か特別なことができるわけでもなく、千葉県民の選択をじっと見守ることしかできませんでした。

案の定、善良で素朴な多くの千葉県民、特に、房総半島の南部に位置する人達は、モリケンが醸しだすある種の熱心さで、「ちば」のロゴを作った千葉市の人たちが主張する「アカ抜けのしなさ」

http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kouhou/logo/logo061102.html

を変革してもらえるのではないかという希望を持って投票に向かったものと思われ、今回の選挙では圧倒的な得票差で知事になることができたのではないかと推測しています。

さて、そんななかで、いくつかの雑誌でも、ようやく彼のあやうさやうさんくささを追及する動きが出てきたのは、ある種の救いかもしれません。

また、東山にしこさんによると、こんな動きもあったようです。

>17日の朝日新聞の第27面のコラムで市川市をとりあげていました。

>全体にこじつけくさいのですが、結びのところにこんな情報が。

>先の県知事戦では森田健作氏が圧勝したが、市内の得票率は

>県全体より低かった。

>やはりそうか!

>市川市民はせいいっぱい戦ったのだ。

>ありがとう、市川市! 

>これからは県知事選は市川だけでやってほしい!

おお、市川市! 

千葉県の良心、市川市にそんな「抗議行動」があったとは!

たぶん、賢明な市川市民は、今回の知事選では、自分たちの力をもってしても、とても、エセ「モリケンフィーバー」に踊らされている他市町村民の票田には敵わないと悟り、せめて、何らかの“良心”を示そうということで考えたのが、「積極的な意思による棄権」だったのでしょう。

さすが、たとえ転んでもタダでは起きない市川市民でした。

まあ、他の対抗する候補にも、政党の支持を巡る内部抗争があったりしてシラケてしまって投票に行かなかった面も多々ありそうですが、まあそこのところは許してあげて…。

♪今日も明日も頼むぞ  そぅ! 我等の市川

そうだ、今や大きな試練にさらされている東海地方と千葉県。

頑張れ東海地方と千葉県。

そして、我らが中日ドラゴンズ。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

2009年4月14日 (火)

うん! こういう記事を載せてほしい

中スポWEBより。

野本、24時間野球を考える 努力でつかんだ「6番右翼」

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200904/CK2009041402000038.html

落合監督、ブランコに付きっきり きょうから甲子園で阪神3連戦

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200904/CK2009041402000035.html

こういう記事を読者は求めているんですよね。

たとえば、昨年、多くのドラゴンズファンに惜しまれつつ中日球団を去った、中日ドラゴンズ史上最大の貢献をした外国籍選手、タイロン・ウッズでさえも、最初から完成された選手だった訳ではなく、パワーはあるがチャンスに極端に弱いとか守備が致命的に下手だとか、この球団で幾多の試練に直面しながらも果敢にそれに立ち向かって懸命の努力で補ったからこそ、ナインやファンの信頼を勝ち得て、野球選手としての“天寿”を全うすることができたのだと思います。

その頂点に達した象徴ともいえるのが、2006年10月10日、東京ドームにおける、対讀賣最終戦にして地方興行雨天順延代替開催試合(したがって、いつものようなドラゴンズファンの“入場規制策”が取られることなくチケットが販売された結果、多くのドラゴンズファンが東京ドームに集結できた理由となった)、延長12回表の中日最後の攻撃で、前打者の福留孝介が勝ち越し打を放って1点リードした興奮が醒めやらぬ一死満塁2ストライク2ボールの平衡カウントの状況で、当時の讀賣の守護神左腕、高橋尚から放った、あの沈着冷静で鳴らした落合博満監督をも試合中に号泣させた、まさに優勝を決定づける、左中間上段席に文字通り突き刺した満塁本塁打でしょうね。

あの試合を東京ドームで生観戦した、今でも鮮やかに蘇ってくる記憶と共に、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_19da.html

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/index.html

その場に居合わせた感動と興奮と臨場感を、現在もyoutubeの映像などで追体験できる、大変恵まれた時代となりましたが、彼をあそこまで好機に強くさせ、相手球団からも畏敬の念で見られるような存在にまで成長させた最大の要因は、やはり落合監督と出会ったことに尽きるのではないでしょうか。

あの、とどめの満塁弾を放った後にダイヤモンドをゆっくりと一周してベンチに戻って来たタイロンとしばし抱き合う落合監督のシーンが、何ともイイんですよね。

“おお、タイロン。よくやった。(Good job Tylon,good job…my son!)”

“Thank you boss! We made it!(サンキュー ボス! やったぜ!)”

みたいな心の会話が交わされて、落合監督はいつまでも愛しいタイロンを抱きしめていたかったのだが、タイロンは他の戦友とも喜びを分かち合いたいので、監督の腕を心ならずも振りほどきながら歓喜に沸く隊列へと向かって行く…。

なんか、例えは少々変ですが、昭和40年代に一世を風靡したスポコン漫画「巨人の星」に出てくる、主人公、星飛雄馬の敵役、中日ドラゴンズ所属の元・メジャーリーグ・セントルイス・カージナルスの主砲だったアームストロング・オズマと、主人公の実父だった星一徹ヘッドコーチの師弟関係を彷彿とさせるようなシーンでしたね。

ところで、もしタイロンがドラゴンズに移籍することなく、下位でずっと低迷を続けていた横浜ベイスターズのお山の大将のままで選手生活を終えていたとしたら、たぶん、本塁打王や打点王などの個人タイトルはたくさん獲得できたかもしれませんが、それらの“勲章”や大金では決して得られなかったであろう、かけがえのない「何か」を獲得することはできなかったんじゃあないかな。

もちろん、現在のトニ・ブランコは、往年のタイロン・ウッズと比較したら到底かないっこありません。

でも、現在の彼の謙虚さと熱心さを保持して、このまま落合監督を信じて、粘り強く練習と研究を積み重ねていったら、ひょっとしたらタイロン以上の大物になれるかもしれないのです。

なにせ、落合監督は、ドラゴンズの現役選手時代には、元・メジャーリーガーだったゲーリー・レーシッチを一番弟子として落合道場に入門させ、さらに、タイロン・ウッズが心酔する絶大なるボスとして振る舞うことで、彼ら異国の助っ人たちの信頼を勝ち得てきた実績があるのですから。

それでは最後に、敢えて、ドラゴンズをいったん“卒業”した福留孝介

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_afee.html

の座右の銘を借りて、野本圭とトニ・ブランコ、2人合わせてトニ・ケイコンビとして未来の中日ドラゴンズを支えることになる若武者たちにこの言葉を贈ることにします。

「練習に勝る天才なし」。

|

2009年4月13日 (月)

トーチュウの「ショットガン・フォーメーション」?

2009年 4月13日(月)13時02分53秒

それにしてもトーチュウの第一面は、「川上憲伸メジャー初勝利」による、中日大敗に対する“逃げ記事”かよ。

今までは、中日が負けると、F1やらFC東京やら競馬やら、石川県出身の松井秀樹やらの記事で、ドラファン以外のちょっとコアな読者を引きつけるしかなかったわけですが、これで、中日出身のメジャーリーガーが福留と合わせて2人になったので、晴れて? 中日関連で第一面を扱えるようになり、関東在住中日ファンのハートをがっちり掴まえておこうという「ショットガン・フォーメーション」とみました。

今年の中日は地元優先で、たぶんビジターはこんな感じで、「基本的には負け越し。時々大勝」みたいな試合が展開されて、ファンは一喜一憂することになりそうですね。

まあ、今年は面白い試合をしてもらうことと、将来に可能性を見いだせるような闘い方をしてくれればよいと、前向きに考えていこうと思います。 

|

2009年4月12日 (日)

対カープス「CS」第2戦の戦評

2009年 4月12日(日)01時29分24秒

さて、カープスにとってのクライマックスシリーズともいえる、マツダZawa-Zawaスタジアムのオープニングゲーム第2戦ですが、スカパーの実況中継で、8回表の中日の攻撃を見届けてから、休日出勤をこなすために家を出ました。

好投していたチェンの代打の立浪が、珍しくチャンスでマエケンからヒットを打ったのですが、あまりにも当たりがよすぎて2塁ランナーの野本がホームを突けず、二死一三塁に。

そうなると、トップバッターに打順が戻ってしまい、こういうチャンスにはめっぽう弱い荒木が、その場の雰囲気にいたたまれなくなり、マエケンの初球をあっさり打って平凡なセカンドゴロに終わり、せっかくの勝ち越し機がふいに。

まあこうなると、試合の趨勢はほぼ決まったかなと、家を出たあとは通勤電車の車内、PHSの「試合速報」で途中経過を確認したら、案の定、8回裏に中日の救援陣が点を取られて万事休す。

それも、満塁で押し出しの四球を2つも与えて2失点するという体たらくだったようですね。

その後の報道によると、リリーフでチェンの後を継いだ清水昭(落合監督の通称、ゲンちゃん:まだ名人とは呼べないので敢えて「ちゃん」付けしているとか)が、バント処理の際、マツダの西日に目が眩むという“太陽がいっぱい”現象にやられてピンチが拡大したのだとか。

ただ、先頭打者を四球で歩かせたことが、そういう“悲運”を呼び込んだともいえるでしょうね。

これでカープスファンは、さぞかし溜飲を下げたことでしょう。

勝ち投手のマエケンこと前田健太は、いまや、高橋建が担当していたケンちゃん枠と共に、前田枠まで埋めるご活躍ですね。

なんか、スカパーで解説していた達川みつをも、マエケンのコントロールの良さを絶賛していて、「こりゃあ、同じ背番号だった大先輩の佐々岡に匹敵しますよ。ただし、ボール半個分だけ劣りますけどね」という手放しの誉めようでした。

まあそれでも、チェンが先発として結果を出してくれたので、少しずつ投手陣が整備されていけば、4月は戦力整備の月と思うことにしましょう。

それにしても、阪神も、昨年終盤のメイクドンデンですっかりダメトラに逆戻ってしまって、対讀賣最終兵器としても使えないし、セ・リーグのペナントレースはどうなってしまうのでしょうかね。

でも、甲子園に戻って中日と対戦する時だけは強気に出て来るんだろうなあ。

ああ、おもこない! 

|

2009年4月 3日 (金)

心眼で、見えないシーンを観ると

2009年 4月 3日(金)18時08分59秒

やぱり、開幕投手は浅尾でしたか。

にやり

先発投手がアナウンスされたときには、さぞかし女性ファンの「キャー!」という嬌声が球場内に響き、落合監督は、まずそれを聴きたかったんじゃあないかな。

今年の中日の開幕戦は、東海地方の不況を反映してか、始球式を、人件費が安くて済む身内の、“陰気のナカ”こと、中利夫、元・中日監督が務め、それが地味すぎるというブーイングを見事サプライズではねのけましたね。

ちなみに、私は仕事場でネット観戦となり、そのシーンを映像では観れませんでしたが、昭和40年代に一世を風靡した勝新太郎主演の柔道テレビ映画「くらやみ五段」の如く、心の眼で思い浮かべることにします。

|

2009年3月25日 (水)

ジャイ対ドラオープン戦生観戦寸評

2009年 3月25日(水)20時04分34秒 

うーーん、レベルの低い野球をやってるなあ、ドラゴンズは。

4回表にブランコがソロホームランを打った直後に東京ドームに入場しましたが、初回3失点した先発の中田はへろへろだし、アライバも、守備位置をリバースしたら、なんか両者とも守備範囲が狭くなっているように思われるし。

お互いが逆のポジションだったら捕球していたのではという当たりがヒットで抜けていくんですよね。

なんか、全体的に攻撃も淡泊だし。

ブランコの応援テーマは♪ベテランのテーマだし…。

と思ったら、2打席連続でブランコがホームランを打ちました!

2打席目しか目撃していないのですが、その当たりは、右中間方面に130メートル弾で、確かにパワーは期待できますね。

スイングと打球の速さはウッズより速い感じ。

ウッズは、スイングは決して速くなく、むしろ遅い感じがしましたが、振り遅れ気味に出したバットにボールを乗せて、人並み外れた怪力にものを言わせて押し込んでいくような打法でしたが、ブランコのそれは、いわゆるカブレラタイプの、ボールがまるでピンポン球のように弾き返されていく感じでしょうか。

日本の野球に慣れてきたら、さらに期待ができそうです。

確かに、ファーストの守備も安心して見ていられそうだし。

一方、讀賣も今のうちにブランコの弱点を探そうとして投げている感じではありますが、これからかなり警戒してくると思いますね。

|

WBC寸評:その2

2009年 3月25日(水)12時09分41秒   

なるほど、今回のWBCのMVPに松坂が選出されたのは、キューバ封じに長年多大なる貢献をしたということかもしれませんね。

ベースボールの元祖、USAを破って天晴れということも含めてね。

東山にしこさんによると、USAは、長年、キューバがアマチュア球団主体の大会が主流だった、野球のワールドカップやら五輪やらコンチネンタルカップやらでブイブイ言わせていたのが気に食わなかったので、金属バット禁止やプロの参加を認めさせたりと、様々なルールの変更によってキューバを封じ込めることに成功したようです。

さらに付け加えるなら、経済的な裕福さをえさにして、キューバの有力選手の亡命を促して、戦力を減退させている作戦も効果を上げていますしね。

結局、スポーツは、古代から政治の道具に利用され続けてきた歴史があるのも事実です。

サッカーの発祥にしろ、古代オリムピックにしろ。

ところで昨日の、アメリカが父親で、日本が長男、韓国が次男というのは、プロ野球の歴史の長さでもあります。

あのテキストを書いた時点では試合の決着がついていない段階でした。

今回の日本が獲得した成果は、「連覇」より「打倒USA」のほうが大きかったように思います。

もう、日韓の実力が伯仲していることは誰の目にも明らかであり、勝負は時の運だったとともに、ちょっとだけ韓国が意地っ張りだったことでしょう。

最後の場面で、野球のセオリーを無視してまでイチローと勝負したことと、早い段階で太極旗をマウンドに立ててしまったことでしょうね。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post.html

決勝戦まで待てずに立ててしまうのが、いかにも熱しやすく醒めやすいといわれる国民性を表しているともいえます。

ある意味、日本以上に「単一民族」的な色彩が強いからなあ。

|

2009年3月24日 (火)

「WBC2009」寸評

2009年 3月24日(火)13時40分5秒
 
いわば次男と長男の違いですね、 韓国と日本の野球は。

日本はアメリカからベースボールを教わったので、ベースボール発祥の国、アメリカに対しては父親みたいな感情を持っています。したがって、なかなか越えられない壁だったのです。

一方、次男の韓国は、長男である日本に追い付け追い越せで育ってきたので、父親であるアメリカに対する苦手意識があまり強くなく、いつのまにか力をつけていきました。

ある時、父親が子供をしつけようとして次男と取っ組み合いの喧嘩になって、あろうことか、次男が父親を組み伏せてしまいます。

それを見た長男は、弟の成長とともに父親の衰えに愕然とします。

自分にはとうてい勝てないと思いこんでいた父親を、自分の弟がいとも簡単に組み伏せてしまったのです。

そして、その光景を見てようやく、アジア野球の長男だった日本は、ベースボールを教えてくれた父親の厚い壁を乗り越えることができたのではないかと思います。

やはり、日本の野球がアメリカのベースボールを乗り越えるのは、とてつもなく大変なことだったと思います。

いみじくも、原監督が、昨日の対アメリカ戦の勝利インタビューにこたえる際に、「アメリカの野球を尊敬している」という言葉でスピーチを始めたことは、素直に賛辞を贈りたいですね。

一方、破れたアメリカ、いやあえて、彼の地の観客が自身の呼称として好んで使う、「USA」(「アメリカ」大陸にある、様々な移民が統治する「州」が「統合されて」できた国家)という呼称を使って今回のメンバーを見ると、いわゆるWASPが大部分で、あとはUSAの国籍を持つ一部の移民系の人たちや、少数の黒人選手で編成されていたのが興味深かったですね。

つまり、現在のメジャーリーグは、元々はWASP中心で始められた、青年団の鍛錬のために始められたスポーツにルーツがあるわけですが、今や、興行的にも戦力的にも、いわゆるヒスパニック系のドミニカ、ベネズエラ、プエルトリコなどの人材に頼らざるを得ない状況にあるという現実が如実に示されていました。

そして、今回のUSAチームには、「自国」の国籍を持つもう一方の有力な戦力として黒人選手が参加していましたが、あまり目立った活躍はしていなかったように感じました。

というのは、身体能力が非常に高い優秀な黒人選手は、今やバスケットボールやアメリカンフットボールでビッグマネーを稼ごうとするので、むしろ、MLBはその次に才能がある選手か、あるいは少々経済的に余裕がある、いわばブルジョア階級の黒人選手が趣味の延長でたしなむスポーツという位置づけになったといえそうです。

そういう意味では、現在、ベースボールあるいは野球と呼ばれるスポーツは、北米、キューバを含む中米、そして東アジアにおいて、戦力が拮抗して大変面白いものになったことは確かなようです。 

|

2009年3月20日 (金)

WBC日韓対戦の感想

2009年 3月20日(金)23時05分53秒   

結局、これで決勝戦で当たる以外は決着がつかなくなったのですが、前回もそうでしたが、韓国人は気が早すぎますね、太極旗をマウンドに立てるのが。

前回の試合で日本に勝った時に、次はキューバと当たって日本は負けるはずだから、ここで日本を「占領」したというアピールをしておかないと気が済まなかったんだろうけど、結局それで、日本選手の闘争心に火がついて負けてしまうわけです。

で、日本側はその行為に対して敢えて対抗する行為をしないことで、かえって大人の対応をします。

前回も、準決勝で日本が勝つ前の試合で旗を立てたのが致命傷になっていましたが、そこの見極めが少々甘い気がしましたね。

しかし、今回は、イチローのミスを他のメンバーがカバーするという形で、かえってチームがまとまりつつあるというのがちょっと面白いですね。

いわば、前回のWBCがイチローに頼りきりだったのが今や立場が逆転しつつあるという現実。

ある意味、イチローは、オリックス時代の「頑張ろう神戸1996」で日本シリーズを勝ち抜いて日本一になった時点が、チームリーダーとしての頂点であり、その後はひたすら個人成績を追い求めてきたのが実態だったのでしょうから。

その点をマリナーズのファンやチームメイトも気付いていて、時々批判が公になるのでしょうが、個人成績としては突出しており、イチロー目当ての多くのファン、それも日本から多くの観光客が来るので、結局、イチローを手放せないのでしょう。

プロはお客を呼んできてナンボという面もありますからね、

|

2009年3月19日 (木)

第1回オープン戦(敵状)視察寸評

2009年 3月19日(木)22時25分14秒

ジャイ対日ハムのオープン戦を、7回裏の讀賣の攻撃から観戦し、8回裏に坂本やら加治前やらが勝ち越し打を放つのを見るはめに。

日ハムの須永というよく知らん左腕を攻略していましたが、なかなか手強そうでした。

変化球をじっくりとためて打つことがきっちりできていたからね。

一方、ハムは、8回表に、移籍したマイケルが出てきて湧き、9回表に二岡が代打で登場したときが一番歓声が沸くというていたらく。

あとは、ジャイのチアガールが“名古屋(×名古屋嬢)化”していたところですかね。

まあ、どんな風になっているかは、公式戦を見てのお楽しみです。

あとは、山下書店に行って、ひたすら野球関連本を買いあさって、第1回オープン戦視察終了。

 

|

2008年11月 2日 (日)

中日ドラゴンズに発生した、ある“深刻”な問題とは?

10月30日に開かれた、プロ野球の新人選択会議(ドラフト会議)で、中日ドラゴンズは、第1位指名の野本圭外野手を筆頭に、2位に伊藤準規投手、3位に岩崎恭平遊撃手、4位に高島祥平投手、5位に岩田慎司投手、6位に小熊凌祐投手、7位に井藤真吾外野手の7名、さらに育成枠指名で、加藤聡外野手、小林高也外野手の2名、合わせて9名の新戦力を獲得する予定です。

(まだ、交渉権を獲得しただけなので、全員が入団の合意に至ったわけではないのですが、各紙で報道されている様子では全員入団に前向きなコメントを発しているので、まずは一安心ですが。)

さて、この“新鮮力”については、落合監督も100%満足というコメントもあり、戦力の補強としては非常に良かったと私も思っています。

特に、今回のドラフトで指名した打者については、育成枠の2人を除けば、1位指名で社会人野球出身の即戦力候補の野本をはじめ、3位に岩崎、7位に井藤と合計3名、左打ちの打者を、まるで親の敵のように指名しましたが、それほど、現有戦力の左打者に不満があるということでしょう。

なにせ、主力となるレギュラーの左打者はイ・ビョンギュ外野手と森野外野手(来季からはサードへのコンバートを落合監督は示唆していますが)の2人のみ。

さらに、代打陣で実績を残している左打者は立浪と井上両外野手と、みんな30歳代というよりアラフォー世代に差し掛かろうとする中堅・ベテランばかりで若手は皆無という、非常にお寒い状況です。

今回のドラフトで指名した左打者が、全員すぐに戦力になるという理由で指名したわけではないと思いますが、それは、現在ドラゴンズに所属している左打者への発奮を促す意味合いも込めて、このような結果になったものと思われます。

一方、投手については、2位指名の伊東をはじめ、4位指名の高島、5位指名の岩田と、いずれも高校生右腕を指名しており、将来性を見込んで、特に右投手の戦力補強を図ったようです。

これは、FAでの退団が濃厚な川上投手の退団への備えとともに、現在はどちらかというと左腕投手の人材が豊富なチーム事情を考慮して、右腕投手の将来的な補強を図ろうという意図が明確ですね。

***

さらに、元西武の河原純一投手(35)についても、10月31日に、一部投手陣が秋季練習をしている愛知県阿久比町の阿久比球場で、落合監督、森バッテリーチーフコーチが見守る中で入団テストを行い、

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200811/CK2008110102000069.html

他紙で報道されている、森コーチの発言などを聞く限りでは、ほぼ入団確定のようです。

http://www.daily.co.jp/baseball/2008/11/01/0001548548.shtml

「浪人してまで野球を続けたいっていうアイツの思いだよな。1年間だけチャンスをやる。それでダメならユニホームを脱がせる」と森バッテリーチーフコーチ。情熱プラス、94年にドラフト1位で巨人に入団した潜在能力を買った。

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20081101-OHT1T00082.htm

「ひざの状態もよくなってきたし、僕自身が納得できていない」と現役復帰に意欲を見せた右腕。落合監督は「今日は見ただけ」と結論を先送りにしたが、経験と実績を買われ、合格が決定的だ。

***

しかし、今回のドラフト会議による戦力補強により、我が中日ドラゴンズに、新たな“大問題”が発生することになりました。

それは、ずばり「同姓・同音の苗字が大量発生」問題です。

中日ドラゴンズは、伝統的に同姓の選手が在籍することが多いことで知られ、かつては、1990年代の半ば頃は、山田喜久夫投手と山田洋(後に博士に改名)投手や山田和利選手が相前後して在籍して「山田王国」を形成したり、2000年代には高橋光信内野手と高橋聡文投手という組み合わせも存在しました。

一方、現在は中村姓が非常に多く、年齢が高い順に並べると、中村紀洋、中村公治、中村一生の3名の現役選手に加えて、今秋からは、さらに2軍バッテリーコーチとして、中村武志氏が加わり、まさに「中村王国」を形成しつつあります。

(なお、公治選手については、起用法を巡り、本人は退団を球団に申し入れているという、他紙の報道があり、「予断」を許さない状況ですが。)

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20081102-OHT1T00115.htm

それに加えて、堂上姓は、兄弟だから当たり前ではありますが、剛裕と直倫の2人が在籍し、さらに清水姓では、将海捕手と昭信投手、佐藤姓では、充と亮太の両投手がおり、同姓の選手が多数在籍しています。

時間のある方は、こちらの選手名鑑と、じっくりにらめっこしてみてください。

http://dragons.jp/teamdata/players/

ところが、ここにきて、今回のドラフト指名で、中日ドラゴンズは、さらに同姓・同音選手の補充を図ったのでした。

第2位指名の伊藤準規投手は、久々の中日球団所属の「いとう」姓となるはずでしたが、なんと、綴りは異なりますが、7位に井藤真吾外野手を指名して、早速同音問題を発生させています。

両者とも新人で、「おい、いとう」と呼ばれたら2人が同時に返事をしてしまう恐れがあるので、たぶん、「おい、準規」や「おい、真吾」と呼ばれることになるでしょうね。

さらに、3位に指名された岩崎恭平内野手は、昨年の新人だった岩崎達郎内野手と、ポジションまで遊撃手でかぶってしまい、中日スポーツでは、早速両選手の見分け方を記事にしましたが、

「遊撃が熱い!!「岩崎対決」 ポスト井端離さない」

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200811/CK2008110102000068.html

結局、よくわからないので、当面は、「達郎」と「恭平」という名前で区別するのが一番便利でしょうから、アラサーからアラフォーのドラゴンズファンは、芸能人の名前に引っ掛けて、(山下)達郎と(柴田)恭平コンビと覚えるといいでしょうし、さらにアラフィフ以上のオールドファンには、谷木恭平(元祖「モエドラ」の、2番谷木が送りバント♪)の「キョウヘー」と覚えておくといいでしょうね。

そして、最後の育成枠指名では、小林高也外野手が指名され、またもや小林正人投手と苗字がかぶるわけですが、まあ育成枠なので、晴れて正式に登録選手となった暁から悩む?ことにしましょう。

これで、だいたい同姓・同音で呼ばれる選手の状況を網羅したかと思います。

(実は、川井進投手と川相昌弘コーチや、小林聖始投手コーチなど、コーチやスタッフを含めると、それこそ収拾がつかなくなりますが)

つまり、ここで問題となるのは、「なかむら」「しみず」「どのうえ」「いとう」「いわさき」「こばやし」と、苗字で呼ばれると、ものすごい数の選手が返事をするという事態に陥るような気がしますが、実際のところ、選手たちは、お互いのことをすぐに愛称で呼び合うようになる習慣があるので、本当のところはそれほど深刻な問題にはならないでしょうね。

まあ、そういう意味では、今年のドラフト指名の裏コンセプトは「いとう」「いわさき」「こばやし」姓の補充だったといえそうです。

|

2008年10月26日 (日)

タダ働きシリーズ(TBS)終了。

やれやれ。

やっと終わったCSという感じですね。
特に、我々中日ファンにとっては。

結局、京セラドームで3試合、東京ドームで4試合が開催されて、興行収入はほとんど阪神と讀賣両球団にもっていかれるので、中日はまさにタダ働き同然のくたびれ儲けということになります。

これで、来年からは、3位以下になることが確定したら、喜んでカープにその権利を譲ってあげましょう。

まあ、中日ファンは勝手に夢を見て、球場に出掛けたり、テレビやラジオやネット観戦をして、それなりに野球界にお金を落としたので、現在の金融危機に端を発した大不況という焼け石に、ちょっとだけ水をかけましたが、結局、讀賣が優勝(讀賣を応援)するとロクなことにならないと、長年の「歴史」が証明していますからね。

------------------------------------------------------------

巨人優勝年は株価暴落…下落率歴代10位まで独占

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-320081017203/1.htm

2008年10月17日(金)16時35分配信 夕刊フジ

日経平均株価が16日、前日比1089円安と大暴落した。下落率は11.4%で史上2位。これで下落率歴代10位までがプロ野球で巨人がリーグ優勝した年と重なった。

今年は、巨人が初の単独首位に躍り出た10月8日以降、下落率歴代2、4、5位と3度もランクイン。このほか、史上最大の下落率14.9%だった「ブラックマンデー」の1987年、53年(下落率歴代3、10位)、70年(同6位)、71年(同7位)、2000年(同8位)と、いずれも巨人がセ・リーグを制覇。同9位の49年は1リーグ制だったが、この年も巨人が優勝した。

------------------------------------------------------------

これで、落合監督が日本シリーズで優勝してしまい、単なる讀賣グループ主催興行でしかないWBCアジアラウンドの監督を引き受けざるを得なくなり、わざわざ讀賣グループ収入増の片棒を担がされたり、さらに、開幕前の一番重要な時期に中日の貴重な戦力を供出する義務もなくなったことが、今回のCS敗退の最大の収穫であったと言えるかもしれません。

|

2008年10月 9日 (木)

ほほう、やっぱり“ニンジン”はハワイ旅行と特俸のようですね。

日本の経営者は、否定表現を使いながら“安全地帯”から物を言うので、それを敢えて深読みしなければならず、疲れるなあ。

連続日本一でもV旅行しない!?…中日

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20081009-OHT1T00062.htm

中日の西川球団社長は8日、日本シリーズ連覇を果たしてもV旅行を開催しない可能性を示唆した。
現場の意向を聞くとした上で、「落合監督もシーズン前から完全制覇が目標だと言っていたから、絶対に行くとは言い切れない」と、説明した。
昨季はリーグ戦2位から53年ぶりの日本一に輝き、米ハワイで喜び合った。
また、今オフの契約更改交渉でも、「ない袖は振れません」とクギを刺していた。
(2008年10月9日06時00分  スポーツ報知)

これって、一見、日本シリーズで優勝しても旅行には行かないよと言っているようで、実は、現場=落合監督の意向によっては、何かご褒美をあげるぞということですね。

ただ、それを明言して、CSであっさり敗退したらカッコ悪いので、まあこういう言い方になったのでしょう。

選手諸君、今年も日シリを勝ち抜いて、憧れのハワイ旅行に行こう(笑)

また、こんな記事も。

落合竜、連続日本一になっても「厳冬更改」必至http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200810/09/ser3215952.html

◆ 西川球団社長明言「ない袖振れん」 ◆
連続日本一になっても「厳冬」だ。すでにCS進出を決めている中日の契約更改はコーチ、選手ともに軒並み年俸ダウンになることが分かった。
「そりゃ厳しくなる。査定はシーズンで行うもの。クライマックスも2位通過でないだけでも減収だし、ない袖は振れない」と西川球団社長は渋い表情を浮かべた。
昨年は2位通過でCS第1ステージの開催収益があったが、今季はそれもない。さらにフル出場した選手がいないことも財布のひもを締める一因となった。
コーチ陣は一様に100~200万円減。多ければ500万円減になるコーチもいるもようだ。ただ昨年も同様の査定スタンスだったが、日本一を決める決勝犠飛を放った平田に“期待料”が加算された例もある。
こうなれば是が非でも日本一になって“臨時ボーナス”で差を埋めるしかない。
[ 2008年10月9日付 ]

ハイハイ。

要するに、昨年の日シリの最終戦で勝ちに貢献した平田のように、特に給料の安い若手が、たとえスポット的であっても活躍したら、期待料という形で特別俸給を支給したり、減俸をチャラにするかも、ということのようです。

まあ、疲労困憊した満身創痍の競走馬を走らせる“ニンジン”としては、ちょっと栄養素が足りないようにも感じられますが、ペナントレースでは、写真判定の末にかろうじて3位に滑り込んだ球団なのですから、このあたりが小盤振る舞いの限界であるともいえましょう。

それにしても、ペナントレースの優勝の行方が、下手をすると、10月12日の阪神対中日戦の結果に左右されたり、日本シリーズの出場権の行方も、中日ドラゴンズの動向(CSの第1Sと第2Sのどちらに先発陣の主力を置くか)に左右されたりと、妙な形で中日がキャスティングボードを握っているのが、ちょっと面映ゆい感じがしますね。

|

2008年9月20日 (土)

盛り上がらないCS事情:中日にとって深刻な“ニンジン”不足

中日は昨晩のボロ負けで最悪の雰囲気の中、本日は14時から試合をしなければならないわけで、闘う前から白旗を上げていそうですね。

だいたい、今のチーム状況でCSに進出したところで、球団(要するに会社)はともかく、選手たちの個人的な事情、いわばサラリーマン的に考えれば、CSというのは、年俸の評価に関係しない“サービス残業”にしかすぎないわけで、万が一? ペナントレースでリーグ戦の第3位に残ってCSに出場し、それを勝ち抜き、なんとか日本シリーズに進出し、さらにそのイベントに勝った場合に、やっと会社から「臨時ボーナス」が支給されるという状況なわけです。

ただし、そのイベントで活躍しないと、個人的には、たぶんその分け前にさえありつけない…。

さらに、ヘタに「日本一」になると、今度はアジアシリーズに出場して、ディフェンディングチャンピオンとして目一杯頑張らなければ、非難されこそすれ賞賛されることはなく、これまた“無給の休日出勤”が控えているわけです。

そして、昨年の中日は、この一連の「報われない毎日」を、既に体験した唯一の球団だったわけで、これじゃあ、各選手のモチベーションを上げろというほうが、土台無理な話なわけです。

まあ、球団が昨年と同じように、この終盤に選手たちに頑張ってもらいたいと本気で考えているのならば、何か“ニンジン”が必要でしょうね。

それが、いまさら連続日本一を達成したら、憧れの「家族・恋人同伴可の豪華ハワイ旅行」でないことは確かだとは思いますが、さて。

ところで、まだ阪神タイガースが絶好調だった今年の 7月 5日(土)に、今年のセ・リーグのペナントレースの終盤がこういう展開になるであろうことを「予言」していた私でしたが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_06ed.html

もちろん、希望的観測としては、その“ミラクル”を起こすのが中日ドラゴンズであってほしいとは願っていましたが、こうなってしまったのもしょうがないでしょうね。

その“遠因”を作ったのは、一部の熱狂的な崇拝者を除いて、いまや世間から総スカンを食らっている、星野ドリームズプロジェクトの総帥である星野仙一氏であるといえるでしょう。

彼は、北京五輪における「激闘」の末に、中日では絶対的なエースとして君臨していた川上憲伸投手を「戦力外」に(一説では、言葉と直接の“叱咤激励”により)葬り去り、阪神では三番打者として打撃陣の中心を担っていた新井貴浩選手を「疲労骨折」にまで追い込み、結果的には、2球団の直接のライバル球団となった讀賣ジャイアンツと広島カープに“塩”を贈ったことになり、両球団にとっては、まさに“大恩人”といえるでしょう。

日本テレビは、北京五輪の惨敗後も、自社のスポーツ番組で星野仙一氏を引き続き特別ゲストに招き、いろいろと盛りたてて、WBCでも監督を引き受けるように世間を誘導しようとしていますが、彼らにとっては、まさに“都合のいい男”なのかもしれませんね。

まあ、WBCは、たしかMLBが興行主であり、日本では讀賣グループが主催するイベントなわけですから、最終的には、監督問題もそのあたりの事情で決められるように持っていくということでしょう。

あとは、いかに“世論”をうまく誘導するか。

問題はそこでしょうね。

|

2008年8月13日 (水)

ラッキー&アンラッキー?

2008/08/12(火)21:57
本日は午後8時頃に会社を出て、近くの公園で「東海ラジオガッツナイター」の広島対中日戦を聴取。

広島戦のラジオ中継は、いつもは、広島側の地元局である「RCCカープナイター」との相乗り放送であることが多いのですが、今回は単独放送だったようで、解説の安仁屋氏と一柳アナが、(心ならずも)やたらと中日寄りのコメントを寄せていましたが、8回裏に栗原が一時的同点弾を打ったときには、さすがに身びいきの興奮を隠しきれず、はしゃぎまくる一柳アナ。

結局は、9回表にビョンギュが決勝弾を放って“接戦”に決着をつけたことになりますが。

まあ、山本昌に勝ちがついてよかったです。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080812

さて、勝利の余韻に浸りながら、汐留方面の最寄駅に着いたら、讀賣新聞社のスタッフが号外を配るところに遭遇。

まあ、せっかくの“縁起物”なのでもらいました。

その号外では、柔道女子の谷本歩実選手が金メダルを獲得したという、和文と英文の記事が表裏に掲載されていましたが、

R0010583

R0010584

なぜか英文の記事のほうは、現地記者のレポートによる観戦コメントも掲載されていて異様に詳しく、どうも、デイリーヨミウリの宣伝チラシも兼ねていたようです。

そして、カップリング記事として、マラソン女子の野口みずき選手欠場の記事も掲載されており、悲喜こもごもといった感じの号外でしたね。

***

あまりにもわかりやすい山本昌の表情

2008/08/13(水)00:23
午後11時からの「プロ野球ニュース」で、広島対中日戦をチェックしましたが、栗原に同点本塁打を打たれ、がっくりと肩を落としてうなだれながらベンチに戻る山本昌の表情がアップになった後、9回表の中日の攻撃も二死走者無しとなり、打席に入るイ・ビョンギュの姿を見て、ベンチの中で諦めムードの山本昌の表情がアップに。

なぜか、もうダメだと頭を抱えてしまう山本昌。

今日は3ランホームランをかっとばしてくれたのに、

http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200808/13/ser3214032.html

Masa_byongyu_ser301

3回、右越えに先制3ランの李炳圭は

山本昌(右)に迎えられる

もうそんな“奇跡”は二度と起きないだろうとでも思ったのか。

はたまた、8回裏二死無走者の状況で、すかさずマウンドに歩み寄ってきた谷繁捕手と慎重な間合いを取って、あんなに注意していたのに、結局は“天敵”の栗原に同点弾を打たれてしまった、おのれの不甲斐なさが蘇ってきて、その悔しさを反すうしていたのか…。

ところが、山本昌の“絶望的観測”を裏切り、あろうことか、またもやビョンギュが決勝弾を放つのを目撃した山本昌は、今度は子供のように大はしゃぎで喜んでいる表情がアップになります。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008081302000060.html

Yamamotomasa_ibyongyu_pk20080813021

広島-中日 9回表2死、勝ち越しソロを放った李炳圭(左)を笑顔で出迎える山本昌(中) (金田好弘撮影)=広島市民球場で

一方、本塁打を打ってホームインした後にベンチに戻ってきた自分を出迎えた山本昌とハイタッチを交わしたビョンギュ外野手は、決勝本塁打を打てたのがよっぽどうれしかったのか、山本昌の背後に回って肩をモミモミして、その労をねぎらっていました。

さすが、儒教の国の精神で、先輩を立てるのがうまいことうまいこと。

「先輩、ボクを信じてくださいヨ!」

とでも言いたげな感じで。

ヒーローインタビューでは、韓国語の会話の中でも「マサさん」と聴き取れる言葉が何べんか登場し、普段からそう呼んで、大変慕っているようですね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008081302000054.html

それにしても、まあ相変わらず喜怒哀楽がはっきりと表情に表れて隠しきれないのが、いかにも山本昌らしいところです。

なんというか、“大きな子供”の面と、人として尊敬できる、非常に“オトナ”の面が同居している、なんとも不思議な人物です。

ところで、山本昌も、私と同じことを考えていたようで。「アンラッキーだと思ってたけど、ラッキーだった」というコメントを寄せていました。

http://www.sanspo.com/baseball/news/080812/bsc0808122211000-n1.htm

中日・山本昌が通算201勝 43歳初勝利

2008.8.12 22:09

Masa_hidan_bsc0808122211000n1

広島戦の8回裏、広島・栗原に

同点ソロ弾を浴び肩を落とす

中日・山本昌

 (セ・リーグ、広島4-5中日、16回戦、中日10勝4敗2分、12日、広島)

中日・山本昌が5連勝で今季8勝目を挙げ、通算勝利を201に伸ばした。三回に4点の援護をもらったものの、自らの失策などで七回までに3点を失い、八回に同点本塁打を浴びた。だが直後の九回、李炳圭のソロ本塁打で勝ち越し。「アンラッキーだと思ってたけど、ラッキーだった」と笑みがこぼれた。「200勝をして気が緩んだと思われないように投げた」。11日が誕生日で、43歳での初勝利となった。

---------------------------------------------

ちょとウレシス

|

2008年8月 6日 (水)

“先生”に恵まれて、自らの“夢”を叶えた山本昌“先生”

昨日の中日スポーツに掲載された、山本昌投手の「独占手記」は、まさに道徳の教科書に掲載してもいいような、感動的な内容でしたね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000087.html

山本昌は、当初は高校(日大藤沢高校)を卒業したら、大学の教育学部に進学して、最終的には学校の先生になるという“夢”を持っていたそうですが、高校時代の恩師のすすめでプロ野球選手を目指してみようということになり、当時、中日ドラゴンズのスカウトを務めていた、プロ野球界での最初の恩師、高木時夫氏の目に留まり、ドラゴンズに入団したのでした。

しかし、入団5年目まではなかなか芽が出ず、ついに、1987年のシーズンオフから、ドジャース傘下の1A球団「ベロビーチ・ドジャース」に武者修行に出されて、ここでプロ野球界では2番目の恩師となったアイク生原氏の熱烈指導を受け、ついにプロ野球選手としての実績を積み重ねるようになったのです。

そういう意味では、彼は、プロ野球界という、どんなに才能があり努力を重ねても、運に見放されたり実績を残せなかったりする人間は容赦なく見捨てられるという非常に過酷な世界で、2人も彼を救い育てた人物に出会ったことになりますが、そのような恩師に巡り合うことができたことこそ、彼自身の、いわば人間力のなせる業といえるのではないでしょうか。

彼は、20世紀末以降は、何度も訪れた「引退の危機」を乗り越えて、今日の快挙に辿り着きました。

私も、1999年に、「竜之巣」の「夢想妄想選手名鑑 人物往来篇」で、以下のような「寸評」を寄せていました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest990808.htm


背番号:34
山本昌(やまもとまさ)

公式データ…………………………………………
昭和40.8.11 生

身長・体重:186cm87kg
ポジション:投手
投打:左左
出身地:神奈川
略歴:松林小 - 松林中 - 日大藤沢高- 中日(84~)
血液型:AB/星座:しし
ニックネーム:ヤマ
愛車:セルシオ
生活信条:明るく
………………………………………………………
星野監督の信頼度(★5つが満点):★★★★+0.5★

★真の親分になり切れない親ブン★
(大マサ、小マサ、山本マサ)

 1980年代の中日ドラゴンズ投手陣を代表した小松(辰雄)の親分肌を受け継ぐべき人材でありながら、多くの後輩選手から慕われ(時にはなめられ)ている貴重な存在。
 責任感が強いが、どこかのんびりしたところがあり、そこが大きな魅力であり、弱点でもある。
 前回、星野ドラゴンズが優勝したとき、前半戦、山マサは、アメリカの1A球団(要するに、大リーグの3軍)で武者修業をさせられていた。
 野球発祥の地アメリカで、必殺のスクリューボール(左投手のシンカー)をマスターした(ブンブン振り回すアメリカの若者には、さぞかし有効だったことだろう)彼に、後半戦に向けての帰国命令が下された。
 優勝目指して突っ走らなければならない中日にとって、彼のスクリューは不可欠のものとなり、あれよあれよと連勝し、自信が確信に変わった彼は、その後、今中とともに“さわんだふるエース”((c)たかみね駆氏)を形成する。
 最近は、勝ちを忘れたカナリアのように苦しい時期を送ったりもしているが、持ち前の明るさで若ドラ投手陣の先頭に立つべき役割を担った彼の使命は大きい。
 もう一度、アメリカ武者修業時代の新鮮な気持ちを思い出せば、間違いなく、再びエースの座は約束されている。


結局、山本昌は、自分自身がプロ野球の世界で超一流の実績を上げることにより、自らが野球人かくあるべしという手本を、多くの夢多き野球少年少女たちに見せることによって、人生の“先生”役を見事に果たしたといえるかもしれません。

それでは、以下に、山本昌200勝達成関連記事のうち、とくに私の心に残った記事を、アーカイブとして掲載しておきます。

リンク元の記事が消えても大丈夫なように。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000087.html

【ドラニュース】

ドラゴンズに入ったのが一番の幸せ 山本昌、独占手記

2008年8月5日 紙面から

中日-巨人 200勝のボードを手に笑顔の山本昌=ナゴヤドームで(圷真一撮影)

Pk2008080502100104_size0

 夢。そう。いつかボクが引退するときに振り返れば「夢の中のできごと」。ボクのような投手が高校からやり直したとして、もう1回ドラフトで指名されるかといえば、確率的にはほぼない。宝くじが3年連続で当たったようなものです。心から思います。「人生一回きりで本当によかった」。こんな幸せな野球人生を送れるはずがない。そう確信しています。

 強い体に生んでくれた両親に感謝。アイク生原さん、高木スカウト…。へたなボクに携わってくれたすべての監督、コーチ、チームメートに感謝したいです。そして、もちろんドラゴンズファン。一番の幸せは、ドラゴンズに入ったことだと思っています。

 声援は12球団で一番。昔から本当に変わらない。いいときも、悪いときも常に温かく、選手にはありがたい限りです。ボクにはすごく合うし、もう人生で一番長く住んでいる土地になりました。身も心も名古屋人です。ドラゴンズでなければ、こうはなっていなかった。それは自信をもって言い切れることです。

 そんな名古屋のファンの目の前で、200勝を飾ることができました。その中で「1勝」を選べと言われれば、通算で6勝目をあげます。1989年。前年に米国留学から帰国して5勝していました。開幕から勝負。ところが投げても投げても勝てません。迎えた5月27日で何と14試合目。相手は7連勝で名古屋に乗り込んできた巨人でした。桑田くんと投げ合ったその試合、何と1-0で完封することができたんです。正直、前年の5勝は「フロックかな」と自分の中で弱気な部分が出始めていたんです。あの1勝で「やっていける」と思えました。試合が終わった直後から泣いたのは、後にも先にもあの試合だけなんです。

 戦力外と紙一重だったボクが、人より上回っている部分があるとすれば、1つは「継続力」だと思っています。ガーッとやって休むんじゃなく、続けられる努力を続けることは苦にならないんです。性格的にしつこいんだと思います。2つめは「観察力」。なにをしたらうまくなれるか、ライバルを出し抜けるか。興味を突き詰めて、やっていく嗅覚(きゅうかく)にはたけていたかな。ウチでいえば、井端が最たるものだと思います。

 最後に、ボクのような「決して特別ではない野球少年たち」に言葉を贈ります。中学で終わる人、高校でやめる人。いろいろあると思いますが、やっている間は精いっぱいやってほしいんです。どのレベルまで上がるかは関係なく、自分が満足してやり終えてほしい。野球をバカにしたり、野球にウソをつかないでほしい。さぼる、グラブを踏み付ける、グラウンドにつばをはく…。たった1回の野球人生だからこそ、幸せをつかめた男からのお願いです。  (中日ドラゴンズ投手)

◆北京五輪日本代表監督・星野仙一氏(元中日監督)

 大したもんだ。マサの一番いいところは体が丈夫なところ。丈夫だから200勝できたんだな。第一印象で残ってるのは浜松のブルペン。投げ込みをやらせた時、30球ぐらい投げたところで私は「全力で投げんか!」と言ったんだよ。するとマサの返事は「これが全力です…」。そのころ、マサは整理対象選手に片足を突っ込んでいたが、私が「体がでかいから残せ」と言ったんだ。

 アイクとの出会いがよかったんだな。88年にベロビーチ(キャンプ)に行った時、アイクに「残していく」と言ったんだよ。何とか知られないようにしたんだけど、最後は知られてな。マサが泣くんだよ、私の前で。私たちが日本に帰る時に空港に見送りに来た時にもワンワン泣いていたな。

 アイクからはいい報告が来た。1Aのオールスターに選ばれたという連絡に続いて、メジャーからオファーが来たという。私は「行かせたらいいじゃないですか」と言った。中山球団社長が「日本に帰したい」と言うんで従ったが、その通りにしていたら野茂より前にメジャーリーガーになっていた。日本に帰ってきた彼は、球がベルトの上に絶対いかない別の投手に変わってた。

 マサは今、42歳か。自分が(88年に)優勝した年齢じゃないか。その年齢で現役として投げているのだから、すごい。しかも、ローテをきっちり守ってる。やれるまでやったらいい。現役が神様なんだから、この世界は。

 【山本昌広(やまもと・まさひろ)=登録名・山本昌】 1965(昭和40)年8月11日、東京都大田区生まれの42歳。186センチ、87キロ、左投げ左打ち。日大藤沢高からドラフト5位で84年に中日入団。最多勝利3度、最優秀防御率1度、最高勝率1度、最多奪三振1度、最優秀投手2度、ベストナイン2度、94年には沢村賞を受賞。06年には9月16日阪神戦(ナゴヤドーム)でノーヒットノーランを達成するなど輝かしい経歴を持つ。今年は中日で球団史上初の快挙となる通算3000投球回を達成。家族は夫人と1男1女。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000085.html

【ドラニュース】

いつまでたっても息子は息子!? 両親も支えた200勝

2008年8月5日 紙面から

山本昌を応援する父・巧さんと母親の幸子さん(左)(代表撮影)

Pk2008080502100145_size0

 勝利が決まると、父・巧さん(74)は立ち上がって両手をあげた。母・幸子さん(69)は座ったまま小さな安堵(あんど)のため息を漏らした。そして客席の知人、ファンからの握手攻め。晴れのヒーローインタビューは目を細めて聞いた。

 幸子さんはこの朝、神奈川県茅ケ崎市の自宅近くで四つ葉のクローバーを探した。登板する日は毎回そうしてきた。息子にしてあげられるのはそれくらい。だが見つからず、「昔は見つかったのに」と不安げに話した。だが、最高の瞬間を見届けることができた。

 心配な子どもだった。生死をさまよう事故にあったのは山本昌が1歳の秋。2階ベランダから落下し、頭蓋(ずがい)骨を骨折した。「医者から『今夜がヤマ場』と言われました」。だが、3日後には元気になった。強運も味方に、たくましい男に育った。

 あれから40年。いくつになっても母は母。今でも心配でたまらないのだ。故障しないか、迷惑をかけていないかと。だから今年、「もうやめなさい」と手紙に書いた。「でも返事が返ってこなかったけどね」と笑う。

 父は昨年暮れ、そんな息子から珍しく弱音を聞いた。心を鬼にして後押しした。ただ、本当にこの日がくるとは思わなかったけれど。

 「完投で勝ってくれたのが本当にうれしい。去年だめだと思い、今年も3つ勝ってまた2カ月勝てなくて、だめかと。今までお世話になった人に感謝しています」と話した。

 素質を見抜く者も少ない遅咲きの選手。困難も挫折もあった。それでも地道に歩み積み重ねた200勝。それは家族が支えた栄光の足跡でもあるのだ。(増田護)

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000088.html

【ドラニュース】

落合監督、手荒い祝福 左手で後頭部を“ペチン”

2008年8月5日 紙面から

200勝を達成した山本昌を手荒く祝福する落合監督

Pk2008080502100109_size0

 右手で握手。そして左手で後頭部をひっぱたいた。それが日本最後となるかもしれない200勝投手への、オレ流の祝福だった。

 完投。「代えられません! 日本シリーズとは違います。日本シリーズはチームの記録。きょうのは本人の記録です」。インタビュールームに笑いが起こったが、落合監督は真剣だった。そこから若かりしころの山本昌を、しみじみと語った。

 「オレとウーやん(宇野コーチ)くらいか。初勝利から知っているのは。体のでかい、球の走らないピッチャーだった」

 そんな投手が変身したプロセスも、主砲として見つめてきた。今は監督と大ベテラン。いつか来る“降板”の日に言及した。

 「最終的には本人の決断だ。本人が『やる』って言えば、この成績だから来年もいるだろうし、『やめる』っていえば(それはそれで)本人が決めること。この世界はユニホームを脱ごうと思って脱げる選手と、脱がされる選手がいる。やるって言うのなら、この先いくつ積み上げていくかだ。あえて言う。ユニホームを着ている間はな」

 球団ではない。まして指揮官たる自分でもない。ここから先の進退は山本昌に決定権がある。投げられるがやめる。それも生きざま。最後の1球まで投げる。それも人生。

 「重たい荷物を降ろしたから、今まで以上に枯れたピッチングをしてくれるだろ」

 気が付けば7勝目。そんな左腕が自ら“降板”するとは、落合監督も思ってはいないはずだ。 (渋谷真)

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000090.html

【ドラニュース】

マサやったぜ!!おめでとう200勝

2008年8月5日 紙面から

ナインから胴上げされる山本昌

Pk2008080502100098_size0

 おめでとう、山本昌投手! 中日に入団していきなり絶望のふちに立ちながら、多くの人との出会いを機に、勝ち星を200勝まで積み上げた。プロ25年目、間もなく43歳になる遅咲き左腕が、プロ野球史上最年長の完投勝利で、日本球界最後の200勝投手になるかもしれない偉業達成。しかも中日球団創設9000試合目の記念すべき試合に、杉下氏以来半世紀ぶりの200勝で花を添えた。

 歴史を刻んだ瞬間を、天国の恩師はどんな思いで見届けただろう。山本昌が笑う。仲間たちが叫ぶ。落合監督には手荒い握手で迎えられた。四半世紀をかけて築いた200勝に、“あの人”は労をねぎらうのだろうか。それとも活を入れるのだろうか。まだまだ通過点ではないか、と-。

 逆境に立たされてからが山本昌の真骨頂。この夜は、そんな野球人生を象徴した。1球ごとにボルテージが上がる異様な空気の中、先制点こそ失ったものの2回以降は無失点。丁寧さと大胆さを兼ね備えた投球で4安打の完投勝ち、粘り強さが味方の大逆転を呼び込んだ。

 運命の出会いがなければ大記録もなかった。挫折のたびに恩人に恵まれた山本昌が、とりわけ感謝しているのがアイク生原氏(元米大リーグ・ドジャース会長補佐)だろう。0勝のまま、戦力外も同然で中日から米国留学を命じられた88年。ドジャース傘下へ送り込まれた際に同氏が世話役だったのは有名な話だ。

 「ふて腐れて日本から来たぼくを、アイクが熱意と人柄で“野球が楽しい”と思わせてくれた。でもね、一緒に晩飯を食べたのは登板日くらい。スコアブックのコピーにコメントが書き添えられたものを送ってくれたり、当時から会話の多くが手紙だった」

 言葉数は少なくても、基本にうるさい人だった。低めに投げろ。カーブを磨け。ビールは3本以上飲むな…。当初は若気の至りで聞き流していた山本昌も、いつしか忠実に教えを守っていた。中日の主戦に転じた帰国後も、カーブに磨きをかけた。精度の向上に比例して3度の最多勝、沢村賞を獲得。留学中に覚えたスクリューが代名詞と言われがちだが、この日も谷繁が多く要求したスローカーブこそが、アイク氏の見抜いていた山本昌の宝刀だった。

 運命の出会いには、劇的な別れも…。92年8月。奮闘していたシーズン半ばのある日、前年まで中日監督だった星野氏(現北京五輪日本代表監督)の自宅に突然、呼ばれた。

 「アイクは今年いっぱいかもしれない」

 恩師の余命が少ないことを思いがけず知らされた。まだ55歳。信じられなかった。必死の祈りも通じず、同年10月、アイク氏はこの世を去った。この年、山本昌は初めて13勝をマーク。自己最多となった11勝目のウイニングボールは同氏の棺に納められた、という。

 「ずっと手紙でやり取りしてたから、しばらくは亡くなった気がしなかった。連続最多勝のころは“アイクが来てる”って思うと勝てたりしてね。ぼくが200勝するなんて夢にも思ってなかっただろうから、どう思ったかな。一番、見てほしかった」

 山本昌の自宅玄関には、微笑するアイク氏の写真が飾られている。「不思議だよ。笑ってるように見える時があれば、怒ってる時もある」。1勝から200勝、すべてがアイク氏と歩んだ輝かしい軌跡。この夜は、最高の笑顔で迎えてくれたに違いない。 (安藤友美)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080502.html

マサ中年最強 最年長200勝の理由

2008080502

 中日の山本昌投手(42)が4日の巨人戦(ナゴヤドーム)で2004年の工藤公康(当時巨人、現横浜)以来、日本プロ野球史上24人目の通算200勝を達成した。42歳11カ月での達成は史上最年長で、若林忠志(毎日)の持つ史上最年長完投記録42歳8カ月を更新する完投勝利のおまけ付き。「アラフォー(Around40)」まで活躍できる要因は意外にも…。
 マウンドに集まったナインに胴上げされて宙に舞うと流れた涙を右手でぬぐった。「ファンの声援もすごかったし、あれはたまらなかった…」

■25年目での偉業達成
 ここ数年は思うように勝てずに苦しんだ。2005年、40歳の節目の年に7勝8敗と負け越し「もう駄目かもしれない」と親しい関係者に漏らしたこともあった。周囲の200勝に対する騒ぎ方に違和感を覚えたこともあった。「もう200勝なんて…」。しかしその思いはマウンドに上がるたびに大きくなるファンの声援に打ち消された。「こんなにすごいことなのか」。今では苦しかったこともよき思い出だ。25年目での達成。一体何がベテランの背中を押し続けたのか。現役そして裏方と山本昌を見てきた都スコアラーと森バッテリーチーフコーチの見解は一致した。

■制球力が今をつくる
 「球が遅かったことがすべてだと思う」
 プロ入り後の最速が143キロという直球が山本昌を息の長い野球選手にしたというのだ。森コーチはこう説明した。「昔から速球派だった投手が技巧派に転身するのはやろうと思っても実際はできないんだ。ただマサの場合は最初から球が遅いことでどうするかを考え、制球力を磨いて打ち取る投球を覚えたことが今をつくった」。
 もちろん制球力だけではない。1988年に米国留学した時に出会った故アイク生原さんに徹底的に教え込まれた「基本」をベースにどう勝つか「新しいことや調整方法などいろいろ考えてやってきた」独自の理論を組み合わせた結果だ。毎オフ訪れるワールドウイング(鳥取市)では初動負荷理論を学び、動作解析を見てはいい時の投球フォームを参考にした。創意工夫が山本昌を名球会投手へ育てたのだ。
 自身は「大きな故障がなかっただけで大した素質もない投手だった」と振り返る。それでも今の野球少年に自身の経験で良かったことを伝えるなら「キャッチボールをたくさんしたことかな」と答えた。
 いつもキャッチボールがアイデアをくれた。だからこそ若手への助言はいつもキャッチボールの時。代名詞ともいえるスクリューボールは米国留学時代にメキシコ人がキャッチボールで投げていたのをまねたことで取得した。
 「飽きっぽくないし、頑張ることだけはできた。何かを盗んでやろうと常に思ってやっている」

■次の目標は「2けた勝利」
 まだ進化へ吸収の余地は残っている。「アイクさんに見せたかった」と言う200勝はかなった。次は「今季2けた勝利」。そして未勝利の「(日本)シリーズで勝ちたい」。目標は定まっている。またキャッチボールから新しい目標へ再スタートを切る。(山本 剛史)

【写真説明】ファンの声援に応える山本昌

(2008年8月5日更新)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080505.html

粘りの投球 彼の野球人生のようだ

2008080505

 ■本紙評論家・平光清さん、山本昌を語る
 通算200勝を成し遂げた山本昌は1988年9月16日、ヤクルト戦(神宮)でプロ初完投初完封を達成した。同投手の原点ともいうべき試合の球審が本紙評論家の平光清氏。1965年から92年までセ・リーグ審判員を務めた同氏の目に映った山本昌はどんな投手だったのか。球審の目線から200勝投手を語ってもらった。
 米大リーグ、レッドソックスの左腕岡島が右打者の外角に落ちる変化球を投げている。「ドキドキボール」とか「オカドキボール」とか呼ばれている球だ。そのボールでメジャーの打者を封じ込む姿が、わたしに88年の山本昌を思い出させる。
 山本昌がプロ初完投を完封で飾った試合の途中、当時ヤクルトの監督だった関根潤三氏(現野球評論家)が、わたしの所へ来て「山本昌のボールはバッターの打てないようなコースにきているのか」と聞いた。関根監督は「ストライクゾーンが広過ぎるのではないか」と言いたかったのだろう。だがわたしが「こんなボールは見たことない。ストライクとボールをより分けるのに必死です」と答えるとベンチに戻っていった。その球が米国で覚えてきたスクリューボールだった。
 当時、このボールを投げる投手はいなかった。それを右打者のストライクゾーン外角ぎりぎり、低めに落としてきた。バットが出なかったのは無理はない。打者の手元で伸びる直球は実際の球速より速く感じたし、カーブの切れは抜群だった。
 若いころから、ピンチを背負いながらも我慢強く丁寧に投げる姿が印象的だった。88年のシーズン終盤になって米国修業から日本に呼び戻されたが、そのまま米国で投げていたらどうなったか。面白かったと思う。
 だが正直に言って200勝する投手になるとは思っていなかった。粘りのスタイルは山本昌の野球人生そのもののように思う。昨季は2勝10敗。残り7勝を取るのは大変なこと。200勝を目前にして挫折した投手は多い。投手のレベルが高い中日で先発ローテーションに入り、白星を積み重ねた。焦りや逃げる気持ちを抑えて、よく乗り越えたものだ。
 審判の判定に対しても我慢強かった。不満を示したことはめったにない。黙々と投げ続ける。判定には苦労させられたが好きな投手だ。心から、おめでとうと言いたい。

【写真説明】若いころからピンチを背負いながらも我慢強く投げる姿が印象的だった山本昌=4日、ナゴヤドーム

(2008年8月5日更新)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080501.html

井端がマサに攻守で恩返し

2008080501

 中日の井端弘和内野手(33)が4日、巨人戦で攻守に山本昌の通算200勝を後押しした。打っては今季4号ソロ本塁打を含む4打数2安打。「マサさんにイロハを教えてもらった」と言う守備でも好プレーを連発した。
 井端なりの恩返しだった。6回の三者凡退はすべて遊ゴロ。ヒットになりそうな打球を次々とさばいた。「こういう球を投げたら、こういう打球が飛ぶということを教えてくれた投手」。制球がいい山本昌は名手の育ての親だった。
 山本昌は井端について「何度も助けられた。ヒットだと思った打球の先にいるんだよね。総合的にいったら世界一のショートだと思う」と話したことがある。ベテラン左腕は自身の投球が育てた守備の職人に助けられ、偉業を成し遂げた。

■ナイン祝福のコメント
 立浪和義内野手兼打撃コーチ「マサさんも去年は苦しんだし、いまの野球で200勝は難しい。価値があると思う」
 谷繁元信捕手「横浜時代に対戦、すごい投手だと思った。きょうは回を追うごとに良くなってきた」
 中村紀洋内野手「今年中に絶対達成してほしいと思っていました。でもこれで終わりじゃないですからね。これからも後押ししていきたい」
和田一浩外野手「マサさんは僕が子どものころにスタンドから応援していた投手。それだけ長くやられているのだからすごいです」

【写真説明】4号ソロを放った井端

(2008年8月5日更新)

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20080805k0000m050107000c.html

中日・山本昌:通算200勝達成 最年長42歳11カ月で

 中日の山本昌(やまもとまさ)投手は4日、ナゴヤドームで行われた巨人戦で通算200勝を達成した。200勝は04年の工藤公康(当時巨人、現横浜)以来、プロ野球24人目。42歳11カ月での達成は工藤の41歳3カ月を上回り、最年長記録となった。中日からはフォークボールの元祖といわれる杉下茂(のち大毎)以来、球団史上2人目。
20080805k0000m050134000p_size5
完投で200勝目をあげた中日の山本昌投手
=ナゴヤドームで2008年8月4日午後9時
6分、小林努撮影

 現役投手で200勝に最も近い勝ち星を挙げているのは西武の西口文也投手(35)で155勝(4日現在)。先発ローテーション制が確立した近年、200勝はますます至難の業となっている。【村社拓信】

20080805k0000m050092000p_size5

【中日・巨人】力投する山本昌=ナゴヤドームで
2008年8月4日、小林努撮影

 ▽山本昌の話 (ゲームセット後、同僚に胴上げされる)こんなふうに投げられるのはそんなにないので感激した。緊張感はあったけど、たくさん来てくれたファンの期待に応えたかった。中盤からこの点差なら完投しなきゃいけないと思った。

 ◇宙に舞い涙

 最後までマウンドを守り抜いた。通算200勝目は、完封した昨年4月17日以来の完投で飾った。チームメートの胴上げには「うるっときた」と山本昌の目に涙が光った。

 「今季一番のピッチングだった」。カーブとスクリューボールで打者を惑わし、130キロ台の直球で空振りを奪った。中日OBでスポニチ専属評論家の牛島和彦さんは「スクリューボールが得意とされているが、右打者のインコースにきっちり直球を投げられるからこそ、変化球が生きてくる」と分析する。

 プロ25年間は山あり谷ありだった。入団から4年は鳴かず飛ばず。5年目の88年、米国留学をきっかけに飛躍を遂げた。数々のタイトルを獲得し、ノーヒット・ノーランも達成した。しかし、昨季は200勝を目前にわずか2勝止まり。「このまま駄目なら仕方ない」と弱気にもなった。それでも「常に進化していくという気持ちは持ち続けた」。ファームで若手に交じって汗にまみれ、復活につなげた。

 喜びのコメントの後には「今季は2けた勝ちたい。そして(未勝利の日本)シリーズで勝ちたい」と次々と新たな目標を口にした。11日に43歳になる左腕の歩みは止まらない。【村社拓信】

 ◇祝勝のひと言

 ▽中日・落合監督 今ユニホームを着ている中で、あいつの1勝目を見てるのは、ウーやん(宇野コーチ)とおれだけじゃないかな。(継投しなかったのは)代えられません。日本シリーズとは違う。日本シリーズはチームのもの、これは本人の記録。

 ▽西武・渡辺監督(山本昌とプロ同期) 同期の誇りです。この2、3年、勝てずに苦しんでいただけにうれしい。

 ▽ロッテ・小宮山(同じ65年生まれ) 苦しい時期を乗り越えての達成だけに、喜びもひとしおだと思います。自分のことのようにうれしい。

 ▽横浜・工藤 「今日は今日で、2けた勝利を目指す」というインタビューの最後の一言がチームを第一に考える(山本)昌投手らしく印象的だった。一緒に投げ合う日を楽しみに、オレも頑張ります。

 ▽中日でバッテリーを組んだ中村武志・横浜バッテリーコーチ 僕と山本さんは名古屋での巨人戦で育てられた2人なので、特別な星の下で生まれたような運を感じる。200勝に満足せず、さらに球界を盛り上げてほしい。

 【略歴】山本昌(本名・山本昌広=やまもと・まさひろ) 1965年8月11日生まれ。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。神奈川・日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日入団。背番号34。88年8月30日の広島戦(ナゴヤ)で初勝利。06年9月16日の阪神戦(ナゴヤドーム)で史上最年長の41歳1カ月で無安打無得点試合。登録名はチームに山本姓が複数いた時のものだったが、山本昌になって最多勝タイトルを獲得したことから、山本姓が1人だけになっても験担ぎで山本昌としている。

山本昌、200勝への軌跡より

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/m_yamamoto200/index.html

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/m_yamamoto200/3.html

Photo 

【中日1―0巨人】完封で初勝利を飾った中日・山本=ナゴヤ球場で、1989年5月27日撮影

***

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200601/CK2007031502100944.html

【ドラニュース】

山本昌、200勝必ず 恩師・高木時夫さんの死に決意新た

2006年1月24日 紙面から

 マサが天国に旅立った“オヤジ”に200勝を誓った-。日大藤沢高当時の山本昌広投手(40)の才能を見抜き、中日入りに導いた元中日スカウトの高木時夫氏が23日、原発性肺がんのため68歳で死去した。“球界のオヤジ”と慕った恩師の死に絶句しながらも、あと20勝に迫った200勝達成を誓った。

1983年12月、中日入団が決定し高木時夫スカウト(当時)と握手をかわす山本昌(右)=藤沢市の三笠会館で

Pk2007031502100945_size0

練習前訃報届く

 ショッキングなニュースは、練習前にメールで受け取った。関係者から山本昌あてに送られてきたメールには「高木時夫さんが亡くなりました」と書かれていた。

 何とか午前中の自主トレには参加したが、その背中にはショックの色がありありとうかがえた。

 「今は頭が混乱してます。どうしようということしか言えない。恩人なんで。あの人がいなかったら、今の自分はいないから」。絞り出す声が震えていた。

入団後愛のムチ

 山本昌にとって高木時氏は感謝してもし足りないほどの恩師。今でこそ甲子園出場経験がある日大藤沢高だが、山本昌がいた20年以上前は神奈川の新興勢力校。甲子園にも出ていない高校の左腕エースの才能を高く評価し、ドラフト指名を推薦したのが、当時の高木時スカウトだった。

 84年にドラフト5位で入団はしてみたものの、周囲のあまりのレベルの高さに戸惑う山本昌を叱咤(しった)激励したのも高木時氏だった。

 「励ますなんて、そんな生易しいものじゃなかった。『何をしとる、死ぬ気でやらんか』なんて会うたびにしかられてばかりいた。自分が入団させた選手を最後まで面倒みてくれた、スカウトらしいスカウトだった」と声を落とした。

「あの人がいなかったら今の自分なかった」

 なかなか結果が出ず、88年に米国への留学が決まった時も、背中を押してくれた。同年、シーズン途中で緊急帰国して5勝。チームのリーグ優勝にも貢献した。そのオフの挙式では、仲人を務めてもくれた。プロ入り、成長そして結婚と山本昌の歩んだ道すべてを導いてくれた、まさに球界における父親。

 「米国から帰って、初勝利の時に電話で報告をして以来、ずっと勝つ度に連絡をしてました。その度に『良かったな、良かった』って自分のことのように喜んでくれて…」。昨年、体調を崩したことは聞いていた。病床から山本昌の勝利を祈って、ラジオにかじりついていたという。

2人で追った夢

 積み上げた勝利は180勝。2人で夢見た200勝はあと2年もすれば手の届くところまできた。「お葬式に出たら『こんなところへ来てないで練習してろ』って言われそう」と遠くを見つめながら話した。今季は2年契約の切れる山本昌にとっては勝負の年。ことし活躍できなければ、来年はない。恩師に誓うのはまず今季、ローテーションの中心に復活すること。そうすれば大台も見えてくる。

 「天国で必ず見守ってくれているから。あと20勝、絶対に達成して、高木さんに報告します」。円熟のサウスポーが、悲願の200勝に向け、あらためて闘志をかきたてた。

残り20勝、天国に届け

 (青山卓司)

|

2008年7月20日 (日)

いつか見た光景

昨晩の中日対阪神戦ですが、なんか、2005年に、「南西対談」http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2005/SEindex.htm

コンビが、「愛・地球博」観光旅行の“ついで”に、その前日に興行されていた、対阪神二連戦の二戦目のデイゲームを、このブログに時々名前が登場するBULLYさん(当時、名古屋に長期出張中。あんときゃ大変お世話になりました。本人はこれから夜勤とのことで、名駅でチケットだけをいただき、悠然と去って行かれましたが)にチケットを取ってもらって観戦した時のことを思い起こさせました。

あれは、やはり、ちょうど今ぐらいの7月の暑い夏の日曜日で、中日が阪神に7ゲーム差ぐらい離されていて、名古屋の町も、中日関連では「シーン」となっている時でした。

その代わりに、当時は「愛知万博」で名古屋近辺は盛り上がっているときでしたので、市民の皆さんは、極力そちらに関心を向けていたようでした。

我々は、土曜日の朝に東京をのぞみで出発して、試合開始のちょっと前にはナゴドに着いていたのですが、やっているのは阪神の選手たちの打撃練習だし、球場全体に漂う気だるさに何となく気乗りがしませんでした。

私は、試合直前に行われる、チアドラのダンスやスピードガンコンテストなどのさまざまなイベントには目もくれず、ただひたすら、万博の見どころを説明する雑誌記事なんかを読みふけっていたら、突然、太鼓の音がドンドンと鳴り響き始めたので、ハッと我に返りました。

我々は、確か、1塁側の内野席に座っていたのですが、その音がした、遥か遠くのレフト側の外野席方面を見ると、黄色いTシャツを着た阪神・私設応援団のリーダーたちが、学生時代の応援団よろしく、一般の阪神ファンを巧みにリードしていて、1回表の攻撃がいつの間にか始まっていたことがわかりました。

ほら、普段のナゴヤドームで行われる中日ドラゴンズが主催するホームゲームだと、ビジターチームの攻撃のときは、少数の私設応援団の鳴り物が寂しく響き渡る中を、いかにも偉そうに米国人風の場内アナウンスで“PLAYBALL!”という声が鳴り響いた後に、本物のアンパイアが手を挙げて試合が始まるのが常ですが、阪神との試合のときには、そのシーンが阪神を応援する“騒音”で掻き消されてしまうのです。

何か、その時点で、その日に球場にやって来た中日ファンは、いつもとあまりに異なるその雰囲気に圧倒されてしまったようで、試合開始当初から静まり返っていました。

確か、先発投手は、当時のドラゴンズの左のエースを務めていた野口茂樹投手でしたが、既に、この頃から長期的なスランプに陥っていて、その試合も阪神打線にいいように打ち込まれて敗戦したことだけが記憶に残っています。

中日のあまりの不甲斐なさにショックを受けた我々は、本当は、観戦後はくたびれるだろうから、その日は市内でのんびりと過ごして、翌日の月曜日のみ、万博会場に出掛ける予定でしたが、何か気持ちの整理がつかず、急に思い立って、万博のナイトツアーに出掛けることにしました。

たしか、ナゴヤドームから万博会場に向かうほうが、名古屋市内の繁華街に戻るよりも近かったし、夜間割引で入場できるし(思いの外、試合が早く終わっちゃったし)というのも、それ以外の理由だったような気はしますが。

いわば、焼けのやんぱちで、ナイターでも行われている万博の“延長戦観戦”に出掛けたという感じでしたね。

おっと、たまたま、その時のチケットを保管していたことに気づきました。

R0010578

この、急遽思いついた夜間観戦のおかげで、万博会場の様子や穴場がよくわかり、翌日は非常に効率的に会場を見て回ることができて、大変有意義だったなあ。

さて、昨日の試合の感想を1つだけ。

時々思うのですが、ああいう試合は、審判のストライク・ボールの判定1つで、どのようにでもコントロールできるよなあ、というものでした。

つまり、その1球をストライクと言って三振とするか、四球として出塁させるかで、勝負の流れを簡単にコントロールできるような…。

もちろん、その判定が、中日に有利に働く時期もありますが、何か球界全体を覆う、そのときの“空気”に左右されているように感じられるのは私だけでしょうかね。

|

2008年7月19日 (土)

悲しき五輪シフト?

本日のトーチュウ第一面の見出しを見て、寂しく悲しい気持ちになったのは私だけではないでしょうね。

http://www.tokyo-np.co.jp/tochu/article/shimen/CK2008071902100002.html

もう中日は、北京五輪の野球デモに、球界最多の4人もHOSHINO★EXPRESS JAPANに“供出”して球界に“貢献”するのだから、星野ジャパンに積極的に協力する中日系新聞を買ってね、という形でしか中日ファンの関心を引くことができない、ということのようですね。

第2面の「龍の背に乗って」でも、渋谷キャップが、こんな感じで冷やかにコラム記事を締めくくっていますし…。

---------------------------------------------

  「見どころは9回だけだったな。お互いに。9回だけ見てりゃ、お客さんはおもしろかったっていう試合だった」

  岩瀬から4安打放った阪神。藤川に冷や汗をかかせた中日。それをこう締めくくったのが落合監督だ。冷静にゲーム差なんか考えてたら、野球が楽しくありません。だって竜虎対決、これで5連敗なんだから…。(渋谷真)

---------------------------------------------

もう、2人(落合vs渋谷)の関係は完全に冷え切っているということですね。

ペナントレースより、北京五輪の星野ジャパンで活躍する、4人の星野チルドレンに注目せよ! ということのようです。

なんだかなあ…。

|

2008年7月12日 (土)

案の定

2008年7月12日(土)08時35分19秒

昨晩のケンシンは、見事に石川に二塁打を打たれてましたね。

3回表の先頭打者が、ピッチャー石川だったので、たぶん、油断しまくりのケンシンがきっちり打たれるだろうなと覚悟すれば予想どおりの展開に。

ついでにいえば、8回表にケンシンが勝ち越し打を打たれたのは、石川が降板して、奴に勝ち星がつかないことが確定したので張り合いがなくなったために気が抜けたからだと思います。

ケンシンに対して敵愾心剥き出しでかかってくる石川に対して、極力平静を装うのがケンシンのプライドでしょう。

とはいっても、やはり奴に負けるのだけは悔しい。

そんな状況で、味方が2点差を追い付いてくれて、石川をマウンドから引きずり落としてくれたのが、逆に仇になったのかもしれません。

逆に、石川が続投してくれていれば、ケンシンの負けん気に火がつき、勝ち越しを許さなかったかもしれません。

まあ、野球にタラレバは禁物ですが、カモネギは付き物ですからね。

ほんとに、試合展開とは微妙なものです。

もう、中日ファンの関心事は、果たして、不倫騒動でお騒がせ男となった二岡をうちが獲得するかどうかだもんなあ。
   
ケンシンの言葉を借りれば、4失点のどこが悪いのですか!

でしょうね。

もうやってられませんわ。

メジャーに行ったる。

そんなところかな。

|

2008年7月11日 (金)

リスペクトとライバル心

2008年 7月11日(金)15時18分27秒

昨晩の広島対中日の“死闘”は、仕事が多忙を極めたが故のとある「事情」で、結果的には、試合開始から終了までを、スカパーの映像でしっかりと見届けることができました。

序盤に7点という大量リードをしたにもかかわらず、あのような展開になることを、私“も”ある程度覚悟していました。

それは、先発投手が、プロ入り2回目、今季初登板であり、いまだ未勝利だった佐藤亮太であったこともそうでしたが、何となく、底知れぬ不安を伴った雰囲気が、試合の序盤から漂っていたからかもしれません。

ひょっとしたら、落合監督もそれを覚悟していたのかもしれないと思いました。

だから、試合の序盤に大量6点リードした時点でも、敢えて3番森野にスクイズを命じたのかもしれません。

そして、そのように指揮官が覚悟した試合だからこそ、7点差を追いつかれた後に、最終的には中日が勝てたのだと思います。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080710

スカパー中継は、地元局のテレビ新広島(TSS)の製作によるものでしたが、ゲストには、なぜか中日ファンのDJ、SEAMOが呼ばれていました。

試合の途中でその理由が明らかになりますが、8月23日に、広島サウンドマリーナという会場でミュージックフェスティバルが開催される予定で、そこにはSEAMOをはじめとするミュージシャンやDJが出演するので、その「番宣」を兼ねてのことだったようです。

http://www.sunmari.jp/artist/artist.php#05

もちろん、TSSも主催者に名を連ねていました。

http://www.sunmari.jp/guide/summary.php

試合の方は、最初は中日の楽勝ムードだったのが、途中から広島が反撃を開始すると、TSSのアナウンサーと達川とで、SEAMOに対して、ネチネチと、真綿で締め付けるように彼の不安を煽っていましたが、結果的にもそのとおりの展開になりました。

ところが、後半7回表、中日の唯一のチャンスといってもよかった二死満塁の場面で、代打に立浪が告げられると、「キミは立浪のファンなの?」と達川が訪ねると、「もちろんそうですよ。」と、何をいまさらそんなことを聞くのと言いたげに答えるSEAMO。

そのあと、しばしの沈黙が流れましたが、実は、「自分もそうなんだよ」と、さぞかし言いたかったであろう達川でしたが、テレビ新広島の解説をやっている手前、そうは言えないのがもどかしかったのか、素直に立浪が好きと言えるSEAMOがうらやましくてしょうがない様子がわかり、大変面白かったですね。

元々、達川はことあるごとに立浪のことを誉めこそすれ、くさしたことはいっぺんもなく、ある時のコメントで、「立浪選手は、○○とおっしゃっていましたけどね。」と、“敵国”放送の同局の実況中継でも、知らず知らずのうちに敬語で解説していたこともありました。

それ以外にも、たとえば、自分がカープの監督をしていた時には、当時高卒で入団してきた東出に対しても、「彼は立浪2世になれる素質を持っている。」と、いち早く、自分の願望を口にしていたほどで、彼の守備が安定していないのにもかかわらず、立浪が高卒で入団直後に確保したショートのポジションを与えたほどでしたしたし。

たぶん、今回の番組終了後に、密かにSEAMOに、「実は、ワシも立浪が一番好きな選手なんじゃよ。カープの放送の手前、放送では言えんかったけどね。」と告白したかもしれませんね。

そういう、達川の「立浪リスペクト」についての、過去の「南西対談」の決定的な証拠を探そうとしましたが、結局は発見できず、代わりに、達川の「落合監督リスペクト」の証拠が見つかりました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2005/2005SE04.htm

ただし、昨日の解説で、達川は、落合采配の限界をさかんに強調していましたので、私は、達川にとって、「落合リスペクト」より「立浪リスペクト」のほうが遥かに上位に来ているものと思っています。

まあ、そういう風に、最近は落合采配限界説が、球界に流れてきましたが、それとは全く別の次元で、落合監督は采配を揮っているような気がしてきました。

つまり、もう目先のリーグ優勝や、CSを勝ち抜いての日本シリーズ出場をあまり重視しなくなってきたというのが本音でしょうね。

もちろん、現在のチームの指揮官としての立場上は、まだリーグ優勝を諦めてはいませんし、もし、CSへの出場権を獲得したら、昨年のようにベストを尽くすとは思いますが、それとは全く別次元の「課題」を、敢えて選手たちに課しているような気がします。

つまり、一言で表すとしたら、

「自分自身の限界を突破してみろ。」

たぶん、そう言いたいからこそ、ファンから見れば、「この選手はあんなに疲れているのにまだプレーさせるのか。」という文句の1つも言いたくなる采配をしているのでしょうね。

一方、昨日の試合で延長戦に入り、10回表の先頭打者のタイロン・ウッズが勝ち越し本塁打を放った後にもチャンスが広がり、一死三塁の場面で、敢えてスクイズを見破られることを覚悟で敢行し、失敗したシーンについて、中スポの渋谷真キャップが食い下がったところ、落合監督の発言には納得しかねる点があると言っていました。

------------------------------------------------------------

「龍の背に乗って」(抜粋)

…7回には守備が乱れてとうとう同点。野球に“流れ”というものがあるのなら、もう勝てるはずがない展開である。そこから浅尾でしのぎ、長峰が踏ん張って、ウッズのひと振りで勝ち越す。それもまた野球。こんな展開、誰が予想する?

「予想? してたよ。だから(4回の)7点目を森野のスクイズで取りにいった(結果はファウル)んじゃないか」。落合監督は事もなげにこう言った。さらに、こうのたまった。

「2回目のスクイズは、オレ(が敵の監督)なら4球とも外す」

勝ち越した延長11回表、なおも一死三塁から英智にスクイズを命じた。外されて空振り。走者も死んだ。だが、ピッチド・アウトをわかっていてなぜ?

「岩瀬は2点差より1点差の方がいいんだもん」。

は?

疲労困憊のロングゲーム。向こうのいい間違えか、それともこちらの聞き違えか…。

確かめたらもう一度うなずいた。

「こういうゲーム展開での岩瀬の投げっぷりを見たら、2点差になるのは嫌だった」。

要するに、追加点はノーサンキューということになる。理解はできるが、納得は…。

ともあれ、反省は山ほどあるが、最後に勝った。

勝利こそが救いとなり、覆い隠してくれる。(渋谷真)

------------------------------------------------------------

渋谷キャップの、かなり批判めいた「コラム」を読んだとき、私も、最初は、落合監督独特の、ちょっと天邪鬼的なものの言い方かなと思って、その話を受け止めていましたが、ひょっとしたら、こういうことなのかもしれません。

その裏に、抑えとして、久々に登板する岩瀬にとっては、ソロホームランで同点に追いつかれる危険性がある1点差より、このチャンスを生かしてもう1点追加して2点差にしておいたほうが、はるかにリスクが少ないと考えるのが当たり前ですが、落合監督は、岩瀬にそのような状況を作ってあげるほうが、かえって、ナインも含めて緊迫感が失われて油断するのではないか。

だとしたら、敢えて、スクイズを失敗してみせることによって、次の裏の守備について、岩瀬を含めた選手たち全てを死に物狂いで守らせたほうがかえって安全なのではないか。

これも、一種の、選手たちに対する「限界への挑戦」なのかもしれません。

そう思ったのは、彼が初めて監督となった2004年の開幕三連戦で、川上ケンシンが延長戦を投げ抜いて勝ち投手になった試合を思い起こさせたからです。

それまで、ケンシンが延長戦に入って、さらに150球以上投げさせられることはなかったはずです。

あの、厳しさで定評のある、星野仙一が監督をしていた時ですらそうでした。

あの試合のケンシンは、最後は速球の球速表示が130キロ代に落ちても投げさせられていました。

あの試合以降、落合監督はケンシンにそのような投球を要求してはいませんが、そこで彼の「限界」を見極めたかったのかもしれません…。

さて、本日の中日は、ヤクルトとの闘いですが、先発投手は、川上対石川が予想されますね。

石川は、昨日の先発もあり得たのに、たぶん、本人のたっての希望でケンシンに挑んでくるのでしょう。

石川は、自分がどんなに活躍しても、ケンシンがマスコミに注目を浴びることが悔しくて悔しくてしょうがないのでしょう。

それは、たんに人気の六大学出身のエースケンシンと、実力の東都大学リーグ出身の自分に対する扱いの違いに対するものなのか、それともケンシンのみが醸し出す“世界観”に対するものなのか。

なお、石川が人知れず自分に闘争心を燃やしているのを知ってか知らずか、ケンシンは極力淡々と対応すると思いますが。

集団戦の趨勢が、かなり、戦国の世に終わりを告げた、関ヶ原の合戦後の“徳川政権”に似てきた阪神に傾いてきた今日、個別の武将同士の一騎打ちに注目するのも一興かと思います。

|

2008年7月 5日 (土)

テイスト・オブ・ハニィ?

2008年 7月 5日(土)00時43分52秒   

久々に心ゆったりと終電で帰宅できます。

このところ、終電で帰れれば御の字という仕事状況が続いておりましたが、この3日間はあまりの忙しさで、中日の試合の詳細をほとんど記憶していないのですが、地上?では、対阪神三連戦の初戦で、9回裏にイ・ビョンギュさんの赤兎馬プレー((c)東山にしこ氏。しかし、さすが熱烈歓迎ファンの人はうまいこというなあ。)が飛び出してグッバイ・ベースボール(違)をやられるなど、いろいろなことが起きていたのですね。

まあこれが、北京五輪が終わっている頃にはどういう状況になっているのかが見物ですね。これ以上は悪くなりようがないだろうし。

中日は、阪神に極端に弱いだけで、他のチームに対してはそこそこ勝つから、むしろ始末に負えないんですけどね。

ある意味、ベンチが半ば確信犯的にイ・ビョンギュ元・赤兎馬選手を起用しているのは、現時点ではチームの本当の力を出し切らないように“調整”するための、いわば拘束具(エヴァンゲリオンでいうところの)の役目をしてもらっているのでしょう。

そして、森野や井端が復帰して、来週からは洞爺湖サミットで40年振りにギララが地球に来襲して大騒ぎになりhttp://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2008/01/3250/index.htm

さらに名古屋では、ナゴヤドームで8月20日から「世界妖怪サミット」が開催されるので、中日の親会社は本物のサミットどころじゃないし…。

http://yokai-dome.com/outline/index.html

やがて、いよいよ北京五輪が始まり、ビョンギュさんも晴れて韓国代表として召集されれば、大手を振って(?)ベストメンバーで戦うことができるようになるので、そこで本気モードで勝ち進み、阪神にプレッシャーを掛ける。

今シーズン、阪神は今まで全くと言ってもいいほど不調の時期がないだけに、かえって後半戦に息切れして大型連敗をするかもしれず、そのいっときが勝負となるという首脳陣の読みかもしれません。

そのときに大型連勝をしたチームが“ミラクル”を起こせるという筋書きでしょうか。

もちろん、そのチャンスは中日だけでなく、横浜以外のチームすべてにあるともいえますが。

まあ、職業野球とはそういうものでしょう。

ところで、なかなか波に乗れない中日ですが、結局、昨年の終盤に非常においしい思いをしてしまったことに原因があるのかもしれません。

いくら落合監督が、「CSは眼中にない」と発破をかけても、選手たちの身体には、昨年のポストシーズン・ゲームで覚えた甘い誘惑が染みついていますからね。

確かに、昨年のペナントレースでは、終盤に讀賣ジャイアンツにリーグ優勝をかっさらわれて悔しい思いをしましたが、その後に行われたクライマックス・シリーズで、オール阪神巨人に5連勝して日本シリーズ出場権を勝ち取り、その勢いをかって、北海道日本ハムファイターズまでをも撃破して54年振りの日本一を勝ち取ることができたのですから。

そのこと自体はめでたいとしても、それじゃあ、あの厳しい練習に明け暮れたキャンプから始まり、死力を尽くして戦ったペナントレースの奮闘努力はいったい何だったんだということになりますよね。

極論すれば、ペナントレースは阪神さんに目一杯頑張って走ってもらいビール掛けで腑抜けになってもらった後に、リーグ戦終了後に行われるクライマックス・シリーズに2位で進出できる権利を確保しておきさえすれば、今年から1勝分のハンディが付けられるとはいえ、その短期決戦にだけ集中して頑張って勝ち抜けば、簡単に栄誉を受けられる。

そのこと自体が非常に虚しいと頭ではわかってはいても、身体が、昨年のおいしい蜜の味を知ってしまった以上言うことをきかないというのが実態なのかもしれません。

大体、蜂蜜という食品の成り立ちが、本来は、働き蜂が、自分たちの女王様のために身を粉にして花の間を駆け巡りながらやっとの思いで蜜を集めてきたのを、「はい、ご苦労さん」と、人類とクマのプーさんが横取りするシステムで作られている商品であり、その有り難みをつい忘れて、その滋味だけを甘受しているところが間違いのもとともいえるでしょうね。

まあ、昨年は、蜂蜜のおいしい味をたっぷりと味わったので、今年の前半は、虎ん蜂に身体のあちこちをチクチク刺されて目を覚ますぐらいがちょうどいいのかもしれませんが。

ただし、私は蜂蜜が非常に好物で、特にスタバの「本日のカフェ」ショートサイズ(これだけは、ショートサイズなのにトールと同じ分量ですし、ほとんどが甘ったるすぎるともいえるスタバ商品のうち、唯一、苦み走った男らしい味がする商品なのです。)に、コンディメントバーで、タダで入れられる蜂蜜とシナモン、ミルクをたっぷりと入れて、オリジナル・ブレンド・ハニィ・ミルク・カフェを飲むのがマイブームですが。

『スタバではグランデではなくて、ショートの「本日のカフェ」を買え!』という本を書きたいぐらいですが、何か。

はて、何の話でしたっけか。

あ、そうそう、そういう意味では、この、クライマックス・シリーズは、長期的に見れば、中日ドラゴンズにとって、非常に危険な罠になるという話をしたかったのでした。

今季も2位か3位でクライマックス・シリーズに出場して、万が一優勝してしまったら、もう二度とリーグ優勝を目指さない身体になってしまうかもしれませんから。

|

2008年6月23日 (月)

忘れ物は何ですか?

昨晩の小池正晃選手に教えられました。

中日ドラゴンズは、選手もファンもある忘れ物をしていたようです。

それは、日本一、いやアジア一となった栄誉と引き換えに忘れ去られていった物ともいえます。

つまり、我々は日本シリーズのチャンピオン、そしてアジアシリーズのチャンピオンとなった瞬間から、ちょっと格好悪いことはできないなという“驕り”の精神をつい保持してしまっていて、小池選手が一昨日と昨日に身を持って示してくれた、がむしゃらさやひたむきさをいつの間にか忘れていたように感じました。

あの、プレー中はにこりともせずにしゃにむに白球を追いかけ、ファーストベースに無我夢中でヘッドスライディングする小池選手の姿は、紛れもなく1999年のリーグ優勝に貢献したファイトマン“ジャガー”関川浩一を彷彿とさせました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest990808.htm

そうだ、中日ドラゴンズに移籍してきた選手に対して、移籍した当初は個別の応援歌がつかないのが通例ですが、彼には関川選手の応援歌をあてがってあげてもいいんじゃないかな。

それぐらいのインパクトを、彼は今のチームにもたらしてくれましたね。

だいたい、このところ、不振を極める打撃陣の中でなんとか及第点の結果を出してきたのは、FA移籍1年目で、とにかく結果を出さないと何を言われるかわからないので必死にプレーする和田一浩外野手と、昨年の育成枠採用から這い上がってレギュラーポジションをつかんだものの、年俸は全盛期に比べればはるかに“薄給”となってしまい、家族を養うために死に物狂いで働かなければならない中村紀洋内野手の2人のみ。

結局は外部からドラゴンズに入ってきた、いわば“外様”のベテランのみが目立ち、ドラゴンズ生え抜きの親藩・譜代、旗本・直参の中堅や若手選手たちは、ちょっとのんびりと構えすぎていたと言われても反論できない状況でした。

それを象徴するようなシーンが、やはり昨晩の試合の守備で見られました。

6回表の無死一塁のピンチで、ロッテ今江のサードとレフトの中間地点のファールフライを、フェンスに激突しそうになりながら、さらにお互いに膝小僧をぶつけながらも打球を必死に追いかけていったのが、中村紀洋と和田一浩の移籍組両ベテラン選手であったことが、いみじくもそれを証明していました。

考えてみれば、小池選手が属していた横浜ベイスターズは、前回優勝した1998年以来、10年間ずっと中日ドラゴンズに煮え湯を飲まされ続けているわけですし、最近は異様に中日ドラゴンズに敵愾心を燃やす阪神タイガースも、そして、昨年、久し振りにリーグ優勝を達成したのにクライマックス・シリーズでドラゴンズに3タテを食らって、本拠地東京ドームの満杯の観客の前で赤っ恥をかかされた讀賣ジャイアンツも、今年こそはドラゴンズの寝首を掻いてやろうと、虎視眈々とその機会を狙っているのです。

そんな状況の中で、我々だけが日本一の余韻に浸ってのほほんと暮らしていたことがよ~くわかりました。

小池正晃という新たな起爆剤によって、ようやく目覚めた落合竜が、後半戦でどのような巻き返しを見せるのかを、我々ファンも、再度気持ちを引き締め直して、期待を込めて見守っていくことにしましょう。

|

2008年5月30日 (金)

困ったときのファックン頼み?

中日がボロ負けして、ドラファンが怒り心頭に達しているときには、トーチュウ第1面に、メジャーで活躍する福留のことを報道すると、そっちに関心が移るという、車や競馬に替わる新たな選択肢を中日新聞系は見つけたわけで、今後も中日のベテラン選手にはどんどんメジャーに流出してもらったほうがうれしいのでしょうね。

そのほうが読者層が広がり、新聞も売れますしね。

まあ、福留自身からすると、自分のエラー気味の内野安打が、まさかトーチュウの第1面を飾っているとは、つゆ知らずなことでしょう。

それも、なぜか、わざわざローマ字でFUKU DOMEと綴るものだから、あやうく禁断の四文字を間違って印刷したのかと思い、あせってしまいました。先入観とは恐ろしいものです。

昨日の敗戦後の落合監督のコメントを、珍しく大々的に報道していましたが、「勝ち負けの責任はオレらが取る」というニュアンスのところだけ、大きなカラーフォントで強調され、要するに、活字を読むのが苦手な選手たちにもよくわかるように、目立たせたのでしょう。

確かに、ナゴドでの主催試合が2カード続き、難関と思われた、対ソフトバンク戦が、なまじっか2連勝だったものだから、パ・リーグ最下位に低迷するオリックス相手には、悪くても1勝1敗では終わるだろうと思っていたら、2連敗のうえに両方とも大量失点を喫する完敗と、そのショックは、球団だけでなく、親会社やファンにも動揺が広がっているということでしょうね。

これだから、野球はやってみなければわからないということでしょうか。

●本日のレコーディング

モーニングプレート(ハニートースト、スクランブルドエッグ、ベーコン、ヨーグルト、キャロットジュース、アッサムティー)


多忙のため、久々に昼抜き


仕事で一区切りつけた自分へのご褒美として、若鯱屋で“豪遊”
牛すじ土手味噌煮込み、鯱風きしめん

|

2008年5月29日 (木)

朝倉氏没洛中・・・。

若殿様こと、朝倉氏没洛中・・・のようですね。

結局、ますます切支丹バテレンに対する苦手意識が増幅されているような。

本日の試合は中継ぎではなく、先発で登板したということは、これで結果が出なければ二軍落ちもやむなしということかもしれませんね。

本日のトーチュウ(中スポ)の安藤友美記者の「ドラ番記者」の朝倉に対するエールが、結局は“予定稿”になっちゃったしなあ。

一方、同じく本日のトーチュウ(中スポ)の「CD夢を追いかけて」のコーナーでは、打撃投手で中日OBの山田喜久夫氏への取材記事が掲載されていましたね。

相手を務めるバッターからスローボールを要求され、その直後に普通の直球を再び投げようとすると、どこに行くかわからない珠を投げてしまうんじゃないかという恐怖心が芽生えて、打撃投手としての選手生命の危機が訪れてしまうこともあるなど、なるほどなあという感想をもちました。

その記事では、落合監督の著書『プロフェッショナル』での「打撃投手は球団の財産である」という言葉も紹介されていました。

是非とも、現在、中日打撃投手陣12人衆の1人である鶴田君(本来はカープファンなのに、広島に移籍した鶴田のファンになってしまったばっかりに、いまだにバッピーとして投げる彼の姿をひとめ見ようと関東の球場にやって来る中日の試合の打撃練習だけを観戦に訪れる、熱狂的な鶴田ファンを私は知っていますが)にも読んで聞かせたい言葉ですね。

落合監督のすごいところは、こういった言葉を本当に実行してしまう、有言実行力をもっているところですね。

つまり、たとえ経費増加になってもそれ以上の効果が期待できることを経営陣に訴えて、それを認めさせてしまう力をもっているということです。

|

2008年5月28日 (水)

阪神も負けたことをよしとするしか

2008/05/28(水)23:44
阪神も負けたことをよしとするしかないですね、本日の、対オリックス戦での敗戦は。

山本昌は、オリックスというより、西武に対するコンプレックスを払拭できずに負けたという感じですね。

本日も、元西武のカブレラに3打点を許したわけで、西武の“影”におびえてたということになるかな。

とにかく、1988年、2004年の日本シリーズでも、山本昌は西武に勝てなかったし、2005年から始まった交流戦でも、西武との対戦成績は分が悪いはず。

実は、岡本真也投手も西武が苦手で、そしてとくにカブレラに対しては、異様に苦手意識を持っていたんです(2004年の日本シリーズ第3戦での、谷繁が満塁弾を打った直後に岡本がカブレラに満塁返しされたり、2005年の西武ドームでの交流戦の第1回戦では、やはり岡本がカブレラにサヨナラ本塁打を打たれたし)が、彼が西武に移籍して、中日はその被害を被らなくて済むようになったのですが、岡本自身は、今度は対オリックス戦で、相変わらずカブレラにボコボコに打たれていたからなあ。

やはり、相性ってのは、運命的なものですよねえ。

●本日のレコーディング

フレンチトースト、ビフィズス菌飲料(大瓶)


青梗菜とタラバガニのとろみあんかけ、春巻、サツマイモの煮物、スープ、お粥セット


オフィスグリコのプレッツェル類、野菜ジュース

|

2008年5月27日 (火)

★野ジャパンについての夢想妄想

2008/05/27(火)16:40
★野ジャパンの投手陣を考えると、明大OBはテッパンで選ばれるでしょうね。

そうなると、川上ケンシンと小笠原はまず引っこ抜かれるでしょうね。明大の後輩はワシが育てたので無理をいってもそれをきいてくれるはず。

あと、中日では岩瀬、阪神では藤川と久保田かな。ワシが育てたからね。

ということになると、阪神は、ジェフは豪州代表だろうから、JFKがみんなもって行かれることを恐れているのでしょうね。

でも、阪神に優勝してもらいたい★野としては、あえて久保田をはずすかも。

今年も中日が優勝してしまうと、またもや落合監督に名を為させてしまうことになり、自分の中日復帰の目がなくなるのはいやがるでしょうね。

オーナーが替われば、中日復帰の可能性が全くないとはいえないので、安全策として残しておきたいはずだから。

野手では、赤★と鳥谷は決まりでしょうね。

中日では、ひょっとしたら井端ははずされるような気がする。憎き落合の信子夫人と親しすぎるので。

一方、荒木はワシが育てたので間違いなく連れていくでしょう。

出身校と、★野政権時代に彼がその選手をどう扱っていたかで、選ばれるかどうかが決まるんじゃないかな。阪神と中日の選手についてはね。

|

2008年5月26日 (月)

よっぽど北京五輪が怖いんだねえ。

2008年5月26日(月)22時57分

阪神さんは。

でないと、こんなに死に物狂いで勝ち続ける必要なんかないんじゃないの。

あまりに好調だと、そのチームからたくさんの日本代表選手を選ばなければならないのが、一応の筋というものでしょうに。

そうなると、主力をごっそりと星野ジャパンに“供出”したチームは、極端な戦力低下を覚悟しなければならないので、今のうちにしっかりと貯金を貯めこんでおこうという目論みかな。

でも、まあ星野阪神SDさんが、そのへんをどう解釈して、他チームから貴重な戦力を引っこ抜くつもりなのかは知らんが。

ところで、ナゴドのホームチーム主催試合とはいえ、ソフトバンクに両方とも1点差で2連勝するとは思いませんでした。

とくに2試合目は、向こうがエースの和田で、こちらがかろうじてローテーションを守っている小笠原だったので、投手の「格」の上では不利だなと覚悟していたら、向こうの打線が打ちあぐねるのだから不思議ですね。

まあ、このあたりが交流戦の妙で、有名な選手は、とにかく交流戦の前から先乗りスコアラーたちにマークされていて、弱点を分析されていたりするわけですが、かろうじてローテーションを守っている投手あたりについては、自分のチームの対戦時に投げてくるかどうかわからないので、せっかく分析してもローテからはずされたりしたら、分析した努力が水泡に帰すので、案外ノーマークになるんじゃないかな。

そうすると、打者もいきなりデータ無しで対戦することになって、面食らっているうちにイニングを重ねてしまい、とうとう得点できなかったりする。

一方、たとえばうちでいえば川上ケンシンや中田あたりだと、自分のチームが当たる確率も高いし、既に、そういうデータを分析する専門の会社には、かなりのデータが蓄積されているはずなので、お金で解決すれば、それを入手して分析することもできるしね。

和田投手の投球術なんかは、市販の書籍でそれを分析した本が出回っているくらいだから、もっと詳細なデータを専門業者はもっているに違いないでしょうね。 

|

2008年5月24日 (土)

明日は弱い者同士の対戦?

まあ、「ダイエーの王監督」の采配も酷かったんじゃあないかな。

中日があまりに弱いんで、阪神が1点差で負けるところを見てやろうと、ちょうどスカパーのチャンネルを回したところ、9回表の二死満塁で、赤星が逆転タイムリー安打を打った直後のシーンだったらしく、湧きかえる阪神ファンが陣取る外野席とともに、悔しそうに唇を噛む王監督のアップ映像が。

まるで、あなたの、抑え投手のプライドにこだわりすぎる采配が、こういう結果を招いたんですよ、と地元のテレビ局がそれを非難するような意図が画面から伝わってくる、アップ映像でした。

それにしても、うちは北海道で弱いなあ。

2006年と2007年に開催された日本シリーズでも、彼の地で勝ったのは中田賢一ただ1人。

そういう意味では、本日の先発投手を中田と予想して、「敵地で川上と中田で2つともいただきだ!」という内容の記事を書いて、中日ファンを煽って新聞をたくさん買わせようとする中日系新聞の意図はわかりますが、現実があまりに違うので、かえって怒りが倍増するんだよねえ。

まあ、冷静に考えれば、たとえ敵地で勝っても興行収入は、球団承認グッズのライセンス料など、雀の涙程度なのに対して、翌日の日曜日には地元に帰って、莫大な売上が見込めるゲームが控えているのだから、そちらに中田をもってきて、がっぽり儲けるという算段のほうが理にかなっているのは当然でしょう。

ただし、もちろん、中田がその試合で好投して、逆転負けの後遺症が残る偽ダイエー球団をこてんぱんにノシて、それを観たドラファンが溜飲を下げて、財布の紐が緩んで、帰り道でドラゴンズショップやイオンショッピングセンターで“散財”してくれないと、この“賭け”には勝ったことにはならないわけですが。

しょうがないので、スカパーで、さいたま西武対讀賣戦のリピート放送をやっていたので、讀賣さんもパ・リーグ球団にボロボロと負けるのを“観賞”していたら、お立ち台には、8回表の一死三塁のピンチをしのいだ岡本真也投手が、先発の帆足とともに上がりました。

インタビューでは、「ライオンズに来て、初めて勝ちに貢献できたといえる仕事をすることができました。」というような趣旨の、非常に謙虚な発言をして、ファンの喝采を浴びていました。

よかったね、岡本選手。

まあ、このトレードについては、お互いの選手がきちんと活躍しているので、結果論的には良いトレードとはなりましたね。

ただし、中日には、しっかりとした中継ぎ右腕がいまだに現れない“ブラックホール”が発生したままですが。

早く帰ってきて、すーさん!

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200805/CK2008052302000062.html

|

2008年5月22日 (木)

なるほど、旧人類的なやまさきせんしゅ

2008年5月22日(木)14時35分

楽天のやまさきは、名古屋やドラゴンズに対する愛が強すぎるからこそ、妙に力んでしまって、思ったような結果が残せないのでしょう。

とかく、自分の思い入れの強さに大きく左右される“旧人類”の良さであり悪さでもありますね。

一方、同じドラゴンズOBでも、鉄平や川岸などは、ドラゴンズでは思ったような活躍ができなかった分、ドライに割り切ってプレーに徹することができるので、良い対戦成績を残すことができるのでしょう。

いわば、きわめて“新人類”的な発想ですね。

まあ、本当の「新人類世代」はとっくの昔におじさんやおばさんになってしまっていて、本来の意味とは異なるけど。

今は、ゆとり教育を受けた世代が大学を卒業し、いよいよ新入社員として入社してきて、さまざまな波紋をビジネス社会に投げかけているらしい。

その代表が、沢尻エリカや上田桃子に代表される、空気を読めずに問題発言を平気でしてしまう世代ということになります。彼女たちは、自分たちの才能を発揮して社会に出るのが早かったので、波紋を投げかけたのも早かったし、その“さきがけ”となったという分析があります。

「日経ビジネスアソシエ」のサイトで、その点を扱った非常に面白い連載が始まっています。

「ゆとり世代との付き合い方」というタイトルのWeb上の連載だったかな。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080326/151309/

事例がなかなか面白いし、イラストも今風でウマイし。

|

2008年5月20日 (火)

よっぽど北京五輪が怖いんだねえ

2008/05/27(火)00:57
阪神さんは。

でないと、こんなに死に物狂いで交流戦を勝ち続ける必要なんかないじゃない。

あまりに好調だと、そのチームから多数の日本代表選手を選ばなければならないのが、一応の筋というものでしょうに。

北京五輪で、星野ジャパンから、阪神の選手が大量に引っこ抜かれて、ペナントレースを戦力ダウンした陣容で戦わなければならなって、万が一失速しても大丈夫なように、今のうちに貯金をためこんでおこうということなのでしょうか。

まあ、星野阪神SDさんが、そのへんをどう解釈して、他チームからも貴重な戦力を引っこ抜くつもりなのかは知らんが。


ところで、ナゴドのホームチーム主催試合とはいえ、ソフトバンクに両方とも1点差で2連勝するとは思いませんでした。

とくに2試合目は、向こうがエースの和田で、こちらがかろうじてローテーションを守っている小笠原だったので、投手の「格」の上では不利だなと覚悟していたら、向こうの打線が打ちあぐねるのだから不思議ですね。

まあ、このあたりが交流戦の妙で、有名な選手は、とにかく交流戦の前から先乗りスコアラーたちにマークされていて、弱点を分析されていたりするわけですが、かろうじてローテーションを守っている投手については、果たして自分のチームの対戦時に投げてくるかどうかわからないので、せっかく分析してもローテからはずされたりしたら、分析した努力が水泡に帰すので、案外ノーマークになるんじゃないかな。

そうすると、打者もいきなりデータ無しで対戦することになって、面食らっているうちにイニングを重ねてしまい、とうとう得点できなかったりする。

一方、たとえばうちでいえば川上ケンシンや中田あたりだと、自分のチームが当たる確率も高いし、既に、そういうデータを分析する専門の会社には、かなりのデータが蓄積されているはずなので、お金で解決すれば、それを入手して分析することもできるしね。

和田の投球術なんかは、市販の書籍でそれを分析した本が出回っているくらいだから、もっと詳細なデータを専門業者はもっているに違いないね。

|

2ちゃんの人の言語感覚

2008年 5月20日(火)00時00分9秒   
本日の東スポによれば、先日の延長戦でカープに負けた讀賣のロッカーに、「悲G ワロタ」(もちろん、カナジイと読みます)という2ちゃん用語で書かれたメモ書きが落ちていて、それを知った関係者は、激怒した人半分、気味悪がった人半分だったそうです。

しかし、2ちゃんの人、よくこんな語呂合わせのような言葉考えつくよなあ。

|

2008年5月19日 (月)

すべてかゼロかのデジタル思考?

2008年5月19日(月)12時30分
トーチュウは、和田のことになると、「輝く人」などと、平気で身体的なことをネタにする見出しを一面にも使う報道姿勢が笑えますね。

その一方で、中日のある主力投手のことなどについては、腫れ物に触るような報道をするのとは対照的に。

完全に無くなっているのならOKで、少し無くなっているのはNGなのかい!(何が?)

|

2008年5月18日 (日)

ワダさんのお陰さんで

2008年 5月18日(日)18時08分
なんとかサヨナラ勝ちとなりましたが、

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080518

一昨日の中スポで、渋谷キャップに「終盤が怖い」と、あまりにも気付くのが遅い記事を書かれた、恐怖のモンチッチこと吉村に、チェンがものの見事に同点3ランを打たれました。

昨日の8回表に、同じような場面でチェンに見逃し三振を喫したときの“学習能力”を発揮して、さすがに今度は見事にリベンジされてしまいました。

私なんか、完全に自慢ですが、彼の学習能力の高さについては、はるか昔の「2003年10月4日 横浜-中日 25回戦 横浜球場 」から気付いていて、そのときからずっと警戒警報を鳴らしていたのだよ。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2003/2003SE09.htm

10月4日

中日 100 000 000|1
横浜 000 001 20x|3

中日=野口、久本-柳沢、谷繁
横浜=川村、加藤-中村
勝投手=川村(19試合5勝7敗)
セーブ=加藤(42試合4勝1敗5S)
敗投手=野口(29試合9勝11敗)
■本塁打
YB吉村(1号2点)
・野口、ふんばるも6回に川村のツーベースからつながって1失点
・7回は新人吉村に勝ち越し2ラン食らう
・1回表、立浪の適時打で先制
・以降の中日打線、わずか2安打

偽南渕のブラックシャドウコラム

なぜ吉村がプロ入り初本塁打打てたか。

それまでの2打席は3球三振を含む2三振、その回も野口-柳沢バッテリーにツーナッシングと追い込まれていた。

が、2球目の野口のスライダーに対しては、吉村がじっくり待ってからファールすることができたんで、一瞬「オヤッ?」と思ったんだよね。そしたら、3球目の外角低目のスライダーをものの見事に捉えたんだよね。
最初はファールになるかと思ったんだけど、左翼ポール直撃のホームランに。確かにセンスはあるね。

-----------------------------------------------------------

それに、西武にFA人的補償で移籍した岡本も、吉村によく打たれていたしなあ。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_fbfa.html

まあ、2003年の話はちょっと早すぎたKEDOネ。

その後、彼は二軍暮らしがずっと続き、一軍に定着するようになったのは2006年からかな。

さて、再び、本日の試合に戻ると、その後8回裏には一死満塁の勝ち越しのチャンスを掴むも、谷繁と英智があっさりと凡退し、非常に嫌~なムードになりかけましたが、9回表の岩瀬が、昨日の失敗を取り返す三者凡退投球によって、汚名返上&名誉挽回し、9回裏に、結局は和田の沈着冷静なセンター前サヨナラヒットによって、なんとかサヨナラ勝ちとなりました。

好機に打席に立った和田ですが、普通の打者と違って変に気負うことなく、相手投手横山の配球を読み切ってのセンター返しで、さすが、伊達に頭を丸めてはいませんね。

例によって、小田が真っ先に一塁ベースを駆け抜けた和田に駆け寄り、ペットボトルの氷水を頭から浴びせていました。

つまり、お坊さんがお坊さんに勝利後の“力氷”を掛けるという、世にも珍しいシーンが展開されたようですね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200805/CK2008051902012397.html

お立ち台での和田のコメントも沈着冷静そのものでした。

まあ、結果的には中日が勝ち、ヤクルトが勝ち、阪神が負けたので、万々歳ですね。

2008年 5月18日(日)23時07分3
仕事をしながら、音声を消して、カープの対讀賣戦の試合をテレビ映像だけでみていましたが、讀賣に4点先取されてからカープの最初の反撃で、古窪のフェンス直撃弾が二塁打で止まらず2ランホームランだったら、ルイスのホームランで同点に追い付いていたので、展開もかわっていたかもしれず惜しかったですね。

さて、新井弟は、元々は体験一軍のあとにすぐに二軍に戻す予定が、森野の離脱で空いた枠を当面生かそうということでチャンスを与えられたようですが、元々、平田とキャラがかぶっていたので、両天秤にかけた末の二軍への再降格だったようです。

平田が一軍に残ったのは、彼の適応性に賭けたのでしょうね。

元々、落合監督は入団時から彼の素質を高く評価していたので、鍛えるのなら高卒の若手と思ったのでしょう。

新井は大卒なので、即戦力として実力がついて上がってきたのならば、きちんと使ってやるから出直して来いということなのでしょう。

そのかわりに、手薄となった投手陣の補強に高橋聡文を上げたようですが、また左腕が増えて、中継ぎに使える右腕は平井と朝倉のみ。

本日の試合でチェンが吉村に打たれたのも、中継ぎ投手がほとんど左腕しかいないというところに問題がありそうですね。

まあ、交流戦までには調整するかも。

しかし、最初の2カードがパ・リーグの本拠地開催というのはどういう調整でそうなったのか。

セ・リーグ完全に不利じゃん。 

|

2008年5月16日 (金)

交流戦“異聞”

2008年 5月16日(金)21時45分
中日は、なんとか「接戦」を最終的には“快勝”で終わらせることができましたが、

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080516

試合後の落合監督は、試合についてのコメントをいっさい言わずに、交流戦で、選手たちがチームマイナス6%をアピールするためにグリーンバンドを付けることに対する批判を報道陣に対してしたそうです。

東海ラジオガッツナイターのレポーターが、そのような監督のコメントを、珍しく放送時間内に“報道”してくれましたが、はたして他の媒体は、そのことを伝えるのか。

ひょっとしたら、欧州主導の地球環境問題(このあたりの事情は、伊東乾氏のコラムhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070621/128005/?ST=print

が、非常に興味深い裏事情を伝えてくれていますが)のトレンドにいち早く便乗というか、うまくビジネスチャンスにつなげた、サニーサイドアップ社(サカーの中田英寿のマネジメントで有名ですが)の「ホワイトバンド」と同じような利権がからんでいることを見越しての意見表明なのかも。

やるなあ。

でも、球界からの風当たりは相当強くなるかも。

交流戦は“要注意”だなあ。

●夜のレコーディング
若鯱屋にて
鯱風きしめん(実は、東京店限定メニュー!)
以上 

|

Chotto Black Reading DESUGA

2008年 5月16日(金)14時13分

本日のトーチュウ一面には思わず失笑してしまいました。

「大勢のメジャーのスカウトの前で大炎上」 

ですかあ。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200805/CK2008051602011628.html

中日は、よっぽどケンシンをメジャーに売り込みたいんだねえ。

せっかく、メジャーのスカウトさまたちが大勢でお見えになっているのに、自分をアピールする絶好のチャンスが台無しじゃないか、みたいな。

ひょっとしたら、球団には裏金でも入るのかなとさえ勘ぐりたくなりますね。

カブスに売り渡したコースケもそうかもしれないし。

中日新聞グループとしては、ひととおり、ファンに新聞を買ったり球場に来てもらうための「宿題」だった日本一などを片付けてしまい、これ以上“売り物”がなくなってきたので、今度は高年俸のベテラン組を追い出す一方で、給料の安い若手を起用して人件費を抑えつつ、新たなファンをつかまえようとしているのかもしれませんね。

いつまでも、コースケやケンシンだなどといっていると、入団時にいろいろと画策してもらったことを恩に着せてくる、あの人(★)がいつまたやって来るとも限らんし。

そこで、体力と気力の限界を感じて、立浪が今季限りで引退(最近は、こういう状態を「千代の富士」というそうな)し、落合監督の今季限りでの勇退を受けて監督に就任…。

とまあ、その理由づくりとして、あえて“代打で使い物にならないオレ”を演出しているのかも。

我ながら、ちょっと黒い読みですが、いかが。

●本日のレコーディング

ミックスサンド、ゴーヤジュース


海南鶏飯、野菜スープ、キャベツ、トマト、キュウリ

|

2008年5月14日 (水)

窮コアラ、竜を噛む?

2008年 5月14日(水)23時40分
基本的には、もちろん私はドアラに同情的ですが、それにしても、今回の写真集などは、出版社はPHPとはいえ、著者が中日新聞社となっていて、明らかに、今季絶好調のドアラでひと儲けをしようとたくらんでいるのが丸わかりで、ちょっと嫌~な感じですね。

あの、ドアラの秘密本は、それなりに楽しめる本でしたし、後半にはほろっとさせるファンの声が掲載されていたそうですし、生存競争が非常に厳しいドラゴンズ・マスコット業界(どこにいっちゃったんだドムラ君?)における“絶滅危惧種”の立場をを脱出して、今や、正統派「竜キャラ」のシャオロンやパオロンの尻尾をかじるどころか、完全に食ってしまいそうなところまで、その地位を回復した、これまでの彼の奮闘努力は、もちろん素直に評価してあげなければいけないかなとは思いますけどね。

昨日の神宮は、マサで勝って本当によかった。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080514

彼は、みんなから頼りにされだすとまさに生き生きとしてきて、ファンや首脳陣が期待する以上の力を発揮してくれますが、いったん頼りにされなくなりだすと、とたんに(´・ω・`)ショボーンとしてしまうんだよね。

そういう意味では、3連敗後の連敗ストッパーの期待を担ったのは、彼にとっては非常にラッキーでしたね。 

|

2008年5月13日 (火)

ドアラの役目って?

2008年 5月13日(火)23時15分
今週は、月曜日からずっと残業に追われていて、せっかく中日が関東に来ているのですが、神宮観戦は厳しい状況です。

本日は、上位チームが全部負けたので、「試合がなかった」ことにできたのが唯一の救いですね。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080513

中スポやトーチュウも、今や選手より、ドアラを売り出して自分とこの新聞やドアラ関連本や写真集を売ることに夢中だしなあ。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200805/CK2008051302010775.html

ていうか、本末転倒?

ドアラって、球団を応援する役目の動物じゃなかったっけか。

|

2008年5月 9日 (金)

森野ファン、増殖中!

2008年 5月 9日(金)22時10分
東京ドーム三連戦の初戦で、うちは打ち手がことごとく決まって勝利することができました。

チームの総合力で勝った試合といえますね。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080509

東京ドームでは、今年は森野ユニを着ている男性ファンが異様に増えています。

たぶん、昨年までは背番号1ユニを着ていたファンが、今年は31ユニに鞍替えしたものと思われます。

きっと、いわゆる強打の左バッターファン枠というのがあるのでしょうね。

●夜のレコーディング
球場内の牛丼、アイス烏龍茶

|

2008年5月 7日 (水)

マサによかったね。

2008年 5月 7日(水)22時25分

本日はマサに勝ちがついてよかったです。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080507

残業中でしたので、最後のほうだけ会社を抜け出して、近所のカフェで8回裏のダメ押しのシーンを東海ラジオで聴いた後に、マサとベンちゃんのヒーローインタビューを聴きました。

インタビューがなかなか始まらなかったのは、たぶん和田が遠慮して山本昌単独のお立ち台にしたかったのを、和田もナゴドで初めてのお立ち台ということで、石黒広報あたりに説得されてようやく出てきたものと思われますが、マサの露払い的な態度でインタビューを盛り上げ、オトナですね。

なにせ、容貌がお坊さんだから、悟りの境地という感じですね。

ところで、うちの職場には「オフィスグリコ」なるお菓子箱がおいてあるのですが、いわば、お菓子版“富山の薬箱”といえますが、まさに日本人性善説に立った仕組みです。

職場にお菓子ボックスが置いてあり、基本的には1個100円のグリコ製の菓子類がボックスの中に置かれていて、ボックスの上には貯金箱のような料金箱があり、菓子を1個取り出すたびに100円玉をその料金箱に入れる仕組みになっていますが、たぶん“ずる”をする人はほとんどいないのでしょうね。

うちは、そのボックスがリフレッシュルームに置いてあり、昼休み中などのピーク時以外は無人コーナーになっていることも多く、私がそこで菓子を気晴らしに買い求める場合は、たいていは自分1人のときが多いのですが、律義にお金を払っています。

万が一、モラルの低い職場に当たり、不払いが多数発生してしまったら、その職場から撤退すればよいわけですし、その噂がなんらかの形で世間に広まったら、その会社に働く社員のモラルが問われることになり、結局は無言のプレッシャーが社員一人ひとりにかかるという仕組みです。

あれで、グリコは売上を相当伸ばしたそうです。

また、煎餅などの米菓は亀田食品、羊羹やアイスモナカは井村屋などの専門菓子メーカーと提携したりと、自社の不得意分野をカバーしつつ何気に品数を充実させていますしね。

●久々のレコーディング

チーズマヨネーズロール、ドリンクヨーグルト


ゴーヤチャンプル定食、ミニソーキソバ、ウコン茶


ジェノバ風ローストチキンサンド、ミネストローネスープ、アイスミルクティー 

|

2008年5月 1日 (木)

ふう…。離宮とタワーでひと休み?

2008年 5月 1日(木)21時44分13秒
本日は、会社としてはGW中ということで休みでしたが、先月の20日間にわたる入院のツケが回ってきて、私自身はいろいろと仕事をしなければなりませんでした。

午前中には、とあるメーカーのお偉いさんに取材をする仕事があり、終了後は会社に出て適当に仕事をしていましたが、休日出勤ということもあり、自分の席では仕事をせずに、会社のリフレッシュルームで、少々ゆったりとした気分で参考図書を熟読しておりました。

リフレッシュルームというだけあって、とある高層ビルに間借りしている弊社の窓の眼下には、緑豊かな浜離宮を見下ろしたりできるのですが、

Img256hamarikyu

ふと、背中にも視線を感じてもう一方の窓を振り返ると、そこには“同級生”が、じっとこちらを見つめているのでした。

Img253_ttower

そう、なんと、私の同級生は東京タワーでした。

彼女(外装がレッドからしてたぶん女性でしょうね)は昭和33年3月3日生まれ。

身長333メートルだったはず。すべて「3」にちなんで作られているのです。

ワインレッドのベルボトムスタイルのスレンダーボディーの大部分は、朝鮮動乱の停戦後に用済みとなった米国製戦車の鉄屑から出来ているそうで、逞しい鉄の女とでもいうべき威容を誇っているのでした。

Img260_ttower3

さて、そうこうしているうちに夜になり、中日戦が始まっていました。

本日は、TBSラジオで中継(実況はCBC)があったので、試合の中盤にタイロンが先制本塁打を打ったあたりから聴いていましたが、8回裏には、久々に先発して7回を投げた川上の後を継いだチェンが、一死満塁のピンチを招き、村田がレフトに大飛球を打ったと、実況CBCの若狭アナが叫んだときは、思わず目をつぶりました。

犠牲フライの1点で済んでほんとによかったです。

他の球場でも、阪神と讀賣が負けて、ドラゴンズファンにとっては理想的な展開に。

ようやく川上に勝ちがついて、やれやれでした。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080501

そういえば、もはや“日課”となってきた、広池のブログを読んだところ、二軍の遠征でナゴヤ球場に来たら大きな声援を受けたということで、ブログの反響も相当に大きいようですね。

http://www.hiroike.com/2008/04/post-92.html

実は、広池のブログについては、ドラゴンズファンもいち早く注目しており、「中日スポーツ」で4コママンガ「おれたちゃドラゴンズ」を連載している(今年の4月からは「東京中日スポーツ」でも連載中です)、くらはしかんさん(http://www7b.biglobe.ne.jp/~kans-can/index.html)も、4月3日付けの「中スポ」と「トーチュウ」の「おれたちゃドラゴンズ」で、落合監督が広池のブログをチェックしながら広島を警戒しているシーンが描かれており(ただし、このマンガはくらはしさんのサイトには掲載されていませんが)、たぶん、ナゴヤ球場で広池の登板を告げるアナウンスが流れたときには、両軍ファンから歓声が挙がったことと思います。

なぜ、広池のブログがこんなにも多くの読者を獲得するようになってきたかというと、やはり、自分自身を広池になぞらえているのでしょうね。

ビジネスパーソンとしてはそこそこ成功を収めていたのに、それを投げうってまでして、小さい頃からの夢だったプロ野球選手になることを決意し、一念発起して広島カープのテストを受験してなんとかテスト生として入団し、さらに、ドミニカのカープアカデミーには自費留学までしたのちにやっと正式な登録選手となるが、その後も二軍と一軍を往復する暮らしが続き、昨年、ようやく一軍に定着して、今年はいよいよ一軍で精一杯頑張ろうと張り切っていたところ、なかなか思うような登板機会も与えられずに、再び二軍での調整を命じられる…。

こういう浮き沈み人生は、現在の厳しい世相を反映したビジネス社会では多くの人たちが経験している状況であり、まさに他人事とはいえない気持ちで、彼のブログを見守っているのでしょう。

いわば、広池版「かくさしゃかいにまけないぞ」という心情の吐露が、多くの読者を惹きつけている要因といえます。

昨年の1月に放映されていた「ハケンの品格」、今年の1月に発売されて大きな反響を呼んでいる『ドアラのひみつ』と同様に、現在の閉塞的な重苦しい雰囲気を漂わせている日本の格差社会に対する、多くの人たちの声なき声を代弁している、といったら過言でしょうか。

●本日のレコーディング

チキンとエッグサラダサンドウィッチ、アイスチャイティーラテ


バランスアップビスケット、野菜ジュース、ドリンクヨーグルト 


かじきまぐろの昆布巻きおにぎり2個、まるごとトマトジュース

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

2008年4月25日 (金)

ドラゴンズの次期エース候補一番手と目されている朝倉氏は

2008年4月25日(金)22時23分20秒
ドラゴンズの次期エース候補一番手と目されている朝倉氏は、
「理論派D」http://rironha.blog63.fc2.com/
のデジほりさんが「若殿=朝倉氏」の側近(城代家老?)になってあげて彼を“育成”しているように、戦国大名だけあって、やっぱり“南蛮人”に弱いなあ。

もう一人、戦国大名系の名前を持つ投手として、川上謙信じゃなかった、川上憲伸がいますが、彼もよく外国人選手に本塁打を被弾することが多いですよね。

これは戦国大名系投手の宿業かもしれません、切支丹弾圧の。コンプレックスと憧れが入り混じった複雑な感情が交差するような…。

さて、本日も8回裏に、ヤクルトのグイエルとアダムの切支丹バテレンコンビに“改宗”されるのを恐れて、若殿の腰が引けたところで勝負ありでしたね。

仕上げはオール・ハポンのカピタン宮本慎也之介においしいところを持っていかれる適時安打を打たれて万事休す。

まあ仕方ないですね。

これも、グイエルが、6回裏、前の打席でライトにホームラン性の大飛球を打ち上げるも、本日吹いていた、まるで甲子園のような“浜風”(by東海ラジオガッツナイター解説者の稲葉光雄氏談)に押し戻されてフェンスギリギリのライトフライで収まったことが、かえって殿の“トラウマ”となり、この打席では同点ホームランを打たれるのを警戒しすぎて、ほとんど敬遠気味のストレートの四球を与えてしまったのが致命傷になりましたね。

ちょっと慎重すぎて大胆さに欠けた小田捕手のリードにも責任があったような。

その点を、前出の稲葉光雄氏がしきりに気にしていました。

たまにしか出番のない中堅が成果を見せなければと焦って、逆に慎重になりすぎていることが、1974年の優勝にも貢献した“相談役”の稲葉氏にはもどかしく感じられるのでしょう。

敵の東京ヤクルトは、今季、古参武将が報奨金の少なさを理由に他国へ流出した危機を、将来の自分の立身出世の野望を秘めた新たなバテレン助っ人たちの力を借りながらも、若い戦力が意外と生き生きと働いている新興キリシタン大名国かな。

一方、うちは、投手王国という伝統を保持しながらも、打線については、今や30歳代半ば以上の各国の大名国を渡り歩いた歴戦の猛者たちがずらりと顔を揃えている野武士集団に、いつの間にか変貌していました。

よくいえば大人の集団ですが、逆にいえば、試合の趨勢がわかりすぎてしまうという弱点を抱えている集団ともいえます

いわば、東京ヤクルトと中日の戦いは、恐れを知らない若者と、世の中の酸いも甘いも知り尽くしたベテランとの世代間闘争の構図が観て取れます。

なかなか見応えがあったのは、7回裏の一死一三塁と、8回裏の一死三塁の、犠牲フライやスクイズでも失点する、絶体絶命のピンチにおける、中日側野手陣のオトナの対応でした。

両方のピンチで、二遊間のアライバコンビの1球ごとにポジションを替えながら、お互いが目配せして一心同体で動く姿を見て、これが真のアライバコンビの凄さなのか、と改めて再認識しました。

こういうピンチで、我々ファンは、ひょっとしたらスクイズがあるんじゃないかとか、犠牲フライを打たれるんじゃないかとか、ボテボテの内野ゴロで失点するんじゃないかとか、ヒットを打たれるんじゃないかとか、最悪の場合はホームランを打たれるんじゃないかと、ありとあらゆる事態を心配してハラハラしてしまいがちですが、やってる側の選手たちは、ある程度戦況を見極め、割り切って自分の持ち場で全力を尽くすことに神経を注いでいるようです。

最近は、ピンチの場面で、野手全員が集まるという事態に陥る前には、一人、井端のみがマウンドに駆け寄り、投手に一言話してさっと引き上げることが多いようですが、たぶん、彼は「とにかく、内野ゴロを打たせろ。そうすれば俺達が何とかするから。」と、若い投手には話すのでしょう。

つまり、ピンチの場面で打者を三振に斬って取ればそれはあんたらバッテリーの手柄。一方、内野ゴロを打たせればバックホームして失点を防ぐし、うまくいけば併殺を取ってやる。

でも、ヒットやホームランを打たれたなら、あんたらの責任だからあとは知らん。

もちろん、その試合の最終目的であるチームの勝利には全力を尽くすが、自分の持ち場でワンプレーごとに成果を問われるのだから、そこでしっかり給料を稼がなきゃね。

現在、中日ドラゴンズは、投手陣はベテランや中堅陣が戦線離脱気味で、それを、野心に燃えた恐れを知らぬ若手投手陣が台頭しつつあり、彼らをオトナのベテラン野手陣がバックアップしてあげていて、何とかチームが機能しているという感じですね。

若手とベテランの世代間闘争とともに、チーム内では世代間のギャップを埋めながら勝ち続けなければならない。

これが、現代日本社会の縮図と重なります。

さあ、明日勝つのはどっちだ。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080425

●本日の夜のレコーディング
つくね&鴨うどん一丁(南蛮抜き)

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

最近は、中日の選手でいえば

2008年4月25日(金)15時34分56秒
自分の会社内での“立ち位置”が、中日のベテラン選手でいえば誰に相当するのかを、少々考える年頃になりました。

たとえば、前選手会長として、昨年は自分の“本業”である個人成績以上にいろいろなアイデアを打ち出し、それを実現させて売上増加にも貢献したのに、今年は開幕二軍を言い渡されるも、それに腐ることなく二軍で歯を食いしばって好成績を上げているのにもかかわらず、まだ一軍のお呼びがかからない井上一樹元選手会長なのか。

それとも、あともうちょっとで200勝に手が届きそうなところまでは来たけれど、昨季は思うような結果が残せず足踏み。そこで今季のキャンプには一念発起して、いつもよりハイペースでトレーニングに励んでいることをアピールして開幕一軍の切符を獲得しながらも、背中の張りという“公式発表”による突然のアクシデントで、二軍での調整を余儀無くされている山本昌なのか。

それとも、遂に代打の切り札という“便利屋”稼業に、現役最後の役割を見出したが、今シーズンは1本のヒットも生み出せずに、選手生活で初めてといってもいい、異次元の“試練”に立たされている立浪和義なのか。

まあ、私の場合は彼らほど“かっこよい”生きざまではないですが、彼らと同じような悩みや試練に直面しているのは事実ですね。

特に、未だに15打席、11打数ノーヒットの立浪ですが、今季のこれまでの打席は、正直なところ、昨シーズンまでのようなここで打てば間違いなくお立ち台に上がれるような緊迫した場面での起用がほとんどありませんでしたので、立浪としても、心の底から“燃え上がる”ような気合いが入らなかったのではないかと思いますが、昨晩の試合で、
http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080424
2点差を味方の打線が追い付いた直後の6回裏二死満塁の場面は、立浪にとって今季初めてともいえる“おいしい”場面でしたが、やはり結果を残せませんでした。

その理由ですが、最近の中日は、代打の切り札というと立浪しか思い浮かばなくなり、ベンチもそれに安心して、新たな人材が輩出されなくなっているのではないでしょうか。

立浪も、自分の存在を脅かす誰かが側に現れないと、やはり“燃える”材料が見出せないのでしょう。

それが誰かはわかりません。

トーチュウなどでは、いろいろと“推薦記事”が挙がっていますが、所詮は外野からの声。

決めるのはベンチ。

それしかないでしょうね。

●本日のレコーディング

石釜焼きクリームチーズとクランベリークーヘン、フィナンシェ、黒烏龍茶


海鮮丼とひやし讃岐うどん定食

|

2008年4月24日 (木)

トーチュウの一面に、ケンシンの

2008年4月24日(木)13時03分45秒
トーチュウの一面に、ケンシンの「試合を壊した気がする」と謝っている言葉が掲載されていましたが、他人事のように「気がする」じゃなくて、「試合を壊してどうもすいませんでした」だろうがあ、と全国一千万人(国民の10人に1人)の中日ファンが突っ込みを入れたことでしょう。

昨日は、試合の経過をほとんど確認できず、今朝のスポーツニュース映像で初めて確認しましたが、“進化”したというか、変異した下柳にいいようにやられてましたね。彼は鳥インフルエンザのウイルスのようにしぶといですね。もちろん誉め言葉ですが。

ちょうど、2年前に阪神が山本昌にノーヒッター試合を初め、まさに圧倒されていた姿とダブりました。

昨晩、体重をチェックして一安心。

ひょっとしたらかなり増えているのでは、という不安がありましたが、現状をほぼキープ。

この食生活を継続すればよいという確信が得られました。

●本日の朝昼のレコーディング

グリコのバランスアップ、ヤクルト、ミックスジュース


サンマルクカフェにて
タラモピザパン、クリームチーズロール、クラムチャウダー 

|

2008年4月22日 (火)

「B型日記」の感想:草刈の

2008年 4月22日(火)22時24分28秒
東山にしこさんの「B型日記」4月21日 宣伝に騙されてやること
http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/typeb2005/typeb200803.htm#
に登場した草刈正雄の、現在の後継者と目されるのは阿部ちゃんですね。

二枚目系のモデル上がりで、俳優になって成功し、ギャグもこなす、マルチキャラクターを使い分けられる阿部寛。

さて、1970年代当時、資生堂の男性化粧品のモデルでいうと、MG5からブラバス、タクティクスまでを担当した草刈正雄の前任者が、MG5の団時朗。

ハーフだった点も同じですね。

当時の若い女性に圧倒的な人気を博した草刈正雄を、資生堂CMのメインキャラクターに起用したのは、彼の付けている化粧品を自分も付けると、ひょっとしたら自分も女性にモテモテになれるのじゃないかという、錯覚に陥らせる効果を狙ったものでしょう。

草刈正雄は、当時の男性にとっては、そのファッションセンスやライフスタイルを真似するべき、「ロールモデル」の役割を果たしていたのでした。

そういう意味では、今回のドコモのCMでも、大竹しのぶが同年代の女性陣の、そして草刈正雄が同年代の男性陣の「ロールモデル」の役割を果たしていると見てよいでしょう。

つまり、同年代の同性たちにとっては、実年齢よりずっと若々しく見える二人が使っているものを、自分も使ってみたいと思わせる狙いがあるのでしょうね。

という内容の感想を書いていて、youtubeで1970年代の草刈正雄や団時朗のCMを“鑑賞”していたら、こんなサイトを見つけました。

私が主張していることに近い話が、NTTコムウェアのサイトにありました。

「ニッポンロングセラー考」というシリーズの1つで、なかなか面白い内容です。

http://www.nttcom.co.jp/comzine/no046/long_seller/index.html 

一方、広島の広池、本日の試合に投げて打たれたですか。

なんか、最近他人事に感じられなくなって、気になるなあ。

敗戦処理で打たれたとなると、降格される危険性大ですね。

その機会をベンチは狙っていたふしがある。 

|

試合終了後のジャストインタイムで

2008/04/22(火)21:37
試合終了後のジャストインタイムで帰宅して、中田の完封勝利後のヒーローインタビューの後半のみをスカパーで観ることができました。

アナウンサーの、何とか感動を誘おうという意図が見て取れた突っ込みに対して、ちょっとぶっきら棒な受け答えをしていたのが、中田らしかったですね。

それでこそ、中田。

頑固に自分のスタイルを貫き通してこそ九州男児ぞ。

と育てられたのでしょう。

●本日のレコーディング

玉子蒸しパン、ドリンクヨーグルト


シンガポール料理店海南鶏飯にて
海南鶏飯セット(蒸し鶏肉、トマト、キャベツ、チキンライス)、スープ


桜海老と風干しおこわ、ローストチキンとほうれん草のサラダ、コーンスープ

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

2008年4月19日 (土)

闘病も街路樹も「第2ステージ」に突入

2008年 4月19日(土)
本日の試合、ドラゴンズは打線が爆発してベイスターズに快勝しましたが、敵の打線も活発にヒットを量産し、安打数は同じ14安打だったとか。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080419

ドラ打線が効果的にタイムリーを打ったり、本塁打を打ったから点差がついたという報道が多いようでしたが、むしろ、ドラ内野陣、特に荒木が相手の痛烈なゴロをことごとく捕球してタイムリー安打を防いだことによる点差ともいえますね。

その当たりがタイムリーヒットになっていたら、相手打線はさらに勢いづきピンチは拡大し、いつものハマスタで見られるノーガードの打ち合いで両軍へとへとになるような消耗戦に突入していたかも。

荒木様様でした。

また、この試合で、ベイ側の三番手で登場した、ルーキーの小林太志投手は、2006年のドラフト直前のNHKのスポーツ番組で、我らがアサタクとともに取材された、小林太志投手でしたね。この年のドラフトでは指名がありませんでしたが、今季、晴れてプロ野球選手になれたんですね。

早速、中村ノリから“プロの洗礼”を浴びていましたが、勝負はこれからだ。敵チーム所属ではありますが、エールを贈ります。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_0eb4.html

さて、デジほりさんが、自身のブログで、4月17日付けのトーチュウに紹介されるという「予告」があった

http://rironha.blog63.fc2.com/blog-entry-596.html#596

『ドラブック’08』ですが、昨日(4/17)のトーチュウの18面、芸能欄の一番下に「トーチュウ情報クリップ」というコーナーがあって、そこの書籍紹介記事の1冊として取り上げられていました。残念ながらちょっとわかりくいところに紹介されていました。

Img235

Img236

第1面から第3面までの中日関連記事面で紹介されていたら、関東のドラファンに効果的にアピールできたと思いますが、まあ、記事をどこに載せるかは、それぞれの記事を担当するセクションの縄張り合戦なので、芸能欄に掲載せざるを得なかったのでしょうね。

また、以下のスコアで、本日の対讀賣戦で、齢39歳にして、1対0の完封劇を演じた、広島東洋カープの左腕投手、高橋建の投球の様子がよくわかりますね。

http://sports.nifty.com/baseball/cs/score/npb/2008041903/1.htm

3回と4回のピンチを、2回とも併殺で切り抜けて、一気に調子に乗ったね。

そこにもってきて、5回裏にシーボルが援護点をちょうどよいタイミングで取ってくれたので、ますます絶好調に。

後半も、連続見逃し三振に斬って取るなど、乗り乗りの様子が目に浮かびます。

「南西対談」の対談相手の東山にしこさんも大喜びでスポーツニュースをはしごしているようです。

一方、私は、先日入院していた病院に出掛けて、その後の十二指腸潰瘍についての問診を受けた結果、潰瘍の回復は順調ということで、薬も約6週間飲み続けたので、いよいよ今度はピロリ菌を除菌しようということになりました。

つまり、第2ステージ「ピロリ菌との対決編」に入ったことになりますね。

治療は、1週間、除菌専用の薬を飲み続けるというもので、以下の薬が処方されました。

パリエット錠10mg  1日2回×1錠、合計2錠(これは、今までも飲んでいた胃酸の分泌を抑える薬)
サワシリン錠250  250mg  1日2回×各3錠、合計6錠(抗生物質。細菌の感染を抑える薬とのこと)
クラリス錠200  200mg  1日2回×各3錠、合計6錠(抗生物質。細菌の感染を抑える薬とのこと)

上記の薬を、朝食後と夕食後の2回に分けて飲み続けていく治療ですが、ちょっと副作用があり、お腹を壊す恐れがあるとのこと。

しかも、途中で薬を飲むのを止めるとピロリ菌に抗生物質に対する耐性ができて、薬が効かなくなってしまうそうで、一気に退治する必要があるのだそうです。

案外手強いぞ、ピロリ菌。

病院の外の街路樹は、退院時は満開だった桜並木が、現在は花が散り青々とした葉を繁らせていました。

Img227

桜の木は、花が咲いている時は葉が繁らず、花だけの桜色がことさら目立つのですが、花が散って葉のみが繁っている桜並木も生命感が溢れ生き生きとしていて、なかなか趣があることに初めて気が付きました。

花は散っても青葉は繁る

桜並木も「第2ステージ」に差し掛かったことになりますね。

●本日のレコーディング

桜海老と高菜の発芽玄米入りおにぎり


きつねうどん、野菜ジュース 


桜海老とじゃこのおこわ、24品目のサラダ

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

2008年4月18日 (金)

山井の記事のみ、謎の最終面に

2008年 4月18日(金)13時17分22秒   
本日のトーチュウは、昨晩の試合で、1失点のみで敗戦投手となった山井の記事がないなあと思ったら、なぜか最終面でコラムのような扱いで掲載されていました。

以下は、中スポの記事ですが、トーチュウではこの記事のみが「別枠」となっておりました。

ちょっと珍しいケースですね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200804/CK2008041802004487.html

本日は全国的に雨で、関東は明朝に止む予定とか。

ハマスタで行われる、横浜対中日戦のナイターは中止になる公算大ですね。

まあ、ひと休みできるといったところでしょうか。

●本日の朝昼のレコーディング

ドリンクヨーグルト、めんたいこ煎餅(会社の後輩の出張土産)


ビーフン東(AZUMA)にて
※文豪の池波正太郎が贔屓にしていた店らしい。
スープビーフン(白菜、ニンジン、ピーマン、茸、豚肉、海老入り)
スタバにて
アイスタゾチャイティーラテ

|

2008年4月15日 (火)

よかったあ!

2008年 4月15日(火)21時19分56秒   
本日は、会社の仕事関連ではありますが、只メシを食べる会合に出席していて、ただ今中日が6対3でリードしていることを知りました。

WEBの試合経過速報で、上原を打ち崩したことを知ってから、安心して電車の車内でラジオ中継を聴いております。雑音ひどいなあ。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080415

ということで、本日のレコーディング

モーニングクッキー、抹茶フィナンシェ、クランベリージュース


海南飯飯にて
海南鶏飯(蒸し鶏、チキン炊き込みライス)、キュウリ、トマト、キャベツのサラダ、チキンスープ


卵焼きに大根おろし添え、キャベツと海老のマリネ、豚肉の竜田揚げ、お刺し身、鯛茶漬け

豪華な夕食だけに、食べ過ぎに注意しなければね。 

|

2008年4月13日 (日)

ライバル会社広島所属の企業人ながら天晴れな、広池のブログ

2008年 4月13日(日)16時09分55秒   
本日、遅ればせながら、噂に名高い広池ブログhttp://www.hiroike.com/blog/

の「広池浩司物語」
http://www.hiroike.com/2008/04/1.html

を読みました。

想像以上に素晴らしい内容と文章力で、感動しました。

特に、入団テストの話は、満を持しての渾身の筆力でものにした感じで、読み手をグイグイと引っ張っていきますね。

さすが、10年間×365日=3,650回も、日記を書き続けるという“素振り”を続けていただけのことはあります。

広池投手は、今までは自分を励ますことを主な目的にして、日記で自分と「対話」を続けてきたのでしょうが、ここで、初めて読者を意識して文章を綴り、それが大好評を博したことになりますね。

彼は、全日空の入社時に、社員代表として、社長に向かって決意を述べる役目を果たすほどの社員だったとのことですが、今でもビジネスパーソンの鑑であるといえます。

一方、本日の広島対中日戦の試合では、吉見投手が2試合連続で完封勝利を収めましたが、今回はピンチの連続で、点差以上に序盤は緊迫した場面が続きました。

特に、3点リードしながら、4回裏の無死一二塁の場面で前田智を打席に迎えた時には、彼に同点3ランホームランを打たれるのを覚悟したほどでした。

前田選手は、明らかに、その類稀な学習能力によって相手投手を打ち崩す天才的な打者であり、第一打席は、初対戦だったのか、平凡なレフトフライに終わりましたが、そこである程度、吉見の持ち球を見極めていたと思われ、この打席では自信を持って打席に入っていました。

そして、こちらの不安が的中したかのように、ライトに痛烈な当たりを放ちましたが、幸運にもライトの真正面を突き、事なきを得ました。が、一歩間違えれば、その当たりは間違いなくライトフェンスを軽々と越えるホームランとなっていたことでしょう。

まだ、吉見はそういう怖さを実感しておらず、今回は連続完封で、さらに20イニングス無失点が続いていますが、やがて失点を喫した時に、初めての試練が訪れるはず。

しかし、今はこのまま怖いもの知らずで投げ続けることが肝心ですね。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080413

●本日の朝昼のレコーディング

たまごケーキ3個、杜仲茶


名古屋コーチンパイ、アロエヨーグルト

※ちょっと食生活が乱れ気味なので要注意>自分

|

2008年4月12日 (土)

敵の「撒き餌」作戦にまんまとはまるの巻

本日の、広島市民球場で開催された、広島対中日戦で、勝ったカープ側のお立ち台には、投手三人衆ということで、先発高橋と、中継ぎの梅津と横山が呼ばれましたね。

お立ち台では、投手陣最年長の高橋より遙かに年下の梅津が、「建さんがいいピッチングをしていたので」と、普段から、ほぼタメ口で「建さん」と呼んでいることがわかったし、せっかく高橋が、天谷と赤松の、カープの新たな外野手二人の守備を誉めて、テレビ中継で世間の注目を浴びさせようとしたのに、隣の梅津が「(右中間の当たりを捕球したのは赤松とは)違いますよ」というようなチェックを入れたようで、高橋の動揺を誘ったりと、さながら、昔は高橋のお守り役を果たしていた東出の後継者のようでした。


それにしても、中日打線は、高橋と倉のバッテリーが仕掛けた「撒き餌」作戦にまんまと引っ掛かりましたね。

初回から、簡単にランナーが出るものだから、これは組みし易しと、強気の攻めを繰り返したのが、ことごとく裏目に。

初回の井端のセカンドライナーは、もう少しで無死一三塁になる当たりで、ちょっと不運でしたが、投げた高橋サイドに立てば、うまく打球を詰まらせて打ち取ったことになります。

また、4回表に、井端とイ・ビョンギュが出塁した、無死一二塁の好機も、ウッズを打席に迎えて、球が高目に浮いてツーボールナッシングになって、もうアップアップになっていたと思われていた時に、スカパー中継解説者の達川が、「ここで相手を誘う球を投げ込めば、打ち気にはやってその球を打とうとするので、かえってチャンスですよ」という趣旨のことを言ったとたんに、ウッズが外角低目に落ちるカーブをものの見事に引っ掛けて、併殺に斬って取られて万事休す。

なんとなく、この時点でこの試合の趨勢が決まりましたね。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080412

●本日のレコーディング

モーニングワッフル、ドリンクヨーグルト


駅ナカそば小竹林にて
きつねうどん
スタバにて
抹茶ティーラテ


稲荷寿司、太巻き、きびなごの唐揚げ、14品目の彩りバランスサラダ(キャベツ、だいこん、ブロッコリー、まぐろ油漬け、レタス、玉ねぎ、枝豆、大豆、ニンジン、キュウリ、スイートコーン、レッドキドニー。赤パプリカ、紫キャベツ入り)、チャイ

|

2008年4月11日 (金)

和田様様

2008年 4月11日(金)22時52分42秒
和田が満塁本塁打と3ラン本塁打で7打点を上げ、なんとか連敗を脱出できました。

すごいね和田。

出だしの不調をあっと言う間に挽回するどころか、いまやチャンスに最も強いバッターになりつつあります。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080411

さて、一方で、本日の「東京スポーツ(東スポ)」(「東京中日スポーツ(トーチュウ)」ではなく)の中日ネタは、「立浪メシ」。

なんでも、若手が立浪にメシに誘われると、それは一人前になった証しということで、若手がチームの勝利に貢献するような活躍をしたら、それを心待ちにしているのだとか。

昨年は、中田が立浪に食事に誘われてから、それから非常に張り切って、チームの勝ち頭になったのだとか。

今年は、チェンが初勝利を挙げたら早速誘われたそうで、えらく感激したのだそうです。

以前、立浪にメシに誘われると、それはレギュラーをはずされたことの証しということ(準レギュラーの決起集会というのを主催していたという噂も)で、戦々恐々としているという話がありましたが、それとはえらい違いです。

さて、私の本日の「独白メシ」は


ジューススタンドにて
バナナジュース


チャイナドールにて
お粥(三分粥レベル)、メカジキとチンゲンサイのとろみあんかけ(フクロタケ、赤ピーマン入り)、海老ギョウザ(翡翠風)、麻婆豆腐風スープ(辛味なし)、ザーサイ少々、中国茶


富士そばにて
ホウレン草入りうどん、温泉玉子、蕎麦湯

|

2008年4月10日 (木)

連敗の心の痛手を

2008年 4月10日(木)13時24分35秒
連敗の心の痛手を、「今日のおちちゃん」(敵チームの応援サイトですが、好感が持てますね)

http://ochichan.exblog.jp/7821925/

とデジホリさんのビョンギュさんネタ

http://rironha.blog63.fc2.com/blog-entry-592.html#592

に慰められる日々を送っております。

おちちゃんによれば、今、「ジャイアント貧打」は金本と中日打線にやってきたらしい。

セ界の国からこんにちは♪

一方、デジホリさんによれば、ビョンギュ君が、初回の守備で飛球を捕れなかったのは、照明が目に入ったからではなくて、モンシロチョウが視線に入ったからだそうです。

優しいなあ。

中日の強さは、個人の選手の能力以上にチームとしての「面」で戦って行くことと、スコアラーを中心とする戦力分析に基づいて、敵の弱点を分析して弱点を捜し、それを選手が忠実に突いていく学習能力の高さにあると思いますが、昨日は、下柳にリベンジされましたね。

つまり、3年前は下柳に手も足も出なかったところを、一昨年と昨年は弱点を研究した成果で、彼を粉砕することができましたが、再び下柳も“進化”して対抗してきたということでしょう。

まあ、こういうのは切磋琢磨ですからね。

●本日のレコーディング

アロエドリンクヨーグルト(チューブ容器入り)、ミルクティー


百采粥にて
鶏肉と大根のお粥、水菜とレタスのサラダ、焼売2個
※週に1回はお粥を食べて、胃腸いたわりデーを作ろうと思います。


リンガーハットにて
ちゃんぽん

|

2008年4月 9日 (水)

5月まではコイの季節?

2008年 4月 9日(水)23時41分52秒
さすがはカープ!
1対0で完封勝利ですか。

   
5月5日の鯉のぼりの日までは、日本鯉のぼり協会との約束で、目立つ試合をしないと、スポンサー料の違約金を取られるので、死に物狂いで戦うのでしょうね。

最初、1対0でカープが勝ったという情報を知ったので、ひょっとしたら、「タマガワonline」

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/frontpage.htm

のWebマスターの東山にしこさんが応援している高橋建投手(愛称:ハシケン)が完封したのかと期待したら、ルイスだったんでガックリ。

一方、うちはリニューアル甲子園で弱いねえ。

無観客で行った練習試合を含めると、早くも三連敗です。それもほとんど得点できない。

弱いなあ。

明日は雨で中止になったほうがよいかも。さもないと三連敗させられそうな予感が。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080409

●本日のレコーディング

牛乳パン(発芽玄米酵母入り、クリームパン)、カフェオレ、蕎麦茶


メロの照り焼き、つくね、京野菜のおつくり、味噌汁
ゴーヤジュース


鮭フレークのおにぎり、青菜のおにぎり桜風味、ほっと伊右衛門

|

2008年4月 8日 (火)

阪神は、カープ時代の遺産で商売商売

2008年 4月 8日(火)13時07分53秒
甲子園はもう晴れているようですから試合をやりますね。金本グッズ売れまくりでしょうね。

金本の記録なんて、ほとんどカープ時代の積み重ねのお陰なのにね。


コーヒーケーキ、ドリンクヨーグルト(安田)、紅茶花伝


大戸屋にて
海老とホタテのあんかけご飯(豆腐、白菜、ネギ、きくらげ、ニンジン、青菜入り)、味噌汁、ハリハリ大根

2008年 4月 8日(火)22時14分3秒   
中田は残念ながら後半に打たれて阪神に逆転されましたが、金本狂想曲は鳴らさなかったですね。

9回表は一死満塁と、藤川をもう少しのところまで追い込んだが、森野を三振に斬って取るとはさすがですね。

和田に打たれたり、中村ノリを敬遠したりと、ひょっとしたらパ・リーグの選手に苦手意識があるのでは。藤川に討ち取られたという経験が少ないのでやりにくいのかも。

元日ハムの上田も昇格させて、パ・リーグトリオで藤川粉砕だ。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080408

●本日のレコーディング


スープストックにて
レギュラースープセット
8種の野菜と鶏肉のスープ(レタス、玉ねぎ、ハーブ他入り)、白胡麻ごはん

|

2008年4月 4日 (金)

負けるべくして負けた試合

2008年 4月 4日(金)21時22分32秒
本日は、負けるべくして負けた試合でした。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080404

和田の本塁打のみの得点で、守備はエラー続出.。

朝倉はリグスとグイエルに被弾するはで、スカパー中継解説者の木俣氏が珍しく怒りを見せずにはなから諦めモードに。

まあ、讀賣が阪神に負けて相変わらず最下位なのが唯一の救いかな。

●本日のレコーディング

ジューススタンドにて
ハムサンドと玉子サンド、ゴーヤジュース、紅茶家伝


大戸屋にて
カラスガレイのみぞれ煮(豆腐、三つ葉、ワカメ入り)、キャベツの浅漬けに油揚げ添え、大根の漬物少々


駅ナカの惣菜店にて
米八の五目おこわ、R 1/Fの海老とカリカリじゃこの春色サラダ(ブロッコリー、菜の花、ニンジン入り)

|

2008年4月 3日 (木)

大豊さんはチェンの大恩人

大豊さんて、チェンが中日に入団した当時、ホントにスカウトだったんだあ。てっきり、引退後すぐに実業家に転身したものと思っていました。

台湾球界もメジャー指向が強く、チェンにもメジャーからのオファーがいくつか来ていたところを、大豊さんが日本球界の良さをアピールしてくれて、しかも身元引受人にもなってくれたのですから、チェンにとっては大恩人だったのですね。

もし、メジャーとの契約だったらマイナー球団から始めていたでしょうし、途中で同じようにケガをしていたら、即解雇だったでしょうから、中日に入団して正解だったのでは。

ただし、まだ1勝を挙げたに過ぎないので、これからが試練ですね。

敵も彼の弱点を研究してくるでしょうし、特に、変化球を投げる時の癖がわかると、昨日のTBSラジオ解説者の牛島君が見抜いていましたから。

●本日の朝昼のレコーディング

抹茶フィナンシェ、ドリンクヨーグルト、紅茶家伝


ヴェトナムフロッグにて
鶏肉のフォー(香菜、アサツキ、フライドガーリック少々)、ジャスミンティー

さすがは落合監督
2008/04/04(金)01:23
あの悪夢のような逆転劇に対して、「野球はなんでもあるさ」と話したそうです。

http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20080403-343931.html

<巨人6-5中日>◇3日◇東京ドーム
中日が中盤までに奪ったリードを守りきれず、巨人の1発攻勢の前に逆転され、開幕6戦目にして今季初黒星を喫した。
中日は2回森野の中犠飛、3回は李の適時二塁打で2点を先取。1点返された5回には和田の移籍後初となる1号3ランで一時は4点リードした。だが、快調に飛ばしていた先発川上が7回に失速。3連続本塁打を浴びて痛恨のKO降板となった。落合監督は「野球はなんでもあるさ」と話した。[2008年4月3日22時51分]

これだけ冷静なコメントが言えるということは、高橋由伸に1点差に迫られた3ランホームランを打たれても続騰させた時点で、ある程度こうなることも覚悟していましたね。

昨年のペナントレース終盤の、東京ドームでの直接対決最終戦で、序盤の4点差を朝倉が守り切れずに引っ繰り返されたのと同じような感じがしました。

おっと、本日の夜のレコーディングを忘れるところでした。

グリコのバランスアップ(クッキー)サラダ味、ポテトポタージュスープ
薬を飲むために胃を保護する目的で、かろうじて胃に膜を張ったというところです。

|

2008年4月 2日 (水)

中田、説教されて立ち直る?

08/04/02(水)14:41
昨晩行われた、東京ドームでの讀賣対中日戦は、病み上がり後に加えて、久々の攻撃中の立っての観戦で、帰宅後にどっと疲れが出ました。

まあ、でも勝利後の快い疲れとなったことでほっとしております。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080401

さすがに、序盤で3点先行されて、上原が調子良さそうに投げていた時には、負けを覚悟しましたが。

レフト側ドラゴンズ応援席の鳴り物なしの応援ですが、意外にリード役の人がうまく、きちんと選手別応援歌やチャンステーマをみんながアカペラでもこなしていました。

チームワークがいいね、レフト外野応援席のドラファンたち。

さて、本日の東京ドームでの第2戦は、山本昌の崖っぷちに追い込まれたベテランとしての生きざまや意地を目に焼き付けて、自分への励みにしたいとも思っていますが。

昨晩序盤の中田の3失点について、落合監督が、中田は序盤は球を揃え過ぎた=ストライクを取ろうとして相手にそれを狙い撃ちされた、と喝破されていました。

中田は、本来は荒れ球が持ち味なのにコントロールを重視するあまり球威がなくなったということですが、3回から別人のように立て直したのが、最終的に勝てた要因ですね。

実は、谷繁のアドバイスのあとから立ち直ったそうですし、もう一人、井端がピンチになると説教をしにマウンドにやって来るのだが、たぶん相当な嫌みを言うらしく、もう来てほしくないと思わせることで、投手が立ち直るのでしょう。

なんか、個別の戦力というより、そういうチーム力の差が、序盤のセ・リーグでは顕在化していますね。

ドームからの帰りがけに、山下書店後楽園ビル店で、デジホリさん

http://rironha.blog63.fc2.com/

の『ドラブック’08』を買いました。

思った以上に、ブログの掲載内容を忠実に再現しているな、と思いましたね。

●朝昼のレコーディング

チョコフィナンシェ、ドリンクヨーグルト、ホットミルクティー


エクセルシオールカフェにて
ジェノバ風ローストチキンサンド(トマト、レタス、バジルソース)、クラムチャウダー、ダージリンミルクティー
※案外イタリアンが多いなあ。

2008/04/02(水)21:53
東京ドームでの読売対中日戦の観戦終了後、時計を見たら午後9時前だったので、テレビ中継でも通常の放映時間内中継に貢献し、試合時間短縮にも貢献するとは、中日とともに、読売もご苦労さんという感じでしょうか。

読売は、チーム得点マイナス60%を目指しているのでしょうね。まあ、そのほうが、日本プロ野球球界環境に優しいですしね。

うちも、もちろん打線が絶好調という訳ではないのですが、取ってほしい時にきっちり得点し、試合巧者振りを発揮していますね。心配された守備の穴もきっちり埋まっていますし。

特に、何と言ってもイ・ビョンギュさんが打つし守るし走るんですこれが。

守備でも足がよく動いてきっちりボールの落下点に入るし、本当に、シーズン・オフに彼に説教して心を入れ替えさせたソン^ドンユル様々です。

一方、本日、序盤で急遽山本昌降板の大ピンチを救って、来日初勝利を挙げたチェン・ウェインは、ヒーローインタビューで、最初にこの勝利を誰に報告したいかと聞かれて、真っ先に大豊さんの名前を挙げてから、自分の両親と言ってました。

大豊さんが、日本野球に来るように推薦してくれたのだとか。
いわば台湾球界のスカウト役を果たしてくれたのでした。大豊さん。
単に大豊飯店のおやじだけじゃないんだ。

すごいねえ。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080402

●夜のレコーディング
東京ドーム内の売店にて
太巻寿司の盛り合わせ弁当、烏龍茶

|

2008年4月 1日 (火)

朝昼のレコーディング3日目

朝昼のレコーディング3日目。

日本人は熱しやすく醒めやすい民族だといわれますが、韓国人のほうがさらにその傾向が強いですよね。

なんでも、韓国では北京五輪に韓国が出場することになっても、ほとんど盛り上がっていないのだそうです。

プロ野球は、日本のほうが歴史があり、いわば“先進国”なので、それが面白くないのでしょう。だから、プレースタイルも指向性もメジャースタイルですよね。

その点、サッカーについては、日本に対して先進国としてのプライドがあるから、あれだけ熱くなるのでしょう。

●本日のメニュー

朝のバナナ(ドリンク容器入り)、カルピスウォーター


百菜粥にて
かぼちゃと鶏肉のお粥(三分粥。グリーンアスパラ、ネギ入り)、野菜スープの水餃子(ニンジン、大根、水菜入り)、高菜少々

|

2008年3月29日 (土)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 ラストイニング 延長12回痛み分け?

08/03/29(土)
本日は、8時に朝食を食べた後、精算の手続きを終えたら、いよいよ退院です。

本来なら、桜吹雪舞い落ちる街路樹を心晴れ晴れと家路に着くつもりでしたが、何か心が重いのはどうしてでしょうか。

やはり、3週間近く入院すると、公私にわたり、やらねばねばならぬことが溜まっているし、この後に茨の道が待っています。

治療も外来で継続しなければなりませんし。

さて、昨日のセ・リーグ開幕戦、中日対広島戦は、川上と大竹の両軍開幕投手の行き詰まる投手戦ではありましたが、試合の経過から判断すると、常に広島に先手先手と攻められていて、広島の繰り出す多彩な攻撃に防戦一方で、中日が何とか追いついてやっと引き分けたというのが本当のところです。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080328

まあ、両軍ともに絶好の得点機を逃しましたが、特に、うちの荒木は無死満塁のサヨナラの好機に併殺に倒れ、相変わらずこういうチャンスに弱いなあ。

前の打者が立浪で、敬遠されてのものでしたが、2002年の「竜之巣」

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestindex.htm

で私が書いたコラム、「星之戦争」エピソード6:(2002/5/25)“The Prince and I”もうひとつの「竜虎闘争」http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw06.htm

を彷彿とさせるようなシーンでした。

当時は、星野政権の時代でしたから、落合監督はこのときの状況を知る由もありませんが、といって、こういう場面で荒木に代打を出す訳にはいかないでしょうから、今後の荒木の奮起に期待するしかないでしょうね。

延長12回裏の最後の打者も荒木で、二死三塁でセカンドライナーに倒れ、汚名返上ならず。

ラジオ中継を聴いていても、二度の好機ともに、明らかにこの場の状況から早く逃げ出したくて、初球攻撃している雰囲気がありありと伝わってきました。

まあ課題は多いですね。両軍ともに。

うちは攻撃陣と、福留が抜けた後の外野守備、広島はリリーフ投手の不安定さ。

一方、病室ではスカパーが観れないので、東海ラジオガッツナイターで中日戦を聴取し、テレビで、神宮球場の東京ヤクルト対讀賣戦を観ました(試合を中継したフジテレビでは、「東京ダービー」なる、サッカー用語を模した珍妙なるネーミングの煽り文句が並べられていましたが、讀賣は「東京」を返上して、「全国」の讀賣球団を目指したはずなのだから、これはおかしいですね)が、なかなか見事なヤクルトの勝ちっぷり。

まさに溜飲を下げました。

特に東京ヤクルトの開幕石川投手の相変わらずの、人を食ったようなクレバーな投球が光っていましたね。往年の山本昌を彷彿とさせるような投球術でした。

さて、いよいよラストの朝食メニューです。

●本日のメニュー:

ロールパン2個(イチゴのジャム付き)、鶏肉とニンジン、玉ねぎ、白菜の煮物、洋梨の缶詰、ポケットプロセスチーズ、ミルク、番茶

Img222

鶏肉とニンジン、玉ねぎ、白菜の煮物

Img223

一応、満開の桜並木の中を通って、家路に着くことができました。

中日ドラゴンズの今シーズンの旅立ちとともに、私の今シーズンが始まりました。ふう。

病室から眺める、満開の桜並木のラストショット。

いよいよこの風景も、見納めとなりました。

Img224_2   

|

2008年3月28日 (金)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その16 うーん、満開退院とはいかず…。

08/03/28(金)10:02
先ほどの主治医の回診で、明日、29日に退院できることになりました。

これで、この入院記もいよいよ終わりかと思いましたが、「一喜一憂」というネーミングが示すとおり、一筋縄ではいきませんでした。

主治医から退院の許可はいただいたのですが、引き続き、外来による通院治療が何回か必要なようです。

それも、昨日、ピロリ菌の検査で陽性の結果が出てしまい、その治療自体は、投薬による外来治療を続けて除菌するそうですが、副作用が出る場合もあり、潰瘍の治療とともに気長に治療する必要があるとの診断結果でした。

改めて、外来通院時から1週間、ピロリ菌を除菌するための薬を飲み続ける必要があるとのことです。

副作用としては、下痢の症状が出る場合があるとのことで、なかなか厄介です。

満開の退院とはいきませんでしたが、開幕一軍メンバーには残れたという感じですね。

いわば、結果を残せなければ再びファームで調整しなければならない、中日ドラゴンズの山本昌投手のような心境です。

いよいよ、この病院での潰瘍食は、本日の昼と夕方、明日の朝の3回となりました。

素材としては、肉は鶏肉のみ、魚は、白身魚中心、野菜は、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、さやいんげん、さやえんどう、デザートは、主にフルーツの缶詰とヨーグルトやチーズ、ドリンクはミルクと番茶、調理法は、ほとんどが煮物と蒸し料理と、いろいろな制限がありながら、よくぞバラエティに富んだ料理を出すものだと感心しました。

まるで、150キロの速球がなくても、多彩な変化球を織り混ぜることで、130キロ台の速球を150キロの豪速球に感じさせて、バッターに真っ向勝負を挑む、“本格派”のベテラン投手、山本昌のような、潰瘍食のメニューでした。

私もこの精神を見習って、日常生活に立ち向かっていかねばなりませんね。

頑張れ、山本昌、それから自分!

Img215

●本日のメニュー:

潰瘍食(常食)
食パン(コーヒーマーブルパン。カセイのリンゴジャム付き)、キャベツとニンジン、鶏肉の煮物、、桃の缶詰、番茶

Img210

食パン(コーヒーマーブルパン。カセイのリンゴジャム付き)

Img211

キャベツとニンジン、鶏肉の煮物

Img212

桃の缶詰

Img213


潰瘍食(常食)
うどん(カマボコ、ホウレン草、ネギ入り)、カリフラワーとブロッコリーの煮物、カブの煮物、番茶

Img216

うどん(カマボコ、ホウレン草、ネギ入り)

Img217


潰瘍食(常食)
ご飯(鯛味噌チューブ付き)、鮭の塩焼き(キャベツとトマト添え)、高野豆腐の煮物、アップルジュース(メイトー)、番茶

Img218

鮭の塩焼き(キャベツとトマト添え)

Img219

|

2008年3月27日 (木)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その15 ピロリ菌というネーミングにしたの誰?

08/03/27(木)10:38
ピロリ菌の検査は、約30分くらいで終了しました。

前日の夜9時から、食事と水分をとらずに検査を受ける必要がありますが、検査自体の所要時間は短いです。

まず、検査前の呼気を、検査用の空気袋のようなものに吹き込み、その後、「ユーピット錠」という名前の錠剤を飲んだ後に、お腹の左側を下にして横になって5分経過した後に、今度は20分間座った後に、もう一度呼気を検査用の空気袋に吹き込んで、検査が終了します。

あとは、その空気袋を検査用の分析機器にかけて、ピロリ菌の有無を検査するようです。

検査の前に、写真入りのパンフレットを渡されたので、心の準備もできましたし。

Img195

入院していろいろな検査を受けましたが、たしかに苦痛もなく、一番楽な検査でした。

この結果、ピロリ菌が発見された場合は、投薬でピロリ菌をなくす治療をするのでしょうかね。

ただ、このピロリ菌というネーミングに、深刻さが感じられないのが少々不思議ですね。まあ、ピロリン菌だったら今度はふざけていると思われてしまったかもしれませんが、もう少し恐ろしげなネーミングにすればよかったかも。

昼から常食キター!
08/03/27(木)12:26
昼からやっと常食が出ました!

あとは2日間、これを食べてOKならば、帰っていいということになると期待します。

さて、外の桜並木はもう満開で、果たして、桜が散り始めるのが早いか、私の退院の方が早いか、待ったなしになってきました。

Img193

Img205

明日への備えはバッチリ!
08/03/27(木)18:49
本日、病室内でラジオをチェックしたら、東海ラジオがバッチリ入ることが確認できました。これで、明日のラジオ観戦に向けた備えはバッチリということになります。

●本日のメニュー:

潰瘍食(全粥扱い)、
食パン2枚(黒パン。カセイのハイビー:蜂蜜付き)、ゆで卵、マカロニサラダ、ババロアNストロベリー、ミルク(メイトー)、番茶

Img197

マカロニサラダ

Img198

カセイのハイビー:蜂蜜

Img199

ババロアNストロベリー

Img200


潰瘍食(常食)
※遂に「常食」キター!
ご飯(海苔佃煮チューブ付き)、お吸い物(カマボコと青菜入り)、鱈の味噌煮(煮キャベツ入り)、大根の煮物、番茶

Img201

鱈の味噌煮(煮キャベツ入り)

Img202

お吸い物(カマボコと青菜入り)

Img203

大根の煮物

Img204


潰瘍食(常食)
ご飯(鯛味噌チューブ付き)、肉じゃが(鶏肉、玉ねぎ、ニンジン入り)、さやいんげんの煮物、おなかにやさしいヨーグルト(メイトー)、番茶

Img207

肉じゃが(鶏肉、玉ねぎ、ニンジン入り)

Img208

さやいんげんの煮物

Img209

|

2008年3月26日 (水)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その14 後出しジャンケン?

08/03/26(水)09:39
本日の院長回診で、「ピロリ菌の検査はしたかな?」と尋ねられ、こちらが「?」となりました。

最近の潰瘍の原因は、ピロリ菌によるものが増えてきているとのことで、風船を膨らませる簡単な検査だから、明日やりましょうということになりました。

簡単な検査だったら、今までにやってくれてもよかったじゃん。後出しジャンケンじゃん、と思いましたが、まあ仕方がないですね。

ピロリ菌がお腹に居ないことを祈るばかりです。

まあ、どっちみち、食事のランクアップは、潰瘍の場合は2日毎に実施して行くという説明を、他の入院患者にしているのが聞こえてきたので、早くても明日の昼食から常食にランクが上がり、それを2日間続けて大丈夫だったら退院できるということのようです。

さて、本日のTBSラジオ「森本毅郎のスタンバイ!」のお天気コーナーでは、気象予報士の森田さんが、桜が満開になるのはあと3日後というような話をしていましたから、桜の満開と同時に退院できるかも。

満開の桜並木の中を、颯爽と通り過ぎながら家路に着くのも乙なものと思うことにします。

Img185

3月28日には、いよいよプロ野球セ・リーグ開幕戦が開催され、我が中日ドラゴンズも、ナゴヤドームで、広島東洋カープを迎え撃ちます。

その試合を、自宅のスカパーで観たかったのですが、ちょっと厳しいかな。

せめて、病室で「東海ラジオガッツナイター」が聴けるとよいのですが。

本日も午後から出社する予定ですが、午後から天気が崩れて雨模様になるとか。

ちょっと憂鬱な朝でした。

●本日のメニュー:

潰瘍食
全粥、味噌汁(麩入り)、卵のふわふわ(さやえんどう入り)、白菜とニンジンの煮物、ポケットプロセスチーズ(Ca+Fe)、ミルク(メイトー)、番茶

Img182

卵のふわふわ(さやえんどう入り)、白菜とニンジンの煮物

Img183


潰瘍食(全粥扱い)
ロールパン2個(アルハのユニソーヤマーガリン8g付き)、コンソメスープ(キャベツ、ニンジン入り)、クリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン入り)、ホウレン草のお浸し、いちごゼリー(BCAA、オリゴ糖配合)、番茶

Img186

ロールパン2個

Img188

アルハのユニソーヤマーガリン

Img189

クリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン入り)

Img187


潰瘍食
全粥(海苔の佃煮チューブ付き)、蒸し鶏(ニンジン、ブロッコリー、カリフラワー添え)、キャベツとニンジン、大根のひき肉和え、ヨーグルト(メイトー)、番茶

|

2008年3月25日 (火)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その13 常食マダー…。

3月25日(火)13時04分20秒
本日の回診時にも、院長から、普通のご飯が食べれるようになったら帰っていいと言われたのですが、朝食は、まだ七分粥のままでした。

昼食でやっとランクアップされたのですが、お膳の中に、その献立のランクを示す立て札が置かれていて、そこには「全粥」と書かれていました。

そう来たかあ。

七分粥の次はてっきり常食だと思っていたのですが、そうではなく、全粥を経てから普通のご飯に切り替わる訳ですね。


うーん、なかなか次のステージに上がれないRPGをやっているような心境です。

病院の窓から見える街路樹の桜並木は、本日の陽気に誘われて、いよいよ満開間近となってきました。

Img178 

ということは、私のライバルは、森野、イ・ビョンギュに加えて、ソメイヨシノということになりました。

頑張れ、森野、イ・ビョンギュ、ソメイヨシノ、そして自分

●本日のメニュー:

潰瘍食
食パン(イングリッシュ・ブレッド。カセイのいちごミックスジャム付き)、ゆで卵、キャベツとニンジンに挽き肉和え、みかんの缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img167

キャベツとニンジンに挽き肉和え

Img168


潰瘍食
全粥(鯛味噌チューブ付き)、お吸い物(麩とネギ入り)、鯖の味噌煮(さやいんげん添え)、白菜とニンジンの煮物、番茶

Img172

全粥(鯛味噌チューブ付き)

Img176

お吸い物(麩とネギ入り)

Img175

鯖の味噌煮(さやいんげん添え)

Img173

白菜とニンジンの煮物、

Img174


潰瘍食
全粥(海苔の佃煮チューブ付き)、チキンの煮物(キャベツとカリフラワー、ニンジン添え)、ポテトサラダ、おなかにやさしいヨーグルト(メイトー)、番茶

Img179

チキンの煮物(キャベツとカリフラワー、ニンジン添え)

Img180

ポテトサラダ

Img181

|

2008年3月24日 (月)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その12 常食キター!

08/03/24(月)11:22
先ほどの主治医さんの回診で、いよいよ退院まであと一歩だと言われました。

あとは、常食と呼ばれる通常食を食べて症状が出なければ、晴れて退院できそうです。

もちろん、うれしいのですが、せっかく会社に行くのにも“重役出勤”が許されるという「特権」を獲得していたのに、もう終わりかと思うと、少々残念だなというのが、実は偽りのない気持ちです。

やはり、仕事場に戻れば課題が山積している訳ですし、これだけ規則正しい生活を日常生活で送るのは、なかなか大変ですしね。

この病院は、交通量の多いメインストリート沿いに位置しており、窓の外を見ると、本日は雨模様で、通勤途中なのか、傘を差しながら忙しそうに通りを行き交う人々の姿や、せわしなく道路を交差する自動車の群れが通り過ぎるのを、この冷暖房完備の“温室”から眺めることができます。

Img149

また、この通りは桜並木で有名だそうで、既に街路樹の桜の枝には、五分から七分までに膨らんだ桜色の蕾が雨の町並みに彩りを添えており、開花宣言間近を予感させます。

ここでは「桜まつり」というイベントを、商店街の主催で、4月4日から6日にかけて催すようで、それを予告する桜色の提灯が通りに沿って吊り下げられており、この病院の提灯も、この近辺に多数吊り下げられていて、有力なスポンサーの役目も果たしているようです。

Img156

Img161

まあ、いずれにせよ、間もなく退院できるのは間違いないと思います。

私自身の“開花宣言”も間もなくかな。

4月の開幕ギリギリで、なんとか森野に追い付いたかな。

●本日のメニュー:

潰瘍食(七分粥扱い)
玄米パン2個(オレンジマーマレード付き)
※パン食キター! たぶん、常食と同じ
ゆで卵、キャベツとニンジン、大豆の煮物、ミックスフルーツの缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img143

玄米パン2個(オレンジマーマレード付き)

Img144

ゆで卵

Img145

キャベツとニンジン、大豆の煮物

Img146

ミックスフルーツの缶詰

Img147


潰瘍食
七分粥(鯛味噌チューブ付き)、味噌汁(青菜入り)、チキンの味噌煮(キャベツとトマト添え)、シラスとニンジン、ナス、玉ねぎの煮物、番茶

Img152

チキンの味噌煮(キャベツとトマト添え)

Img153

シラスとニンジン、ナス、玉ねぎの煮物、

Img154


潰瘍食
七分粥(海苔の佃煮チューブ付き)、金目鯛の煮付け(さやいんげん添え)、湯豆腐、おなかにやさしいヨーグルト(メイトー)、番茶

Img162

金目鯛の煮付け(さやいんげん添え)

Img163

湯豆腐

Img164

|

2008年3月23日 (日)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その11 米とパン、アオダモとホワイトアッシュ 

昨日の昼間の看護士さんの「予告先発」のとおり、昼食から、いよいよ七分粥になりました。

こうなると、もうお米の形は完全に原型を留めており、通常のご飯にあと一歩という感じです。

まさに“開花”まで七分といったところですね。

実は、入院前の1ヵ月間は、普通のご飯を食べるとたいていは腹痛が発生していたので、やむを得ず、職場の近辺にあるスープ専門店や、お粥専門店をあちこち見つけて、そこで栄養を摂取していました。

それでも、入院する直前になると、そういった“流動食”的な食事をとっても腹痛が起きるようになってしまい、いよいよ行き詰まっていたのですが。

特に、お粥については、勤務先がある交通機関の最寄駅である新橋駅に、昨年の10月にオープンした「百菜粥」という、お粥専門店

http://shinbashi.keizai.biz/headline/202/

http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13043609/

http://r.gnavi.co.jp/p759300/

を発見し、そこの“常連”となっていました。

そこが出すお粥と比べても、現在の七分粥のほうがお米の形が保たれているので、いよいよ普通の食事に接近していることになります。

お粥といえば、あとは中華料理店で、本格派の中華料理を出すところには、お粥メニューを出すお店もあり、重宝しました。

入院する前に、そういう形で、“胃腸に優しい”料理を出す店を物色していたのですが、いかに外食でそういう料理店を探すのが難しいかを痛感しました。

そういう料理は、材料を吟味する必要がありますし、じっくりと煮込んだり、味付けに気を付けないとゴマカシがばれてしまうので、商売上はうま味が少ないのでしょうね。

そういえば、ここの入院食でも、ご飯の硬さは、徐々にランクアップされていきましたが、おかずは、三分粥の時期からでも、煮込んだ料理が多いとはいえ、比較的普通のおかずと変わらないものが多いように感じられました。

いわば、でんぷんや炭水化物を消化することが、人間の胃腸にとっては大きな負担であるということなのかもしれません。

たとえば、同じ入院時の朝食でも、私のような“潰瘍持ち”のご飯はお粥のメニューですが、他の病名で入院している人たちのメニューは、たいていはパン食のようです。

昔、健康関連の雑誌の特集で、いろいろな炭水化物系の“主食”の消化具合を比較した記事を読んだことがあるのですが、一般的にパンは消化するまでに時間がかかるそうで、やはり、じっくりと煮込んだご飯や、うどん類、パスタ類が消化するのが早いので、胃腸にかかる負担が少ないということなのでしょう。

人類は、主食として主に炭水化物を摂取して、さらに多くの人たちは肉や魚、野菜と、満遍なく食物を摂取する“超雑食”的な動物であるといえますが、案外炭水化物を消化するのが苦手な動物であるのかもしれませんね。

また、先日、縄文人の生活について研究している人の本を読んで、なるほどと感心したのですが、実は煮るという行為が、最も高度な調理法であるということです。

人類も、火の利用法を“発明”するまでは、他の野生動物と同様に、食物を生食していたものと思われますが、まず、山火事か何かで焼け死んだ動植物を試しに食べてみたら、生食より格段に美味しかったうえに保存も効くということがわかり、さらに人工的に火を起こすことができるようになり、焚き火に食物をかざして「焼く」という調理法を、まずは発明したものと思われます。

ところが、煮るという行為は、食物に熱を加える際に、まずは水をお湯にして、間接的にその熱を加えていく調理法なのですから、まずは、食物と水を一緒に入れる容器が必要で、さらにその容器は、直接火にかざしても燃えてしまわないような材料で作られている必要があります。

そこで、土器という、食物と水を貯めることができるうえに、さらにそれを火にかざしても燃えない容器を発明したことが、人類の進化にもたらした影響は図りしれないものがあり、それは、調理法においても画期的な発明だったようです。

この、素焼きの土器から発展して、さらに陶器や磁器、あるいは金属性の青銅器や鉄器が発明されて、人類のバラエティ豊かな調理法や食器が作られて、今日のような「食文化」が生まれたことになります。

今回、潰瘍食のメニューをずっと記録していて気付いたことは、ほとんどの調理法が、「煮物」や「煮付け」、「煮込み」である点で、この調理法が胃腸に最も優しいということでもあり、たぶん、人類の寿命を大幅に伸ばしたおおいなる発明だったことでしょう。

さて、本日の午後は天気がよかったのと、運動もしなければならないとの栄養士さんのご指導のもと、病院を抜け出して、中野近辺の早稲田通り沿いを徒歩で散策しました。

途中のコンビニに立ち寄ってトーチュウを購入したところ、昨日の対ヤクルト戦で、中日が11対2で快勝ということで、紙面はハシャぎまくりですね。

本日のドラゴンズは、デーゲームのオープン戦ですが、スカパーでの中継もなく、パリーグの公式戦がスカパーで放映されているようですね。

一方、地上波は、大リーグと阪神や讀賣との“鼻野球”のほうを中継しているのですから、読売の上原がそのことを自身のブログで批判したそうですが、確かに彼じゃなくても、古くからのプロ野球ファンならば腹が立つ話ですね。

たぶん、視聴率的にはそこそこの結果を残すだろうから、また、日本プロ野球(NPB)の試合中継が片隅に追いやられる訳ですね。誠に困ったもんです。

いわば、NPBの象徴であるバットの材料、「守れ! アオダモ」、MLBの象徴とでもいうべきバットの材料、「打倒! ホワイトアッシュ」ということになりますかね。

誰か、「大リーグ中継打倒ギプス」を発明してくれ!

●本日のメニュー:

潰瘍食
三分粥、味噌汁(とろろ昆布入り)、ホウレン草のお浸し、みかんの缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img134

ホウレン草のお浸し

Img135

みかんの缶詰

Img136


潰瘍食
七分粥
※普通食(業界用語では(常食=通常食)というらしい)まで、あと三分
コンソメスープ(鳥肉とタマネギ入り)、麻婆豆腐(ニンジン入り。ただし辛みはなし)、キャベツの煮物(カニカマ入り)、リンゴゼリー(BCAA・カルシウム配合)、番茶

Img137

麻婆豆腐(ニンジン入り。ただし辛みはなし)

Img138

リンゴゼリー(BCAA・カルシウム配合)

Img139


潰瘍食
七分粥(鯛味噌チューブ付き)、チキンソテー(煮キャベツ添え)、キャベツの茎の酢漬け(カイワレ大根入り)、おなかにやさしいヨーグルト(メイトー)、番茶

Img140

チキンソテー(煮キャベツ添え)

Img141

キャベツの茎の酢漬け(カイワレ大根入り)

Img142

|

2008年3月22日 (土)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その10 かくさしゃかいとイ・ビョンギュにもまけないぞ!

08/03/22(土)09:12
6時起床、三度の食事、9時就寝と、あまりに規則正しい生活で、逆に社会復帰したときにこれほどきちんとした生活が続けられるのかがちょっと心配です。

先ほど、定期回診があり、昨日行った血糖値の検査結果によると、軽い糖尿傾向が見られるので、食事がだんだん普通食になるとカロリーが増えるので注意が必要であると言われました。

この、自分の体質については、今まで受診した人間ドックなどでも注意されていて、ある意味、半分遺伝的な体質でもあるので、入院時の問診時に先回りして申告しておいたのですが、まあ、血液検査を実施した結果、改めてこの病院としての見解を述べたというところでしょうか。

基本的には運動療法をしなさい、とのことです。

また、食事が普通食に戻れば退院です、と言われたので、ようやく“一軍戦”のレギュラーシーズンへの出場のめどが立ってきました。

本日から、点滴という“ギプス”がはずれたので、昼食後と夕食前の4時間は自由に外出できることになりましたので、“自主トレ”に励みたいと思います。

再び、森野に挑戦だ!

08/03/22(土)11:19
本日は、点滴がなくなったので、早めにシャワーを浴びることが許されたので、9時過ぎからシャワーを浴びた後に10時から、久しぶりにテレビの「ケロロ軍曹」を見ようと思って浴室から病室に戻ったら、栄養士さんが待ちかまえていて、たっぷり30分間栄養指導を受けました。

まあ、なかなか自分の思ったように行動できないのが、入院患者の悲しさですね。

特に注意されたのは体重で、先ほどの回診で、主治医から血糖値が正常値よりやや高いということで、早速、栄養士に連絡が行き、しっかり指導せよという命令が下ったのでしょう。

私の場合身長が169センチ(プロ野球選手の公称身長にあらず)なので、標準体重が63キロであり、この体重になんとしてでも減らす必要があり、あと3キロを3ヶ月、1ヶ月に1キロずつ減らしなさいと言われました。

そのためには、1日三度の食事で、約80キロカロリーずつ、何らかの食事を残すとよいとのことで、目安とすると、ご飯でいえば、約50グラム、ひとくち分より若干多い程度を残すように心がけなさい、と言われました。

あとは、ご飯以外の食品で80キロカロリーに相当するものは、これとこれとこれ、というように、たくさんの例を挙げてもらいました。

さらに、毎日40分程度体を動かすことと、毎日体重計に乗って、どういう食事をとると体重の増減に影響が出るのかを記録しなさい、とのこと。

ただし、十二指腸潰瘍には、繊維質の多い食品はよくないらしく、こんにゃくや海藻、きのこ類、レンコンやきんぴらごぼうのような食品がよくないそうです。

麺類では、脂質を多く使って調理されているラーメンが厳禁で、繊維質が多い蕎麦よりはうどん、パスタは、脂っぽくない調理法がされているものがよいので、カルボナーラみたいな脂の多いものがよくないとのこと。

かなり、説教口調でいろいろと指導を受けたのですが、ふと、中日ドラゴンズのイ・ビョンギュのことを思い浮かべてしまいました。

彼は、韓国プロ野球界から、昨年鳴り物入りで中日ドラゴンズに入団しましたが、昨年の成績はやはりかなり期待はずれだったため、きっと、日本人のコーチや野球評論家から、日本の野球はこうだから、こうしないとダメ! と、散々言われていたと思いますが、やはり日本人に言われてもねえ。

何となく実感が湧かなかっただろうなあ。

その点、このオフに韓国に戻った際には、韓国の大先輩で、韓国の至宝と呼ばれ、韓国球界から日本球界に自信満々で渡ってみたものの、最初は思うような成績が収められずに苦労したが、その後立ち直って、日本でも好成績を上げた、中日ドラゴンズのOBでもある、ソン・ドンユルとかソン・ドンユルとかソン・ドンユルに諭されたので、今回はかなり心を入れ替えて自主トレにも励み、来日してからもキャンプも真面目にやったからこそ、現在、オープン戦で良い結果を残しているのでしょう。

今年のイ・ビョンギュは昨年とは違うぞ。

私はそう思うことにしました。

私の今季のライバルは、ドアラの中の人?=森野とともに、人の言うことを聞くようになった人?=イ・ビョンギュ、ということになりました。

頑張れ、森野、イ・ビョンギュ、そして自分!

花粉症は再発したけれど 
2008年 3月22日(土)18時46分43秒
潰瘍の治癒は順調のようで、先ほど、看護士さんから、明日の昼から七分粥になるという「予告」がありました。

面白いもので、お粥の軟度は、奇数で示されるのですよね。

「一分粥」とはいわずに「おもゆ」ですが、次からは「三分、五分、七分」と来て、最後は「通常食」というのかな。

いよいよ明日から、“開花予想”が七分になったということです。

それにしても、本日は花粉症が酷いです。
室内にいてもマスクが必要です。

入院前の潰瘍による腹痛に悩んでいた頃には、花粉症の症状がおとなしかったのに、そちらがよくなると、鼻も“安心”してアレルギー症状を再び起こし始めたのかもしれません。

つくづく、身体というものは“現金”なモノですね。

●本日のメニュー:

潰瘍食
五分粥、味噌汁(麩入り)、キャベツとニンジン、ハムの煮物、ポケットプロセスチーズ、マンゴーの缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img125

キャベツとニンジン、ハムの煮物

Img126

ポケットプロセスチーズ

Img127


潰瘍食
五分粥(海苔の佃煮チューブ付き)、味噌汁(青菜入り)、鶏肉の煮物に煮キャベツ添え、ポテトサラダ(ニンジン入り)、番茶

Img128

鶏肉の煮物に煮キャベツ添え

Img129

ポテトサラダ(ニンジン入り)

Img130


潰瘍食
五分粥(鯛味噌チューブ付き)、メルルーサの煮物(さやいんげん添え)、カボチャの煮物、アップルジュース(メイトー)、番茶

Img131

メルルーサの煮物(さやいんげん添え)

Img132

カボチャの煮物

Img133

|

2008年3月21日 (金)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その9 うーん、森野に負けたか いやまだチャンスはある?

08/03/21(金)10:42
本日、先ほど主治医の定期回診があり、一昨日に実施した胃腸の内視鏡検査の診断結果を説明していただきました。

少々ショックを受けていますが、まだ治癒状況が完全でなく、今後5日から7日間の入院を要する見込みという診断が下されました。

まだ、潰瘍を起こしている部位が狭くなっており、食物の通過障害が見られるという診断を受けました。

今まで、何回か潰瘍が起きていたのが自然治癒していたのを繰り返していて、ここまで狭くなったのではないかということでした。

そこで、先日ネットで調べた、肥厚性幽門狭窄症を、乳児の頃に煩っていたのを、当時は治療せずに治癒したので、それが体質にも影響しているのではと述べたところ、それをカルテに書いてくれました。

まあ、今後の治療方針の参考にはしてもらえるようです。

一方、さすがにずっと入院しているわけにもいかないので、本日の午後から、五分粥に替えていただき、点滴も本日の1本が最後となりましたが、最終的には、通常食を食べても症状が起きないことを確認できないと、退院できないようです。

現時点の診断書を、医師に発行してもらい、本日会社に持参します。

2週間以上の入院の場合は、会社からある程度のお見舞い金が出るそうで、非常にありがたいことです。

また、一時外出は引き続き許可してもらえましたので、来週からは、昼食後から会社に出社して、夕食までに戻る形で出社したいと思います。

したがって、午後2時から午後4時半頃の一時出社を来週からは続けることになりそうです。

森野は開幕戦に間に合うという報道がされているので、今のところ完全に負けてるなあ。

頑張れ自分!

そして、本日は、午後から会社に出社しました。

3月10日の午前中に病欠の連絡を入れて、午後にそのままこの病院に入院したまま、ずっと出社できなかったわけですから、約10日振りの出社となります。

出社して、職場のドアを開ける際には少々プレッシャーが掛かるものですが、幸いにも、ドアを開けた瞬間に出会った他部門の女性社員が非常に気が利く方で、潰瘍の経験者でもあったので、ひとしきり事情を聞いていたたきながら励まされ、そのあとに、自分の職場に着いた際に、スムーズに事情を説明することができました。

すでに、先日来、上司にメールで現在の状況を逐次報告していたので、職場の皆さんにも一応私の現状が事前に伝わっていたので、まずは暖かく迎えていただき、何よりでした。

とはいえ、やはりひととおり、緊急入院から今日に至るまでの状況を、いろいろな人たちに説明する必要はあり、向こうは私の話を初めて聞く訳ですが、私は同じことを何回も喋らなければならない訳で、その繰り返しで30分くらいは時間が経過しました。

さて、私の話の中で、一番インパクトがあったのは、体重が10キロ減ってスリムになったことでしょうか。

「いわゆる“点滴ダイエット”で、こうすれば10キロ痩せられて、ウェストにも“くびれ”ができるよ」

という話が、皆さんに大受けでしたね。

まあ、実際には、入院する前に、腹痛で悩んでいた時点で、肥満が内蔵に負担を掛けていて、いろいろと症状が出ているのではないかと思っていたので、既に、少々絶食気味のダイエットを実行して体重を減らしてはいたのですが、結局、腹痛を直す決め手にはなりませんでした。

実際には、十二指腸の潰瘍によって幽門が狭くなっていて、胃液が逆流していたことによる症状が、腹痛の原因だったようですから、ダイエット自体は、残念ながら治癒の決め手にはなりませんでしたが、内蔵脂肪はかなり減ったでしょうし、いずれにせよ、メタボリック症候群からの脱出にあと一歩と迫ってきたので、結果的にはダイエットの効果はこれからでしょうね。

また、栄養士さんから、まだあと3キロ痩せないといけないと言われた、という話をしたら、皆さん驚いていました。

というわけで、本日は、皆さん、私に対して“お客さん”扱いをしていただきましたが、来週からは、病院で昼食の終了後、一応毎日出社して、再び夕食前に病院に戻るという生活パターンをする予定なので、徐々に“社会復帰”する積もりです。

さすがに、入院期間中に、本来は私がやるべき仕事を肩代わりしてもらいつつも、現時点では私がやらねば進展しない業務が滞り気味なので、それを早く元のペースで進める必要もありますので。

来週からは、本格的な一軍のレギュラー復帰に向けて、まずはオープン戦やファームの教育リーグに出場するという感じで、まさに森野とシンクロしております。

森野選手は、早くも打撃も好調で、守備もそつなくこなして入ぴるそうですから、彼に負けずに頑張らねば。

どあらのなかのひと=もりのせんしゅにはまだまだまけないぞ
by「にせみなみぶちのひみつ」

●本日のメニュー:

潰瘍食
三分粥、お吸い物(とろろ昆布入り)、オムレツ(トマトケチャップ掛け、ブロッコリーの煮物添えサラダ)、洋梨の缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img117

オムレツ(トマトケチャップ掛け、ブロッコリーの煮物添えサラダ)

Img118


潰瘍食
五分粥
※ようやく“ランク”アップ!
味噌汁(麩入り)、鶏肉と玉ねぎの煮物、豆腐の白和え(青菜とニンジン入り)、番茶

Img119

鶏肉と玉ねぎの煮物

Img120

豆腐の白和え(青菜とニンジン入り)

Img121


潰瘍食
五分粥(鮭のふりかけ付き)、カレイの煮付け(大根とニンジンのあんかけ)、大根の煮物、アップルジュース(メイトー)、番茶

Img122

カレイの煮付け(大根とニンジンのあんかけ)

Img123

大根の煮物

Img124

|

2008年3月20日 (木)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その8 私の身体はガラパゴス体質?

08/03/20(木)08:06
本日は雨ですねえ。

こりゃ、本日の神宮球場のオープン戦も中止ですね。

実は、天気が良ければ、本日の午後1時から神宮球場で開催される予定だった、東京ヤクルトスワローズ体中日ドラゴンズの試合を、スポット観戦しようと計画していました。

明日の午後に、会社に一時出社する予定なので、人込みに慣れておく必要もあったので、ちょうどよい“自主トレ”になると思ったのですが。

でも、身体は慣らしておかないといけないので、いずれにせよ、雨ですが、ちょっと付近を散歩しに外出する予定ではあります。

昨日飲んだ胃カメラは、喉に塗ってさらに腕から入れる麻酔のお陰で、世間で言われているように、飲み込む時におえっとならないのはいいのだけれど、胃カメラが胃腸に達している時にはほとんど意識を失っているので、検査の実態が、その時にはよくわからないのが悩みですね。

本日は祝日で、回診がお休みなので、翌朝の回診時に、主治医さんから、撮影した画像をもとに詳しく説明してくれると思いますが。

先程朝食が出ましたが、まだ三分粥かあ。なかなか成長しないなあ。

点滴が、本日から1本になったのが唯一の救いですが。

さて、点滴について、本日1つの発見がありました。

今まで、点滴は、朝食の後から始まって、昨日は2本だったのですが、本日から1本になったこともあり、何かと煩わしい点滴を早く終わらせてもらえるということで、起床後の午前7時から開始していただけるようになりました。

ところが、そうなったら、点滴の薬剤が体内に入る速度が、極端に遅くなったのです。

昨日の1本目もその傾向が見られたので、すぐに看護士さんを呼んで処置をしてもらったのですが、その際は、点滴の容器と、腕に指した針との間をつなぐチューブの間に凝結した血液が詰まって流れが悪くなったり、針を差した血管によっては血流の流れが悪い場合があって、点滴の流れが悪くなる場合があるそうです。

ただし、現在刺さっている血管は、薬剤もスムーズに入る“良い血管”だそうなので、点滴の器具には問題ないはずだと言われました。

本日も、起き抜けは点滴の流れが非常に遅く、少し心配だったのですが、やがて、1つの理由に思い当たりました。

入院すると、毎日の朝昼晩、定期的に体温と血圧を計測するのですが、起床時の体温は、だいたい35度台で、血圧も、最高血圧が100前後だということがわかりました。

それが、朝食と昼食を取った後の昼になると、体温は36度の後半辺りに上昇し、最高血圧も120前後に上昇するようです。

つまり、起きぬけは低体温で低血圧の体質で、食事を取った辺りから体温と血圧が上昇して、通常の体調になるというのが私の体質の特徴のようです。

その体質であることに気付いたので、本日は、点滴の流れが最初は非常に遅かったのですが、そのまま我慢して、朝食を食べたところ、間もなく点滴も非常にスムーズに流れるようになりました。

結局、点滴は、血流の流れの速度に合わせて薬剤を体内に注入する仕組みになっているので、体温と血圧が上昇して血流が良くなると、点滴もスムーズに流れるのでしょう。

点滴と、定時検温と血圧測定のお陰さんで、また1つ、自分の体質がわかりました。

うーん、私の体質は、ガラパゴス諸島のイグアナのような変温性かい?

●本日のメニュー:

潰瘍食
三分粥、味噌汁(麩入り)、鶏肉とジャガイモの煮物、マンゴーとパインアップルの缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img106

味噌汁(麩入り)

Img107

鶏肉とジャガイモの煮物

Img108

マンゴーとパインアップルの缶詰

Img109


潰瘍食
うどん(鶏肉となると風の麩入り)、キャベツとトマトの煮物、オレンジゼリー(アミノ酸:BCAA入り。亜鉛強化)、番茶

Img110

うどん(鶏肉となると風の麩入り)

Img111

キャベツとトマトの煮物

Img112

オレンジゼリー(アミノ酸:BCAA入り。亜鉛強化)、

Img113


潰瘍食
三分粥(鯛味噌チューブ付き)、鰤の煮付け(おろし大根添え)、高野豆腐の湯豆腐(カイワレ大根添え)、番茶

Img114

鰤の煮付け(おろし大根添え)

Img115

高野豆腐の湯豆腐(カイワレ大根添え)

Img116

|

2008年3月19日 (水)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その7 かくさしゃかいにまけないぞ

2008年 3月19日(水)10時50分59秒 
やはり差額ベッド時代とのサービスの違いを痛感していますね。

特に、二人部屋のときは、看護士さんがほとんど専属でケアをしてくれて、VIP扱いだった訳ですが、こちらの大部屋では、現在この部屋に入院している7人に分割されるわけですし、しょうがないですね。

病院としても、ただベッドで寝ていてくれるだけで、毎日1万円近くお金を払ってくれる客との格差をつけないと、かえって不公平ということになりますしね。

まだ、内視鏡検査はこれからです。

待遇の違いというのは、上から下に下がると結構ショックで、昨日の昼までが天国だったことがわかりましたが、このまましばらく居てもいいなと思いがちだったところを、一刻も早くここを出て頑張らねばという気持ちに切り替えようと思います。

頑張れ森野、そして自分

2008年 3月19日(水)13時19分31秒
胃カメラの検査結果キター!

検査直後に麻酔が醒めた時の看護士さんの話によると、潰瘍の治癒具合は順調で、明日から点滴1本になり、ということは五分粥にランクアップするものと思われ、“育成枠”から、晴れて“支配下登録選手”に昇格して、まずは“二軍”で様子を見るという段階に来たようです。

七分粥が一軍に昇格した控え選手、普通食が食べれるようになれば、一軍のレギュラーの代打の切り札で一時外泊も可能となり、無事に退院できれば、一軍のレギュラー確保で、何でもOKですね。

本日は、内視鏡検査の前に、まずは麻酔の注射を腕から注入し、さらに喉にも局所麻酔スプレーを吹きかけてから、管を飲み込みましたが、全然おえっともならず、気持ちも悪くなりませんでした。ただし、管を飲み込んだ頃には麻酔が効いてきて、意識が朦朧となり、はっきりとした記憶がなくなりますね。

とはいえ、30分間休んだ後に、遅めの昼食が出るそうです。

あとは、“ギプス”としての点滴が取れれば行動が自由になるので、それを心待ちにします。

●本日のメニュー:

胃腸の内視鏡検査のためなし。


潰瘍食
三分粥(海苔の佃煮チューブ付き)、味噌汁(青菜入り)、鱈の煮付け(キャベツ、ニンジンの煮物添え。中農ソース掛け)、里芋とニンジン、さやいんげんの煮物、番茶

Img099 

鱈の煮付け(キャベツ、ニンジンの煮物添え。中農ソース掛け)

Img100

里芋とニンジン、さやいんげんの煮物

Img102


潰瘍食
三分粥(鯛味噌チューブ付き)、ダシ巻き卵焼き(カイワレ大根ソース掛け)、ジャガイモとニンジンの煮物、おなかにやさしいヨーグルト(メイトー)、番茶

Img103

ダシ巻き卵焼き(カイワレ大根ソース掛け)

Img104

ジャガイモとニンジンの煮物

Img105

|

2008年3月18日 (火)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その6 第2次トライアウト?

08/03/18(火)10:35
本日午前の院長回診での問診の結果、明日に再度、胃腸の内視鏡検査を行うことになりました。

いよいよ、明日のテスト結果によって、“育成枠”選手から、“支配下”選手に這い上がれるかどうかが決定されます。

いわば、第2次トライアウトみたいなものといえますね。

食事についても、まだ三分粥に点滴を受けなければならない状況で、明日の検査結果が良くないと、次の進展が見られないようです。

一方、外出許可はいただいているので、本日の昼間に散歩と買い物に出掛ける予定です。

いわば、昇格テストに備えた自主トレですね。

さて、本日の夕方から、病室を移動しました。

差額無しのベッドで、8人部屋です。

実は、入院当初は差額ベッドしか空きがないとのことで、3日間が、1日当たり9,450円の三人部屋、その後に二人部屋ながら7,350円の部屋が空いたとのことで、これで3回目の“引越し”となります。

1回目の部屋は、主に急患が入院するところのようで、日当たりは良好でしたが、3人部屋でそれほど条件が恵まれているとは思いませんでしたが、ベッドが電動式で、上半身が起きて読書などをする時に便利でした。

2回目の二人部屋は、お隣さんが気さくな方だったので、いろいろと病院や治療や食事についての情報を教えてもらったので、過ごしやすかったですね。ちょっと日当たりが良くなかった以外は、非常に快適でしたが、やはり毎日、7,350円取られていると思うと、なんとなく、タクシーに乗っていて、深夜料金のメーターがどんどん上がっていくのと同じような気分になりましたね。

大部屋ではロッカーが狭くなり、やはりそれなりに不便ですが、背に腹は替えられません。

まあ、日当たりは再び良好です。

いずれにせよ、明日のテストをクリアして、なるべく早く自由を勝ち取りたいです。

●本日のメニュー:
朝 
潰瘍食
三分粥、味噌汁(刻みキャベツ入り)、豆腐の煮物(ネギ、鰹節入り)、菜の花のお浸し、ミルク(メイトー)、番茶

Img089

豆腐の煮物(ネギ、鰹節入り)

Img090_2

菜の花のお浸し

Img091_2


潰瘍食
三分粥、味噌汁(キャベツの千切り多数入り)、チキンハンバーグの煮物(ブロッコリー、ニンジンの煮物添え。トマトケチャップ掛け)、キャベツの煮物(ニンジン入り)、番茶

Img092_2

チキンハンバーグの煮物(ブロッコリー、ニンジンの煮物添え。トマトケチャップ掛け)

Img093_2

キャベツの煮物(ニンジン入り)

Img095

味噌汁(キャベツの千切り多数入り)

Img094_2


潰瘍食
三分粥(鯛味噌チューブ付き)、里芋と大根、さやえんどう、ニンジンと魚の練り物の煮付け、さやいんげんと鳥肉の煮物、アップルジュース(メイトー)、番茶

Img096

里芋と大根、さやえんどう、ニンジンと魚の練り物の煮付け

Img097

さやいんげんと鳥肉の煮物

Img098

|

2008年3月17日 (月)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その5 フードファイターは「幽門」が開くそうだが私のは閉じる?

2008年 3月17日(月)11時36分

午前中の回診時に、主治医の先生から、先週の月曜日の入院時の夕方に実施した、腹部CTスキャンの映像を、専門の検査機関に出して調べてもらった結果を教えていただきました。

それによると、やはり胃の出口と十二指腸の入口をつなぐ「幽門」という器官が狭くなっていて、胃の中が内容物でいっぱいになっていたそうです。

テレビの「大食い選手権」で人気を博した、ある“フードファイター”が、選手権のクライマックスでいったん限界状況になったときに、「(自分の)幽門が開いた」という言葉を発して、さらに大食いを再開して話題になったそうですが、実際には、自分の意思で幽門の開け閉めをコントロールすることはできないそうですから、まあそれはご愛嬌ということで。

一方、私が今週の月曜日に救急車でこの病院に担ぎ込まれた時点では、元々食物をほとんど食べていなかったので、幽門がほとんど塞がった状態になって、多分胃の中の大部分は胃液だったと思われ、それで胃がむかついて、腹痛と吐き気を催したのでしょう。

なお、当面の治療法は、現在処方されている「パリエット」という、胃酸の分泌を抑える薬(錠剤)が潰瘍に非常に有効だそうなので、それと、胃の粘膜を保護する「セルベックス」というカプセル剤とを6週間ほど飲み続ける療法をやってみて、その間にまた内視鏡検査をするとのことでした。

恐る恐る、退院や一時外出の見込み、仕事への取り組みについて伺ってみました。

退院は、検査結果しだいだが、早くてあと1週間はかかるとのこと。

ただし、一時外出は、本日からでもOKということになりました。

一方、食事は、本日も三分粥で、点滴も二本のままで、お隣さんよりは慎重に治療を進めなければならないようです。

●本日のメニュー:

潰瘍食
三分粥、味噌汁(刻み麩入り)、ブロッコリーサラダ(鶏肉のささみ入り)、洋梨の缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img078

ブロッコリーサラダ(鶏肉のささみ入り)

Img079

洋梨の缶詰

Img080


潰瘍食
三分粥(鯛味噌チューブ付き)、味噌汁(丸のままの麩入り)、鶏肉、玉ねぎ、キャベツ、トマトの煮物、白菜とカニカマの煮物、番茶

Img081

鶏肉、玉ねぎ、キャベツ、トマトの煮物

Img082

白菜とカニカマの煮物

Img083

味噌汁(丸のままの麩入り)

Img084


潰瘍食
三分粥(海苔の佃煮チューブ付き)、鰆の煮物(さやいんげん添え)、大根とニンジンの煮物、アップルジュース(メイトー)、番茶

Img085

鰆の煮物(さやいんげん添え)

Img086

大根とニンジンの煮物

Img087

アップルジュース(メイトー)

Img088

|

2008年3月16日 (日)

「急性腹炎」入院一喜一憂記 その4 ドアラの中の人?=森野のような心境です。

08/03/16(日)11:59
今や、巷で大人気となり、一躍“時代の寵児”となった、中日ドラゴンズのマスコットキャラクター、ドアラですが、苦節14年。ただし三代目?との噂もありますが、現在のかくさしゃかいの波が産み出した、アンチ(=逆説的)ヒーローという感じですかね。

つまり、決してルックスが洗練されているわけではなく、キモカワと評される、不気味な頭デカ男なのに、どこか母性本能をくすぐるような謎の笑顔。行動は、全く予測不能の勝手気ままなところが“ドアラマニア”のツボを突く。そして、“本業”の応援時には、誰もがあのデカ頭からは想像もつかないほどの、驚異的なバク転の連続技をこなす身体能力の高さに観客は息を飲む…。

一種、マスコット界の不思議ちゃん男、というのが、この先行き暗中模索社会にマッチしたのでしょう。

なお、ドアラ三代目説については、その苦難の歴史を描いた、「はじめてのドラゴンズ」という人気サイト

http://sorepena.sakura.ne.jp/

のWEBマスター、ヨウゾウさんの労作、「本には書かれなかった“ドアラのひみつ”」

http://sorepena.sakura.ne.jp/note/text/doala.html

が秀逸ですので、是非ご一読あれ。

さて、私のほうは、本日から点滴が1本減って2本となり、食事も、三分粥に。

味噌汁にはとろろ昆布が初めて入り、さらに、マカロニサラダ(ハム、タマネギ、ニンジン入り)、ミルクと番茶に加えて、桃の缶詰が朝食に出ました。

初めて、普通のおかずが出てきたことになり、少し、“開幕戦”へ向けての打撃練習を始めたところで、まさに森野選手の心境といえるでしょう。

慌てず騒がず、出来るところからトレーニングを開始するというところですね。

これからは、森野選手を心のライバルと、彼の回復具合を励みにして、頑張ることにします。

08/03/16(日)12:52
昼食には、三分粥に鯛味噌チューブで味付けできる形になり、味噌汁には刻みキャベツが入り、豆腐の煮物には、ニンジンとサヤエンドウ豆が入り、八宝菜風の白菜とサクラエビのとろみ煮込み、そして番茶と、かなり進歩しました。

打撃練習に加えて、ゴロを捕球する練習が始まった感じですね。

夕食は走塁の練習ができるように、しばらく身体を横にします。

食後に横になるのが、胃腸の働きを高めるのに大切だそうです。

そうそう、やはりよく噛むことが必要とのことなので。1つ食物を口に入れたら20回噛んでから飲み込むように心掛けています。

しかし、普通のおかずが食べれることが、こんなに幸せだということに気付かなかったわけですから、やはり人間は愚かなものですね。

たとえば野生動物は、けっして、安心して食べたり眠ったり遊んだりすることができないのですから。

犬や猫の祖先が、己の行動の自由と引き換えに、人間と共生する道を選んだのは、そういう訳だったのでしょう。

面白いのは、犬や猫より知能が高いとされるサルは、自らは人間に飼われることを拒んだことでしょうね。

それは、同じ霊長類としての“プライド”がそういうことを拒否したのかもしれません。

2008年3月16日 (日) 午後 09時47分

遂に夕食に本格的なおかずが登場しました!

“ごはん”は三分粥ながら、おかずは、普通食に近いメニューです。

まず、金目鯛か、あるいは赤魚か、深海魚系の煮魚が、大根おろしのジアスターゼ効果を見込んだみぞれ煮になっていて、非常に消化し易くなっているものが出ました。

ただし、その煮魚の身の弾力性は、基本的には定食屋で出てくるのと同じ硬さでした。

あとは、キャベツとニンジン、レンコンの煮物。

繊維質の多いレンコンは、さすがにものすごく柔らかく煮込んでありましたが、これを無事に消化出来れば、かなり胃腸が回復した証拠になることでしょう。

先日、中日ドラゴンズの森野選手が、キャンプ中に判明した骨折を克服した後に打撃練習を開始して、バッティングピッチャーに、一応全力投球で直球を投げてもらったボールを打ち返す練習を行った結果、50数打席のうちサク越えも6本あったと報道されましたが、まさにそれとほぼ同じ段階といえるでしょう。

私の場合は、このまま明日の朝を迎えて、果たして“ボール”が十二指腸という“サク”を越えられたかどうかで回復の度合いが判明するということになりますが。

一方、“ギプス”に相当する点滴は、いよいよ明日が1本のみで、明後日にはなくなる予定ですので、明日を乗り切れば、いわば“走塁練習”も開始出来ることになります。

頑張れ森野、そして自分!

●本日のメニュー:

潰瘍食
三分粥、味噌汁(とろろ昆布入り)、マカロニサラダ(ハム、タマネギ、ニンジン入り)、桃の缶詰、ミルク(メイトー)、番茶

Img067

マカロニサラダ(ハム、タマネギ、ニンジン入り)、桃の缶詰、ミルク(メイトー)

Img068


潰瘍食
三分粥(鯛味噌チューブ付き)、味噌汁(刻みキャベツ入り)、白菜とエビのとろとろ煮込み(八宝菜風)、豆腐の煮物(ニンジン、さやいんげんの煮物添え)、番茶

Img069

白菜とエビのとろとろ煮込み(八宝菜風)

Img071

豆腐の煮物(ニンジン、さやいんげんの煮物添え)

Img070

鯛味噌チューブ

Img072

味噌汁(刻みキャベツ入り)

Img073


潰瘍食
三分粥(海苔の佃煮チューブ付き)、赤魚のみぞれ煮、キャベツと柔らかレンコン、ニンジンの煮込み、おなかにおいしいヨーグルト(ビフィズス菌入り。メイトー)、番茶

Img074

赤魚のみぞれ煮

Img075

キャベツと柔らかレンコン、ニンジンの煮込み

Img076 

海苔の佃煮チューブ

Img077

|

2008年3月 2日 (日)

1年前の「クイズ」の答え合わせ

>あと、このドラマに関して、東山にしこさんの感想で、もうひとつ
>非常にユニークな感想を聞いたのですが、それはなんと、我が中
>日ドラゴンズにも多少関係するものでした。これについては、また
>日を改めて述べることにします。

という「クイズ」を出したのが、約1年前の2007年2月10日でしたが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0d62.html

その答えは、「大前春子は福留孝介に似ている」というものでした。

なるほど、あの福留孝介選手の孤高を貫く姿勢、さらにいえば、よく、口を尖らせた、どこかふてぶてしい表情を見せていたのも、「ハケンの品格」の主人公を務めた大前春子、そして、その元ネタとでもいうべき、木枯し紋次郎にも通じるものがありました。

このクイズを出したまま、当の本人である私はすっかり忘れていたのですが、先日、市川崑監督が亡くなったことの影響でしょうか、私の「私的『木枯し紋次郎』考」の記事

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat6793020/index.html

を検索して読んでくれる人が何人かいて、このクイズを思い出したしだい。

さて、福留孝介選手が、FA権を行使して、中日ドラゴンズを去り、大リーグのシカゴ・カブスに入団した理由については、いろいろなことが推察されていますが、私はやはり、「両雄並び立たず」に最後は行き着いたのだと思います。

両雄のもう一人は、落合博満監督。

今の中日ドラゴンズの打撃陣で、現役時代の落合選手に匹敵するポテンシャルを保持していたのは、タイロン・ウッズのような外国人選手を除けば、やはり福留選手しかいなかったといっても過言ではないでしょう。

事実、福留選手は、セ・リーグで二度も首位打者のタイトルを獲得していますし、落合監督がパ・リーグで三度の三冠王、セ・リーグでも本塁打王二回と打点王一回に輝いたことを考えると、その輝かしい実績に、将来匹敵するような可能性を秘めたドラゴンズの現役選手は、福留孝介選手しかいなかったといえます。

また、落合監督は、打撃部門三冠王の実績が示すように、打撃の超エキスパートであって、一塁手の守備は上手いと評価されてはいましたが、それは守備の負担が少ない一塁手における評価であり、肩と足に関しては必ずしも高い評価を獲得できなかったわけですが、それを補って余りある打撃の実績によって、確固たる地位を築いたのでした。

一方、福留孝介選手については、首位打者のタイトルを獲得した打撃の確実性はもちろん、本来が中距離打者とはいえ、本塁打数も、広いナゴヤドームでコンスタントに30本以上打つことができて、さらに強肩と俊足を生かした、いわゆる“走・攻・守”三拍子揃った選手であり、ある意味、現役時代の落合選手を凌ぐポテンシャルを秘めており、それだけ、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったことは、容易に想像がつきます。

もちろん、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったとはいえ、「優勝」という共通目標に向かって心を一つにして闘っていたのも事実ですし、福留選手がシーズン中に打撃不振に喘いでいたときに、打撃練習時に落合監督が熱心にアドバイスを送っていたのも事実でしょう。

ただ、現在の中日ドラゴンズは、時代劇に例えれば、落合親分が絶対的な貸し元として君臨する落合一家とでもいうべきファミリー集団であり、さらに、時の将軍様として白井文吾オーナーの治世が続く限り、本人が貸し元を引退すると申し出ない限り、この政権はずっと続くはずです。

そして、福留孝介が、東山にしこ氏がいみじくも喝破したように、大前春子=木枯し紋次郎に似ているのだとしたら、彼は、そういう大親分が取り仕切る「落合一家」とは袂を分かち、天涯孤独の無宿人として、次の「宿場」へと旅立つほうが、むしろ自然であると考えてよいと思います。

ただ、福留孝介選手は、妙に義理堅いというか、「一宿一飯の恩義」に厚いところもあり、それは、大リーグでの移籍先で米国人の記者に囲まれた際に、「キミの少年時代の野球のヒーローは誰だったんだい?」という質問に対して、たぶん記者連中の知っている過去の日本野球の有名選手は、ミスターNagashimaまたはOhしか知らないはずなので、てっきりその名前が出ると思っていたところ、Tatsunamiという、米国ではまったく無名の選手、そして、中日ドラゴンズの、超ドメスチックなヒーローの名前を敢えて挙げることで、米国記者連中が、“Tatsunami? Who?”と、騒然とさせたところに、彼の真骨頂が見て取れます。

3、4年前だったか、シーズンオフに「プロ野球コンベンション」というイベントが始まり、そこでは現役プロ野球選手たちが、野球をプレーしている中高生の質問に答えるコーナーが催されて、そこには、多くのPL高校出身者が出席したのですが、ある中高生の質問に対して、その出席者の中での最年長のPL出身者だった、立浪“先生”が、事前に用意していたフリップを使って野球理論を説明しようとしたところ、まずは隣に座っていた1学年下の宮本慎也選手がすぐにそのフリップを抱えたのですが、遠くに座っていた福留選手が間もなくそこに駆けつけて、そのフリップを支えたシーンを見て、私はえらく感動したことを思い出しました。

あのときの立浪選手の「おお、すまんなコースケ」というPLの大先輩としての面目躍如の満足そうな笑みと、「このフリップを持つ役目は、同じチームで後輩に当たるボクに任せてください」という福留選手の表情には、普段のチーム内ではあまり親しそうな素振りを見せない二人の間には、やはり目に見えない大きなつながりが存在していることを改めて痛感させられた出来事でした。

さて、立浪コーチ“兼任”選手ですが、今年から正式な打撃コーチの肩書も与えられたことになり、非常に張り切ってシーズンに臨んでいるように感じられます。

ひょっとしたら、近い将来には指導者としての“禅譲”が約され、それもあって今年は特に新たな役割に燃えているのかもしれません。

一方、新天地のシカゴに向かった福留選手ですが、これからいろいろな試練に立ち向かっていかなければならないでしょうが、まあ、彼のポテンシャルと驚異的な順応性を考えれば、海外に渡った日本人選手の中でも、必ずやトップクラスの成績を残してくれるに違いありません。

そして、いつの日か、立浪和義選手が中日ドラゴンズの監督に就任した際には、海を渡った旅ガラスが、「一宿一飯の恩義」を返しに再びドラゴンズに舞い戻ってくる。そんなシーンを私は夢想しているのでした。

それはまるで、1970年代に、市川崑監督が、どこか虚無的な風情を漂わせていた笹沢佐保の原作に、江戸時代中後期の生身の人間像を盛り込んだリアルで鮮やかな映像としての命を吹き込んだ「木枯し紋次郎」が、20数年の時を経て、1990年代初頭に「帰ってきた木枯し紋次郎」として再び甦ったが如く、きっと一陣の風の中からやって来るに違いありません。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

Memories of “E”.

昨日のトーチュウで、江藤慎一氏が亡くなったことを知りました。

彼の全盛期は、中日ドラゴンズで2年連続首位打者を獲得した、1964年と65年で、当時、名古屋市の旧・千種区のとある小学校の低学年だったボクたちのヒーローは、もちろん、江藤慎一選手でした。

実は、彼の息子さんが私の小学校、それも隣のクラスにいるという話が伝わってきて、当時の同級生たちと、江藤選手の住居があるという場所を“訪問”した記憶があります。

我々は、超豪華なスターの“御殿”をイメージしていたのですが、当時の学校や公園にあるようなフェンスに囲まれた、割と普通の住宅だったことが意外に思われました。ただ、広い庭に芝生が青々と茂っていたのが記憶に残っています。

あと、当時愛読していた『野球入門』(藤本定義著)という本があって、中日ドラゴンズのスター選手として唯一、写真付きで紹介されていたのが江藤慎一選手で、写真の説明文に「気力で打つ強打者」と書かれていました。

当時、名古屋では、江藤慎一選手は絶大な人気を誇っており、近くのスーパーマーケット「ママの店」では、商品購入の景品に有名人のブロマイドをもらえるという催しがあったのですが、その時の有名人としては、東京オリンピックの重量挙げ金メダリスト、三宅義信選手と、ドラゴンズの江藤慎一選手が「大当たり」だったのを記憶しております。

江藤慎一氏は、1959年から1976年までプレーされましたが、残念ながら私の記憶の中には、彼のプレーを映像で見た記憶がありません。

小学校低学年当時、私のうちでは中日戦のテレビ中継放送を見せてもらえなかったですし(父親が熱狂的な阪神ファンだったからかもしれませんが)、その後、父親の転勤で名古屋を離れ、讀賣一辺倒の報道しかされない関東の地に降り立つと、江藤慎一氏の映像は皆無となったのでした。

1964年当時、東京はオリンピックに酔いしれ、さらに“東京”讀賣ジャイアンツが後にV9という黄金時代の幕開けに向かってまさに邁進しようとしていたそのときで、それに対して「名古屋のスーパースターで東京と戦えたのはあの人だけだった。」という、彼の反骨精神をまるで受け継いだかのように、1970年代の現役時代はプレーした星野仙一氏の言葉には、深い意味が込められていたと思います。

江藤慎一氏のご冥福を心からお祈り申しあげます。

| | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

昨年から今年にかけての中日で、一番全国区になったのがドアラだったとは!

昨年から今年にかけての中日で、一番全国区になったのがドアラだったとは!


>Amazonサイトの商品の説明より
●商品の詳細
『ドアラのひみつ  かくさしゃかいにまけないよ』

単行本(ソフトカバー)
出版社: PHP研究所 (2008/2/21)
言語 日本語
ISBN-10: 4569698239
ISBN-13: 978-4569698236
発売日: 2008/2/21

●内容紹介
名古屋の人気者が、全国のアイドルに!

動画投稿サイトなどで 謎の大ブレイク中。

人気暴走中の中日ドラゴンズのマスコットキャラクター、ドアラ。

キモかわいいからクセになっちゃった人、

野球はあまり知らないのに、ハマってしまった人が増殖中。

そんなドアラが、本を書きました!

本書では、ドアラがじぶんの思いをすなおにペンにぶつけています。

恋、悩み、体型、まゆ毛、食事、冬の生活、

この国の行く末、海の向こうへの思い……。

そして、ドアラが大人の人生相談を受けたり、絵を描いたり、電車に乗ったり、特訓したりと大活躍。

周囲の空気を無視した傍若無人なふるまいや、自由で不思議なその動きが注目を集め、『日経エンタテインメント』誌「第2回 勝手にエンタ! 大賞」で「あまりに自由過ぎるで賞」を受賞するなど、一躍大ブレイク。

ドラゴンズファン、プロ野球ファンだけでなく、野球を知らない“ドアラマニア”が急増している。

ドアラの知られざる「ひみつ」が次々と明らかになります!

また、ドアラのなかよし、森野将彦選手も「ドアラに言っておきたいことがある!」と登場!

自称日本一のドアラマニアの石黒哲男・中日球団広報のよる心温まるメッセージ、チアドラゴンズによるドアラの「欠席裁判」も掲載。

全国ドアラ党ならびにドアラチーム、待望の一冊。

●著者について
【著者紹介】
ドアラ (どあら)
中日ドラゴンズのマスコットキャラクター。
生年および生誕地は不明。
1994年にナゴヤ球場に出現。
現在も愛知県名古屋市に住んでいる。
1994年、ナゴヤ球場に捨てられていたところを拾われて
マスコットになったと、本人が語ったこともあるが真相はナゾ。
1997年頃、新キャラクター「シャオロン」の登場によりドアラは消滅の危機に瀕するが、
ファンからの「かわいそう」の声によりかろうじて残留。

2007年、インターネット上の動画投稿サイトにアップされた、ドアラの動画が人気に。

***

>『日経エンタテインメント』誌「第2回 勝手にエンタ! 大賞」で
>「あまりに自由過ぎるで賞」を受賞するなど、一躍大ブレイク。

なんでも、yutubeにアップされた映像の、あまりの傍若無人ぶりがかえって大好評を博したのだそうです。(その後、ニコニコ動画に移植され、コメントまみれになって、その異様さにさらなる拍車がかけられることになります)

http://www.nicovideo.jp/watch/1180184231

すなわち、むしろ、「羨ましい! 私もドアラのように(上からガミガミ言われたり、会社の方針に従えというような命令を無視して)自由奔放に振舞ってみたい」と、格差社会の閉塞感に嫌気が差している、多くの名も無き人々、いわば「サイレント・マジョリティ」の心の叫びが、ドアラ人気をここまで引き上げたのだと思います。

そういう意味で、昨年のドアラが、ギャグパフォーマンスとして、小島よしおの「そんなの関係ねえ! おっぱっぴい!」などを取り入れて喝采を浴びたのも、そのことを証明する結果になっています。

|

2008年1月22日 (火)

Memories of “O”.

たぶん、中日ドラゴンズの公式ホームページでの「選手データ」

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?12

からは、間もなく削除されてしまうことでしょうから、その前にデータを救っておきます。

12 投手

岡本真也 おかもとしんや

■2006年成績■
 56試合 4勝1敗1S 防御率 3.40

■通算成績■
 226試合 27勝14敗2S 防御率 3.13

★4年連続50試合登板と、フルシーズン1軍を 

生年月日 1974.10.21 身長・体重 183cm 95kg

出身地 京都 投打 右 右

血液型 A型 趣味 ゴルフ

略歴
()内はドラフト順 峰山高…ほか…ヤマハ=01年(4)

今年の目標 中継ぎの中心になる

(ていうか、実はこのデータは間違っていて、入団が2001年になっているが、実際は2000年のドラフト第4位入団のはずですが)

というわけで、改めて、NPBの選手プロフィール

http://bis.npb.or.jp/players/11515113.html

を掲載してみましょう。

中日ドラゴンズ

岡本 真也

12 投手
2007年度シーズン終了 現在
おかもと・しんや
1974年10月21日生  身長183cm  体重95kg  右投 右打
峰山高 - 佐藤工務店 - 阿部企業 - ヤオハンジャパン - アムウェイ・レッドソックス - ヤマハ
2000年ドラフト4位


 
所属球団
 

 

 



 





 



 



 

 

 

 



 




2001 中  日 3 0 0 0 0 0 0 22 6 0 0 5 1 6 0 0 0 0 0.00
2002 中  日 7 0 0 0 0 0 0 51 10 .2 15 2 4 1 10 0 0 12 11 9.28
2003 中  日 40 4 6 0 0 0 0 398 97 79 9 27 3 96 10 0 39 36 3.34
2004 中  日 63 9 4 0 0 0 0 304 75 .1 60 6 26 2 85 4 0 19 17 2.03
2005 中  日 57 10 3 1 0 0 0 272 63 60 4 30 2 65 3 0 22 22 3.14
2006 中  日 56 4 1 1 0 0 0 226 53 51 5 21 1 56 3 0 21 20 3.40
2007 中  日 62 5 2 0 0 0 0 225 56 43 3 21 1 44 2 0 18 18 2.89
通 算 288 32 16 2 0 0 0 1498 361 308 29 134 11 362 22 0 131 124 3.09

私は、熱狂的な岡本投手ファンとはとても言えない立場ですが、それでも、今回の「人的補償選手」に彼が選ばれた、というより、中日の首脳陣が彼をプロテクトしなかったことには驚きを禁じえませんでした。

岡本投手が、自分が西武から指名されるにあたり、「ひょっとしたら、自分が指名されるかも」という趣旨のコメントを発した点から推察するに、首脳陣との間に何らかの、そういう“空気”を感じさせる“心の隙間”がお互いに生じていたということなのでしょう。

今回のFA制度による「強制移籍」システム自体に対しては、もちろん怒りを禁じ得ませんが、それだけでなく、今回の出来事は、何か単純に割り切れないものを感じさせるのも事実です。

もちろん、落合監督が「本当の事情は現場を預かる人間にしかわからない」ということをおっしゃっていることを重々承知してはいても、やはり素直に納得できないのが本音ですね。

***

さて、私が、岡本投手を“間近”に見たのは意外と古く、彼が2000年に中日ドラゴンズにドラフト第4位で入団した翌年、2001年3月31日の“開幕戦”のブルペンで投げる姿を見たのが最初でした。

といっても、1軍の公式戦ではなく、1軍の開幕試合が開催された、ナゴヤドームでのナイター、中日ドラゴンズ対広島東洋カープ戦第1回戦

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore01/score010330.htm

に先立つこと数時間前に、ナゴヤ球場のデーゲームとして開催された、ウェスタン・リーグの開幕戦、中日ドラゴンズ対福岡ダイエーホークス第1回戦の試合を、1軍と2軍の兄弟試合を両方とも観戦する機会があったからでした。

この試合に関する情報がないかなと検索してみたところ、以下のサイトがありました。

「若竜闘いの軌跡」というホームページ

http://web1.incl.ne.jp/nsystem/main.htm

に、この試合のレポートが掲載されており、<リンクについて-2001年8月6日>によれば、「このHPへのリンクはご自由にどうぞ。リンクを張ったというご連絡も不要です。」とのことですので、寛大な管理人様のお言葉に甘えて、リンクを貼らせていただきます。

http://web1.incl.ne.jp/nsystem/010331.htm

試合結果は以下のとおりでした。

01/03/31 ナゴヤ  ダイエー1回戦(対ダイエー1勝)

◎ショーゴー同点ソロ、森野サヨナラ打◎

 
ダイエー
中  日 1X

[本塁打]ショーゴー1号(篠原)
[勝 投]朝 倉  (1試合1勝)
[敗 投]長 冨  (1試合1敗)

 
ダイエー
中  日

  打率
右   種 田 .000
  投   朝 倉 .000
二   荒 木 .000
  二   神 野 1.00
  走中  蔵 本 -
一   渡 辺 .667
  一   筒 井 .000
中右  幕 田 .000
三   アンロ .667
左   益 田 .000
  打左  原 田 .000
  二   善 村 -
遊   森 野 .250
捕   鈴木郁 .500
  捕   清 水 .000
投   前田幸 -
  投   バンチ -
  打右左 ショー 1.00
30 .267
  打率

  防御率
前田幸 0.00
バンチ 12 3.00
朝 倉 14 0.00

D先発・前田幸

  2イニングを1安打無失点に抑えた。先頭・柳田に左翼越えの二塁打を浴
 び、1死三塁のピンチを迎えたが、3番・大越をナックルで、4番・吉本は
 138キロの速球でそれぞれ空振り三振に打ち取った。 2月の紅白戦からの無
 失点はこの日の2イニングを加え、16イニングに伸びた。
 
   前田幸  「もうやり残したことはない。公式戦初登板? 近々にある
         でしょう」
         
D2番手・バンチ

  右腕の違和感から18日の日本ハムとのオープン戦(東京ドーム)以来、13日
 ぶりの実戦マウンド。暴投で1点を失ったが、速球のMAXは144キロに達し、
 4三振のうち3個をカーブで奪うなど変化球も切れていた。
 
   バンチ  「腕はだいぶいい。リズムが良かった」
   
D5番三塁・アンロー

  1-1で迎えた9回裏には左翼線二塁打を放ち、サヨナラのおぜん立て。
  
   アンロー 「良かったころに戻ってきた。1軍? 僕が決めることじゃ
         ないけど、早く上がれることを楽しみにしているよ」

                 【4月1日付け中日スポーツより引用】
------------------------------------------------------------

実は、この試合に岡本投手は登板していませんでした。

ただし、ナゴヤ球場のブルペンで(といっても、神宮球場と同様に、内野グラウンドのすぐ横のファールゾーンに、投球練習用のマウンドが2つ設置されている簡便なマウンドでしたが)、試合中に岡本投手が投球練習をしている姿を見ることができました。

そして、彼が投げていたマウンドの隣では、前年に米国のマイナーリーグから入団してきた、元西武ライオンズの投手で、非公式に“160キロ”を計測したこともあるという噂があった、前田勝広投手も投球練習をしていて、噂の豪速球は見られるのか、と期待していたのですが、この、速球を売り物にして入団してきた2人が並んで投げる姿を、ブルペンすぐ横の内野席から、固唾を呑んで観察していたところ、「シュルシュルシュル」という、ボールが空気を切り裂きながら回転して行く音を立てながら、ブルペン捕手のミットに収まるシーンを観察できる距離にいましたが、いくら投球練習とはいえ、正直なところ、あまり球に勢いが感じられず、「おいおい、この人たち、春先とはいえ、こんなにのんびりとした球を投げていて、果たして大丈夫なのかい?」と心配になったものでした。

結局、2人ともこの試合での登板機会は訪れず、そのまま試合終了となったのですが、試合終了後に寮に向かうバスに乗り込む選手たちを待ち構えていると、既に岡本選手はそのバスに乗り込んでいました。

新人ということで、“初物”が好きな1人の女性ファンが、バスの窓越しに岡本投手にボールを渡してサインをねだっていたのが印象的でしたが、サインをゲットしたその女性の「ヤマハ(彼の出身球団に引っ掛けたニックネーム)は、この1年が勝負だな」と、えらく冷静なコメントをしていたのが面白かったですね。

サインをねだられた岡本投手も、嫌な顔ひとつせずにファンサービスに努めていた姿に好感が持てました。

この女性ファンに「この1年が勝負」と評された岡本投手でしたが、この年はケガに悩まされたこともあり、未勝利に終わるとともに、翌年も未勝利で、本来は速球が売り物だということだったのに、年々自信を喪失してしまって球速も落ちてしまい、いよいよ2003年に結果を出さなかったらオフには戦力外通告か、と思われたところ、この年に、近鉄バファローズから“緊急避難”的に移籍してきた、大塚晶則投手から、縦に落ちるスライダーを伝授され、元々の持ち球だったフォークと相まって、2種類の“落ちる魔球”を駆使して突然ブレークし、自信を取り戻した速球までもが復活を遂げ、以降、ドラゴンズに欠かせない不動のセットアッパーの地位を獲得したのですから、野球人生とはわからないものです。

岡本投手と同期のドラフト指名選手で、現在ドラゴンズに残っているのは、第1位指名の中里投手しかおらず(ドラフト第5位指名の土屋鉄平選手がその後東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍してブレークし、第6位指名の仲澤忠厚選手も福岡ソフトバンクホークスで現役続行していますが)、まさか第4位指名の岡本真也投手が出世頭になるとは、当時の2軍戦のブルペンで投げていた姿を知っている私にとっても、嬉しい誤算でしたね。

ところで、今回の“岡本ショック”ですが、ドラゴンズファンにとっては、いつもとは少々異なる波紋を呼んでいるような気がします。

1つだけ、その例を挙げると、私のブログでも、バナーを貼っている「ブログ村」という「ブログの集合体」みたいのがあり、そのカテゴリーに「野球ブログ」

http://baseball.blogmura.com/ranking.html

というのがあります。

ここでは、自分の贔屓チームごとに、ブログの数がランキングされているのですが、面白いことに、これが、現在の球界事情を如実に表しているのです。

現在、ここでの贔屓チームの第1位はダントツで阪神タイガース、第2位は中日ドラゴンズ、第3位は福岡ソフトバンクホークスで、かつての「球界の盟主」だったはずの讀賣ジャイアンツは、第4位の北海道日本ハムファイターズに次いで5位に甘んじており、上位3チームからは遥かに引き離された数しか、ブログの開設者が存在していないのでした。

どんなにマスコミが取り繕っていても、もうWebの世界では、讀賣ジャイアンツが突出した人気を誇る特別な球団でないことは明らかなのです。

実は、数ヶ月前までは、第2位は福岡ソフトバンクホークスで、中日ドラゴンズは僅差で第3位だったのですが、日本一効果でしょうか、しだいにドラゴンズファンのブログ開設者が増加し続けて、遂にホークスを抜き、現在は球界で第2位のブログ開設者が所属する人気球団になっています。

ところが、ごく最近“異変”が起こっています。

今まで、順調にブログ開設者が増加してきた中日ドラゴンズですが、つい最近、減少傾向が見られるのです。

まだ2、3人の減少数ですが、それでも、敢えて「ブログ村」から脱退するドラゴンズファンが発生していること自体は、非常に稀な現象と言わざるを得ません。

これはあくまで私の推測ですが、今回の「岡本人的補償移籍問題」が何らかの影響を与えたのではないかと思います。

何かしら、納得のいかない空気が、中日ドラゴンズファンの間に漂っている気がしています。

そういう中で、岡本投手の“後輩”に当たる、中田賢一投手が、「岡本投手のこれまでの功績に報いるためにも、自分が1イニングでも長く投げて、中継ぎ投手の負担を減らしたい」という宣言をしたのは、注目に値しますね。

額面どおりに受け取れば、自分がもっと頑張らなければならないと宣言したわけですが、もう1つ、去り行く先輩投手へのエールとともに、敢えて岡本投手をプロテクトしなかった首脳陣に対する、せめてもの“抗議の意思表示”と捉えたのは穿ち過ぎでしょうか。

今は、よくぞ言った中田、とだけ述べておくことにします。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年12月29日 (土)

年末の収穫は「週刊文春」年末進行“最終号”の落合監督と阿川佐和子の“同級生”対談!

今週の「週刊文書」1月3日・10日新年特大号(年末進行最終号)の連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」第711回のゲストは落合監督。阿川佐和子氏とは“同級生”とのことで、対談内容が抜群に面白かった!

落合監督がここまで“胸襟”を開いた対談は初めてだと思います。さすがは同級生。

昔、このブログの元サイト「竜之巣」で、「プロ野球における同級生は非常に貴重な存在である」というネタ振りから、中日ドラゴンズの関川浩一と山﨑武司両選手の“友情物語”を書いたことがありましたが、

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest20030121_01.htm

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw08.htm

やはり同級生というのは、異性間においても同様に特別の存在であるといえますね。

では、この記事に対する感想を3つほど。

その1:クライマックス・シリースに大反対だったからこそ優勝できた。

これは、落合監督が最初からクライマックス・シリーズの導入に大反対していて、その論旨は首尾一貫しており、この対談でも、

「百五十試合近く戦って優勝したチームがたった何試合かで日本シリーズに出られないこともあるなんて、こんなバカなことないだろうと。六チームの中で三チーム出られる権利があるのもちょっと違うんじゃない」

と発言されていますが、この「こんなバカなこと」を証明するために、今回リーグ2位に留まった中日ドラゴンズが日本シリーズに出場して、まずはそのバカバカしさを世間に示して見せたうえで、パ・リーグを優勝してクライマックス・シリーズでも優勝した、真のパ・リーグ1位の北海道日本ハムファイターズさえをも圧倒して名目上の「日本一」となって、このシステムのバカバカしさを、日本中に晒したことでしょう。

私自身、リーグ優勝を讀賣ジャイアンツに、いわば阪神も含めた巴戦のどさくさに紛れてかっさらわれた時には、クライマックス・シリーズなんか見てやるもんか、と思ったものです。

しかし、この悔しさ、虚しさを晴らすには、クライマックス・シリーズに出場する中日ドラゴンズをとにかく応援するしかないと思い直し、第2ステージでは東京ドームにまで出掛けて応援したわけですが、たぶん、それは多くのドラゴンズファンが同様な思いを抱いたはずで、その“思い”の結集が、クライマックス・シリーズを5連勝して圧勝するという結果につながったのでしょう。

いわば、クライマックス・シリーズという、非常にバカバカしいシステムへの怒りが、中日ドラゴンズを53年ぶりの「日本シリーズ優勝」(厳密にいえば、日本一ではない)に導いたという、大変皮肉な結果をもたらしたことになりますね。

ああバカバカしかった!(笑)

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/enter_the_drago_b51a.html

2.お馴染みの「山井問題」も、クライマックス・シリーズのバカバカしさと同じ次元の話なのでは?

落合監督は、既にいろいろな人からこの問題について、何百回も聞かれて、うんざりしながら色々と答えていることでしょうが、今回の対談では、非常に興味深い発言がありました。

「だって、我々は個人のために野球やってるんじゃないからね。あそこで山井のままいって打たれて負けたら、勝った以上に大バッシングが起きる。勝負事ってそうよ。勝ったからまだこれで収まってんだよ。負けてみな、一生言われるから、俺」

よく言った! 落合監督。そのとおり!

私も、テレビ観戦ではありましたが、あの試合を観戦していて、正直いって山井の完全試合どころじゃありませんでした。

1点差の最小得点差じゃなかったら、もちろんそういう“欲”を掻いたかもしれませんが、今シーズンのほとんどの試合を、落合監督率いる中日ドラゴンズ関係者とともに、テレビやWEB、そして時には生観戦もしながら“応援”、あえて言えば一緒に闘った真のドラゴンズファンなら、果たして53年振りに中日ドラゴンズが地元で優勝できるかという問題のほうが、はるかに重要度が高かったはずです。

そして、万が一、山井の個人記録を優先して逆転負けを食らい、舞台が札幌ドームに持ち越されてしまったら、日本シリーズの優勝という「一大命題」を取り逃がしたかもしれなかったのです。

そして、このことは、落合監督の「クライマックス・シリーズへの大反対」と論旨が一貫しているのです。

つまり、仮に、あの試合で山井が、1人で「完全試合」を達成して、日本シリーズに優勝するという事態になっていたと仮定すると、とにかく話題が欲しいマスコミは、まるで山井個人が日本シリーズ優勝の立役者みたいな報道をしていたはずで、「中日ドラゴンズ53年振りの“日本一”」が霞んでしまう報道がされていたはずです。

実際は、山井はクライマックス・シリーズ第2ステージの対讀賣ジャイアンツ戦初戦の先発投手を任される予定が、急に肩痛を起こして先発を回避せざるを得ない事態を招いており、既にチームに多大なる迷惑を掛けていたはずなのに、あの試合で「単独投手による完全試合」を達成していたら、マスコミは、間違いなく彼をシリーズのヒーローに祭り上げて報道していたはずですが、そんな事態になっていたら、今季、山井よりも遥かに勝利に貢献したチームメイトたちにとっては非常に面白くない感情が芽生えていたはずです。

いわば、チーム内に「クライマックス・シリーズのバカバカしさ症候群」が大量に発生していたことでしょう。

プロ野球は、個人の記録より、まずはチームの勝利を優先するべきであり、ただし、個々の選手は自分のプレーに全力を尽くすことが求められているのだと思いますけどね。

そういう監督の「本心」を引き出した、同級生のアガワさん、さすが!

3.落合監督の真骨頂! 「俺は嫌う奴は徹底的に嫌うからね」発言

うん、わかるわかる。

今まで、落合監督は割とこの点についてはオブラートに包んだ表現を使っていて、「俺は、好き嫌いで選手の起用をしたことはない」という発言をしていましたが、それは確かに本当だとは思いますが、落合監督は非常に好き嫌いの激しい人だろうなとは思っていました。

でも、この発言を聞いて、過去に、そしてつい最近でも、落合監督が中日ドラゴンズを率いてから球団を去っていった人たちの退団の理由の大部分が、結局は監督と折り合いがつかなかったので去っていったのだろうなという私の推測がほぼ正しかったのだな、と納得できました。

プロ野球は、いわば職人と職人がしのぎを削る修羅場であり、あらゆる場面で好き嫌いの感情がぶつかり合うのは仕方のないことだと思いますし、私もむしろそのほうが自然だと思います。

そうであっても、「勝利」という共通の目標のために、そういう感情を一時的に封印して、あるいはその感情を逆手に取りながら、その試合、あるいはペナントレースにおいて、それぞれが職人技を発揮して一緒に勝利を目指す。

そして、それが古くは「職業野球」と称されたプロ野球の原点なのでしょう。

私の大変気に入っている言葉「アマチュアはチームワークがないと勝てないが、プロは勝って初めてチームワークが生まれる」をまさに地で行ったのが、今回の「山井問題」であったといえるでしょうね。

そして、あえてイニシャルトーク的に名を挙げれば、FK選手、AO選手、OT選手、NS投手、SK選手といった、かつてはドラゴンズの勝利に多大なる貢献をした選手たちが、いわば自らの意思でチームを去らざるを得なかった理由が何となくわかった気がします。

いいじゃん、お互いに嫌いだったならばどちらかがその場を去るしかないのだから、それが許されるのがプロ野球という社会のルールであるともいえますしね。

さて、この同級生対談は、落合監督が中日ドラゴンズで、その1年間において対談するに足る成績を残したと落合監督が判断した場合に限り、毎年の年末に行われるそうですので、是非とも、来年もこの対談が行われるのを心待ちにしたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

マスターズリーグ12月18日(火)東京vs名古屋のリベンジマッチ観戦を

マスターズリーグ12月18日(火)東京vs名古屋のリベンジマッチ観戦をする予定だったのですが、職場での会議が長引いて退社予定時刻の17時を過ぎるは、急に顧客からの対応をしなければならなくなるはで、結局会社を脱出したのが20時過ぎ。

東京ドームには21時ちょっと前にやっと到着することを考えると、18時開始のマスターズリーグの試合は、通常のプロ野球ペナントレースとは異なりサクッと進行するので3時間以内に試合が終了するはずなので試合は観戦できないだろうなという予想はつきましたが、このまま家路に着くのも何かシャクだったので、とにかく東京ドームに行くことにしました。

大江戸線沿線での東京ドームの最寄駅である春日駅で降車すると、東京ドーム外野席方面の入口に徒歩5分ほどでたどり着くことができますが、やはり予想通り、球場の入り口に着いたときが9回裏の攻撃のまっ最中で、まさに試合終了場面を迎えていたようです。

結局、試合は6対2で名古屋がリベンジを果たし、5チームで争うリーグ戦で、4チームが2敗で競う大混戦になっているようです。

試合経過の詳細は、以下の通りです。

<07-08プロ野球マスターズリーグ>No.12 2007年12月18日(火曜) 

東京ドリームス - 名古屋80D’sers 2回戦(東京ドーム)

http://www.sports-access.jp/04-05ML/score07-1218-12.html

さて、このまま何もせずに帰宅するのもバカバカしいので、野球関係の書籍が揃う、後楽園ビル近くの山下書店で、せめて野球関連の書物を買い漁って、自分を慰めることにしました。

購入したのは以下の3冊でした。

『図解 プロ野球「新・勝利の方程式」--「送りバント」と「守備力」が優勝を決める』(田端到著/講談社+α文庫)

『フォークボール一代』(杉下茂著/ベースボール・マガジン社)

『野球とシェイクスピアと』(佐山和夫著/論創社)

それぞれの本の購入動機ですが、『図解 プロ野球「新・勝利の方程式」』は、帯に書いてある「落合&ヒルマン『勝利の鉄則』」というキャッチコピーに惹かれたためで、『フォークボール一代』は、著者である杉下茂氏が、現在トーチュウ(東京中日スポーツ)および中日スポーツ紙上で断続的に連載されている聞き語り記事、「伝える」が、いずれは単行本化されるであろう前の“つなぎ”の本として興味を持ったのと、3冊目の『野球とシェイクスピアと』については、著者の佐山和夫氏については、1984年に、彼の処女作である、ニグロ・リーグの伝説の超絶速球投手サチェル・ペイジの生涯を取材して描いた『史上最高の投手はだれだ』に出会ってから、彼の著作のファンであったからでした。

真っ先に読了したのは、『野球とシェイクスピアと』で、文章の量が少なかったのと、内容が、野球のルーツに関することと、アメリカ合衆国が独立する前にイギリスの植民地だった時代に野球のルーツとなるボールゲームをプレーしていた清教徒たちのお話と、シェークスピアを巡る話がコンパクトにまとめられていたので、あっという間に読み終えることができました。

元々、野球のルーツに関する話は、佐山和夫氏本人の講演会を10年以上前に聴いたことがあったので、予備知識も既にあり、興味深く読むことができました。

その講演会の終了後に行われた佐山氏との懇親パーティでは、野球のルーツに関する競技について、昔、東京で流行っていた、私も小学生時代にやっていたある日本の子供の遊び(球技)が、それに関係があるのではないかという仮説をもっていたので、それとの関係を直接彼に尋ねてみたいと思っていたので、その懇親会の席で彼に直接尋ねようとしたら、「じゃあ、その話の続きを聴きたいので別のところに行こう」と言って、数人のその会場で初めて知り合った人たちと別会場で二次会に行くことになりました。

結局、二次会場として着いた場所は、杉並区のとあるカラオケスナックで、飲めや歌えやに終始して、あまり詳しい話はしないまま分かれたのですが、佐山氏も一次情報を入手できればそれでよかったので、それ以上は話をしたくなかったのだろうと解釈しています。

その子供の遊びについては、また場を改めて。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (1)

2007年12月 9日 (日)

マスターズリーグの首位攻防戦1208観戦記

12月8日の13時に横浜スタジアムで開催された、マスターズリーグの「東京ドリームス対名古屋エイティデイザーズ」の首位攻防戦(80日目振りズが3連勝中、東京には夢があるズが4連勝中という中でのリーグ戦半ばの“天王山”)を観戦して来ました。

私は3回表から遅れてハマスタに到着し、初回の川又の華麗なる先制打を目撃できませんでしたが、次打席の糸を引くようなライナーで1塁線を破る安打を見ることができました。

場内アナウンサーが、「川又選手、これは1塁線を破る、1塁を蹴って うーん楽々シングルヒットとなりました」と、打撃フォームは往年を彷彿とさせますが、走塁だけは皆さん年相応なのが笑えましたね。

今中投手も、往年のスローカーブにさらに磨きがかかり70キロ台の計測表示を獲得し、120キロ台の速球とのコンビネーションでかろうじて二死満塁のピンチを無失点で切り抜ける。

レギュラー投手“若手”では、小島投手が登場し、5月の連休の名古屋遠征時に、大曽根駅から名鉄瀬戸線を数駅乗り継いだ駅のそばで経営している焼き肉屋「ひろむ」で、常連客と草野球談義を繰り広げていた彼が、日頃の鍛練の成果を披露していて何よりでした。

12月18日には、平日のナイターですが、東京ドームで、同じカードでリベンジマッチが行われるとのことですのでお近くで働いている人などはどうぞお越しやす。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年11月30日 (金)

ボクの一番好きな「阪急ブレーブスについての話」が

ボクの一番好きな「阪急ブレーブスについての話」が、スポニチの「日めくりプロ野球11月」に掲載されていたので、コピペします。

阪急ブレーブスという球団に対して、個人的にはそれほど強い思い入れはないのですが、このエピソードだけは、私の記憶の中に燦然とした輝きをもって残されています。

それが、1976年11月2日の、阪急ブレーブスと讀賣ジャイアンツとの間で行われた、日本シリーズ第7戦でのエピソードでしたが、当時、大学入試を目指す浪人生だった私自身が置かれていた状況と照らし合わせて、非常に思い出深い印象がありました。

この頃、阪急ブレーブスは、パ・リーグでは圧倒的な強さを誇り、リーグ優勝は何回も達成していましたが、1973年に「V9」を達成した讀賣ジャイアンツと争った過去の日本シリーズでは、出場した5回ともに一度も勝てませんでした。

“悲劇の闘将”と称された、西本幸雄氏が指揮官だった時代でした。

前年の1975年に開催された日本シリーズは、セ・リーグ初優勝を達成した広島東洋カープが相手だったので、阪急ブレーブスは、ようやく悲願の日本一になれたのですが、1976年の日本シリーズは、長嶋茂雄監督率いる讀賣ジャイアンツが、前年の最下位を一気に挽回して出場してきたので、上田利夫監督率いる阪急ブレーブスは、積年の“恨み”を晴らすべく、いつも以上の気合いを込めて、シリーズに臨みました。

このシリーズでは、第3戦までは、阪急が讀賣を圧倒し三連勝を飾りましたが、その立役者は、何といってもこの年の新人王にして、パ・リーグの速球王として一躍名乗りを上げた、山口高志投手でした。

ジャイアンツの打者陣は、恐れを知らない、山口投手のまるで機械仕掛けの投げ下ろすようなフォームから繰り出される剛速球に手も足も出ず、三振の山を築かされており、その光景を中継していた、関西系の阪急びいきのアナウンサーが、「山口高志投手の球は、これまでの球史を考慮しても一番速いかもしれません。ひょっとしたら、ジャイアンツ伝説の投手、沢村栄治より速いかもしれませんよね」と、積年の恨みを込めて?、隣で解説していた、金やんこと、もちろんジャイアンツびいきの金田正一氏に話し掛けたところ、「そんなことありゃあせん! だいいち、当時の投球を記憶している奴がおらんのに、どうしてそんなことが言えるんや!」と、すごくお怒りモードだったことを記憶しております。

それが、第4戦から、ジャイアンツが怒涛の反撃を開始したところ、急に雲行きが怪しくなり、頼みの山口高志、そして、絶対的なエース、山田久志までもが打ち込まれ、最終戦の第7戦までもつれ込む状況となり、阪急には、アンダースローの足立投手しか残されておらず、王選手、淡口選手をはじめとする左の好打者が並ぶジャイアンツ打線を前にすると、シリーズの流れからしても、最終戦は圧倒的にジャイアンツが有利という下馬評が流れていました。

しかし、この時、過去のジャイアンツとの対戦で散々煮え湯を飲まされていた、足立投手の好投と、打者では森本潔選手の活躍によって、試合の後半に逆転して、敵地後楽園球場で勝利を飾ったのでした。

翌日の「毎日新聞」のスポーツ欄の記事での森本選手の言葉を、私は今でも覚えています。

「負け組がようやったな」

そう、シリーズ前半は、山口高志をはじめとした、過去のコンプレックスを知らない世代がジャイアンツに果敢に挑んで結果を残したのですが、後半のジャイアンツの反撃にあって、まさに追い詰められた状況で力を発揮したのは、森本選手と足立投手という、超ベテランの“負け組”だったのです。

森本選手が、試合の後半に起死回生の逆転2ランを放ち、子供のようにはしゃいでホームインした時、監督の上田利夫氏は、実は彼の中日ドラゴンズへのトレードが既に内定しており、密かに涙していたというエピソードもあったそうです。

最終回は、2点差とはいえ、ランナーを2人出した状態でも足立投手は投げ続けていましたが、それを中継する日本テレビのアナウンサーが、「まだ、逆転3ランを打たれる可能性があるのに、阪急の選手たちは、もう胴上げを確信してベンチを飛び出す準備をしています。大丈夫なんですかね。」と、隣に座っていたジャイアンツOBの解説者に悔しそうに尋ねていましたが、“試合の流れ”を肌で感じ取っていたそのOB氏は、既に観念していたかのように絶句してしまったことを記憶しています。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_november/KFullNormal20071025176.html

日めくりプロ野球11月

【11月2日】1976年(昭51) 6度目の挑戦で悲願達成!阪急、巨人倒し日本一

巨人に6度目の挑戦で初の日本一になった瞬間、試合中表情を崩さなかった足立は中沢捕手に飛びつき、初めて喜びを爆発させた

Kfullnormal20071025176_m 

【阪急4-2巨人】「日本中を敵に回しているみたいだ」。1メートル73、投手としては小柄な18年目のアンダースローは、そんな気分だった。

 後楽園球場での日本シリーズ第7戦は大詰めの9回裏、二死一、二塁。阪急が4-2で巨人をリードしていたが、4万5967人の大観衆のほとんどが巨人の逆転Vを願い、そして疑っていなかった。

 打者は代打・山本和生内野手。カウント2-1。マウンド上の足立光宏は中沢伸二捕手のサインに軽くうなずくと、この試合の125球目を投げた。三振を取りにいった球だった。伝家の宝刀シンカーに、山本は崩れ落ちるような格好となり、バットは空を切った。

 被安打5奪三振7での完投勝利。この瞬間、巨人に屈し続けてきた苦い歴史に阪急はピリオドを打った。日本シリーズでジャイアンツに挑戦すること6度目。悲願の日本一達成だった。

 75年に広島を4勝2分けで一蹴し、日本一は2年連続。昨年は笑顔だったナインが、巨人に勝って今度は男泣きした。試合終了後の祝勝会。自らを“負け組み”と称していた阪急ナインは「巨人に勝った、巨人に勝った」と合唱しながら、頭からビールを浴びて勝利に酔いしれた。

 天国か地獄か。11月1日の第6戦7-0と阪急大量リードの試合は、終わってみれば延長10回、巨人・高田繁三塁手の右前打が飛び出し7-8でサヨナラ負け。3連敗の後の3連勝。ムードは巨人の逆転Vに大きく傾いた。

 速球王・山口高志投手、エース・山田久志投手の必勝リレーで9分9厘勝っていた試合を落とした阪急のショックは計り知れない。宿舎に戻って主将の大熊忠義左翼手が選手を集め「これで負けたら恥ずかしくて大阪に帰れん。あしたは何とかせんと」と檄を飛ばしたが、大熊の顔面も蒼白。どの選手もうつむき加減で、声も出なかった。

 この輪の中に入りながら、足立は正直なところ上の空で聞いていた。それよりも自分なりの調整法で早く決戦に備えたかった。食事を軽く済ませると、チームメイトから離れて、独り東京・銀座にある行きつけのショットバーへ向かった。上田利治監督から最後の第7戦の先発を言い渡されていたわけではなかった。それでも18年もプロでメシを食っていれば分かる。「明日はオレだろう」。

 ショットバーで水割りを4杯飲んだ。その間、どう巨人打線を料理しようか?配球は?。そんなことは一切考えないようにした。「あれこれ考えるより、ぐっすり眠って体調を整えたかったから」と足立。大試合を前に睡眠十分、コンディション万全で地鳴りのようなジャイアンツファンの声援をBGMにマウンド立った。

 2回。一塁ベースカバーに入った際、打者走者の淡口憲治右翼手に軸足となる右足かかとを踏まれ裂傷を負った。6回。味方の守備の乱れで巨人に2-1と勝ち越しを許した。

 それでも背番号16はポーカーフェイスのまま。勝ち越した巨人がさらに一死満塁と一気にたたみかけようとする場面で、「打ち気を誘うためにわざとコースを甘くしたシンカー」(足立)で淡口を投ゴロ併殺に打ち取った。

 まだ行ける。三塁側ベンチは燃えていた。7回に森本潔三塁手の2点本塁打、8回にはこのシリーズMVPの福本豊中堅手が右翼へとどめのアーチをかけた。球場で一番高い所に立つ男が動揺しなかったことが、勇者の逆転劇を生んだ。

 愛称“ダチさん”こと、足立のシリーズでの通算勝利は歴代3位の9勝(5敗)。78年ヤクルトとの第3戦に完封した以外はすべて巨人から挙げたものだった。巨人V9時代の65~73年、阪急は5回巨人と対戦し8勝20敗。8勝のうち5勝は足立の白星だった。

1976年11月2日 日本シリーズ第7戦 巨人-阪急 後楽園 阪急4勝3敗
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
阪  急
巨  人
投 手
阪  急 ○足立(2勝)-中沢
巨  人 ●ライト(1勝2敗)、堀内、小林-吉田
 
本塁打 森本1号、福本2号(急)高田1号(巨)
三塁打  
二塁打 福本(急)ライト巨)
阪  急   7安打4三振2四死球 2盗塁1失策3残塁
巨  人   5安打7三振3四死球 2盗塁0失策6残塁
球審・松橋  試合時間3時間2分 有料入場者数4万5967人  ※阪急、2年連続日本一 MVP=阪急・福本豊中堅手

| | トラックバック (0)

2007年11月22日 (木)

20071117中日優勝記念パレード開始!

スタート地点に監督、コーチ陣、選手たちを乗せた車が登場。

http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071122044326_1.htm

1台目の車両には、日本一慣れしている谷繁捕手が元気に手を振って登場。

山本昌も、さすがにこういう時は満面の笑みを浮かべて観衆に手を振る。

2台目の車両の右端は背番号12の人が、最初は元気に手を振って登場したが、途中から表情を曇らせ顔を伏せる。 まさか、アジアシリーズのことはみんな忘れたはずなのに。

また、、今シーズンで引退を決めた渡邊が早くもウルウルモードで登場。

3台目には、新井や平田など、CSや日本シリーズでそこそこ活躍した準レギュラー組が登場して、一応愛想を振りまく。

4台目の車両は、若手とドアラが登場。

前回の日本一を知る超ベテランファンから、5年後のレギュラー田中に“激励”が飛ぶ。

しかし、「ボクたちは本当にここに居ていいんだろうか?」
と、さすがに表情が硬く、手も振れない金縛り状態に。

その雰囲気を察したドアラが努めて明るく振舞う。

http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071122044328_1.htm

セレモニーが終了すると、カウントダウンが始まり、ファンファーレと共に「燃えドラ」の大合唱! 

いよいよ、優勝パレードがスタート!

ちなみに、ドアラの足元には石黒広報が隠れていて、時々モグラ叩きのように顔を出してはカメラのシャッターを押していましたが、映像の最後のほうにその“勇姿”(ドアラが立っている足元に、ブルーのウィンドブレーカーを着た、五分刈りヘアーの男性が周囲を見渡し、デジカメでファンの姿をあちこち撮影していました)が少しだけ見れます。

http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071122044329_1.htm

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

17日の「中日ドラゴンズ日本シリーズ優勝パレード」観戦記

17日の「中日ドラゴンズ日本シリーズ優勝記念パレード」を観て来ました。

仕事場が比較的東京駅の近くにあるので、たぶん「のぞみ」に乗れば前日に名駅近辺のビジネスホテルにたどり着けるだろうという強行軍日程で東京を立ちました。

翌日は、名駅付近のパレードのスタート地点に早めに到着してベストポジションを確保するつもりが、少々寝坊気味となり、名駅の太閤口近くのビジネスホテルを出発したのが午前9時で、パレード開始時刻の午前10時の1時間前というていたらく。

なんとか名鉄名古屋駅前の交差点のパレード開始地点にたどり着いたのが午前9時半過ぎで、かろうじてセレモニー開始を見物できましたが、所要時間は10分少々でほとんど一瞬で終わってしまいました。

その後徒歩で大通り方面に移動し、中日ビルのそばにあると思っていた「光の広場」にある特設会場に行こうとしたら、中日ビルの遥かかなたにあることがわかり、また、あまりの人波で近くにたどり着けないうちにイベントが終了してしまいました。
実は、優勝パレードは、1999年のセ・リーグ優勝時に、東山にしこさんと一緒に見物したことがあったのですが、その時は、名古屋城近くの中日新聞本社ビルから、中日ビルの眼下にあった大通り公園の特設会場までのルートで、この時は平日でもあり、監督、コーチ、選手たちが目の前を通り過ぎるのを何回も観れるほど身近なものでしたが、今回はあまりの人波で、結局、選手を目撃できたのは出発時のセレモニーだけでした。
***
なお、東山にしこさんのバイトカープ応援&中日応援サイト「玉川オンライン」
http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/frontpage.htm
の「中日系」コーナーでの「1999年の優勝パレード」のレポートはコチラ。
  ↓
http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/1999/1999/1999parade.htm

***
また、今回のパレード開始時のセレモニーがあり、その際にちょっと面白い動画を撮影したので、ブログにアップします。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年11月12日 (月)

「アジア一」の余韻に浸る間もなく

久々に「明るいニュース」を読みました。

久本、ドミニカでパワーUP オフ返上!15日に出発

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200711/CK2007111102063514.html

---------------------------------------------

中日の久本祐一投手(28)がドミニカ共和国・ウインターリーグに参加することが10日、分かった。球団側は当初、アジアシリーズまでチームの日程が延びたため、1軍選手の派遣を断念したが、久本はオフを返上して参加を志願。15日に出発し、12月中旬まで、昨年、中田が所属した『アギラス』で武者修行する。

『待った』がかかっても、志願の手を降ろさなかった。久本が日本一パレード、納会、さらにオフまで返上し、ドミニカ行きを決めた。

「自分のために行きます。現状に満足してはいけないですから」

一度は頓挫しかけた話だった。当初、藤井、鈴木らと、1軍の全日程終了後、ウインターリーグに参加するはずだった。それがチームはアジアシリーズまで進出。選手会との取り決めで、球団が選手を拘束できる期間は11月30日までとある。シリーズ終了後に出発しても、2週間程度しか参加できず、球団は1軍選手の派遣を断念していた。

だが唯一、久本が再度参加を志願した。15日に日本を出発し、『アギラス』に合流する。球団の拘束が解ける12月1日からは、“自主参加”の形で滞在を延ばす。自らオフを削ってまで、12月中旬までの武者修行を実現させた。

「向こう独特のチェンジアップを身につけて、投球の幅を広げたいんです」

シーズンで36試合に登板した中継ぎ左腕が、レベルアップを志す。その先に先発投手への思いがある。「今年2軍を含めて(1軍では1試合)、何度か先発させてもらい、手応えをつかめた。来年、任された時にできるようになりたいし、そうでなくてもロングリリーフができるようでなければいけない」。中継ぎ一辺倒の投手からの脱皮が最大の理由だ。

チェンジアップは現地では誰もが投げる球種で、マスターするにはうってつけの場だ。古くは山本昌が米国留学でスクリューを習得し、193勝を挙げる投手に変ぼうした例がある。約1カ月の修行をきっかけに、新たな投手へ生まれ変わりを目指す。 (原田遼)
---------------------------------------------

久本祐一投手が、ここまでの「欲」を見せたのは、入団以来初めてのことでしょうし、それには、最近のCS、日本シリーズ、アジアシリーズでの一連の“体験”が大きく作用しているものと思います。

その1:落合監督の「日本シリーズ最終戦の先発候補は久本も考えていた」発言

この落合監督の発言は、ファンも含め、本人もびっくりしたことでしょう。

久本投手が先発した経験は今季でも遥か昔で、最近はもっぱら中継ぎの役割を果たしていて、それなりに安定感は増してきましたが、落合監督から直々に名前が挙がったのですから、本人にとっては発奮材料になったでしょうね。

ただし、それは“究極の手段”というニュアンスでの表現ですから、この発言を聴いたら、本人は発奮せざるを得ませんよね。

その2:アジアシリーズでレベルアップの必要性を痛感

久本投手は、アジアシリーズにおいて、中日ドラゴンズが絶対に勝たないと予選敗退してしまう第2戦、対統一ライオンズ戦で先発の朝倉投手の後を継いで登板。

左打者が2人続くという比較的楽な場面で、自分では台湾チーム相手、それも左打者になら十分に通用すると思ったら、1人目はなんとか抑えることができましたが、次打者には、ものの見事にライトに引っ張られて安打を許し、大ピンチを招きました。

このまま慢心していると、アジアレベルでも通用しなくなる、という危機感が芽生えたのでしょう。

http://asia.npb.or.jp/2007/score/progress/2007110902.html

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/asia/07season/live/092_asia.htm
---------------------------------------------
7回裏
・中日は朝倉を続投させる。

9:ヤン・ソォンシエン 2ストライク1ボールからの7球目、真ん中に沈む変化球をうまく合わせ、ライト前ヒット。

・中日はここで朝倉から左腕・久本にスイッチ。

1:ヤン・セン 無死一塁。1ストライク2ボールからの4球目、内角のスライダーを打ち上げてライトフライ。
2:パン・ウション 1死一塁。2ストライク2ボールと追い込まれた後の5球目、内角のスライダーをはじき返し、一二塁間を破るライト前ヒット。

・この場面で中日は右腕・平井をマウンドへ。小刻みな継投を見せた。

3:ティルソ・ブリトー 1死一、二塁。フルカウントからの7球目、真ん中高めのフォークを打ち損じ、ショートフライ。
4:ガオ・グオチン 2死一、二塁。1ボールからの2球目、外角ストレートを流し打ち、ライト前方へポトリと落ちるタイムリーヒット。1点差に詰め寄った。
5:リィウ・フゥハオ 2死一、三塁。2ストライク2ボールからの6球目、外角高めのストレートに空振り三振。

・平井はタイムリーを許したが、何とか1失点で踏ん張った。
---------------------------------------------

その3:社会人時代の「同学年&同僚&同期入団」の山井の大活躍に大いなる刺激を受ける

久本投手と山井投手は、2002年の秋に、社会人チームの河合楽器から、ドラフトで一緒にドラゴンズに入団してきたわけですが、

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?61

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?29

今や、山井は日本シリーズ最終第5戦での「完全試合」達成の立役者。

そしてアジアシリーズ決勝戦でも、最重要の役割を担った先発投手を任されたように、ここに来てまさに「エース級」の扱いをされるようになりました。

ドラフト指名の段階では、山井は第6位、久本は第4位と久本の方が評価が高く、当時の監督だった山田久志氏の評価も、左腕久本をより高く評価していました。

それが、現在は立場が逆転して、山井が急に脚光を浴びる時代に。

この良きライバルの活躍は、久本投手の眠っていた闘志に火を点けたに違いありません。

このところ、選手個人に関する話題では、FAで出る出ないのという「暗いニュース」が多かった時期に、自分の未来に向けて身銭を切って修行しようという中堅選手が現れた、というのは、ドラゴンズにとっても久々の(選手個人に関する)明るいニュースでしたね。

頑張れ久本! 目指せドラゴンズの高橋建!(え?)

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (1)

2007年11月 6日 (火)

「温故知新2000」

いつまでも浮かれてばかりいられないので、アジアシリーズに向けてちょっと気合いを入れるために、「うちの納屋」の片隅にしまっていた、埃だらけのほろ苦い記憶を無理矢理引っ張り出してみました。

★すべてを狂わせた前田幸長“一世一代”の好投★
「胴上げ阻止」を目指した竜戦士たちに何が起きたのか

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest20030121_02.htm

今回の日本シリーズ最終戦の結果とは逆に、いわゆる“二兎”を追って、竜がウサギさんに尻尾を噛み千切られてしまったケースです。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore00/score000924.htm

この、2000年の東京ドームでの「ミレニアムVの屈辱」に対して、その後ドラゴンズが一大リベンジを果たせたのは、結局、2006年10月10日のリーグ優勝決定試合でした。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score061010.htm

実に6年の歳月を費やしたことになりますね。

指揮官も、星野、山田、落合と三代替わって、ようやく当時の“仇”を討つことができました。

ただし、当時の“恨み”を果たしたと思っているのはファンだけで、現監督にすればそんな感情はかけらも持っていないはず。

たぶん、当時の選手で現在もレギュラーとして残っている人間も一握りのはずなので、選手たちにも悔しさが残っていた人はほとんどいない(逆転勝利優勝を決められた当時のスコアボードのメンバー表を見たら、現役選手では、立浪と井端の名前がありましたが)でしょうね。

そして、この“悲劇”をもたらした張本人の前田幸長投手は、その直後に讀賣ジャイアンツにFA移籍し、さらに来季は讀賣を退団してメジャーに挑戦するとか。月日はどんどん流れて行き、我々の記憶だけが取り残されていきます。

このケースのように、味方に対してさえ、ちょっと“仏心”を抱いた結果相手に隙を見せると、あっという間に奈落の底に突き落とされるという、勝負の厳しさが見て取れます。

今回の山井投手の降板劇を批判した人たちの多くは、野球評論家やマスコミ取材者専用の「特別鑑賞用シート」や、テレビ桟敷という非常に“安全な”座席から試合を観て、持論を展開していました。

すなわち、「プロ野球ファンは、9回表も山井が投げて完全試合を達成するシーンを望んでいたのに、それを阻んだ落合監督はファンの夢を壊した」という論調で、あたかもそれがプロ野球ファンの総意であるかのように、あの采配を批判していました。

でも、現場を預かる側の視点が全く欠如した発言を、球界関係者やマスコミが繰り返すのはいかがなものかと思います。

もし指揮官が、山井投手の気力と体力がとっくの昔に限界に達していると判断したのにもかかわらず、敢えて本人に対して、「一生に一度のチャンスだろ。ファンの皆が期待しているのだから、9回も死ぬ気で投げてみろ!」という業務命令を出していたら、果たしてどういう展開が待ち受けていたのか、改めて考えてみただけでもゾッとします。

そう考えると、落合監督は、そういう危険な“臭い”を嗅ぎ分けるのが非常にうまい指揮官であったといえるでしょう。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

「我欲を捨てて、和徳を得よ」

落合監督は伊達に坊主頭にはならなかったようです。

| | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

本シリーズで「影武者」を演じ続けた男、山井大介投手一世一代の快“投”乱麻

11.1の日本シリーズ優勝決定試合の9回表の山井大介投手の降板劇の賛否を巡り、外野席が非常に騒がしいですね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200711/CK2007110302061424.html

結局、ああいう「事件」で一番大変な思いをするのは、当事者たちはともかく、様々な苦情に対応しなければならない部署であり、今回でいえば中日球団事務所や、親会社の中日新聞社系列各紙の窓口部門にもバンバン抗議電話が掛かってきて対応に追われていたものと思われます。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200711/CK2007110202061152.html

とにかく、あれは山井の体調を考えても仕方のなかった采配だったことをアピールするのに懸命なのでしょう。

もちろん、私は前回の記事で主張しているように、シリーズ優勝が懸かった大一番の大詰めの場面で1点差を守り切らねばならない状況下、しかも山井の体調と将来性も考慮したうえでの継投を選択した、あの采配でよかったと思っています。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20071102-00000021-spnavi_ot-base.html

それにしても、あの試合でベンチに戻ってゴーグルをはずし、「ウルトラ7」に変身していない時の山井は、「戦争と人間」や「青春の門」などの映画に出演していた、ちょっと陰のある二枚目を演じていた高橋悦史に似ていたなあ。

よく見ると、案外いいオトコなんだよね、山井大介。

今までは、2004年の優勝直前の公式戦での、左腕の長峰投手とジャンケンをして先発を勝ち取って勝利投手となった勝ち運をアピールしたエピソードや、「ウルトラ7」に変身するための小道具、ウルトラ・アイを髣髴とさせるゴーグル姿など、野球のプレーそのものからは若干離れたところが話題になっていましたが、これからはもっと実力方面で注目されていくに違いありません。

ところで、今回の一連のCSから日本シリーズまでのドラゴンズ球団側にずっと流れていた裏コンセプトは、敵を鮮やかに欺いた「影武者シリーズ」であったといえますね。

つまり、CS第1ステージこそ、川上と中田の2枚看板先発右腕投手で圧勝しましたが、次の第2ステージでは、スポーツ紙各紙が、第1戦の先発は山井、山井と連呼していくうちにみんながその気になってきて、遂に敵将まで騙されてしまいましたが、実際に登板したのは、影武者山井のさらに“裏”影武者だった小笠原。

小笠原孝投手の「左腕」という“特肩”に脅えた讀賣首脳陣の采配ミスで、同球団の左打者陣は、その威力をほとんど発揮できずにシリーズを終えました。

今季のドラゴンズ投手陣は、左の先発陣としては、昨季は無安打無得点試合も演じて、今年は200勝を目指して大いに燃えて実績を残すだろうと思われた山本昌の勝ち星が2勝と、ほとんど活躍できず、また、昨季は左投手としてローテーションの一角を占めていたマルチネスも退団してしまい、つまり、昨季までは豊富にそろっていた先発左腕投手陣がほとんどいなくなってしまった状況下、貴重な先発左腕投手の1人であった小笠原孝投手を、この作戦によって、まるで先発左腕投手が何人もいるかのように戦うことができました。

次に対戦した北海道日本ハムも、いつ左腕の小笠原が出て来るのか、また、噂のオトコ、山井がいつ登板して来るのかさっぱり見当がつかずに戦々恐々としていたことでしょう。

そして、「影武者」の役をずっと演じ続けた“第五のオトコ”山井大介が満を持して登場したと思ったら、これが一世一代の快“投”乱麻を演じてみせた。

シリーズも第5戦目を迎え、ドラゴンズが連勝連勝で「舞台」が十分に温まっていたので、山井が1球ストライクを投じるだけで、鮮やかな三振を奪ったかのような大歓声が球場にこだましていました。

それは、まるでスペインの闘牛場でマタドールが闘牛を相手に剣を一差しするたびに起こる、観衆の大歓声のようであり、北海道日本ハムファイターズの打撃陣はその大歓声に対して完全に気後れしていました。

もちろん、山井投手の決め球、必殺の縦に鋭く落ちるスライダーの切れも冴えに冴えわたっていましたが、ナゴヤドームの観客席に詰め掛けたドラゴンズファンの大声援に後押しされてこその「完璧投球」であったといえるでしょう。

名付けて「山井の“影”武者大作戦」。

先日リバイバル上映されて再び評判を取ったと聞く『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 YOU ARE (NOT) ALONE』のクライマックスとなった「ヤシマ作戦」に引けを取らない、ウルトラ大作戦であったといえましょう。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年11月 2日 (金)

あまりにも凄い、優勝決定試合でした。

あまりにも凄い、優勝決定試合でした。

果たして1点差を守り切れるのか

果たして山井が完全試合を達成するのか

そして最後は、果たして岩瀬が最終回を“パーフェクト”に抑えてくれるのか

ハラハラドキドキの展開がめまぐるしく変わりなかなか結末が読めない、まさに「木曜サスペンス劇場」といった趣でした。

落合監督は、山井の完全試合達成という「個人」の記録を諦めさせる替わりに、野球の神様に対して、実に53年振りの「日本シリーズ」優勝という、中日ドラゴンズという「球団」の悲願・宿願の達成を確実にしてもらうように祈ったのでしょう。

やはり、何かを犠牲にしなければ「夢」は叶えられない。

最少得点差の1点を守り抜かねばならない状況下で、53年振りの日本シリーズ優勝、および山井投手の完全試合達成という、組織と個人の“快挙”を両方とも達成しようという“二兎”を追えば、そこから小さなほころびが生じて、やがて足元をすくわれる事態を招くかもしれない。

当然、今後、「なぜ、山井に完全試合をさせてやらなかったんだ」という批判が、アンチ落合監督派閥を含む各方面から湧き上がってくるのを承知で、

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20071101-OHT1T00231.htm

ここは敢えて勝負に徹した訳で、外部からの批判は甘んじて受けるということでしょう。

ただし、この山井の“一世一代”の投球は、間違いなく野球史の中に燦然と輝く1ページとして記録され(元々、日本シリーズの記録は公式戦の記録とは別に扱われます)、また、岩瀬と二人で達成した「完全試合」は、今後も日本シリーズ史上初の「快挙」として、多くの野球関係者やファンの間でいつまでも語り継がれるのですから、事実上は記録を達成したのと同じ。

いや、53年振りの日本シリーズ優勝という「組織の悲願・宿願」を達成するために、「個人の記録」を譲ったということで、首脳陣からの評価は、完全試合を達成した以上に評価されることでしょう。

不思議なもので、今回はペナントレースで優勝を逃した悔しさと虚しさがあったからこそ、中日ドラゴンズの監督・コーチ陣・選手・球団関係者、そしてそれを取り巻く全国のファンがまさに一丸となって、CS第1、第2ステージを突破し、最終ゴールである「日本シリーズ」での優勝を勝ち取りました。

それはまるで、

最初は地元の熱狂的なファンに支えられて勇躍故郷の名古屋を出帆し、

次に、多くのジャイアンツファンが待ち構えていた「アウェイ」の地東京に辿り着くと、想像以上の数が集結した全国のドラゴンズファンたちに勇気付けられ、

さらに、昨年は圧倒的に数的優位を誇った敵地のファンになすすべもなかった北の大地、札幌でも雄々しく善戦するたくましさを身につけ、

そして、再び53年の長きにわたった「大願の成就」を祈るファンに温かく迎えられて、古里名古屋に戻る

という、自分たちにとって「中日ドラゴンズ」という存在がどういうものだったのかを再確認するための「ベースボール・オデッセイア“2007: A Baseball Odyssey”」だったように感じました。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_e89a.html

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_d231.html

10月から始まった短期決戦の連続ではありましたが、中日ドラゴンズを取り巻くすべての人たちにとっては、精神的に感じた時間がとてつもなく長かった“自分探しの旅路”がようやく終わりを告げました。

それは、53年という中日ドラゴンズの苦闘と悲劇の記憶とともに歩んでいったからなのかもしれません。

そして、その呪縛から解放される日が、「完全試合」という最も感動的な形で訪れたのです。この結末を迎えるために、この53年という年月が存在したのかもしれません。

もう一度、ありがとう中日ドラゴンズ。

そしてありがとう、野球の神様。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (1)

2007年11月 1日 (木)

祝「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」完結!

祝「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」完結!

ありがとう中日ドラゴンズ!

これ以上の言葉は要りません。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/livescore.html

http://dragons-official.at.webry.info/200711/article_1.html

http://rironha.blog63.fc2.com/

http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2007110190204103.html

http://www.tokyo-np.co.jp/s/tochu/article/2007110190204103.html

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/s02/

| | トラックバック (0)

2007年10月29日 (月)

「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」第2ステージ・札幌ラウンド1・2戦:寸評

「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」第2ステージ・札幌ラウンド1・2戦を通した寸評を言わせていただくと、1勝1敗という結果ながら、

「点で勝った日ハム、線で勝った中日」

ということになります。

北海道日本ハムファイターズの第1戦勝利は、ダルビッシュ・ユウとセギノールという、投打の“超人”の活躍によるものでした。

一方、中日ドラゴンズの第2戦勝利は、打線はアライバコンビに始まり、ほとんどの打者が得点シーンにからみ、投手陣は先発の中田、石井、(クルスは見なかったことにして)高橋聡文が自分の役割をきっちりと果たし、1本の「線」として機能したのが大きいですね。

特に大きかったのが、DH制を採用するパ・リーグ方式ならではの9番打者、藤井選手が自分の役割をきっちりと果たした、4回表の二死満塁での四球押し出しによる1点をもぎ取った瞬間でしょう。

この打席、藤井選手は、先発グリン投手の後を急遽引き継いだルーキーの吉川投手に対してストレートを2球とも見逃し、たちまち2ストライク・ナッシングと追い込まれてしまいました。

ピッチャーがルーキーとはいえ、受けるキャッチャーは百戦錬磨の高橋信二捕手。

おそらく、藤井が変化球狙いで打席に入ったことをいち早く見抜き、あとは仕上げを間違えなければこの場を何とか切り抜けられるぞ(切り抜けられてしまうなあ)という雰囲気が、敵味方の区別なく球場全体に漂いました。

私も半分諦めの境地で藤井の打席をテレビで観ていると、次の誘い球を見極め、その後の際どいボールを必死に食らいついてファールにしていく姿を見ているうちに、「ヒットはともかく、ひょっとしたら押し出し四球ならば獲得できるかもしれないぞ!」という期待をしだいに抱くようになりました。

それは、当初は変化球待ちの裏を掻かれて2ストライク・ナッシングと追い込まれていた時点の藤井の表情は、ヒットはおろか、とても打席で粘れるような感じは皆無だったのですが、吉川の繰り出す「決め球」を次々とファールでカットしていくたびに、彼の表情に「ヒットを狙うという欲を掻かずに粘れば何とかなるぞ!」という生気がしだいにみなぎってくるのを観てとれたからでした。

案の定、ツースリーのカウントから吉川が投じたストレートは、まるで根負けしたかのように高目に大きく外れ、ここで勝負あり、となりました。

---------------------------------------------

4回表
井 端 サードフライ 1アウト 日0-1中
森 野 フォアボール 1アウト 1塁 日0-1中
T・ウッズ フォアボール 1アウト 1・2塁 日0-1中
立 浪 フォアボール 1アウト 満塁 日0-1中
中村紀 ライトオーバー二塁打 1アウト 2・3塁 日0-3中
李炳圭 セカンドゴロ 2アウト 1・3塁 日0-3中
谷 繁 フォアボール 2アウト 満塁 日0-3中
藤 井 フォアボール 2アウト 満塁 日0-4中
荒 木 ショートゴロ 3アウト 日0-4中

---------------------------------------------

この、二死満塁の場面で9番打者の藤井が粘った末に得点を挙げたことで、その裏に、第1戦に引き続き、またもや“超人”セギノールに中田が強烈な1発を食らってもまだ3点の開きがあったので、結果的にもこの1点は、ドラゴンズナインを勇気づける貴重なものとなりました。

そして、この結果は、単に第2戦に勝利してタイに持ち込めただけでなく、特にドラゴンズの外野陣を大いに刺激したはずです。

このシリーズ、CSを含めて、ドラゴンズの内野陣は、ファーストのタイロン・ウッズに始まり、黄金のアライバ二游間、そしてサードは、このシリーズでは安定した守備を見せてくれている中村ノリと、完全に固定化されているのに対して、外野陣は熾烈な“先陣争い”を繰り広げています。

CS第1ステージ、第2ステージでセンターに先発出場したのは平田でしたが、日本シリーズ札幌ラウンドのセンターの先発は2戦とも藤井が務め、それぞれ結果を出しました。

さて、第3戦以降の名古屋ラウンドではDH制がなくなり、必然的に立浪外野手が“定位置”の代打の切り札の役割に戻りますので、第1戦で左の代打として、あのダルビッシュの速球をものの見事にはじき返し、あわや投手強襲内野安打となる強烈なゴロを放って相手ベンチを一瞬慌てさせた堂上剛裕選手も、外野の一角の座を虎視眈々と狙っているはずです。

いわば外野陣は、このシリーズを、自分の来季の処遇を巡る絶好のアピールの場と捉えて、我も我もと列をなして出番を待っているのです。

(FAで中日を出る出ないのという駆け引きをしている福なんとか君も、万が一中日に残るつもりなら、もううかうかしてられないぞ)

そういう意味では、ドラゴンズの外野の布陣も万全。

一方、内野陣の守備は現状より悪くはならないでしょうから、あとは打撃でタイロン・ウッズの爆発を待つのみですが、それは、彼が絶大なる信頼を寄せるナゴヤドーム内“落合クリニック”を本日“受信”して自信を取り戻してくれているはずなので、もう大丈夫でしょう。

投手陣は、両軍ともに、札幌ラウンドほどは安定感が望めない布陣で戦わざるを得ませんので、きっと打「線」の出来が勝負の分水嶺となることでしょう。

明日からの「決戦」を熱く静かに見守っていきたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月28日 (日)

「中日シリーズ」第2ステージ初戦敗戦のショックを「ミッドナイト」で癒す

「中日シリーズ」第2ステージ初戦は、1回裏に中日ドラゴンズの先発投手、川上憲伸投手が、北海道日本ハムファイターズの四番打者セギノール選手に3ランホームランを打たれて、ほぼ試合の行方が決まってしまいました。

いわばボクシングの試合で第1ラウンド後半に強烈なアッパーカットを食らってダウンを喫し、9カウントで辛うじて立ち上がり、その後は必死に反撃を試みるも、結局序盤の劣勢を挽回するには至らず、第1試合は「判定負け」となってしまったという感じでしたね。

私自身は、テレビ朝日の試合中継放送を観た後、ラジオで監督談話などを確認し、ちょっとネット方面で情報収集した後に、午後10時半から始まるNHKの「スポーツタイム」で第1戦の反省をしているうちに、やはり敗戦のショックからかそのまま眠りの世界にトリップしてしまいました。

テレビをつけっ放しにして熟睡していたのですが、突然、妙にテンションの高い人の声がテレビ画面から聴こえて来て、しだいに睡魔から開放されました。

深夜零時から始まる「秋の夜長もさだまさし」という、いい意味でNHKらしからぬ、不定期特別番組だそうで、さだまさし氏が司会を務めて好き勝手放題に番組を進めることをウリにした(実際に、NHKではNGとされる企業名がいくつか番組に登場していましたが、担当するスタッフが始末書覚悟でこの番組に臨んでいる覚悟が伝わって来て好感が持てました)、昔のAMラジオ深夜放送の「ノリ」をテレビで再現した番組のようでした。

今回の放送は、NHK名古屋局からの生放送だったようで、スタッフや出演者は、やはり昨晩の日本シリーズ第1戦敗戦のショックを引きずって落ち込んだ雰囲気で番組が始まったのが、ちょっと興味深かったですね。

やはり、中日ドラゴンズの勝ち負けは、名古屋市民全体の1日の気分を左右するほど大きな影響力を持っていることを、改めて再認識させられました。

さて、この番組は公開生放送で、リスナーをスタジオに招いていたのですが、非常にユニークだったのは、その中に東海ラジオの名物女性アナウンサー、蟹江篤子氏が参加していて、なんと、NHKの番組の中で民法アナウンサーが登場して、リスナーからのお便り紹介コーナーをさだまさし氏と担当したことでしょう。

聴けば、さだまさし氏がまだ駆け出し時代、グレープというフォークデュオでデビューした際に東海地区でプロモーションに駆けずり回っていた時に、いちはやく彼らの才能に注目して、東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」で蟹江篤子アナウンサーがどんどん紹介してくれて、それを契機に全国的な人気に火が点いた歌曲が「精霊流し」だったとのこと。

彼にとっては、一生涯忘れられない“恩人”のようで、それでNHKのスタジオにも招いたのでしょう。

東海ラジオの蟹江アナといえば、1970年代から始まった東海地区独自の深夜放送「ミッドナイト東海」でDJあるいはパーソナリティを務めて、当時の若者たちに絶大なる影響を与えていた存在で、1975年に関東地方に住んでいた私が、中日ドラゴンズのラジオ中継放送が関東地方でも聴こえることを知って、「東海ラジオガッツナイター」を聴いた後に、

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw09.htm

引き続き同局の番組をそのまま聴き続けていることが多かったのですが、最終的には深夜放送の「ミッドナイト東海」に辿り着き、その番組にもハマっていたのでした。

この番組は、当時は東海地区のみで仕事をしていた出演者が、後に東京地区への進出を果たして、全国区の人気を獲得する人材を多数輩出した、まさに登竜門的な深夜番組で、1975年当時に私が聴いていたパーソナリティの中にも、笑福亭鶴瓶(このNHKの番組の蟹江アナのコーナーにも、鶴瓶“師匠”が電話で“飛び入り出演”するというハプニングもありました)や、兵藤ゆきネエが出ていて、その後の全国区的な活動をする前の彼らや彼女らの“過去”を知ることができた、貴重な番組でした。

1975年といえば、中日ドラゴンズが前年の1974年に打倒讀賣を果たしてリーグ優勝を勝ち取った翌年で、「目指せV2」を合言葉に、その年に急に力を付けて来た赤ヘル軍団、広島東洋カープと、熾烈なペナント争いを繰り広げていた年でした。

いわば、NHKテレビのちょっと“不良中年的”深夜番組のお陰で、私自身も1975年当時に熱狂的に中日ドラゴンズを応援していた時代に、いつの間にかタイム・トリップして、再び、第2戦に向けての鋭気を養うことができました。

ありがとう「ミッドナイト」放送!

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月26日 (金)

「中日シリーズ」第1ステージ“こぼれ話”

さて、前回の記事を書いた21日に、次回の更新時に何か書きますといっておきながら、なかなか更新する暇が取れず“苦戦”しておりましたが、「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」第2ステージが目前に迫ってきたので、仕事の合間を縫って更新することにしました。

ドラゴンズが「CS優勝」(笑)を決めた翌朝の21日にはいそいそと近所のコンビニに出掛けて、まずは「トーチュウ」(東京中日スポーツ)、毎日新聞社系列の「スポニチ」、そして、敢えてライバル紙の「スポーツ報知」を購入して記事を読み比べてみたのですが、一番内容が充実していたのは、意外にも「スポーツ報知」でした。

まず、いち早く“敵チーム”のオーナーである中日ドラゴンズの白井文吾氏に取材を敢行したコメントを掲載しており、「今回の(CSの)結果に大満足」でニンマリ! という様子を報じていました。

なにしろ、中日球団が主催したCS第1ステージが2戦2勝で終わってしまったことは、実は経営者としては痛し痒しで、なるべくなら3戦して主催試合の収入をがっぽり稼いでから2勝勝ち抜けするのが理想とするところですが、それはかなり虫のいい話です。

一方、CS第2ステージは讀賣球団の主催ゲームなので、中日にとっては敵地での応援グッズの販売収入ぐらいしか直接の売上に結び付かない訳で、3連勝で勝ち上がって、日本シリーズへの出場権を獲得したことは、少なくとも本拠地での2戦分の主催権が確保されたことになるので、その入場料やテレビ放映権料、球場内での関連グッズや店舗からの“上がり”を考えると、莫大なる売上を見込むことができたのです。

おまけに、「リーグ優勝は逃した」ということで、仮に日本シリーズを制したとしても、選手たちの年俸高騰をかなり抑えることができるはずなので、“福利厚生費”的な扱いの「日本シリーズ優勝旅行」を実施したとしても十分にお釣りが来るという計算が成り立つはずです。

オーナーがこの時点でいち早く落合監督の「続投宣言」をしたのも何となくうなずけるというものです。

おっと、ちょっと方向が「ブラック」な裏日記的になって来ましたので、このへんで軌道修正を。

***

白井オーナーのコメントをいち早く取材した「スポーツ報知」ですが、もう1つ面白い記事が、第3カラー面に掲載されていました。

落合監督の愛息、落合福嗣君の「CS優勝直後」の独占手記が、父親に向けての自筆の手紙の形を取って掲載されていました。

この「自筆」というのがミソで、間違いなく、福嗣君本人が自分の心境を述べたものであることが証明されていた訳です。

この手紙がなかなかよい内容でした。

リーグ優勝を逃し、「公約違反」をした“罰ゲーム”として、丸刈りをするために親子二人で床屋さんに行ったエピソードが語られていましたが、シーズン中は普段なかなか父親と一緒に行動することができない福嗣君が、罰ゲームとはいえ父親と一緒に行動することができるとともに、福嗣君が父親に働き掛けて丸刈りにしようという提案をしたらそれを素直に受けてくれたことに対する喜びや、そして、その悔しさをバネに、見事CSの第1ステージ、第2ステージを駆け上がって「優勝」を勝ち取ったことへの賛辞が「世界一の父ちゃん」という飾らない言葉で綴られていて、非常に好感が持てました。

さて、そういう親子の絆といえば、「中日スポーツ」にも似たような記事が掲載されていました。

こちらは、井端選手の母親に取材したものです。

***

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/s01/CK2007101902057607.html

「結果恐れず頑張って」 井端選手の母・節子さん

2007年10月19日

 先手は取った。さあ、この勢いで-。プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)第二ステージが十八日、開幕し、中日ドラゴンズはリーグ覇者・巨人との初戦に打ち勝ち、大事な一勝を挙げた。

 「勝てばいいんです。よかったですよ」。右前適時打でダメ押しの5点目をたたき出した井端弘和選手(32)の母節子さん(61)、静岡県伊東市=は、四万四千人で揺れた客席で、得点のたびに立ち上がって声援を送った。

 井端選手は亜細亜大からドラフト五位でドラゴンズに入って十年目。今年はプロ1000安打も果たし、球界を代表する遊撃手としての地位を固めている。「ここまでの選手になるとは…。入団したころは、十年チームにいられたらいいね、と願っていたぐらいです」と節子さんは振り返る。

 「試合中の顔つきを見ると、少しは責任感が出てきたのかな」と十年間の成長に目を細める。変わらないのは、けがを抱えても弱音を吐かないところ。この春もそうだ。負傷退場した試合後、心配する母の電話にあっけらかんと答えた。「『試合に出なくなったら心配して』って言われちゃいました」

 入団当初は「たとえベンチにいる姿でも見たい」との一心で球場に通った。今でも東京の試合はすべてスタンドで観戦する。「勝ち負けを肌で感じたいから。もちろん息子が活躍するに越したことはないですけど」

 愛息に期待するのは派手な本塁打でなく、二番打者としてのチャンスメークだ。「塁に出れば、きっと(本塁に)かえしてもらえるから。結果を恐れず頑張って、去年果たせなかった日本一を達成してほしい」(中日新聞・朝刊)

***

よく、選手の肉親は、球場に行くと怪我が心配になるし、成績が奮わないとファンからも心無い野次が飛んだりするので応援を控える人たちも多いと聞きますが、井端選手のお母さんは、東京の試合はすべてスタンドで観戦するというのですから、物凄く強い精神力の持ち主であることを示すとともに、そこにも親子の固い絆を感じさせます。

***

さて、親子の絆ではないのですが、世代間を越えた交流ということで、CS第2ステージの初戦で、こんな光景を目撃しました。

私は、三塁側内野席のレフト側外野席に近い、前列20列目ぐらいの位置で観戦していたのですが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_0c85.html

その席は列の右端に位置しており、私の前には、私よりもう少し上の世代、50代後半か60代を若干過ぎたと思われるご夫婦が観戦していました。

奥様はピンクの井端ユニを、旦那さんはブルーの落合監督ユニを着用していたので、たぶん、名古屋方面から“遠征”してきた、ハッピー・リタイヤメントで既に悠々自適で暮らしている団塊世代のドラゴンズファンかもしれないなと思いました。

そして、通路を挟んだ反対側の左端の席には、茶髪の若者、そうですね、今何かと世間を騒がせている亀田兄弟世代と思われる“あんちゃん”が座っていましたが、その右横にはいくつか空席が続いており、少しぽつんとした感じで座っていました。

その“あんちゃん”は、いわゆるカジュアルな服装だったので、ドラゴンズファンなのかジャイアンツファンなのか、最初はよくわからなかったのですが、それは、私が球場に到着したのが3回表の二死満塁の状況から谷繁捕手が2点先制安打を放った直後の、3回裏の讀賣側の攻撃中だったので、三塁側内野席では優勢だったドラゴンズファンが固唾を飲んで試合の行方を見守っていたため、球場内がシーンと静まり返っていたからかもしれません。

それが、4回表のタイロン・ウッズの2点本塁打によってドラゴンズファンが一斉に立ち上がり、三塁側内野席が一気に興奮のるつぼと化し、私も前列の“団塊世代”ドラゴンズファンのご夫婦とメガホンでハイタッチを繰り返していると、例の“あんちゃん”も立ち上がって歓声を上げているので、彼も熱心なドラゴンズファンであることが判明しました。

ドラゴンズファンの友達と連れ立って応援していない彼の様子から想像するに、ひょっとしたら名古屋出身で上京してきて、普段は自分がドラゴンズファンであることを周りにアピールすることもなく生活しているのだが、このクライマックス・シリーズが東京ドームで開催されることを知り、彼の身体の奥底に眠っていたドラゴンズ・ブルーの血が騒ぎ、居ても立ってもいられなくなって球場にやってきたのではないか、という印象でした。

さて、話を“団塊世代”のご夫婦に戻すと、旦那さんはしょっちゅう席を外してしばらくどこかに消えていくので、たぶんタバコを吸いに球場出入り口に設けられた喫煙コーナーにでも出掛けていっているものと思われました。

試合が中盤に差し掛かりドラゴンズがかなり優勢に試合を進めている状況になった時に、その旦那さんが喫煙コーナーから“帰還”してきたのですが、今回は、何か紙袋を抱えてきて、突然、通路の左端に座っている“あんちゃん”の肩を叩くと、彼にその紙袋を渡しました。

どうも、ドラゴンズが優勢で気分もよいし、ハンバーガーセットを買って、気前よくその若者におごってあげようと思ったらしいのです。

突然、ハンバーガーセットを差し出された“あんちゃん”は、最初はとまどっていましたが、ドラゴンズが優勢であったこともあり、恐縮しながらも、結構喜んでそのハンバーガーセットを頬張り始めました。

「お、ちょっと突っ張っているけど、案外いい奴じゃん!」と、私も微笑ましく見ていました。

その後の試合は4対0のスコアから、5回裏と6回裏に讀賣に1点ずつ返され、楽勝ムードから再び緊迫した雰囲気が漂い始めましたが、8回表に井端が中押し点を奪い、8回裏のピンチを岩瀬が凌ぎ、最終的には5対2のスコアで逃げ切ることができて、ドラゴンズファンは歓喜の中で「燃えろドラゴンズ」の凱歌をあげることができました。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score071018.htm

さて、ドラゴンズの勝利を無事見届けることができた私は、帰り支度をしていました。

すると、例の茶髪の“あんちゃん”亀田君(仮名)が、やおら近づいて来て、無言でデジカメを渡して来たのです。見ると、前列の“団塊世代”のご夫婦と三人揃って「記念撮影」をしたいので、それを撮ってほしいということのようです。

「おお、いつの間にキミ達はそんなに仲良くなったんだ!」

と、少々驚きながらも、デジカメのシャッターを2回押して、万が一誤って1枚を削除しても大丈夫なように少々気を利かせてからデジカメを亀田君(仮名)に戻し、ちょっとその場の雰囲気が私も照れくさかったので、すぐにその場を去ることにしました。

ひょっとしたら、亀田君(仮称)はそのご夫婦に記念写真を贈るので住所かメルアドでも尋ねるのかもしれないなと思いつつ、私も彼らの交流に少しだけ貢献できたのが素直に嬉しかったですね。

たぶん、あの三人が普段街中で出会っていたら、お互いが言葉を交わしたり、ハンバーガーセットをおごろうと思ったり、そしてその申し出を素直に受けたり、ましてや一緒に記念写真を撮るなどというシチュエーションはまずあり得なかったのではないかと思います。

それが、

“I love C D”

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/index.html

http://dragons.cplaza.ne.jp/newslivedragons/livedragons.html

という合言葉1つによって、そのような世代間の垣根を楽々と越えることができるのですから、なんて素晴らしいことなんじゃないかな、という感想を持ちました。

そうだ、やっぱり野球場に行こう!

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月21日 (日)

「中日シリーズ」第1ステージを圧勝で通過し第2ステージ進出決定!

「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」、略して「中日シリーズ」第1ステージを圧勝で通過し第2ステージ進出決定! というまさにその瞬間を、20日(土)の東京ドームレフト側ビジター応援席で見届けることができました。

昨年の2006年10.10に引き続き、2007年10.20は、私自身のドラゴンズ応援メモリアルデーとして、一生涯私の脳内記憶領域に刻み込まれていくことでしょう。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score071020.htm

今回は、ペナントレースで苦汁を飲まされた讀賣ジャイアンツに対して、幸いにも三戦全勝の「スイープ」で圧勝することができましたが、どのゲームも1つ間違えればその結果が逆になっていたかもしれず、その分岐点となったものは、監督、コーチ陣、選手たちの、昨年の秋季キャンプからカウントすればほぼ1年間にわたる長いペナントレースでの努力が報われなかったという悔しさをせめてこの「短期決戦」で一矢報いようという意地と誇りの精神と、それを後押しした全国から集ったドラゴンズファンの気合いと闘志だったと思います。

たしかに、第1戦と第3戦の球場に出掛けて、三塁側内野席やレフト側ビジター応援席という“現場”で私が体感したものは、ドラゴンズファンの、この短期決戦に賭けるすさまじいまでの気合いと闘志でしたが、私はこれらの言葉さえも霞んでしまう「空間」が実は存在していたことを、第3戦の試合途中で知りました。

東京ドームの「アウェイ」の雰囲気の中で、赤の他人、見知らぬドラゴンズファンの人たちたちと心を1つにして、ひととき応援を繰り広げたのち、試合後はまたどこかの球場での再会を期してさっと別れる、“一夜限りの逢瀬”を繰り広げるのも実は結構好きなのですが、もう1つの試合の楽しみ方があります。

神宮球場や横浜スタジアムでは、ビジター扱いとはいえ、外野自由席などでは比較的座る位置に自由度があるので、同じドラゴンズファン仲間でも気の合う人たちと一緒に応援することが多く、その人たちとは、通常は東京ドームのレフト側ビジター応援席でバラバラになって応援していても試合後には集合して勝利の喜びや敗戦時の“反省”を行うことが多いのです。 が、この日はいつもの仲間が運悪く立ち見席しか入手できなかったため、ちょうど私が座っていたビジター応援席の真後ろに当たる、1階外野席最上段の立ち見席に多数集結していたのでした。

試合が中盤に差し掛かり、彼ら&彼女らが立ち見席に来ていることを知り、挨拶がてらにその席に足を踏み入れた瞬間、私は、今までとは全く異なる雰囲気がそこに漂っていることに気づきました。

東京ドームの外野指定席は、ガラス繊維の天幕を空気の圧力で膨らませている建築構造上のお陰で天井を支えるための、邪魔で大きな柱もなく、遥か頭上に天幕が広がる、非常に開放感溢れる雰囲気が漂っているのですが、1階外野席の最上段に位置する立ち見席には、視界を遮る角張ったコンクリートの四角い柱が何本も林立し、頭上には、同じくコンクリート打ちっぱなしの低い天井が迫り、物凄く閉鎖的な雰囲気が漂っているのです。

http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/giants/seat/4.htm

そういう状況下で応援することを強要されている観衆にとっては、それこそ「こんなに劣悪な条件下で応援しているのだから、自分の応援しているチームが負けたら只では済まさないぞ!」という気迫、というより、ほとんど「殺気」と呼ぶのが最も相応しい空気に支配されていることに気づき、愕然としました。

この「CS優勝決定試合」の終了後に、ドラゴンズの監督、コーチ陣、選手たちがひととおりセレモニーを終えて、主にレフト側ビジター応援席に陣取る、私たちドラゴンズファンに対して挨拶をするために、レフト側のフェンス方面にまで近づいて来て万歳三唱を一緒にしてくれましたが、

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200710/CK2007102102057968.html

http://dragons-official.at.webry.info/200710/article_17.html

Dragons_climax_s_champion_2007

きっと彼らも、試合中にレフト側外野席方面の後方に漂うただならぬ“オーラ”を、三塁側ベンチからも十分に感じ取っていたことでしょう。

それは、CS第1ステージのナゴヤドームでも同様に、外野席後方で熱狂的に応援する人たちからの「殺気」を孕んだ空気がきっと漂っていたものと思われ、それを敏感に感じ取ったドラゴンズ・ナインが、第1ステージのホームゲームで圧勝した流れのまま一気に第2ステージをも勝ち抜き、今回のような、セ・リーグ史上初のクライマックス・シリーズの結果が圧勝で終わった大きな要因の1つになったように感じました。

さて、今回のシリーズでは、そういった「殺気」と形容するのが最も相応しい空気を感じましたが、それとは全く異なった“感想”も持ちました。

それは明日以降の更新時にでも改めて紹介してみたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月20日 (土)

「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」、略称「中日シリーズ」第1ステージ連勝で、第2ステージ進出に王手!

「中部日本リベンジマッチ・シリーズ」、略称「中日シリーズ」第1ステージ連勝で、第2ステージ進出に王手! となりましたね。

昨晩の第2戦の東京ドームにも応援に行きたかったのですが、チケット、それもレフト側ビジター応援席の前列6列目という、ドラゴンズファンにとっては「プラチナチケット」を購入していたにもかかわらず、球場に駆けつけられない無念さを感じつつも、ドラゴンズが快勝で連勝してくれたことのほうがよほど嬉しいです。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score071019.htm

球筋読んで43年もたつと、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/about.html

いくらお気楽サラリーマンといえども、それなりに仕事をいいかげんに済ませると赤の他人様に迷惑をかける事態を招くので、さすがにそれだけはちょっとヤバイということで、昨晩はトラブル対応で会社に残り、密かにWeb観戦にてドラゴンズの健闘を祈っておりましたが、私の観戦を犠牲にしてドラゴンズが勝ってくれるのなら、私はそのほうが百倍嬉しいです。

それにしても、18日の第1戦は本当によかった!

なんか、ドラゴンズファンとジャイアンツファンの気合いと闘志の差が、やはりドラゴンズ選手たちを奮い立たせた面もあったのじゃないかと思っています。

7回表に、四球で出塁した森野が、無死一塁の状況で、ウッズのライト方面に高々と打ち上げたホームラン性の打球を、少なくともフェンス直撃と“確信”して三塁まで走ってしまった“ボーンヘッド”がありましたが、その理由の1つは、普段の東京ドームの「アウェイ」の雰囲気ではとても考えられない、ドラゴンズファンの大歓声に吊られて、思わず飛び出してしまったように感じられました。

そこには伏線があり、4回表の攻撃でも、森野が安打で出塁した二死一塁の場面で、タイロン・ウッズが完璧な当たりでライト方面に2ランを打った際、レフト側ビジター応援席が総立ちとなっているのは、元々ドラゴンズの攻撃中は基本的に立って応援しているから、いわば当たり前なのですが、三塁側内野席に座っていて、メガフォンは打ち鳴らすが、やはりジャイアンツファンに多少気兼ねしてか、応援歌を歌う人たちはちらほらだったドラゴンズファンが、ウッズの大きな放物線を描く当たりを目にした瞬間に、「ウオーーーッ!!」という大喚声とともに、まさに総立ちとなったのでした。

私は、三塁側内野席のレフト側外野席に近い、前列20列目ぐらいの位置で観戦していたのですが、その瞬間、周りにいたほとんどの観客が立ち上がって“人の林”が突如出現してウッズの打球が見えなくなり、私は、その直前の状況とのあまりの落差に、思わず出遅れてしまって後から立ち上がったほどでした。

その光景は、ドラゴンズの選手たちの中では、唯一、一塁ランナー森野からしか目に入らない光景なはずで、東京ドームで三塁側内野席に陣取るドラゴンズファンが一斉に立ち上がって大歓声が巻き起こる事態など、今回以外にあり得なかった、あったとしたら、昨年の10.10の優勝決定試合以外にはなかったと思われるのです。

そして、7回表も、ウッズが同様な当たりを放った瞬間、三塁側内野席は再び総立ちとなり、森野自身にとっては、4回表で体験した三塁側内野席の光景が、まるで、“デジャヴ”(本来の「既視感」という意味ではつかい方が間違っていますが)のように蘇り、一塁側コーチスボックスにいた川相コーチは「ステイ!(その場に留まり打球の様子を見ろ)」と指示したかもしれませんが、その声さえも大歓声で掻き消され、思わず駆け出してしまったのではないかと思います。

もちろん、こういう場面であっても、プロの野球選手としては冷静に判断することが求められるわけですが、あえて言えば、森野の身体を勝手に動かしてしまうほど、ドラゴンズファンの気合いが物凄かったのではないかと思います。

このように、三塁側内野席にドラゴンズファンが多数集結できたのは、ひょっとしたら、CS第2ステージ進出を願ってチケットを購入していたタイガースファンのビジター側内野席がチケットショップに多数売りに出され、その無念さが込められたチケットを握り締めたドラゴンズファンが、その残留思念(タイガースファンも、ペナントレースの終盤はてっきりドラゴンズとリーグ優勝を争うと思っていたはずで、“漁夫の利”を得たジャイアンツに肩透かしを食らわされた気分のはず)のエールをもらって、いつも以上に気合いが入っているものと思われ、その点ではタイガースファンにも、感謝、感謝です。

本日は土曜日。サラリーマンにとっては休日なので、なんとか球場に駆けつけられると思います。

関東在住、そして名古屋方面、いや全国から駆けつけて来る我々ドラゴンズファンが、この「アウェイ」の地東京ドームに集結して、選手たちの後押しができる喜びを噛み締めながら、精一杯応援していきたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

|

2007年10月19日 (金)

「中日シリーズ第1ステージ」の初戦に勝利

「中日シリーズ第1ステージ」

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b29b.html

の初戦にドラゴンズが勝利するのを、東京ドームの三塁側内野席で見届けることができました。

通常のペナントレースならば、レフト外野ビジター応援席で、まわりをドラゴンズファンに囲まれて応援できるので、球場の大部分が「アウェイ」の雰囲気で支配されているとはいえ、比較的気分よく応援できるのですが、今回はビジター応援席のネット販売はあっという間に終了したので購入できず、いわばビジター応援席の購入がドラゴンズファン同士の争奪戦となったのが、讀賣側の作戦であることを考えると非常にシャクの種でしたが、これがペナントレースを制することができなかった、ドラゴンズとドラゴンズファンへの罰ゲームと捉えて、ぐっと我慢するしか仕方がないですね。

通常のペナントレースで、たまに東京ドームの三塁側内野指定席で応援すると、やはり讀賣ファンが圧倒的に多く、本日もそのような雰囲気を予想していたので、球場に着くまではかなり気が重かったのですが、このクライマックス・シリーズでは、レフト外野席はすべてビジター応援席に割り当てられていて(通常のペナントレースでは、レフト外野席のバックスクリーン側は「ジャイアンツ応援席」に割り当てられていて、さらに「アウェイ感」が割り増しされてしまいますが)、外野席の左半分がすべてドラゴンズブルー一色となり、さらに、三塁側内野指定席も比較的ドラゴンズファンが座席を占有していて(ドラファン6.5対ジャイファン3.5という印象)、ドラゴンズが得点すると、見知らぬドラゴンズファン同士が一体感を持って喜びを分かち合うことができたので、いい意味で予想がはずれたのが嬉しかったですね。

これを契機に、是非、通常のペナントレースでもレフト側外野席はすべて、ビジターチーム側の応援席にしてほしいものです。

関東の球場にやって来るドラゴンズファンは、神宮球場や横浜球場では気前よくグッズを購入したり飲み食いしたりするので(その理由の1つは、地元ナゴヤの球場よりサービスが遥かに良いことは公然の秘密ですが)、お得意さんになりますぜ、東京ドーム経営陣の皆さま。

まあ、それはさておき、ちょっと昨年10.10の東京ドーム優勝決定試合の雰囲気を思い出してしまいました。(おっと、いかんいかん遠い目は)

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_19da.html

***

試合のほうは、ドラゴンズの選手たちが、ようやく短期決戦の戦い方に慣れてきたように感じられたのが大きかったですね。まあ、この試合ではドラゴンズの選手たちもいろいろとミスを犯しましたが、それ以上にジャイアンツの選手たちがミスを重ねてくれたので、第1戦を勝利で飾れたように思います。

このままの形で「一日の長」を大切にして、勝ち抜いていっていってほしいです。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月17日 (水)

セ・リーグCS第1ステージは、阪神さんが借りてきたネコのまま

セ・リーグCS第1ステージは、阪神さんが借りてきたネコのまま、結局は恐ろしい“トラ”に変身することなく終わったので、形の上では「圧勝」でしたが、こういう“超”短期決戦の怖さを嫌というほど実感させられました。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score071013.htm

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score071014.htm

それに対して、パ・リーグの第2ステージは、昨日の試合でロッテが逆転勝利を収めて2勝2敗のタイに持ち込み、厳しい試合が続いていますね。

特に賞賛すべきはロッテの粘り強さで、昨年の日本シリーズでドラゴンズが何もできなかった札幌ドームの「アウェイ」の雰囲気をものともせずに善戦している姿に、素直に脱帽しております。

さて、18日(木)からは、いよいよ我が中日ドラゴンズが、敵地東京ドームに乗り込んで、「アウェイ」の雰囲気の中で闘わなければなりません。

まあ、強風吹きすさぶ千葉マリン球場で逞しく育った千葉ロッテマリーンズと異なり、セ・リーグでドーム球場を持つ“温室”育ちの両チームのことですから、違った意味でいい勝負になるのではないでしょうか。

この、5戦3勝勝ち抜け戦は、讀賣ジャイアンツにとっては「クライマックス・シリーズ第2ステージ」となりますが、中日ドラゴンズにとっては少々意味合いが異なります。

すなわち、ペナントレースの終盤、ドラゴンズが当面のライバル阪神とゴチャゴチャ足の引っ張り合いをしているどさくさに紛れて、いったんは「死んだ振り」をした後に下位球団だけを徹底的に潰す(確かシーズンの終盤に、東京ヤクルト、広島カープ、横浜ベイ3球団全てに3タテを食らわしたはず)というしたたかな作戦を成功させた讀賣球団にリーグ優勝をかっさらわれた悔しい恨みを思う存分晴らす闘いの場であるといえます。

そこで、今回の東京ドーム決戦を、「クライマックス・シリーズ第2ステージ」と、マスコミと世間は呼んでいただいて結構ですが、私個人としては、「中部日本リベンジマッチ・シリーズ第1弾」、略称「中日シリーズ・第1ステージ」と、勝手に呼ばせていただきます。

もちろん、第1ステージの次には第2ステージが控えており、日本ハムが日本シリーズに勝ち進んだら昨年のリベンジマッチということで、もしロッテが日本シリーズに勝ち進んだら「リメンバー1974リベンジマッチ・シリーズ」となりますね。

ところで、1974年のロッテオリオンズとの日本シリーズでの記憶で思い出しましたが、高卒入団3年目ながら、阪神とのCS第1ステージでスタメンに名を連ね、CS初ヒットも放った平田良介選手について、ある「発見」をしました。

試合を中継していたアナウンサーが、平田選手を描写する際に、「ヘルメットを目深にかぶって打席に立っています」というちょっと気になる表現をしていたことと、それとともに、高卒入団3年目にして既にプロ野球選手に相応しいがっちりとした体格、CS初安打が右方向であったことに象徴される広角打法(まあ、テキサス・リーガー性安打でしたが(^^;))ということで想起される、歴戦の中日ドラゴンズ強打者の名前は…。

そう、大島泰徳氏です。

彼は、1974年の日本シリーズではなかなか輝かしい働きをしており、特に最終となった第6戦では、ドラゴンズがロッテに1点リードされたまま、ロッテの主戦村田兆治投手の重い速球とフォークボールのコンビネーションにドラゴンズの打撃陣の誰もが打ちあぐねてしまい、いよいよ終盤を迎えた絶体絶命の場面に彼が代打として登場し、いったんは同点となる起死回生のソロホームランをかっとばして、ゲームを振り出しに戻してくれたのでした…。(おっと、いかんいかん、遠い目は)

大島泰徳氏は、自身の公式サイト

http://www.ohshima-yasunori.com/top.html

を開設しておりますが、トップページに掲載されている、ヘルメットを目深にかぶった彼のイラストを見て、いよいよ確信に至りました。

平田よ「大島2世」を目指せ!

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

※自己テキストの宣伝ですが、過去に、「山崎武司選手と関川浩一選手応援テキスト」に名を借りた「大島泰徳&近藤貞夫礼賛テキスト」は、コチラです。↓

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw08.htm

| | トラックバック (0)

2007年10月13日 (土)

いよいよ、「龍争虎闘“ENTER THE DRAGON”」が

いよいよ、「龍争虎闘“ENTER THE DRAGON”」が、本日からセ界初“公開”されます。

勝利の凱歌は、もちろん「燃えよドラゴンズ!」で決まりだね。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月 5日 (金)

燃えるドラ・トラファン、しぼむジャイファン?

先ほど社内の熱狂的阪神ファン2名と、今シーズンの「巴戦」での“敗戦”の反省と、CSでのお互いの健闘を誓い合いました。

面白いもので、我々は関東地区の熱狂的中日ファンおよび阪神ファンとして社内でも認知されているのですが、東京オフィスの讀賣ファンは他人に隠れてひっそりと応援しているそうで、先日のあの逆転サヨナラ優勝の瞬間も、ケイタイのワンセグの小さな画面で、試合中継放送終了後の後番組の隅の、豆粒のようなミニ画面で優勝を知り、密かにガッツポーズしていたそうです。

何か、今や讀賣ジャイアンツを応援しているのが非常にダサくて恥ずかしい行為となっているようで、優勝したことでかえって肩身が狭いような雰囲気になっているのが実情といえ、まあ、それが現在の球界事情を如実に現しているといえましょう。

そうそう、こんな記事もあります。「数字」はウソをつきません。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200710/CK2007100502053967.html

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月 3日 (水)

落ち込む讀賣ファンに遭遇

本日の午後10時過ぎに、市ヶ谷駅から新宿・三鷹方面の総武線各駅停車に乗り込んだところ、なんか車内の空気がどんよりとしていました。

見渡すと、見慣れたオレンジ色のグッズを身に着けた讀賣ファンがちらほらと座席に座っており、ああ、そういえば本日の東京ドームの最終戦で逆転負けした直後の連中が、水道橋駅から乗っているんだなと気付きました。

彼らと彼女らからすれば、昨日の試合でリーグ優勝を決め、本日もその勢いに乗って楽勝だ、と意気込んで球場に乗り込んだことでしょうが、よくよく運の悪い人たちと見え、皆不機嫌モードで疲れきった表情を浮かべていました。

「昨日のチケットを買ってればよかったのにね。それにしても、昨日、ヤクルトに負けてもらっておいて、本当によかったね。」

車内がかなり混雑していたので、私は、彼らと彼女らが座る席の前に立って、文字通り、思いっ切り上から目線で同情の言葉を心の中でつぶやきました。

1日違うだけで天国と地獄。

野球の応援とはそういうものです。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年10月 1日 (月)

今の私に出来ることは、これぐらいしかありませんが、ヤクルトファンの

今の私に出来ることは、これぐらいしかありませんが、ヤクルトファンの店主がやっている、新橋駅直近のニュー新橋ビル地下食堂街にあるまぐろ専門料理店「あかね屋」に2日連続通うことで、店主と、そこに集うヤクルトファンの人たちの威勢が上がり、明日の東京ドームでの対讀賣戦に向けた応援パワーを最大限に発揮してもらうことです。

もちろんその前提としては、本日、うちがまず広島に勝つ必要がありますが、とにかく一介のファンとして現在できることをやるしかない。

まさに、まな板の上の“竜”の心境です。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年9月30日 (日)

もう一度“一連勝”で隠れマジック4に

もう一度“一連勝”からやり直しですが、隠れマジック4に。

もちろん讀賣が1敗することが前提となりますが、明日も勝てば、相手もちょっと、いやあ~な感じになるはず。

野球とはそういう闘いの連続でもあります。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

まずは“一連勝”でマジック6に。

まずは“一連勝”でマジック6に。

| | トラックバック (0)

2007年9月25日 (火)

緊急提言! 岡本(谷繁)は落ちる球を吉村に対して投げ(させ)るな

本日の敗戦は想定内の覚悟の敗戦。

となると、10.7の横浜スタジアムの最終試合が優勝決定試合になる確率が高くなりましたが、本日の横浜対阪神戦の「教訓」を是非とも他山の石にしていただきたいものです。

本日の横浜対阪神戦は、結局は10回裏に頼みの藤川が吉村にサヨナラ二塁打を打たれて、ジ・エンド。

最後は藤川がフォークを投げて、それを吉村がきっちり打ち返しています。

YAHOOの「試合速報」より

●1 ストレート 150km/h 内角中央 ボール 0 1 2 3-3
●2 ストレート 145km/h 外角中央 見逃し 1 1 2 3-3
●3 ストレート 151km/h 外角低目 ボール 1 2 2 3-3
■4 フォーク 133km/h 外角低目 空振り
[ ハーフスイング ワンバウンド ] 2 2 2 3-3
●5 ストレート 150km/h 外角低目 ファール 2 2 2 3-3
■6 フォーク 135km/h 外角低目 ファール 2 2 2 3-3
■7 フォーク 133km/h 真中低目 ボール 2 3 2 3-3
●8 ストレート 150km/h 内角低目 ファール 2 3 2 3-3
■9 フォーク 137km/h 真中中央 2塁打
[ サヨナラ ] 2 3 2 4-3

みんな、吉村のフルスウィングを見ると、つい、落ちる球を投げたくなって、結局はそれを狙われて打たれていることに気付かないんだよね。

もちろん、吉村が速球に対応してファールで粘っているのはさすがですが、だからといって、落ちる球で打ち取れるわけではない。

そこを他球団(うちも含めて)も気が付かないとね。

私が知る限りの「サンプル」を提示しましょう。

2007年8月5日横浜-中日15回戦での、7回裏に岡本が吉村に落ちる球を打たれてとどめの二塁打を打たれる。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070805.htm

私自身の観戦レポートはコチラ↓

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_e944.html

これ以外にも、2007年9月12日中日-横浜22回戦でも、8回表に、岡本投手の落ちる球を狙い撃ちして、3ランホームランを打たれています。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070912.htm

そして、2007年5月6日中日-横浜9回戦では、山本昌の落ちる球を吉村が2ランホームランを打って、事実上の止めを刺されています。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070506.htm

つまり、吉村に落ちる球は禁物ということです。

優勝決定戦となりそうなハマスタの試合で、吉村対岡本、かなり心配。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

まるで“ミスターヘッドスライディング”関川浩一選手を髣髴とさせるような

まるで、一昨日の23日に現役引退を表明した、元中日ドラゴンズ99年V戦士“ミスターヘッドスライディング”関川浩一選手

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest20030121_01.htm

(なお、上記の「続編」はコチラ↓結局山崎が越えたのは鈴鹿峠ではなくて、白河の関だったケドネ。ああ野球人生♪)

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw08.htm

を髣髴とさせるような、ドラゴンズ戦士たちのリーグ優勝連覇への執念を感じさせてくれた、昨日の讀賣ドラゴンズ対中日ドラゴンズ三連戦の初戦でした。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/livescore.html

特に、5回表の二死一塁からのタイロン・ウッズ選手の二盗を勝ち取ったヘッドスライディングは、自軍の士気を大いに高揚させるとともに、相手の虚を突く効果を上げ(実際に、原監督が口をポカンと空けて唖然とするシーンがテレビ中継されていたようですが)、その直後に実際に得点に結び付いたという点でも、非常に価値のある走塁でした。

私が観戦したレフトビジター応援席からは、セカンドベースに向かって鬼気迫る表情で突進するウッズ選手の姿を観ることができましたが、それを成功させた後の彼の満足そうな表情とともに、三塁側ベンチの選手たちととレフト側応援席のドラゴンズファンが一体となった「おおっー!!」という喚声が上がり、1点差に迫られた緊迫感を跳ね返す気力を再度奮い起こすことができた、いつもの彼の本塁打に匹敵する貴重な“一撃”でした。

------------------------------------------------------------

5回表

井 上 ファーストゴロ 1アウト 巨3-4中
T・ウッズ センターオーバーヒット 1アウト 1塁 巨3-4中
森 野 レフトファールフライ 2アウト 1塁 巨3-4中
T・ウッズ 二盗 2アウト 2塁 巨3-4中
李炳圭 フォアボール 2アウト 1・2塁 巨3-4中
英 智 ライトヒット 2アウト 巨3-5中
キャッチャーパスボール 2アウト 2・3塁 巨3-5中
谷 繁 敬遠 2アウト 満塁 巨3-5中
山 井 ピッチャーゴロ 3アウト

巨3-5中

------------------------------------------------------------

そして、もう1つの“一撃”は、7回表の二死一塁から飛び出した、上田選手の、誠に失礼ながら“想定外”の三塁打による追加点の直後に井端選手が放った、一塁への執念のヘッドスライディングでもぎ取った内野安打でした。

------------------------------------------------------------

7回表
李炳圭 ファーストゴロ 1アウト 巨4-5中
英 智 センターヒット 1アウト 1塁 巨4-5中
谷 繁 見逃し三振 2アウト 1塁 巨4-5中
上 田 右中間スリーベース 2アウト 3塁 巨4-6中
井 端 セカンドヒット 2アウト 1塁 巨4-7中
荒 木 ファーストゴロ 3アウト 巨4-7中

------------------------------------------------------------

たぶん、平常時の攻撃力では、今年の長打力を秘めた讀賣ジャイアンツのほうが、現時点の中日ドラゴンズの攻撃力を上回っているものと思われますが、それをカバーして余りある、選手たちの勝利への執念と、そして、この最も大切な一番の時期に向けて、投手陣と打撃陣の疲労度を、他球団と比較すると極力軽減させてきたベンチワークに一日の長があったといえるでしょう。

ただし、その差はほんの僅か。

これからも、肉を切らせて骨を断ち切るスリリングな闘いを見守りながら、精一杯応援することになりそうですね。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年9月24日 (月)

自力で優勝への道を切り拓くことができるのはドラゴンズだけ

いつの間にか勝利数の関係で、当初は有利とわれていた阪神が巴戦を脱落し、ドラゴンズとジャイアンツのマッチレースになるとは。

それも、自力で優勝への道を切り拓くことができるのはドラゴンズだけということになり、「野球とは、板こ一枚下は地獄」とはよくいったものです。

本日からのライバル球団との5連戦を勝ち越せば、ほぼペナントを手中にできると思いますので、この関東の地で開催される「闘強ドーム決戦」で自軍チームを応援できる“自力本願”の喜びを噛み締めながら、いざ出陣!

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ


| | トラックバック (0)

2007年9月22日 (土)

祝!“定位置”の首位カムバックを記念して、「果たして今年の中日は、昨年と比較すると強くなったのか?」

「果たして今年の中日は、昨年と比較すると強くなったのか?」を、守備位置ごとに検証してみました。

まずはポジション1の投手編:

肝心なところで同点や逆転を許す今年の川上憲伸…。

カムバック!決め所は逃さない勝負強い昨年の川上憲伸(昨年の10.10は3点差を追い付かれたケドネ)。

歌を忘れたカナリアの如く、勝ちを忘れた今年の山本昌…。

カムバック!ヒトを食ったような投球が持ち味だったノーヒッターの山本昌(日本シリーズでは必ず逆転されるケドネ)。

毎年毎年、使い減りのしない“鉄人”と言われ続けたことに遂に嫌気が差して“プチ造反”することにした、今年の岩瀬仁紀…。

カムバック!自信に満ち溢れた守護神だった昨年の岩瀬仁紀(昨年も序盤は絶不調だったが“若さ“で立ち直ったケドネ)

お次はポジション2の捕手編:

相変わらず強肩は衰えずも、大好きな打撃が大々嫌いになった今年の谷繁元信…。

カムバック!憎らしいほど勝負強い打撃を誇った谷繁捕手(昨年も好機に三振か併殺は同じだケドネ)。

お次はポジション3の一塁手編:

試合の序盤から敬遠の連続で対処しようとする日本野球に呆れている今年のタイロン・ウッズ…。

カムバック!本塁打&打点、ついでにエラーを量産するタイロン・ウッズ(あ、昨年より守備は少しましになったケドネ)

お次はポジション4と6の二遊間編:

打撃不振の荒木は今季中盤に“有給休暇”をたっぷり取得したお陰で終盤はたぶん絶好調。対する井端は“サービス残業”続きで遂に満身創痍に…。

カムバック!鉄壁二遊間のアライバコンビ(昨年の荒木も中盤は登録抹消、昨年の井端は蛇に好かれていたケドネ)

お次はポジション5の三塁手編:

今年は「チーム事情」で中村紀洋をサードでいまだに“育成”中…。

カムバック!安定感抜群の守備と打撃の森野三塁手(森野は猫の目“兼業”内外野手&3ラン王子にに変身して大ブレーク中だケドネ)

お次はポジション7、8、9の外野手編:

昨年の試合前の守備練習で魅せたアレックス&福留&英智&藤井たちの強肩バックホーム“レーザービーム”ショーは今いずこ…。

カムバック!強肩強打が売り物のアレックス“キューピーちゃん”オチョア左翼手(今年は広島に途中入団して大活躍なのでノーリターンだケドネ)

カムバック!強肩俊足とお笑いが売り物の英智中堅手(あ、英智は今年も引き続き爆笑ネタを考え中だが、今年は“韓流”オール(ド)スターのイ・ビョン様が“売り物(韓国にもテレビ中継されて放映権ガッポリ?)”なんだケドネ)

カムバック!強肩功打が売り物の首位打者福留孝介右翼手(今年は米国療養&来季のメジャー移籍を睨んで“語学留学”中だケドネ)

うーん。こうして改めて比較してみると、昨年と比べて果たして今年が強くなったのか弱くなったのか、ゼンゼンわからん!

(わかってるクセに)

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年9月17日 (月)

果たしてナゴヤはペナントレースに対して熱く燃えているのか?

本日9月16日(日)の甲子園球場での対阪神戦三連戦の“首位決戦(または3位決定戦)”は、ドラゴンズファンの対阪神「虎ンキライザー」こと中田賢一投手の力投のお蔭さんで、辛うじて優勝戦線に踏みとどまれたという感じでしたが、「果たしてナゴヤはペナントレースに対して熱く燃えているのか?」

この疑問を解決すべく、先週の11~12日の火水と、遅めの夏休みを取ってナゴヤドームで開催された、対横浜ベイスターズ三連戦の第1、2戦を観戦してきました。

平日の地元開催試合の盛り上がりをチェックすれば、ある程度本当の熱気がわかるのではないかと思ったのと、この時点でベイスターズのクライマックス・シリーズに出場できる可能性はかなり低い状況でしたので、たぶん相手のモチベーションは下がっており、せっかく平日に名古屋まで遠征に行くのなら、勝ち試合を観戦したいと思った訳ですが、見事にその目論見ははずれ、二連敗を観るはめとなってしましました。

試合内容も中日の打線は貧打の連続でお寒い限り。

唯一、ドーム内で一番大きな歓声が起こったのが、他球場の途中経過を伝えるライブビジョンで、ライバルの阪神と讀賣がリードされていると標示された時だったというさびしい状況でしたので、何をかいわんやでしたね、

さて、試合の結果はともかく、名古屋市内の雰囲気はどうかということですが、街中はある意味ドラゴンズがリーグ戦の優勝を争っているという雰囲気は全く感じられず、まあこれはいつものことはありますが、じゃあ、ナゴヤドーム近辺はどうなのかというと、まず、地下鉄名城線には、外観をドラゴンズ選手の写真で埋め尽くされた車両、ドラゴンズ・トレインが走っており、車内にもイオン・ショッピングセンターの提供でドラゴンズ選手を紹介する中吊り広告が全車両買取という形で掲載されておりました。

そして、ナゴヤドーム前矢田駅からナゴヤドームへとつながるドラゴンズロードにも、5月のゴールデン・ウィーク期間中に遠征に行った時

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_9021.html

とはちょっとした変化が。

選手紹介の写真が続いた後には、昨年の、リーグ優勝へと邁進していた「中スポ」の記事と、その時に活躍した選手たちの写真がディスプレーされ、「昨年の、優勝に向かって一丸となって燃えていた熱気よ再び!」という形で盛り上げようとしていました。

以下に、その時に撮影した“写メール”的なものをご紹介しましょう。ピンボケなのは、専用のデジカメでないためですのであしからず。

Img020

↑ あ、これは開幕戦のフィギュアスケートの浅田姉妹が始球式を務めた時の写真でしたね。

Img023

↑これは、立浪が上原からサヨナラ満塁弾を放った時の「シーズン序盤戦」の記事

Img026

Img027

Img028

Img029

Img030

Img031

Img032 

Img033

Img034

Img035

Img036

Img037

↑ ランダムに撮影したので、必ずしも時系列順にはなっていないことをご了承ください。

↓ そして、まあ、いろいろありましたが、最後はこうなったわけです。

Img038

Img039

この2日間のナゴヤドームでの観戦者ですが、さすがに9月の平日のナイターともなると、熱狂的なドラゴンズファンと思われる若者やサラリーパーソン、家族連れとともに、老人会の慰問企画ではないかと思われる人たちの団体観戦が多く観られました。

特に、団体観戦者の皆さんは、久々にナゴヤドームに来た人たちが多く、地下道にドラゴンズロードが出来たことや、それを過ぎた後に延々と続くナゴヤドームまでの「心臓破りのザ・ロンゲストヤード」を歩く際に、雨に濡れずに辿り着くことができる屋根が出来たことや、右に曲がればイオン・ショッピングセンターが出来て楽しみ(そのまま買い物に夢中になり試合を見逃す恐れ)が増えたことにえらく関心していたのが印象的でした。

12日、水曜日の朝に購入した「中スポ」には、マツザカヤデパートが、ナゴヤドームの近所にある神社から、優勝祈願の巨大絵馬を祈祷したとかの記事も掲載され、イオンにしろマツザカヤにしろ、小売業サマサマで盛り上がっているのだな、と実感した次第。

まあ、今季は仮にドラゴンズに優勝マジックが点灯したとしても、その後に控えるクライマックス・シリーズなるイベントが待っている訳で、どっちみち手放しでは喜べない状況なようです。

応援風景では、ひょっとして、関東のドラゴンズファンのほうが熱いかも?

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年9月 8日 (土)

「新しい血」導入による勝利

本日の中日対東京ヤクルト戦の、8回裏の中日ファンにとっては“奇跡的”ともいえる逆転劇をスカパーJスポーツテレビで観戦していて、つくづく「新しい血」を入れることの重要性を痛感しました。

この8回裏、1対2の僅差を追うドラゴンズは、先頭打者の代打堂上剛裕が、自身の信念どおりに初球のストライクを積極的に打ちにいって、ショートの頭を越える左前安打で出塁し、続く井端が鮮やかなヒットエンドランを決めて無死一三塁の好機を演出しましたが、こういう好機を演出するのはドラゴンズ野球の得意なところで、ここから点に結び付けられるかが、ドラゴンズの長年の「課題」となっていました。

案の定、絶好のチャンスに打席に立った荒木は、普段のちょっと“ニヒルなクールビューティフェイス”とは打って変わった“入れ込み過ぎ”の表情で打席に立っていて、明らかなボールに空振りするほど緊張の極致に陥っていたので、スワローズ内野陣の前進守備に引っ掛かるショートゴロを打ってしまい、この当たりでホームに突っ込まざるを得なかった堂上剛裕が本塁憤死で、一死一二塁の“平凡な”好機にトーンダウン。

続く森野も、今季の目まぐるしく変更される守備位置の負担から来る疲労からか、ストライクとボールの見極めがきちんとできずに、中継ぎ投手に“降格”したスワローズの左腕石川投手に遇えなく三振に切って取られ、遂に二死一二塁という、適時安打しか同点に追いつけない“絶体絶命”のピンチに。

長年ドラゴンズファンをやってきた経験からすると、こういう追い込まれた場面で同点打を打てるドラゴンズの選手は非常に限られており、多分だめだろうなという“空気”が、何となく球場全体にも漂っていたように感じられました。

東京ヤクルト側も、次打者の中村紀洋が右打者ということもあり、万全を期して、ヤクルトの“代替”守護神、右打者が苦手とするスリークオーター気味の速球とフォークが武器の館山投手にスイッチ。

だが、ここでいつもと違う“奇跡”が起こり、中村紀洋は館山の甘いフォークを、右中間に落合監督張りの流し“押し出し”打ちで逆転の二塁打を放ち、これでほぼ、本日の試合の決着を付けました。

この試合の“流れ”を観ていて感じたのは、昨年までの中日ドラゴンズのメンバーだけで戦っていたら、たぶん、この絶好の好機を逃していただろうな、ということでした。

いみじくも、この試合のテレビ解説者の川又米利氏も、試合終了後に「あの場面(二死一二塁)で中村紀洋が逆転打を打たなかったら、たぶんこの試合に負けていたでしょうね」というコメントを述べていたことにも、大部分のドラゴンズファンや関係者がそのような“空気”を感じ取っていたことが表れています。

しかし、この8回裏の逆転劇は、先頭打者の代打として出塁した堂上剛裕と、従来の多くのドラゴンズ選手たちが持っていない、いい意味での「ずうずうしさ」を保持している中村紀洋という、「新しい血」に救われた試合であったともいえます。

“奇跡”の逆転劇の興奮が醒めて、本日の逆転試合をようやく冷静に振り返る余裕ができると、3月30日に開催された、今季開幕戦の対東京ヤクルト戦の逆転劇に非常に似ていたなという感想を持ちました。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070330.htm

この試合、開幕投手の川上が、7回まではかろうじて2対1とリードを保ちながら試合を進めていましたが、8回表のヤクルトのリグスに、“魔さか”の逆転2ランホームランを打たれて、球場とテレビで観戦していたドラゴンズファンは、意気消沈して8回裏のドラゴンズの攻撃を見守っていました。

8回裏には先頭打者の福留が安打で出塁するも、タイロン・ウッズが併殺打に倒れて二死走者なしとなり、意気消沈のダブルパンチを食らったのですが、続く李炳圭(イ・ビョンギュ)が、左中間フェンス直撃の鮮やかな流し打ちの二塁打を放って再び好機を演出し、「ひょっとしたらいけるかも」と、ドラゴンズナインとファンを再度激励し、この回に5点を取る逆転劇を演じたのですが、この時に、本日と同様に右中間方面に同点の二塁打を放ってガッツポーズを決めたのも、中村紀洋でした。

------------------------------------------------------------

8回表
(H)真 中 センターヒット 1塁 中2-1ヤ
青 木 セカンドライナー 1アウト 1塁 中2-1ヤ
田中浩 サードゴロ 2アウト 2塁 中2-1ヤ
リグス センターホームラン 2アウト 中2-3ヤ
ラミレス センターヒット 2アウト 1塁 中2-3ヤ
ガイエル ライトヒット 2アウト 1・2塁 中2-3ヤ
宮 本 空振り三振 3アウト 中2-3ヤ
8回裏
福 留 ピッチャーヒット 1塁 中2-3ヤ
T・ウッズ サード併殺打 2アウト 中2-3ヤ
李炳圭 左中間二塁打 2アウト 2塁 中2-3ヤ
中村紀 右中間二塁打 2アウト 2塁 中3-3ヤ
森 野 敬遠 2アウト 1・2塁 中3-3ヤ
(H)立 浪 センターヒット 2アウト 1・3塁 中4-3ヤ
(H)澤 井 左中間二塁打 2アウト 2・3塁 中5-3ヤ
井 端 右中間スリーベース 2アウト 3塁 中7-3ヤ
荒 木 セカンドゴロ 3アウト 中7-3ヤ

------------------------------------------------------------

そういう意味では、本日の試合と開幕戦は、8回裏という終盤の逆転劇という共通項があり、それも、李炳圭(イ・ビョンギュ)、堂上剛裕と中村紀洋という「新しい血」を入れていたことによってもたらされた、いわばベンチの戦力補強の勝利であったともいえるでしょう。

さて、いよいよペナントレースが佳境に差し掛かり、すでに騎手(監督)が目一杯、馬(選手たち)に鞭を打っている球団と、本当の正念場はもう少し先にあると考えて、鞭を持ち替えてはいるがまだ本格的には叩いていない球団と、この三つ巴戦を戦うスタイルも様々ですが、プロは結局は結果が全て。この10月にしか筋書きのないドラマは決着が付かないことでしょう。

ていうか、クライマックス・シリーズ(私は「暗いMAXシリーズ」と揶揄しています)が強制的に導入されてしまったので、ペナントレース(「優勝」を争うレース)はともかく、興行上の日本一を目指す日本シリーズの出場については、どうしても10月まで決着がつかないわけですけど。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年8月28日 (火)

立浪和義選手の、今季初&選手生活初の代打満塁本塁打のお蔭さんで“お腹いっぱい”と「合コンすっぱ抜き」記事考

立浪和義選手の、今季初&選手生活初の代打満塁本塁打のお蔭さんで、本日の対横浜戦の初戦は“お腹いっぱい”の快勝となりました。

また、試合終了後には、ドラゴンズの監督、コーチ、選手とスタッフを乗せたチャーターバスが、通常は横浜球場脇の車道を疾風のように駆け抜けて宿舎に戻っていくのですが、本日はなぜか球場前の通りで20分程度も立ち往生していて、それをドラファンが見つけてバスを取り囲み大フィーバーに。

監督、コーチとレギュラー&ベテラン選手組が乗車する先頭車両のバスが何らかの理由で故障したようで、結局はそのバスを乗り捨てて、後続の主に若手が乗り込んでいたもう1台のバスに全員が乗り込む事態となり、関東在住のファンにとっては、監督、コーチ、選手たちと久々に直に接することができた、思いもかけないちょっとおいしい「事件」となりましたが、早く宿舎に戻ってまずは激戦の疲れを癒して明日の試合に備えたい彼らにとってはかなり迷惑な話だったと思われ、パスを管理している交通会社に対しては、へたをすると賠償請求ものになったかもしれませんね。

※その後の報道によると、故障(タイヤがパンク)したのは2台目の「禁煙車両」だったらしく、やむなく先行車の「喫煙車両」がブロックを1周して戻ってきたのでそれに全員が乗り込み、かなりすし詰めの状態で宿舎に向かったようですが、禁煙組にとってはさぞかしヤニ臭い思いをしながら“帰宅”したことでしょう。

***

さて、ご存じの方々も多いかと思いますが、今週発売中の「週刊現代」9月8日号には、中日ドラゴンズの“若竜”三人衆が、先日の対讀賣“首位決戦”三連戦の前夜(8月20日)、六本木近辺で、“プロフェッショナル”と思われる美女軍団と“合コン”を行った模様が報道されました。

http://www.bitway.ne.jp/kodansha/wgendai/scoopengine/article/070827/top_05_01.html



“スクープ撮影”された面々としては、若竜と呼ばれるには少々年を重ねたイバちゃん(「週刊現代」記事中の呼称による)、イケメン投手(同左)朝倉、落合監督の秘蔵っ子(同左左)藤井の3選手の名前が挙げられていました。

彼らは、その日の午後11時前に西麻布の高級ダイニングバーに“集合”した後に六本木のサパークラブに流れ、朝方の4時前まで飲み明かしたそうですが、結局この三連戦で登板がなかった朝倉投手と、主に代走と守備固め要員の藤井外野手にとっては、ちょっと変な言い方ですが、夜通しで飲んでもそれほどチームへの影響はないということで、初めから確信犯的に“ミッドナイター合コン”を楽しむ算段だったのかもしれません。


一方、今や球界を代表する遊撃手&トップバッターでもある井端内野手にとっては、仮に夜の遊びが球団から“黙認”されていたとしても、やはりチームリーダーとして、試合で結果を出さないとまずい立場ですし、試合中にちょっとでもミスをやったりすると、今後も“合コン”のせいにされるはず。

したがって、ある意味、今回の「週刊現代」の報道は、これで中日ドラゴンズの選手たちに動揺が広がる“妨害報道”となるというよりも、かえって井端選手をはじめとする主力たちの奮起を促す結果となるような気がしますね。

今回の“乱痴気騒ぎ”(同紙記事の表現より)を“取材”した無記名のライター&カメラマンについては、この3人についてのかなりマニアックな情報(たとえば、井端のナゴドでの打席における登場曲が、DJ OZUMAの『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士(ナイト)』であることなど)をよく知っていたので、ひょっとしたら、実はドラ番記者からのタレコミでこの情報をキャッチした上でのスクープ記事かもしれないと、少々穿った見方をしました。

つまり、この“ご乱行”をあえて報道することで、ちょっと“暴走”気味だったイバちんたち(トリオ?)に対して、自制と奮起を促す意図があったのかもしれませんね。

まあ、これからの約30試合がペナントレースの正念場であり、ある意味アドレナリンがビンビンに出ないと、この熾烈なサバイバルレースを勝ち残ることはできません。

そのためには、適度にストレスを発散するのはしょうがないが、世間様から後ろ指を刺されないように自制しながら、野球で結果を残してみろ、ということかもしれません。

ま、こういうのは、マスコミへの報道管制を含めてベテラン連中は“巧い”からなあ。

ね、TさんやIさんたち?

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年8月22日 (水)

蔵本英智のお蔭さん「ダーン!」を

蔵本英智のお蔭さん「ダーン!」を、昨日の試合、東京ドームレフトビジター応援席付近席(レフト一般指定席)で見届けることができた幸運に遭遇しました。

これで、昨年の神宮球場での4年振りの一発と併せると二度も彼の本塁打を目撃したわけで、現時点で生涯本塁打数5本のうちの2本ですから、4割の高確率で彼の本塁打を打った場面に立ち会ったことになります。

さて、昨日の試合は平日開催ですから、午後5時までは職場で試合観戦に備えて待機しているサラリーマンとしては試合開始ちょっと前に球場に到着するのが精一杯でしたが、夏休みモードの試合前の外野席からは、“通”の観客の人たちから、「本日の打撃練習では、英智が次々とボールをスタンドインさせていた」という声が挙がっていましたので、ひょっとしたら、英智本人にしてみれば試合開始前からそういう“予感”でバッターボックスに入っていたのかもしれません。

なんせ、思い込みが人並み外れて強い男ですからね、ヒデノリ君。

さらに6回裏の守備では、讀賣小笠原内野手の右中間に放った、一塁走者高橋“坊ちゃま”由伸外野手がヒットと“確信”して二塁に駆け出した強烈な当たりを、自慢の快足を飛ばしてスライディングキャッチするや、すぐさま「Eクイック送球」なる、独特のヒデノリワードで表現された強肩を“発動”すると、ボールはあっという間に一塁手タイロン・ウッズのミットに吸い込まれ、珍しい外野手捕殺による併殺が完成。

いわば、今や「ゾーン」に入っている英智選手の脳内ワールドの中でゲームが行われているような感じでした。

これで、日曜日の決勝弾、昨日の同点弾と必殺Eクイックを合わせると、都合3回、“借り”を返したことになります。

が、あと1回“貸し”(日曜日の試合の2回裏の一塁走者としての飛び出しアウト)が残って

います

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200708/CK2007082002042328.html

ので、その分の返済もヨロシク!

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

その瞬間に“脳内時計”が止まる、特異体質の「英智ワールド」

昨日の試合の殊勲者であり、ただし、一歩間違えばあやうく2日連続の“戦犯”候補者にもなりかねなかった英智外野手は、その天然ボケとも称される言動とともに、ベースボールスタイルというか、独特の世界観を持つスポーツ選手といえますが、それが久々に炸裂した試合でしたね。

6回裏、決勝ソロホームランを打った打席で彼はニコリともせずにベースを一周していましたが、たぶん、その前の打席、3回裏一死満塁の好機でピッチャーゴロ併殺打に倒れた時点で、彼の“脳内時計”は止まってしまっていたのでしょう。

そのため、彼が試合終了後のお立ち台で残した言葉には、「どうせなら満塁の場面でホームラン打ちたかったです。」というのがありました。

彼はこの3回裏の「逸機」を引きずったがために、4回表の外野守備では、通常の彼の守備力なら楽々と捕球できたはずの村田選手の右中間のライナーを、急造中堅手森野外野手と“お見合い”の末に二塁打としてしまい、二度の悔しさを内に秘めて、いや、さらに遡れば前日の試合の5回裏、一死二三塁という絶好の反撃機に代打として登場するも、百戦錬磨の“狡”投手、工藤投手の前に敢え無く3球三振に倒れてしまった悔しさも加えて打席に立ち、まさに開き直りの精神で初球を思いっ切り振り抜いた結果が、自身“一軍”初のナゴヤドームでの本塁打に結実したのでした。

昨年もそのようなシーンを、私はテレビや球場で目撃した記憶がありました。

2006年6月29日、神宮球場での東京ヤクルト対中日7回戦では、レフト外野席から、延長の熱戦にケリをつける、彼の4年振りの決勝弾を間近で見ることができましたし、恒例となった爆笑お立ち台トークも、東京ヤクルト球団側の配慮で球場内に流してもらい、それを直接聴くことができました。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7f8f.html

また、彼の“脳内時計”ストップ現象を最初に“発見”したのは、それを2ヵ月ほど遡った、札幌ドームで開催された、5月10日の北海道日本ハム対中日戦での出来事でした。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8350.html

***

しかし、こと蔵本英智外野手に関しては、実は私もあるシーンで“脳内時計”が止まっています。

まあ、もう少し正確に言うと、その時点で私の記憶の中に初めて“蔵本英智像”が確立され、そこで彼に関する第1回目のラップタイムを計測すべくストップウォッチのボタンを押した後に、その後も秒針がずっと回り続けているという感じでしょうか。

それは、彼の登録名がまだ苗字の「蔵本」だった頃のお話。

2003年5月9日の東京ドームで行われた、讀賣対中日7回戦での1シーンです。

当時は、2002年に原監督が標榜する「ポジティブ采配」のお陰というか、翌年MLBへの“足抜け”を成功させる松井秀樹外野手最後の“年季奉公”の置き土産として、讀賣ジャイアンツがリーグ優勝を果たした翌シーズンの序盤戦にあたり、それに対抗すべく我が中日ドラゴンズは、今季の“目玉商品”として、現役MLBプレイヤー、当時フロリダ・マーリンズと年俸問題で揉めてFA宣言したケビン・ミラー選手の獲得を表明するも、不穏を告げる中東情勢をめぐる日本国内でのテロへの不安と、突然の横槍ながらもMLBの老舗球団ボストン・レッドソックスGM直々の獲得オファーによって、ミラーからあっけなく翻意され、シーズン当初からペナントレースの青写真がもろくも崩れ去るという大失態を演じてしまい、

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/nestsw07.htm

戦力的にも圧倒的に不利が伝えられていたシーズンでしたが、“タ○無し”ミラーの替わりに獲得したアレックス・オチョア外野手驚異の強肩守備と、何故かジャイアンツ戦では特に打撃も好調になるという彼の想定外の活躍のお陰もあり、戦前の予想を覆して、優勝候補の讀賣ジャイアンツとはまさに互角の闘いを繰り広げていたのでした。

そんな中で迎えた5月9日の対讀賣戦でしたが、この試合は、序盤にドラゴンズの先発“黒ヘビ”バルガス投手がジャイアン打線につかまり5失点を喫するも、ドラゴンズ打撃陣も、軟投“遅球”ピッチャーのラスを8回表にようやく捉えて4点を返し1点差に迫り、9回表の最後の攻撃となりました。

ジャイアンツ側の抑えのピッチャーは、前年の優勝に大きく貢献した「アワサマ」こと、河原純一投手。

この回、二死を取られるも荒木とアレックスが出塁し、二死一二塁の一打同点の場面で代打として登場したのが、それまで一軍ではほとんど目立った活躍を見せていなかった蔵本外野手でした。

抑えの河原投手からすれば、いくら得点圏に走者を2人置いている大ピンチとはいえ、一軍でほとんど実績のない選手が代打として登場したわけで、その当時の体格からしてもかなり華奢に見える蔵本選手についてはまさに「安全パイ」に思えたはずで、たちまち2ストライクナッシングと追い込み、あとはどの球で打ち取るかという絶対有利の状況(同日の「プロ野球ニュース」“解説者”のデェブ大久保氏談)にまで追い詰めました。

しかし、ここから河原投手の決め球フォークや速球をきわどくファールで何球も粘った蔵本選手は、最後はしぶとく三遊間をゴロで破り、同点ランナーの荒木をホームに迎え入れ、結局、それをきっかけにしてこの回一挙に3点を奪って逆転し、きわどく勝利を収めたのでした。

***

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore03/score030509.htm

9回表
酒 井 空振り三振 1アウト 巨5-4中
荒 木 ライトヒット 1アウト 巨5-4中
ライトエラー 1アウト 2塁 巨5-4中
井 上 センターフライ 2アウト 2塁 巨5-4中
アレックス フォアボール 2アウト 1・2塁 巨5-4中
(H)蔵 本 レフトヒット 2アウト 1・2塁 巨5-5中
福 留 センターヒット 2アウト 2・3塁 巨5-6中
立 浪 センターヒット 2アウト 1・3塁 巨5-7中
***

この試合のヒーローインタビューは、結局はその直後に逆転打を放った福留選手にその座を譲りましたが、本当の殊勲者は、執念の同点打を放った蔵本選手でした。

翌日の「東京中日スポーツ」には、ジャイアンツの守護神河原投手から同点打を放ち、ガッツポーズをしながら1塁ベースを駆け抜けていく蔵本選手の姿を捉えた写真が第一面を飾りました。

たしか、この試合の直前に蔵本選手に第一子が誕生し、その“自覚”が打たせたヒットだったとも報道されていましたね。

実は、蔵本改め英智選手が、強肩・俊足・巧打の持ち主として本格的にブレイクアウトするのは、その翌年、2004年からなのですが、

http://bis.npb.or.jp/players/01503888.html

私の脳内フラッシュメモリーには、あの2003年5月9日の対讀賣ジャイアンツ戦で見せた、蔵本英智選手“ガッツ”の一打が、いつまでも刻み込まれているのでした。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年8月16日 (木)

薄氷勝利の後、タナボタの首位復帰

やれやれ 。

本日の試合で中日は、8回裏にまたもや「岡本劇場」で無死満塁になるも、久々に一軍に戻ってきた、高橋 “AKI PU MI EXPRESS” 聡文の“160キロ”(ドミニカン・スピードガン計測時)の速球で、かろうじてピンチを脱することで試合の流れを引き戻し、結局、ストッパーの岩瀬もだいぶ自信を取り戻してくれたようで、かろうじて1点差の接戦を逃げ切ることができました。

うちの薄氷を裸足で渡ったような勝利は、あまり後味の良いものではありませんでしたしね。8回裏の無死満塁の大ピンチで、鳥谷のセカンドゴロを捕球した荒木が、併殺をあせってジャッグルし、それをかろうじてカバーした井端が二塁ベースを踏んだのと相手の走者がベースを踏んだのがほとんど同時という微妙なタイミングでしたが、塁審井野のアウトのジャッジに対して岡田監督が猛抗議の末に彼を小突いて退場宣告を受けました。

スカパーで試合を中継していたGAORA(サンテレビ?)の解説陣は完全にセーフだと主張していましたが、実際はどちらともいえる微妙なタイミングだったように(まあ、封殺プレーの場合は、同時のタイミングはセーフになるそうですが)思われました。

ただ、印象点として荒木がジャッグルしたことを考えるとセーフと判定されても仕方がなかったともいえ、そうなると3対2で1点差に迫られた上に無死満塁の大ピンチが続いたことになり、確かに試合の流れからすると阪神に逆転されていたかもしれません。

勝った中日にしても、結局は快勝とはいえず、まあ、当分はダンゴ虫レースが続く感じですね。

しかし、当面のライバルである讀賣ジャイアンツが勝手に負け続けてくれたので、いわば、タナボタの首位復帰となりました。

ジャイアンツが5連敗というKO状態になってしまった直接の原因は、1人の若者が放った、あの強烈なアッパーカットであったことは言うまでもありません。

あの強烈なサヨナラ迫撃砲弾(この時、テレビ中継していた東海テレビのアナウンサーと解説者は、堂上剛裕の打球に対して、最初は外野陣の頭を超えたタイムリー安打だということは認識していましたが、まさかフェンス越えの本塁打だったとは思わなかったようで、「2対1のサヨナラ勝ち」と叫んでいましたが、二人が打球の行方を完全に見失うほど、あの当たりが“高弾道”であったことを物語っています)がなければ、今頃、讀賣ジャイアンツは、中日・阪神・横浜三つ巴の星のつぶし合いを高みの見物と決め込んで、広島東洋カープとの対戦にも余裕を見せながら、この三連戦を勝ち越していたことでしょう。

やはり、野球は怖いというのを、改めて実感しましたね。

さて、残念ながら、この三連戦で藤川球児と堂上剛裕の対決は見られませんでしたが、今度はナゴヤドームで“竜虎闘争”が勃発するので、そこで実現することでしょう。

お楽しみはもう少し先に取っておこうということで。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (1)

2007年8月13日 (月)

果たして、藤川球児は堂上剛裕に速球を投げてくれるのか?

「今度はタイガースの投手陣が堂上剛裕選手と対戦する番ですが、たぶん相手はまずは舐めて掛かってくることでしょう。それに対して彼がどんな攻撃を仕掛けられるのか、まずはじっくりと見守っていくことにしましょう。」

と、昨日私はある意味、非常に楽観的に考えていたのですが、実は違いました。

私が、昨年から愛読しているデジタル堀さんが書かれている「理論派塾D  ‘06 デジタル理論派塾の逆襲」

http://rironha.blog63.fc2.com/

というブログがあるのですが、 7月24日(火)の記事  「夢を見たんだ。ほんの一瞬」

http://rironha.blog63.fc2.com/blog-entry-438.html#438

を読み返してみて、改めて、この日の最終回の攻防を「東海ラジオガッツナイター」でラジオ観戦した記憶が甦ってきました。

この、後半戦最初のナゴヤドームでの対阪神三連戦の初戦は、最終回、5対8と3点差で大きくリードされるも、無死満塁で本塁打が出れば逆転サヨナラという緊迫した展開となり、抑えのピッチャー藤川に対して、この時点で一軍ではまだノーヒットだった堂上剛裕外野手が代打として登場すると、ナゴヤドームは異様な喚声に包まれたのでした。

昼間の甲子園、ウェスタンリーグのデーゲームでの対阪神戦で起死回生の本塁打を打ったという実績が認められ、急遽名古屋に呼ばれての一軍昇格、即、非常に重要な場面での代打起用だったわけですが、その球場内の異様な雰囲気に警戒心が高まったのか、それとも昼間の試合で本塁打を打ったという情報をスコアラーから聞いていたのか、あろうことか、あの強気の速球勝負をする藤川投手が、1球もそのボールを投げることなく、変化球のみで堂上剛裕外野手を三振に切ってとり、事実上の好機はついえてそのゲームは終了。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070724.htm

確かに、百戦錬磨の藤川球児は堂上剛裕を抑えましたが、本人があれほどこだわっている速球を、この時点では一軍ノーヒット、実績ゼロの若僧に対して1球も投げなかったという事実には、本人もきっと納得がいっていないことでしょう。

それだけ、修羅場を何度も切り抜けてきたストッパーの藤川球児と矢野輝弘のバッテリーが、既にこの時点で堂上剛裕に対して何らかの“危険な匂い”を感じたがために、ここは勝敗を優先して「安全策」を取った結果だったのでしょう。

そして、彼らの“予感”は、続く神宮の対東京ヤクルト戦(一軍初安打の二塁打に続く打席で三塁打を打った第1戦と、一軍初本塁打を放って勝利に貢献した第3戦)、ハマスタでの対横浜戦(3度の得点圏で2度も打点を上げる勝負強さを見せつけた第3戦)、ナゴドでの対讀賣戦(言わずもがなの、これから彼を語る際に末長く語り継がれるであろう、延長12回裏に代打サヨナラ3ラン本塁打を放った第2戦)と、それぞれの試合における堂上剛裕選手の印象的な大活躍によって見事に的中したことになります。

さて今回、京セラドームで開催される対阪神三連戦でも、藤川球児と堂上剛裕の対決が、緊迫した場面で必ずや見られることでしょう。

それも、今度こそは「速球」を交えた“剛対剛”の息詰まる闘いが繰り広げられるはずです。

これは、勝敗を度外視してでも非常に興味深い対戦になるのではないかと、今から密かに心待ちにしながら見守っていきたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

昨晩の首位攻防第三戦にも勝つことができましたが

昨晩の首位攻防第三戦にも勝つことができましたが、堂上剛裕選手本人はこの試合ではさすがに目立った活躍はできませんでしたが、一昨日のあの一打が無かったら、今回の三連戦の流れはまったく別のものとなっていたことでしょう。

そういう意味でも、1人の伸び盛りの若者が放ったあのアーチは、今季ペナントレースの崖っぷちに立たされていた落合ドラゴンズ存亡の危機までをも救う、明日への希望を乗せる架け橋のような一打であったともいえます。

なんせ、金曜日の敗戦後の落合監督のコメントが「(打線を)大幅に代えるかもわからん。現状じゃどうにもならん。」と、珍しく弱気に嘆いていたところまで追い詰められていたのですからね。

さてこれで、間もなく東京ドームでで行われる首位攻防戦第2ラウンドが俄然面白くなりましたね。

おっとその前に、今週の火曜日から始まる、当面の敵である阪神タイガースをまずは蹴落としてもらわねば。

今度はタイガースの投手陣が堂上剛裕選手と対戦する番ですが、たぶん相手はまずは舐めて掛かってくることでしょう。

それに対して彼がどんな攻撃を仕掛けられるのか、まずはじっくりと見守っていくことにしましょう。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

もうお兄ちゃんとは呼ばせない

すごいの一言。

堂上剛裕外野手の、美しいアーチを描く「迫撃砲」弾に脱帽!

なお、「堂上ファミリー物語」特集はコチラ

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat12662674/index.html

| | トラックバック (0)

2007年8月 6日 (月)

昨晩のハマスタナイターのお笑いのツボと若竜たち

昨晩のハマスタナイター

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070805.html

のお笑いのツボは、

「タイロンだと思ったらノリヒロだった!」

でしょうね。

5回表の攻撃で、今、中日でノリに乗ってる男、堂上“ダンボ”剛裕のタイムリーヒットで4対4の同点に追い付いた後、しばらく試合は両軍譲らずこう着状態に。

そうして迎えた6回裏の横浜の攻撃は、先頭打者のキャッチャー相川が、中田の球をうまく捉えて三遊間方面へヒット性の当たりを放つ。

ここで、ショートの名手井端が、その三遊間を抜けようかというゴロをダイブしながらかろうじてバックハンドのグラブの中に収め、打者走者が足のあまり速くない相川だからうまくいけばアウトにできるかも、とレフト側外野席から固唾を呑んで見守っていた我々中日ファンは、

井端が捕球後にすばやく起き上がって一塁に送球しようとするボールがライト方面にそれ、一塁手の手前でワンバウンドするのを見て、「(ワンバウンド送球を九分九厘ハンブルするタイロンにその送球は)ヤバイ!」と、球場とテレビの前に集結した全国1千万人のドラゴンズファンが声をそろえて叫んだその瞬間、

あろうことか、ずんぐりむっくりした体型のファーストベースマンが、その印象に似合わずすばやく身を乗り出してバックハンドでファーストミットにそのボールを小器用に収めたシーンを見て、まるで10年に一度の奇跡を見たかのように驚きの歓声を上げ、「いいぞ、いいぞ、タイロン!」コールをしようとした我々でしたが、

その差し出したファーストミットが差し込まれていた、浅黒く日焼けした二の腕には赤いリストバンドが巻かれ、打者走者の相川がアウトになったのを確認した後に観客に向かって「どや?」と、ニヤリと笑った選手の顔を見て、この回から、一塁手がタイロン・ウッズから中村ノリに変更されていたことをようやく知り、一塁手のまさかのファインプレーとタイロンが中村ノリに変身していたという二度のビックリを味合わされた我々は、思わず大笑いしてしまいました。

その後の報道によれば、タイロン・ウッズが背中に張りを訴えたため、この回からファーストの守備が、この日のサードのスタメンを外れた中村ノリに替わっていたわけで、だから井端の好守がファインプレーとして活かされたともいえます。

が、しかし。もし、一塁手がタイロンのままであったならば、井端の送球はあんな風にライト側にそれる(「あんたサードやってんだからこれぐらいの送球捕れるでしょ」という意図を含んだ)ワンバウンド送球ではなく、たぶん、(ワンバウンドをそらされると二塁にまで走られる恐れがあるので、“被害”を最小限に食い止めるために)たとえアウトにするのが難しくなっても直接ファーストミットに投げ込むような無難な送球をした結果、恐らくは内野安打になってしまっていただろうと想像すると、この回の守備の交替は正解だったなと思うとともに、井端も守備で相当ストレスが溜まっているんだろうな、と改めて思ったしだい。

***

昨晩の試合は、中日ドラゴンズ的には非常に手痛い1敗でしたし、今後のペナントレースを占う上でも非常に厳しい結果となりましたが、試合経過を生で観戦した感想としては、勝ち負けに関係なく歯がゆい展開が多かった最近の試合と比較すると、将来性あり、そして、悔しい敗戦を喫したとはいえ、その攻防はなかなか見ごたえのある試合だったといえましょう。

まず、将来性といえば、もちろん久々の生きのいい若竜戦士の登場、ということで、堂上剛裕外野手の名前が真っ先に挙がりますね。

この試合では、得点圏に3回巡り合い、そのうちの2回にタイムリーヒットを放つという勝負強さを見せていましたが、やはり本人にとっては、3回目の勝ち越し機であった7回表の二死一二塁のチャンスで、ベイの中堅左腕吉見投手のテクニックに翻弄され、敢え無く、力の無いサードファールフライに打ち取られたことを非常に悔やんでいたようで、次の回のレフト守備に付く際には、控えの外野手と肩慣らしのキャッチボールをしながら、自分自身への不甲斐無さに対する悔しさを全身で表現していました。

これが単なるポーズでなく、この悔しさを本当に忘れないようにしていけば、彼は、間違いなくドラゴンズの将来を担う選手へと成長してくれることでしょう。

さて、本日発行の「東京中日スポーツ」のコラムで、同紙専属解説者の森中千香良氏が、「堂上君は、もっとボールを見極めたほうがいい。昨日の7回表の打席では、吉見のボール気味の速球勝負に牛耳られていた」という趣旨のアドバイスを贈っていましたが、誠に僭越ながら、彼にそのアドバイスは時期尚早じゃないかと思いました。

現在の堂上の良さは、まずは自分の打てるボールが来たと思ったら、積極的に思いっきりバットをスイングすることを重視するべきなんじゃないかと思いますね。

そうしないと、際どいボールを見極めようとすると、つい、好球必打の原則を忘れてしまい、ストライクを見逃して、それを引きずって混乱し、今度はボールに手を出してしまう、という「スランプの打者が陥る悪魔のサイクル」に引き込まれる恐れがあります。

だから、現在のように、敵側のマークが甘いうちは、少々ボール気味でも自分の打てそうな球だったら、結果を恐れずにがんがん振るほうがいいんじゃないかと思いますが。

そうしないと、「セルフジャッジの名手」みたいになっちゃって、審判と仲が悪くなり、いつまでたっても不服の残るジャッジしかしてもらえなくなる「負のスパイラル」から抜け出せなくなるぞ。

まあ、これから相手チームが彼に打たれて痛い目に遭い始めると(プロ野球選手というのは、どんなに相手が凄いという報道がされたり、そういう情報がスコアラーから入ってきても、自分がその相手と対戦して痛い目に遭わない限りは、決して相手の力を認めない人種です。むしろ、それぐらい自惚れが強くないと、あの厳しい競争社会じゃ生きていけないでしょうしね)、いよいよ、ブラッシュオフボールを投げられたり、自分の弱点を徹底的に衝かれたりする“試練”が待ち構えているのですが、まあ、彼にとってはそれはもうちょっと先(未来)のお話。

***

さて、将来性といえば、この試合の勝敗を分けた、7回裏二死二三塁における、横浜の若き強打者吉村選手と、中日の中継ぎエース岡本投手の攻防は、勝敗を超えてなかなか見ごたえがありましたね。

最初、岡本投手が得意とする、縦に落ちるフォークかスライダーの変化球に対して、吉村選手は2球とも空振りし、たちまちツーストライクナッシングに追い込まれた訳ですが、次の1球も、谷繁捕手が得意とする、相手の弱点を執拗に衝く、同じ縦に落ちる変化球で三球勝負に行くかと思われたところを、同じ三球勝負でも打者の裏を掻いて、今度は前の2球と同じコースと高さに、速球をズバッと投げ込んだのですが、審判までもが裏を掻かれてしまい、惜しくもボールの判定に。

してやったりと思った谷繁捕手は、かなり残念そうな仕草をしていましたが、次のボールは、前の2球で“ノー感じ”だった、縦に落ちる変化球さえ投げておけば大怪我はしないとばかりに、その球を投げたところ、吉村選手は、今度は待ってましたとばかりにジャストミートして、左中間フェンスを直撃する当たりを放ち、ここで事実上の勝敗が決しました。

この、谷繁捕手のリード自体は私も間違いじゃないと思いましたし、岡本投手の変化球も、その直後にバックスクリーンに映し出された映像を見る限り、前の2球と比較すると若干高目に浮いたとはいえ、ボールはきちんと変化していたので、岡本投手の完全な失投だったとはいえないと思います。

じゃあ、何故、吉村選手はあのボールを完璧に打つことができたのか、ということですが、彼は、(失礼ながら)あのモンチッチのような顔に似合わず、非常にクレバーというか、ものすごく「学習能力」の高い打者だからなのでした。

私は、あの場面で吉村選手が決勝の二塁打を放った直後には、「(岡本のあの“ワンバウンド魔球”を打ち返すとは)吉村も随分成長したなあ」という感想を漏らしたのでしたが、その後冷静になって振り返ると、彼のあの「学習能力」は天性のものであったことを思い出しました。

それは、彼がルーキーイヤーだった2003年の、シーズンも押し詰まった10月の対中日戦でのことでした。

当時、中日の負け試合を対談形式で語る「南西対談」

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2006/2006index.htm

というコーナーの“監修”を受け持っていて、その中のコラムで、私はベイの当時の新人、吉村選手の人並み外れた野球センスを、既にこの時に見抜いていたのでした。

えっへん。

ていうか、この「敵側選手の長所を一瞬で見抜くことができる」私のある種の才能は、中日の勝ちには何の貢献もしないのが少々悲しいですが。

***

偽南渕のブラックシャドウコラム

「なぜ吉村がプロ入り初本塁打打てたか。」

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2003/2003SE09.htm

それまでの2打席、(吉村は、中日の)野口の前に3球三振を含む2三振(を喫しており)、その回も野口-柳沢バッテリーにツーナッシングと、(簡単に)追い込まれていた。

が、2球目の野口のスライダーに対しては、吉村がじっくり待ってからファールすることができたんで、一瞬「オヤッ?」と思ったんだよね。

そしたら、3球目の外角低目のスライダーをものの見事に捉えたんだよね。

最初はファールになるかと思ったんだけど、左翼ポール直撃のホームランに。

確かに(彼には)センスはあるね。

2003年10月 4日 横 浜-中 日 25回戦 横 浜

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore03/score031004.htm

中日 100 000 000|1
横浜 000 001 20x|3

中日=野口、久本-柳沢、谷繁
横浜=川村、加藤-中村
勝投手=川村(19試合5勝7敗)
セーブ=加藤(42試合4勝1敗5S)
敗投手=野口(29試合9勝11敗)

■本塁打
YB吉村(1号2点)

・1回表、立浪の適時打で先制
・以降の中日打線、わずか2安打
・野口、ふんばるも6回に川村のツーベースからつながって1失点
・7回は新人吉村に勝ち越し2ラン食らう

***

2003年のシーズンオフ直前に、その天賦の才能の片鱗を、スカパーのテレビ中継映像で私に見せつけた吉村選手でしたが、その後はプロの厚い壁に突き当たり、ファームでの“熟成期間”を経て、その才能が本格的に開花したのは、2006年になってからでした。

さて、一方の若竜久々の期待の星、吉村選手の1学年下に当たる堂上剛裕選手は、既にファームでじっくり鍛えられてからの、本格的な一軍デビューとなりました。

堂上剛裕選手が、今やベイを背負って立つ存在となった吉村裕基選手のような活躍を今後もどんどん続けてくれることを願いながら、8月、9月、10月の後半戦を見守っていきたいと思います。

| | トラックバック (0)

2007年7月31日 (火)

神宮雨と堂上ファミリー

昨日は、東京ヤクルトスワローズに降雨コールドで勝ちを譲っていただいたお礼に、新橋駅の隣にある“サラリーマンのテーマパーク”と異名をとる「ニュー新橋ビル」の地下食堂街にある、ヤクルトファンの店主が経営するまぐろ専門店「あかね屋」でランチを食べて“罪滅ぼし”をしてきました。

日曜日の試合は、審判団との協議の末に中止決定に至るまで、古田監督が相当ゴネたようですね。

「6回裏の攻撃までやらせてくれると思った」という彼の発言に、それが見て取れます。

あの試合の6回表の中日ドラゴンズの攻撃中に、ヤクルトの遊撃手宮本選手が、ウッズのフライをファールゾーンまで追いかけて行って、雨でぬかるんだブルペンの傾斜に足を取られてフェンスに激突しそうになり、危うく大ケガをしたかもしれない事態だったのに、そういう点にはおかまいなし。

まあ、そういう指揮官についていかねばならないヤクルトナインも気の毒といえば気の毒ですね。

一方、日曜日の試合に欠場した、土曜日のヒーロー森野選手は、左足か何かに張りを感じての欠場ということで、本日の31日の試合からは大丈夫という表現から推測するに、メジャー的なご褒美の「休暇日」だったような気がしますね。

今回の神宮球場3連戦は、オールスター明けから数えると移動日なしの6連戦で、森野選手はオールスターも「休日出勤」したわけで、6連戦の間も内外野のポジションを目まぐるしく替わり大活躍しました。

最終日の29日は雨でグランドコンディションも悪く、ここで森野選手に無理をさせて、万が一大ケガでもされたら大変と、初めから休みをとらせるベンチの方針だったようにも感じられました。

そこで、若手の堂上(兄)のような、悪天候をものともせずプレーしてくれる選手を試す絶好の機会となり、彼はそれに見事応えてくれたのでした。

2回表に彼が放ったあの当たりを、私は神宮球場のバックスクリーン近辺の席で目撃したのですが、確か風はレフトからライトへのかなりの逆風だった上に、真ん中高めのボール気味のスライダーを思い切り大空目がけて打ち上げ、センターの青木も最初は楽勝で捕球できると思いながらバックしてきたようでしたが、その予想を遥かに超えた、まるで迫撃砲を思わせた“剛”打球は、120メートルを表示したバックスクリーンのすぐ横(レフト側)の通路に、まさにドスンという音を立てて“着弾”しました。

たしかに、あの当たりは父親の堂上照氏譲りの怪力の遺伝子のなせる技でしょう。

そこで、長身で気が優しかったおやじさんのニックネームが「ジャンボ」

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/__22f0.html

だったので、堂上ファミリーの長男にも、是非、怪力に相応しいニックネームがほしいところです。

ディズニーアニメに登場した、気が優しくて力持ちの空を飛ぶ子象のキャラクターにあやかって「ダンボ堂上」というのはいかがと、東山にしこさんに提案したところ、「ダンボはいやです」と、全面否定されてしまいましたが…。

| | トラックバック (0)

2007年7月17日 (火)

ビリーにハマール日本人

一昨日は、普通なら三連休の中日でしたが、とある事情で首都圏に留まって休日出勤をしなければならず、午後に有楽町方面に出掛けた後、無事それを終えたので、自分へのご褒美として、ビックカメラ有楽町駅前店でちょっとPC用品を買って散財することにしました。

ここのビックカメラですが、家電だけでなく、ワインやゴルフ用品など、さながら何でも売っているよろずや量販店的な色彩のお店で、中層階にはスポーツ用品売場が設置されていました。

PC用品を買ったついでに、エスカレーターでその中層階に降り立つと、何故か黒山の人だかりが。

よく見ると、エスカレーター脇の大型液晶ディスプレーに、今話題の「ビリーズ・ブート・キャンプ」の映像が流れ、そのディスプレーの正面には、店頭販売用のDVDと、オマケで付いてくる「ビリー・バンド」なる黒いゴムチューブでできた縄跳び紐が置かれてあり、たまたまフロアに立ち寄ったお客が、皆物珍しそうにその映像に見入っているのでした。

このところ、いろいろな媒体で紹介されているためか、そこに集まった人たちは、「これが噂のビリーか?」といった面持ちで映像を眺めていましたが、やはり、この映像作品には、人を惹き付ける何か、それも特に日本人に訴えかける何かが隠されているのではないかと、私も興味本位でしばらくその光景を観察していました。

ディスプレーの中のビリー「隊長」は、時に厳しく、時に優しく、叱咤激励の言葉を絶え間無く発しながら、人工的なシンセサイザーとリズムボックスで構成された軽快なダンスミュージックに合わせながら、せわしなく手・足・腰を動かして、ダンス・エクササイズに参加している「新米隊員」達を熱心に指導していました。

このシーンを見ているうちに、私はしだいに何か懐かしさみたいな感情が沸き上がって来たことに気付きました。

そう、1990年代初めにタイムスリップしたかのような、あのバブル時代の終末感のような感情が。

そして、何故、日本人が「ビリーズ・ブート・キャンプ」にこんなにも惹き付けられたのか、あの独特の電子音を聞いているうちに、しだいにその秘密がわかってきました。

もちろん、劇的な、とPRされているダイエット効果を期待して多数の人たちが購入したというのも大きな理由の1つでしょう。

最近は、ただ電動椅子に座っていれば乗馬運動をしているのと同じ効果が得られるので痩せられるとか、おなかに電動腹巻きを巻いているだけで皮下脂肪と贅肉が勝手にぷるぷる震えていつのまにかなくなってくれるというような、どちらかといえば気軽な形でのダイエット用品に傾いていた多くの日本人が、「こんな安易な方法で痩せてしまったら、お天道様に申し訳ない」という、日本人独特の儒教的な道徳観念からの反省からか、再び、「ビリーズ~」のように、真言密教の求道者的なダイエット運動に立ち返ってきたというのも、その顕著な理由の1つでしょう。

しかし、それにしても、今までほとんど身体を動かしたことのなかった運動不足気味の多くの日本人が、あのような超過激な体操を奨めるDVDを20万本以上も購入したという事実が、私にはなかなか信じられなかったのですが、ようやく1つの「仮説」を構築しました。

それはつまり、

“Back to the 1990’s”

ということなのじゃないか。

つまり、“ビリー”を、その当時のある象徴的な人物になぞらえて信奉しているのではないか。

そして、その人物とは、M.C.ハマー

今でこそ、彼は自身が信仰する宗教の牧師をやりながら、かろうじて糊口をしのいでいるようですが、バブル全盛当時の彼の勢いは凄まじく、お馴染みのWikipedia情報によると、「1990年発表の2ndアルバム『プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム(Please Hammer Don't Hurt 'Em。※勝手に意訳すると、「ねえ、ハマー様。後生だから奴らにはちょっかいを出さないでおくれやす」)』が世界中で累計1,000万枚以上を売上げ、音楽史上に残るメガ・ヒットを記録」し、1991と92年には東京ドームと大阪ドームで来日公演も果たし、両ドームで開催された公演は、いずれも超満員でチケットの入手が非常に困難だったほどです。

私も、さる知人から「今度M.C.ハマーの来日公演があるんだけど、チケットが取れたら一緒に行く?」と誘われ、別に彼に特別な関心があった訳ではなかったのですが、冥土の土産話に、ハマーのダンスを一度は見ておくのもよいかなと思い、その誘いに同意したのですが、やはり超満員でチケットが入手できず、やむなく断念した“苦い?”記憶があります。

その後、バブル時代の終焉と歩調を合わせるかのように彼のブームはあっと言う間に過ぎ去り、M.C.なしのハマーと改名したり、さらに再びM.C.ハマーに戻したりと迷走し、また、新たなダンス・スタイルへのチャレンジもしたようですが、結局は自己破産まで経験して、今日ではただのカニダンスおじさんになってしまいましたが、ラップとダンス・ミュージックに与えた世界的な影響を考えると、その功績は今でもおおいに賞賛されるべきものであったといえるでしょう。

さて、そのように、全盛時には世界のダンス・シーンを変えたともいわれた彼の往時の面影は、某国産自動車メーカーN社の今年の春に流れたワゴン車(ハイウェイ・スター)CMのBGMで流れる“U Can't Touch This(のデジタル・リミックス・バージョン。※またまた勝手に意訳すると、「テメエなんかにゃ指一本触れさせないぜ」)”でしか窺えませんが、それでも、あの独特のダンス・ミュージックのイントロがテレビ画面から流れるだけで、当時を知る、いまや中高年世代に差し掛かった30代、40代世代は、あのバブル当時の郷愁が蘇ってくるのか、何となくそわそわしだして注目してしまうので、そのことを狙って、あの曲がCMミュージックとしてリバイバル採用されたものと思われます。

そして、あの曲で思い起こされるのが、ハマー独特のダンス・スタイルです。

彼のあのダンスは、あまりにもせわしなく全身を動かす激しいものだったために、彼の信奉者がそのダンスに付いて行けないだけでなく、ライブ・パフォーマンスのクライマックス場面では、ハマー本人でさえもそのミュージックに付いて行けなかったという逸話もあったそうです。

まあ、こういう、“先生”に付いていけないほどの激しくキツイダンスのほうが、むしろありがたみが増すということになりますが、私は、現在多くの日本人に滅茶苦茶もてはやされている「ビリーズ・ブート・キャンプ」に、

あの、ブラック・ミュージックでありながら、どことなく日本人の土俗的な「祭」の心を揺さぶられる、

“U Can't Touch This”の

http://listen.jp/store/album_lim0094631039058_v.htm

♪ドン  ドコ  ドン   

ンチャチャ ンチャチャ ンチャチャ (ホイ ホイ)

という、独特のビートを奏でるダンス・ミュージック的要素とともに、ハマー本人も付いてこれないと称された極端に激しい動きが要求されるダンス・ミュージックと同じような“臭い”を感じたのでした。

古来、といっても1990年代の“ハマー”以降ですが、日本には、「我々日本人が自堕落な生活をこのままずっと続けていると、やがて黒い肌の巨人の神様がやって来て、全てを破壊しながらも我々に救いの手を差し延べてくれる」という信仰があり、21世紀初めには、その役割を、ボブ・サップが果たしたのですが、飽きっぽい日本人は、その黒い肌の巨人が、実は自分たちの期待していた“神様”ではなかったとわかると、今度は手の平を返すかの如く一斉にその頭を叩くという、非常に熱しやすく醒めやすい、お馴染みの習慣も保持しているのでした。

これをマスターしたら、今度こそ自分のメタボリックな肥満生活にピリオドを打ってくれるのではないかと期待して、黒い肌の巨人が放つ、厳しくも暖かい叱咤激励を求めて、あの「踊り念仏的超過激運動」に、多くの日本人が惹き付けられ、今日に至っているのでしょう。

☆  ☆  ☆

というわけで、このところ、私が生観戦したりテレビで観戦したりすると、13日のハマスタでサヨナラ負け、昨晩16日は魔さかの岩瀬の大炎上負けと、ロクなことがなかった中日ドラゴンズのゲンを担いで、本日はストイックに職場で残業しながらWeb観戦をしていましたが、1点差できわどく勝った上に、岩瀬もリベンジ登板をなんとかこなし、讀賣も負けてくれたので、1日で首位を奪回することができたようです。

VICT0RY!

| | トラックバック (0)

2007年6月27日 (水)

「夢は荒れ野を駆け廻る」…天に召されたばんえいの天馬

悲しいニュースを最近やっと知りました。

昨年末と今年の初めにこのブログでも取り上げた、ばんえい競馬史上不世出の名馬、スーパーペガサスが、蹄葉炎(ていようえん)のため、今年の5月1日にこの世を去っていたことが、6月中旬に報道されました。

***

http://www.keiba.go.jp/topics/2007/0612.html

2007/6/12

ばんえい記念4連覇馬スーパーペガサス死す

03年から06年まで、ばんえい競馬史上初となる「ばんえい記念」4連覇の偉業を達成した名馬スーパーペガサス(牡11歳)が、5月に死亡していたことが明らかとなった。

スーパーペガサスは98年5月にデビュー(2着)し、同年8月に初勝利を挙げると、徐々に力をつけ、99年のばんえい大賞典を勝利。その後、重賞戦線では惜しいレースが続いていたが、01年の旭王冠賞を皮切りに、数々の大レースを制する活躍を見せ、ばんえい競馬最高峰のビッグタイトル「ばんえい記念」4連覇という伝説を残し、昨年5月のレースを最後に引退した。

NARグランプリばんえい最優秀馬にも4年連続(2002~2005)で選ばれた同馬。生涯成績は155戦42勝(うち重賞20勝)、収得賞金は100,739,000円。

ばんえい競馬に燦然と輝く歴史を打ち立てた"栗毛の天馬"の冥福を祈りたい。

***

私は、今年の3月に開催された「ばんえい記念」にスーパーペガサスが出場するのではないかと勘違いしていましたが、既に昨年の5月に引退していたわけで、本来ならば、引退後は種牡馬として悠々自適の余生を過ごせたはずなのに、このニュースの後、6月22日の報道で、死因が、競走馬にとっての難病である蹄葉炎に罹って死亡してしまったとのことです。

この蹄葉炎という病気は、競走馬にとっては致命傷となる場合が多く、かつて、1970年代後半に活躍した中央競馬のテンポイントがレース中に骨折して競争中止となってしまった後、その状態が芳しくなく、通常はすぐに安楽死の処置が取られるところを、それを惜しむファンの声に押されて延命措置が採られて闘病生活を送ったのですが、走る精密機械とでもいうべきサラブレッドの宿命として、ケガをした脚をかばっていくうちに他の脚にも悪影響が及び、その結果蹄葉炎という重病を発症してしまい、最後は懸命の治療も虚しく、力尽きてしまったように記憶しています。

テンポイントの死後、既に約30年が経過して、獣医療技術も格段に進歩してきたとは思いますが、未だにこの病気で命を落とす競走馬も多いようです。

詳しくは、「蹄葉炎 Wikipedia」で検索するといろいろと情報が得られますが、テンポイントの当時の最大のライバルだったトウショウボーイも、種牡馬になってからの1992年に、また、トウショウボーイの息子にあたる三冠馬ミスターシービーが2000年に、中央競馬界の種牡馬として多くの産駒を輩出したサンデーサイレンスが2002年に、同じ病気で死亡しています。

そして、アメリカ競馬界の実力競走馬だったBarbaroも、テンポイントと同様にレース中に重大な骨折が起きて、本来ならすぐに安楽死措置が採られるところを、懸命の手術でいったんは延命が図られるも、その後やはり蹄葉炎を発症し、2007年1月に死亡したそうです。

スーパーペガサスの冥福を祈って、「ばんえい記念」のアーカイブ映像を再度リンクを貼って紹介します。

http://www.banei-keiba.or.jp/user-data/movie/000194.wmv

☆☆☆

さて、話は変わりますが、いよいよこの週末からプロ野球の通常のペナントレースが再開されます。

やっと「本業」に戻れる感じですね。

| | トラックバック (0)

2007年6月23日 (土)

久々の更新ですが

その間、全く何もしていなかった訳ではなく、このブログも少しずつ模様替えなどを試みていましたが、肝心の中日ネタについては、交流戦に突入してイマイチキーボードを叩く指が動かなかった(昔でいうところの「筆が乗らなかった」)というのが正直なところでした。

その割には、毎日、皆さんにはこのサイトを覗きに来ていただいていたようでしたし、ご新規さんも毎日数名いらっしゃっていて、過去のテキストをお読みいただいたようで、改めて感謝申しあげるしだいです。

木、金と、この2日間はプロ野球興行がなかったので、心穏やかに? 過ごすことができました。

さて、そういう訳で中日ネタではありませんが。

昨年の年末に、このブログでも取り上げた「ビリーズ・ブート・キャンプ」

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_8822.html

がバカ売れしているそうで、昨日(6/22)のTBSラジオの早朝番組「森本毅郎のスタンバイ!」で取り上げられていたと思ったら、昨日付けの「日経MJ」のメルマガや、「東京中日スポーツ」の芸能欄で「大人気ビリー 渋谷ジャック」などと、本人の来日に合わせて話題になっていましたが、これも広告代理店にまんまとマスコミが乗せられていた振りをして、大衆を操作しているのかも。

(最近、『幕末 維新の暗号』という歴史“小説”や、『電通の正体』というタブー暴露本を読んで、政府の陰謀や秘密結社、代理店の仕掛けなどについて少々疑り深くなっているのも事実ですが。)


さらに、昨日ランチに出て、会社のちょっと近所にある日テレビルにある「汐留ラーメン」という、名物ラーメン屋があり、独特の海鮮ベースというか、いい意味で磯臭い独特のスープが特長のラーメンを、月に一度は食べたくなるのでそこに行くと、隣に座ったカップルが「いちゃいちゃ」じゃなかった、またもやビリーズ・ブート・キャンプの話をしだしました。

何でも、彼女の友達が「ビリー」を買って彼の言われたとおりに体操をやったのに、筋肉痛になるだけで全然痩せなかったという話を彼氏にしたところ、「筋肉痛になるということは、それだけで効果があったということじゃないの?」と、妙な形で彼女の友達のことを慰めて? いました。

この「キャンプ」の売りは、テレビ通販CMによると、数多くのハリウッド・スターも役作りのために短期間で体重を落とさなければならない際に、みんなこれで成功しているとかで、ルー・ダイヤモンド・フィリップスなどのハリウッド有名スター? の名前が挙がっていましたが、彼らは、役を獲得するために死に物狂いで体重を落とす必要がある(逆にいえば、体重を落とさないと役をライバルに獲られて失業してしまう)から、きついトレーニングにもなんとか耐えられるわけですが、普通の人は、何らかの理由、たとえば、なんとか痩せて彼女や彼氏のハートを獲得するなどの強烈な理由付けがないと、たぶん挫折してしまうでしょうね。

つまり、なんとなく痩せたい、ではなく、絶対に痩せないと人生が灰色になる、くらいの理由付けがなければ、ビリーの叱咤激励には付いていけないということになります。

ちなみに、「森本毅郎のスタンバイ!」の、8時前の体験レポート「現場にアタック!」のコーナーで、レポーター自身がこの「キャンプ」を1週間ほど行うとともに、体験者の声を集めていましたが、皆さん、「とにかくきつい!」という感想で、効果は「?」でしたね。

ただし、このままだと、発売元から「営業妨害だ」と言われかねないので、レポーター本人は1週間で1.5キロほど体重が落ち、ウェストも2センチほど縮まったとフォローしていましたが…。

さて、私は、体形的には「ビリーズ・ブート・キャンプ」の必要性は感じていましたが、はなからビリーの命令にはついていけないであろうと思っていた根性なしでしたので、文科系の「脳トレ手帳」に挑戦していましたが、こちらも脳の筋肉痛が発生したのか、というか、「脳トレ手帳」を、非常に大切な重要書類保管用の手提げ袋に入れたまま、行方不明になったため、トレーニングを続けられなくなってしまったのでした。

そして、非常に大切な重要書類保管用の手提げ袋を紛失してしまったはずなのに、日常生活では特に困ったことが起きていないというこのパラドックスはどこから来ているのか。

結局、脳を鍛える方法はいろいろあり、少なくとも老人性の脳機能低下の症状が出ていなければ、方法はなんでもよいのではないか、と悟ったしだい。

| | トラックバック (1)

2007年5月24日 (木)

祝! 井上一樹選手会長一軍復帰記念

「祝! 井上一樹選手会長一軍復帰記念」ということで、5月4、5、6日にナゴヤドームで開催された「竜祭り」観戦をした時に撮影した写真をアップします。

まずは、「竜祭り」のポスターと、

Ryu_matsuri_poster22_1

「I LOVE CD」ポスターのコースケ・バージョン。

I_love_cd_kosule21

本当に「I LOVE CD」ならば、来季も残留してほしいなあ。

ちなみに、前月(開幕前の3月と4月)までのバージョンは、こぼれるような笑顔が印象的な、井上一樹選手会長のものでしたが、この時期にドームの内外に張り出されているポスターは、全てコースケ・バージョンに差し替えられており、唯一の例外として、ドラゴンズのグッズショッップ「プリズマ・クラブ」にカズキ・バージョンが、ひっそりと貼り出されていたので、それを撮影しました。

I_love_cd_kazuki21

さて、道順としては逆ですが、ナゴヤドームの最寄駅である、地下鉄名城線「ナゴヤドーム前矢田」駅を降りて、ドームへと向かう地下道には、今やナゴド近辺の新たな名所となりつつあるイオン・ショッピングセンターの協賛で、「DRAGONS ROAD」と名付けられたフォトギャラリーが設置されています。

Dragons_road_200722

Dragons_road_2007_up22

※ちょっとピンボケですがご容赦を。

☆  ☆  ☆

ちなみに、この「DRAGONS ROAD」は、昨年、イオン・ショッピングセンター・ナゴヤドーム前矢田店が新規オープンした際、イオン株式会社の協賛で実現したもので、私は昨年のゴールデンウィークにも対横浜戦を観戦しに遠征し、その時にもこのロードを撮影しました。

Dragonsroad200622

Ion_ouen_20062

いいねえ、これで私は一発でイオンさんのファンになりました。

そして、昨年の選手紹介は「四文字熟語」でした。

代表例をいくつか挙げてみましょう。

Yamamotomasa_enjukukoutou_20062

Kawai_hyakuenrenma_20062

Araki_denkosekka_200622

Ibata_bigikensyu_20062

Tatsunami_andaseizou_20062

Iwase_tetsujinkunrin_20062

☆  ☆  ☆

さて、2007年版のフォトギャラリーの先頭には、井上選手会長の熱いメッセージが掲載された写真が掲示されていましたが、 この時点でも、彼はファームで調整中。さぞかし無念な毎日を送っていたことでしょう。

Kaicho_message_2007_222

なお、写真の中に奇妙な光のスジが見えるものがいくつかありますが、実は、この辺りは、その昔太平洋戦争中に空襲にあった地域で、多くの犠牲者が出たそうですが、その犠牲になった人たちの地縛霊でも、ましてや、ヒトダマのあくまで科学的に解明された範囲内での主成分であるプラズマでもありません。

さる見解によると、ヒトダマ、あるいは火の玉と呼ばれる現象は、確かにプラズマで組成されてはいますが、そのプラズマに、残留思念、いわば霊魂とでもいうべきものが入り込んでいるのだそうです。さすがに、現代科学では、残留思念を計測する機械は、本当の意味では開発されていないでしょうから、そこのところは「藪の中」なわけですが。

単に地下道を照らす蛍光灯が映り込んだものですので、除霊の必要はありません。

ご安心を。

そして、ナゴドへと向かう地下道では、ドラゴンズ選手たちの写真と、彼らの「特長・特技」を表す「2文字熟語」が添えられ、そのうちの特長的な一文字が大きく強調されていました。

あくまで、個人的な好みで撮影したものをいくつか挙げてみますと、

まず、「変」フォームが特長の鈴木投手(祝! 先日の一軍昇格)と、

Suzuki_hengen_okamoto_kihaku22

並んで写っているのは、昨季まではとにかくワンバウンド投球が多くてファンをハラハラさせていたが、今年は投球の安定感抜群、守護神岩瀬への絶対的なつなぎ役をこなす、(ワンバウンド投球がほんとんどなくなったうえに、きちんと打者を抑えられるようになった)地球に優しい“ECO-MAJIN”に変身した岡本投手の「迫」という文字は、今年の好成績によって、より一層の輝きを増しているともいえますね。

そして、イケメンというよりは、とにかくカワイイという言葉が似合う、彼の特長を表す2文字熟語がまだない、ルーキーの浅尾拓也投手。確かに「秀」なんて熟語を当てたら、先輩方からヤキを入れられちゃいますしね。

Kawaii_takkun_222_1

ところで、極めて個人的な見解ですが、浅尾投手は、テレビ通販でお馴染みの、ジャパネットたかたの高田明社長1948年長崎県平戸市生まれなので、間もなく還暦ということになりますが、若く見えるねえ。)に似ていると思いますが(特に、眉毛の角度と曲線が)いかがでしょうか。

また、我らが選手会長は、こんな感じ。

Kazuki_tosotsu_222

カップリングされた隣の森野は「強」ということで、やはり守備よりとにかく打って目立て、というのが衆目の一致したところなのでしょうね。

井上会長の2文字熟語は、リーダーらしく「率」でしたが、「統」を訓読みすると「すべる」なので、「(ギャグが)スベル」という、非常に意味深いメッセージも込められているな、と勝手に解釈しました。

そして、このフォトギャラリーを横に眺めながらナゴドへと向かったのですが、ロードの終わりのほうでは、ドラゴンズの歴代の優勝関連写真が掲載されていて、昨年10月10日に東京ドームで開催された、対讀賣戦の優勝決定試合写真も掲載されていましたが、そこで思わぬ発見をしました。

全景はこんな写真なのですが、

Yusho_photo_in_tokyo_dome_20071010_zenta_4

この写真をよーく見えると、あの日、私はレフト・ポール際の外野席で観戦していたので、ひょっとしたらこの写真の中に自分が写っているのではないかと思ったら、なんと、監督、コーチ、スタッフ、選手たちと一緒に万歳三唱をしている瞬間の自分の姿を発見することができたのでした。

Yusho_photo_in_tokyo_dome_20071010_niseb_6

ただし、超微小サイズ(対D社鎌田圭司選手比)で写っているため、このままモザイクなしの状態でも安心して(?)掲載できるレベルの解像度で写っていました。

この時、隣の席には、プロのスポーツ・カメラマンにして熱狂的なドラファンという貴重な人材のJ氏がいて、一緒に感動を分かち合い、実は彼も一緒に写っていたのですが、残念ながら、前列の観戦者の右腕によって彼の顔全体が隠されてしまっており、結果論的には彼のプライバシーも守られたことになりました。

Yusho_photo_in_tokyo_dome_20071010_mrj22

さて、これを機会に、昨季優勝決定試合当日の模様を振り返った自分の「日記」を改めて読み返してみましたが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_19da.html

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_2abf_1.html

この「DORAGONS ROAD 2007」のフォトギャラリーで、ちょうど「半年前のオレ」に再会できるとは夢にも思わなかったので、貴重な体験をすることができました。

| | トラックバック (0)

2007年5月21日 (月)

交流戦直前の「温故知新」ということで

交流戦直前の「温故知新」ということで、昨年5月の自分の書き込みを思い出してみました。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/index.html

なるほど、交流戦出だしの5月9、10、11日の札幌ドームでの対日ハム戦ではいずれも延長戦に突入して1勝2敗という悔しい結果

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060509.htm

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060510.htm

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060511.htm

となるも、地元ナゴドに戻って対東北楽天戦で1敗した後に2連勝、続く対オリックス戦も3連勝と「撃破」し、累計5連勝で意気揚々と、5月19、20、21日に千葉マリン球場に乗り込んだところ、幕張の暴風雨並みの浜風と砂埃という「大自然の脅威」を味方につけたマリーンズ軍団に、ひ弱な無風ドーム温室育ちの我が名古屋っ子集団

***

その昔、1970年代後半に、東海ラジオの深夜放送「ミッドナイト東海」の名物パーソナリティだった宮地佑紀生、当時は宮地由紀男と名乗っていて、愛称「宮様」の出した中京地区限定ヒット曲「♪佳境に生きてる(ジャン、ジャン)名古屋~っ子」という歌詞のロック調フォーク演歌とでもいうような「名古屋っ子」という歌曲がありましたが、Wikipediaによると、「1976年にはバンド『無有(むう)』(おっと、ここにも、菊池桃子と同様に『ムー』に執り憑かれた人が…。)を結成し、『名古屋っ子』などの歌を歌ったが全く売れなかった。」と言われてしまっているので、ナゴヤマニア、ミッドナイト東海マニアしか知らんネタでしょうね。

***

は敢え無く三タテを食らい、

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060519.htm

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060520.htm

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore06/score060521.htm

「また、昨年(2005年)の悪夢の再現か!」

と思われたところを、その後は何とか戦力を立て直し、最終的にはパ・セ両リーグ全体で4位という好成績を収めたのでした。

一方、交流戦が開始された時点ではセ・リーグの首位を快走していた讀賣ジャイアンツは、何の因果か交流戦で怪我人が続出したうえにパ・リーグ各球団の逆襲に遭い、ボロボロに沈んだため、交流戦明けには中日ドラゴンズがセ・リーグ首位に躍り出て、そのまま一度もその座を譲ることなくペナントレースを制したのでした。

さて、今年の交流戦は、果たしてドラゴンズにとって吉と出るのか凶と出るのか、その予想は、まるで「toto BIG」を当てるような難しさともいえるでしょう。

| | トラックバック (0)

2007年5月18日 (金)

今季のケンシンに贈る言葉

本日の首位攻防戦(笑。つまり、中日ドラゴンズにとってはいささか気が早い気持ちで臨んだ試合だったのに対して、苦手な交流戦を直前に控えた讀賣ジャイアンツにとっては実は死活問題だった?)第1ラウンドは、川上憲伸投手の復活勝利という、非常に好ましい結果となりましたが、昨季を振り返ると、実は彼は9月にかなり重症のスランプに一度陥っていて、それを救ったのが、同僚ベテラン打者たちの「角度やな」という言葉でした。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/__a3d3.html

今季の彼のスランプの要因の1つは、たぶん、昨季の大活躍の反動ともいえる「勤続疲労」だと思いますが、それとは別に、前回の「角度」のような何かがあったのかもしれません。

さて、その秘密が今後の報道で明らかにされるかどうかはわかりませんが、ともあれ、この1勝を契機にして立ち直ってくれることでしょう。

まあ、ケンシンは、過去の日本シリーズの戦績(対福岡ダイエーホークス戦、対西武ライオンズ戦、対北海道日本ハムファイターズ戦)や対千葉ロッテマリーンズ戦などでの快投の記憶もありますし、実は、昨季「交流戦男」と呼ばれた佐藤充投手とともに、ドラゴンズでは貴重な、パ・リーグに非常に強い投手なのでした。

その理由は、ひょっとしたら、パ・リーグのフランチャイズ球場はドーム球場が多いので、何故か風が嫌いなケンシンにとって非常に都合がいいのかもしれませんけどね。

| | トラックバック (0)

2007年5月15日 (火)

早速、本日のトーチュウで谷選手の弱点が

私が、現在讀賣ジャイアンツで活躍中の谷選手や小笠原選手の弱点を「募集」したところ、早速、本日(5/15付)のトーチュウで谷選手の弱点がバラされていましたね。

それも意外な人からの情報で。

元・報知新聞記者で、現在はスポーツジャーナリストの肩書きで、東京中日スポーツ(中日スポーツ)の「プラスワン」というコラムを執筆している高田実彦氏の、同紙第6面に掲載された「谷 佳知  目立たない巨人ミコシの担ぎ役」というタイトルの記事がそれです。

その記事によると、高田氏が、5月11日(金)の「讀賣対中日戦」試合前の東京ドームのサロンで、元・讀賣ジャイアンツ投手だった、現・野球評論家の関本四十四氏と会って谷選手についての話をしたところ、関本氏から「谷は『怖がり屋』なんだよ。セ・リーグはまだよく知らないようだ。パ・リーグの投手はバンバン内角を攻めて苦しめていたよ」という話を聞いたそうです。

まあ、このコラムの執筆者高田氏が元・讀賣系媒体出身で、元・讀賣ジャイアンツ投手の関本氏の話ということなので、全てに信憑性があるとは限らないのですが、ある意味、谷選手の「秘孔」を突いているのではないかと思いました。

ところで、「谷選手は『怖がり屋』」というのは本当でしょうかね。

だとしたら、よくぞYAW●RAの夫になるという、「スポーツ関係者史上最も怖い結婚話」を承諾したな、と思いましたが、何か。

| | トラックバック (0)

2007年5月14日 (月)

“YAMAMOTO 34”Tシャツの霊験あらたか!

先日のGW名古屋遠征(5/4、5、6)で、遂に“YAMAMOTO 34”Tシャツがナゴヤドームのグッズ売り場「プリズマ・クラブ」で販売されているのを発見して、狂喜乱舞して購入し(彼の個人応援グッズは、特注品を除き、今まで何故か地元名古屋でもほとんど市販されていなかったように記憶しております)そのTシャツを着用しての応援が霊験霊験あらたかだったようで、昨晩の「讀賣対中日戦」は、何とか山本昌投手に勝ちが付く応援をすることができました。

関東地方在住「ドラファンの三大義務」といえば、神宮およびハマスタ応援に加え、東京ドームのレフトビジター応援席(と、最近は通常のレフト外野指定席もほとんどドラゴンズファンで占められるようになり、なかなか好ましい傾向となってきましたが)での熱烈応援といえますが、神宮とハマスタは、平日はアフターファイブ、土日はウィークエンドのまさに娯楽といえますが、こと、対讀賣戦に限っては、平日はサービス残業、土日は休日出勤のような気持ちで出掛けております。

今回の三連戦は、第1戦の5/11(金)に川上憲伸投手がボコボコに打たれた心と体のショックが大きく、土日の観戦は試合の中盤にやっと球場に辿り着くという、いわば「重役出勤」の体たらくで、5/12(土)はドラゴンズ怒涛の9点攻撃が終了した後に、5/13(日)は4回表にイ・ビョンギュのライトフライをヨシノブ坊ちゃまがご落球あそばれたという報道をラジオで聴きながら入場しましたが、その後ウッズが6回表に豪快なアーチを蹴散らして2点差に広げたものの、7回裏にドラ戦に強い矢野外野手に同点三塁打を打たれるも、その後の一死三塁の大ピンチを同点までで防いだのが勝因でしたね。

私の観戦したシートはレフト外野指定席だったので、後ろと右隣の席がジャイファンでしたが、彼らが、同点に追い付いたのに勝ち越せない状況になったら、「うちは中継ぎ投手が心配だなあ」というような話をしていたので、ひょっとしたらチャンスが来るのでは、と思っていたらそのとおりに。

案外、ジャイの弱点はそこにあるようです。

また、もうすぐ交流戦ですが、パ・リーグの各球団は手ぐすねを引いて対讀賣戦に備えていることでしょうね。

なんせ、パ・リーグの“顔”を、FAという事実上の裏金を使って強奪しているわけですからね。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_0255.html

さて、現在の讀賣ジャイアンツが好調な要因は、特に、今年パ・リーグから移籍した谷選手と小笠原選手という、いわば、元パ・リーグ主力打者の活躍によるものが非常に大きいと思われますが、セ・リーグの投手陣が彼らに手こずっているのは、元々讀賣球団は自前の打撃陣がかなり強力なところに加えて、セ・リーグ投手陣が谷選手と小笠原選手の弱点を十分に研究する間もなく、まるで大波のように彼らと生え抜き打撃陣が波状攻撃を仕掛けてくるからそれを防ぎ切れないわけですが、谷選手と小笠原選手の弱点をしっかりと研究しているパ・リーグ各球団の投手陣には、そう簡単にはいかないでしょう。

そして、セ・リーグ各球団も、交流戦で谷選手と小笠原選手の攻略法のお手本をパ・リーグ投手陣に見せてもらいながらしっかりと研究すれば、「アフター交流戦」の後半戦では相当いい勝負が展開されることでしょう。

落合監督は、「勝負は6月(をどう乗り切るか)だよ」とおっしゃっていたそうですが、まさにそのとおりになりそうですね。

| | トラックバック (0)

2007年5月12日 (土)

浅尾拓也投手が初先発での初勝利を挙げた記念に

先日の広島遠征第2戦で、浅尾拓也投手が初先発での初勝利を挙げた記念として、この試合そのものの映像ではありませんが、その前の広島遠征、4月13日(雨天中止)、14日(朝倉の好投虚しく敗戦)、15日(打線が爆発して「サンデー中田」を援護)の、15日に開催された広島市民球場での7回裏に中継ぎ投手として浅尾投手が登板した映像をお送りします。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/152_2f41_1.html

この試合、ドラゴンズが初回に1点先制するも、中盤で同点に追い付かれた後再び引き離し、さらに次の回すぐに竜打線が爆発し、試合の趨勢が決まりかけてやれやれと思って、観戦していたバックネット方面2階席でのんびりしていたところ、7回裏に突然浅尾拓也投手の登板を告げるアナウンスが流れ、慌てて2階席の最前列にへばりつき、デジカメの動画撮影を行ったものです。

途中で画面が乱れるお見苦しい点も多々ありますが、浅尾投手の「広島デビュー」の貴重な記録映像としてご容赦ください。

この時、初球の速球が電光掲示板に152キロと表示され、球場が一瞬どよめいたのを記憶しています(その表示を撮影しようとオーロラビジョンにカメラを向けたら、残念ながらすぐに消えてしまいましたが)。

結局、最初の打者中東選手を速球で詰まらせてセカンドゴロに打ち取った映像を記録することができました。

http://dragons.cplaza.ne.jp/game/backscore07/score070415.htm

彼は間違いなく、近い将来に中日ドラゴンズを背負って立つ投手の1人になります!

| | トラックバック (0)

2007年5月 7日 (月)

もちろん関東でのドラ観戦が基本形ではありますが

GW後半は「中日対横浜」三連戦観戦の名古屋遠征に出掛けてきました。

ちょうど、ナゴヤドーム開設10周年記念の「竜祭り」ということで、いろいろなイベントや来場プレゼント企画もあり、なかなか充実していました。

関東の、飢餓感溢れるドラファンの応援風景も捨てがたいですが、中日ドラゴンズを応援することが至極日常風景と化している地元名古屋の雰囲気もやはりいいですね。

いわゆる、ごく普通の老若男女が何のてらいもなくドラユニを着てドラゴンズを熱狂的に応援している風景を観察できるのが、名古屋遠征観戦の魅力だと思います。

今回は、前日の対讀賣戦での逆転サヨナラ勝ちの余韻に浸りながら、心穏やかな面持ちで名古屋入りできたうえに、この三連戦を2勝1敗と勝ち越せたので非常によい遠征でしたが、もし、直前の対讀賣三連戦で三タテを食らった暗澹たる精神状態のまま名古屋入りしていたらと思うとゾッとしましたね。

そういう意味では、対讀賣第三戦で同点3ラン本塁打を放って逆転サヨナラ勝ちのきっかけを作った森野選手の功績は、個人的にも非常に大きなものがありました。

「森野が打てば日本一になれる」

と、今年の正月におとそ気分で予言した中日OB川又米利氏の言葉を今後も信じることにしましょう。

詳しくは、東山にしこ氏のココ↓を参照。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/off/off_2007_03.htm

なお、昨日の昼過ぎ(12:54~)に放映された、地元テレビ局CBC「サンデードラゴンズ」の、当日の試合開始直前情報では、5月5日の第2戦で肩甲骨に死球を受けて6日の試合を欠場せざるを得なかった森野選手がちらりと画面に登場していましたが、割と明るい表情を浮かべていたので、そこに希望を見出すことにします。

***

さて、最近、関東ドラファンの間では何かと風当たりが強いドラの三人衆、いわゆる「NLT」ですが、地元名古屋での評価は実際どうなのか、現地レポートしてみましょう。

まず、Nakamuraノリは、ナゴドでの応援風景を観る限り結構歓迎されていますね。

今回の三連戦では、そこそこヒットやホームランも打ったし、第2戦では5回表の無死一二塁の場面でサードゴロエラーで無死満塁とした後に運良く次のサードゴロでのホームゲッツーを成立させるという悪運?もあり、概ねファンに受け入れられているといえるでしょう。

一方、Lee, Byung Kyuですが、かなり厳しい状況になってきましたね。

もちろん、助っ人に対する評価には厳しいものがある名古屋のドラファンはもとより、韓国マスコミを通じた本国ファンからの厳しい声も漏れ伝わっているようで、イ選手本人もかなり焦り気味のように感じられますが、個人的な感想をひとつだけ言わせていただくと、バッティングフォームと打球の方向が、この日の打席に立った山本昌投手とほとんどそっくりに感じられたのが少々心配な点です。山本昌のバッティングは「投手にしては巧い」と言われている訳ですが、だからといって、本職の打者が彼と同じ程度というのはちょっとまずいと思います。

彼の応援歌が個人的には非常に好きなのですが、現在はその歌に負けている(つまり、果たして「一振りを見せているのか」とか「一打に賭けているのか」)という感じ。

是非、歌に追いつき、追い越してもらいたいものです。

そして、三人目はTanishige捕手ですが、地元での評価が変わりつつある象徴的な出来事として、この日に放映された「サンデードラゴンズ」で、ライバルの小田捕手のミニ特集(録画もの)が組まれたことが挙げられます。

今年からCBC解説者となった落合英二氏が小田捕手にインタビューする形式で、小田捕手の「魅力」を視聴者にアピールするという企画のようでしたが、とにかく落合英二元投手も、「小田捕手が受けてくれると投げやすい」という趣旨の発言をしていたのが気になりましたね。

つまり、地元テレビ局が正捕手を差し置いて、いわば二番手捕手の売り出しにひと役買う状況になってきた訳で、ここに、現在、谷繁捕手が置かれている状況が如実に示されたともいえるでしょう。

いずれにせよ、今年の落合ドラゴンズは、「NLT」問題に象徴される不安要素によって、戦力的・人心掌握上でも非常に不安定・不均衡となっていて、現在セリーグ3位で貯金1という状況になっているわけですが、この問題に対して、落合監督がどういう「解答」を出すかによって、今年の中日ドラゴンズの成績が決まるといっても過言ではないでしょう。

ペナントレースは基本的には他球団との戦いではありますが、今年のドラゴンズにとっては、「内患外憂」のうちの、まずは内患の治療が最優先事項といえるでしょうね。

| | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

私の(嫌な)予想通り

私の(嫌な)予想通り、本日のケンシンは金本にボロクソに打たれて負けましたねえ。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_f6a5.html

今季のケンシンは、昨シーズンの大活躍後のお疲れモードで腰痛を抱えたまま、騙し騙しの投球なので、金本のような、誤魔化しの利かない打者を抑えるのはかなり厳しいと思います。

だからといって、現時点でケンシンの状態がローテーションから外れるほど“悪化”しているわけではなさそうなので、首脳陣としてもどうしたものか困っている状況なのでしょう。

まあ、1週間後には、今度はナゴドで対阪神三連戦が開催されるので、今回は残念な結果となった、山本昌、長峰、ケンシンの先発三人組は、次回はそれぞれ中6日のローテで登板できるので、是非とも“リベンジ”してくれると思います。

「臥薪嘗胆」してこそ、一流選手の証ですものね。

| | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

「魏・呉・(越)・蜀」の「三(+一)国」同舟体験記

昨日までは、リアルな世界での応援活動が多忙を極め、なかなかブログを更新できませんでしたが、一応、ドラゴンズにとっての関東地区開幕三連戦を全て見届けて気が済んだので、心安らかな面持ちで、水道橋駅から総武線の新宿方面行きで帰途に着いたところ、途中の信濃町駅からは、「東京ヤクルト対阪神戦」の試合終了時間と重なったためか、呉越同舟ならぬ、「竜・巨・燕・虎」四球団のファンが、図らずも同じ電車に乗り合わせる状況となりました。

さて、四球団のファンで混み合った車内を見渡すと、それぞれのファン気質が如実に窺えて、なかなか興味深かったです。

まず、中日ドラゴンズファンは、関東では少数派ということもあり、快勝の余韻を楽しむかのように、人知れず静かに座っております。

讀賣ジャイアンツファンは、あれだけ球場では数を頼んで威勢がいいのですが、負けた時にはその気配を消すのが非常に上手い集団と化します。

さて、信濃町駅で電車に乗り込んで来た集団では、やはり阪神タイガースファンが圧倒的に多いのですが、まるで昨晩の試合を勝ったかのような賑やかさで乗り込んできます。

一方、地元なのに少数派の東京ヤクルトスワローズファンは、試合に勝ったのにもかかわらず、謙虚な笑みを浮かべながら静かに乗車してきました。

シーズン前の大方の予想では、この四球団辺りがペナントレースの覇権を争うとともに、クライマックスシリーズへの出場を目指してしのぎを削るものと思われていますが、この、「竜・巨・(燕)・虎」の「三(+一)国時代」で、今季の天下を取るのはどの球団になるのでしょうか。

ちなみに、中国の「三国時代」で覇権を争った「魏・呉・蜀」は、結局、それぞれの国の主君は共倒れとなり、新たに西晋という国が中国を統一したようですが。

☆  ☆  ☆

東京エッグから水道橋駅方面に向かう道すがら、一緒に観戦した東山にしこ氏と応援歌談義になり、私はイ・ビョンギュの応援歌が歌いやすくてなかなかよいという感想を述べたところ、「あの歌は短調(マイナーキー)なのに楽しそうだ」というにしこ氏のコメントを聴いて、小学校の音楽の授業で、「基本的には、短調の曲は寂しかったり悲しかったりする印象になるが、唯一の例外は『森の小人』(山川清作詞・玉木登美夫補作・山本雅之作曲の♪森の木陰でどんじゃらほい、という歌い出しの曲)である」と習った話を思い出しました。

確かに、イ・ビョンギュの応援歌もマイナーキーの曲ながら、威勢がよくて楽しそうなメロディですよね。

したがって、マイナーキーなのに賑やかで楽しそうな、日本三大歌曲は、

『森の小人』と『イ・ビョンギュの応援歌』

そして、ザ・リリーズが昭和50年に歌って大ヒットした

『好きよキャプテン』(松本隆作詞、森田公一作曲、萩田光雄編曲)

といえるでしょう。

| | トラックバック (0)

2007年3月25日 (日)

昨日はいろいろなスポーツイベントが目白押しで

昨日はいろいろなスポーツイベントが目白押しで、野球では、「パリーグ開幕戦」と「セリーグオープン戦」、「選抜高校野球」、サッカーは「日本代表対ペルー代表?戦」、ボクシングでは亀田長男の「春のTBSフライ級祭り」など、いろいろと開催されていましたが、こと「真剣勝負」という点では、「パリーグ開幕戦」と、「世界フィギュアスケート選手権大会-女子の部」に軍配が上がりましたね。

パリーグ開幕戦で面白かったのは、移籍したり復帰したりした選手が早速活躍した点で、「ロッテ対日ハム戦」では、二死満塁でダルビッシュの決め球の内角速球をものともせずに同点満塁弾を放ったズレータはお見事でしたし、彼の高額年俸が嫌で放出したソフバンは、「ソフトバンク対オリックス戦」で、オリックスの元・近鉄のローズ(テレビ映像での、あまりの体型のメタボリ変化振りに、当初は彼だと気付かず、オリックスは何気にいい外国人補強したじゃん、て思ってしまいましたが)に特大アーチを食らって痛い目に遭うも、横浜から獲得した、“元・ハマのガラスの大砲”多村が2本も本塁打を打ったそうで、長丁場のペナントレースを考えれば、痛し痒しの結果でしょう。

***

さて、もう1つの「真剣勝負」だった、「世界フィギュアスケート選手権大会」ですが、この競技は、日本においては、プロゴルフやソフトボール、バレーボールなどと同様に、今やその人気を支えているのは、実力が十分に伴った女子の人たちが中心(今回、「男子の部」で高橋大輔選手が銀メダルを獲得するというのは、たぶん「嬉しい誤算」だったでしょうが)ということになり、以前だったら「女子の部」の決勝が終わってから「男子の部」の決勝が開催されていたはずなのに、いつの間にかその立場が逆転しており、これはやはり、テレビ中継のスポンサーサイドの意向を重視したからでしょうね。

スポンサーといえば、今大会の「女子の部」については、間違いなく、浅田真央選手をメインに据えたスポンサード大会だったはずで、テレビCMに登場したのは、彼女一人でした。

いわば、この大会は「浅田真央選手に優勝してもらおう会」だったともいえたでしょうね。

その結果、トリノ冬季五輪開催前の「ビフォー荒川静香」時代を支えていた、かつての女子フィギュアスケート界の「CM女王」だった安藤美姫選手のCM出演は、今回は一切なし。

時代の趨勢を感じさせられたとともに、日本企業の見事なまでの「機を見て敏なる動き」に感心することしきりでした。

しかし、このような状況になったのは、むしろ安藤選手にとってはスポンサーからの重圧から解放される結果となり、今度は浅田(妹)選手に強烈なプレッシャーが掛かってしまう訳ですから、少々皮肉な結果となりましたね。

安藤選手は、最終組の練習が始まった時から、以前と比べて非常にリラックスしていたように感じられ、「これはひょっとしたら優勝するのでは」と、何となく「男の勘」でそう思っていましたが、最終滑走者としての重圧、それも浅田(妹)選手がほとんど完璧に近い演技を披露した中での「守り(四回転を封印し)ながらも攻める(三回転は連発しなければ勝てない)」演技を披露し、ショートプログラムでの「貯金」を最大限に活用した作戦は、実にお見事でした。

優勝後のテレビインタビューの際には、エンジ色の競技用コスチュームの上に、黒のウィンドブレーカーがさっと掛けられ、そこには「ロッテ」と「コーセー(化粧品)」のロゴが燦然と輝いていましたが、多くのスポンサーが浅田真央選手サイドに流れる中、一貫して「逆張り」に賭けた2社の得意満面な哄笑が聴こえて来たような絵面に、思わずこちらも大笑いしてしまいました。

このシーンは、かつて、1992年のアルベールビル冬季五輪で日本の期待を一身に受けていた伊藤みどり選手(私個人としては、WIKIPEDIAの伊藤みどりについての記事が好きですね。作者たちの彼女に対する“愛”が感じられます)を破ったのが、日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチ選手だったことをちょっと思い出しました。

当時、もし伊藤みどり選手が優勝候補に挙げられていなかったならば、日本人の血を引いたヤマグチ選手が金メダルを獲得したということで、日本で一躍スターダムにのし上がったかもしれなかったのにむしろ逆の結果を招きましたが、今回は、韓国期待の星であったキム・ユナ選手、“日本”側代表の安藤美姫選手と浅田真央選手の事実上の「巴戦」となりましたが、両国が抱える“微妙”な事情も垣間見え、ちょっと複雑な心境に陥ったのも事実です。

まあ、世の中、なかなか“ダイリテン”やテレビ局の思惑通りにはことが運ばないものです。

だから面白いんですけどね。

| | トラックバック (0)

2007年3月23日 (金)

「年俸、刻み刻み作戦」発令!

「中日が育成選手の中村紀洋内野手(33)と23日に、公式戦への出場が可能となる支配下選手契約することになった。22日、球団が発表した。背番号は「205」から「99」。推定年俸は400万円から600万円となる見込み。」

という報道がされましたね。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20070322047.html

彼の場合、いきなり高額年俸を提示すると、それで安心してしまって働かなくなってしまう恐れもあるので、「年俸、刻み刻み作戦」で行くようです。

それならば、今後の「実績」に応じて「信賞必罰」査定を導入というのはいかが?

まずは「信賞」のほうですが、たとえば、

・安打1本で10万円上乗せとすると、年間150本打てば、プラス1,500万円

・打点×10万円上乗せすると、年間で100打点上げれば、プラス1,000万円

・本塁打1本で40万円上乗せすると、年間50本打てば、プラス2,000万円

というようにすれば、これで、ベースの600万円に上記の上乗せ分を加算した場合、トータル年俸は5,100万円となり、浪人=無一文になったかもしれないところを救ってあげたのですから、まずは妥当なところでしょうし、こういう「インセンティブ」を示さないと、この人はやる気を失う恐れがあります。

一方、「必罰」のほうですが、

・失策1回につき、-10万円

・緩慢な走塁1回につき、-10万円

・チームバッティングを怠った打撃1回につき、-10万円

あたりですかね。

「必罰」のほうについては、積極的なプレーで失策した場合は可哀想なのではないかとか、なんで「併殺打」を査定対象にしないのかというご意見もありそうですが、「安打」についてはラッキーヒットもカウントされるのでそこで帳消しされますし、「併殺打」というのは、結果としてそうなっても積極的な姿勢で行われたものはある意味仕方ないし、併殺打が多いのは右の強打者の宿命である、という「落合理論」に敬意を表して査定の対象からはずしました。

要は、この1年間、彼が我がチームの一員に加わり、レギュラーまたは代打・守備要員として活動して勝利に貢献してくれるならば、その貢献度に応じて報酬を与えてあげてもよいが、もし、やる気をなくした怠慢プレーを連発するようなら、きちんとそれをナイナス査定する、ということを明示してあげたほうが、むしろ彼のためにもなるかもしれません。

もちろん、上記の「査定方式」は、マスコミ等に公表する必要はありませんけどね。

| | トラックバック (0)

2007年3月21日 (水)

3.21ハマスタオープン戦観戦記

本日、ハマスタで行われた、横浜対中日戦のオープン戦は、アクセス手段の東海道線で人身事故が発生した影響もあり、試合開始時間に少々遅れたため、左翼ポール方面自由席で、試合途中三回裏の中日の守り辺りから熱く静かに応援しましたが、9回裏にスズキが登板してハラハラドキドキの展開になると、周りの見知らぬドラファンと一緒に、声を枯らして応援せざるを得なくなりました。

スズキとしては、すんなりと抑えられなかったことに不満が残ったことでしょうが、ドラゴンズ首脳陣は別の見方をしたと思います。

リリーフでエースセットアッパーやクローザーを任されるような存在になるためには、登板の最初のほうで打ち込まれたりするのはよくあるケース(本日の岩瀬も先頭打者にいきなり安打を許してましたし)ですし、一打逆転のような厳しい局面でいきなり登板することもしばしばで、そういう場面でどれだけ自分の力を発揮できるかという、真のリリーバーとしての適性を判断する必要があります。

本日の試合は、もちろん岩瀬を最終回にもってくればすんなりと終わったであろう2点差の展開だったわけですが、本日の試合では敢えて勝ちを捨てることになったとしても、スズキに対する真のリリーバーとしての適性を試したかったのでしょうし、そういうことを試せるのがオープン戦の存在意義ともいえます。

そういう事情で9回裏に「クローザー」として登板したスズキに対して、大矢監督は古木、佐伯という右のサイドスローの“天敵”である左の代打攻勢を仕掛るという「試練」を与えてくれたため、無死一二塁の大ピンチとなり、ここで、横浜も次打者の新鋭石川(地元横浜高校出身の3年目)に送りバントを命じたのに対して、中日側も鉄壁内野陣の連携でそれを防ぐという、公式戦並みの攻防でファンを魅了しました。

こういう、細かい一打席のプレーで局面ががらりと変わるというのが、日本プロ野球の醍醐味でもあります。

そして、スズキは次打者の、ハマの新戦力、仁志に適時安打を打たれて1点差になるわけですが、実はここから踏ん張り切れるかどうかが、リリーバーとして生き残れるかどうかの分水嶺なのです。

次に代打として登場したのは、昨シーズンは主にレギュラーとして活躍した内川で、ハマの戦力としては、現在はケガで出遅れているのではないかと思われる勝負強い種田なども控えているわけですから、横浜打線も随分と層が厚くなったなという感想を持ちました。

私としては、この内川を抑えれば、スズキに“勝機”が見えて来るのではないかと思いました。

もちろん次打者に、本日、背水の陣で臨んだ先発候補の中田から本塁打を放ち、こういうチャンスに滅法強いスイッチヒッターの金城がネクストバターズサークルに控えていたのにもかかわらずですが。

そして、スズキは私の期待どおりに内川を浅い外野フライに仕留めると、そこで自信を取り戻したのか、次の強打者金城に対して落ち着いて対峙することができたようで、詰まった内野フライに打ち取ってゲームセット!

スズキとしては、すんなり抑えられなかった不満のほうが大きかったようで、バツの悪そうな表情で勝利後のハイタッチの儀式に辛うじて加わっていましたが、これからは堂々と帰って来なさい。

こういう修羅場を切り抜け、たとえどんなピンチに陥って点差を詰められたとしても、最後の打者をきっちり抑え切れば、リリーバーはそれで「勝ち」なのです。

いい経験をさせてもらったね、スズキ君!

☆☆☆

本日は、いろいろと収穫のあったオープン戦でした。

やはり、実戦を観戦しないと本当のことがわからないのは。選手だけでなくファンも同じだということを改めて痛感させられましたね。

中日でいえば、レギュラー打撃陣もそろそろ本気モードになってきたかなという印象を受けましたし、また、相変わらず守備は安心して見ていられました。

特に井端はさらに進化を遂げているという感じで、彼の守備を観に行くだけでもお金を払う価値があるというプレーを連発してくれていました。

あと、普久原がレフトの守備固めとして試合の終盤に登場しましたが、「なるほど、最後まで一軍に残るだけのことはあるな」という自信溢れるプレーを守備で披露してくれました。

決して派手なプレーではなかったのですが、ポジション取りが非常に巧いので、「長打を打たれたか!」というような良い当たりのライナーを、ごく平凡なフライに思わせてくれた守備を魅せたという表現がイチバン的確でしょうかね。

横浜側では、終盤に登場したホセロというセットアッパーが要警戒ですね。

ドミニカ出身でメジャー経験もあり、その場で宝島社発行のポケット版「選手名鑑」を見たところ、彼のデータもきちんと調べてあり、非常に重宝していますが、過去5年間の記録を見ると異様に三振奪取率がよかったので、これは只者ではないなと思っていたところ案の定、うちの主力打者をきっちり抑えるとともに、良い当たりだと思ったフライが速球に押されて失速していて、球質も重そうでしたね。

本日はMAX150キロ弱の速球でしたが、まだまだ速くなりそうですし、ひょっとしたらクルーン(たしかに球は160キロと速いが、案外球質が軽い?)よりクローザー向きなのではないかと思いました。

あと、ハマスタでは、毎回毎回イニングの切れ目に、「プリクラならぬ、スタ(ジアム)プリ(クラ)タイム」や「ホッシーのバズーカ(プレゼント)タイム」など、ファンを飽きさせないようなイベントをどんどん増やしていて、それなりに楽しめますが、5回裏に行われる、今やハマスタ名物となった「ダンス・コンテンスト」については、本日はオープン戦ということで、“レギュラーダンサー陣”が登場しておらず、彼ら彼女らはダンスをすることが目的で球場に来ていて、野球の試合にはあまり関心がないのではないかと思っていましたが、実は「公式戦」でのパフォ-マンスを重視していることがわかり、なかなか好感が持てました。

いわば、今回はダンサーたちも“若手”が力試しにやって来ていたといえます。

オープン戦は、まさに、こういった新戦力=新鮮力の見極めの場であり、そういった点がやはり堪えられないですね。

| | トラックバック (0)

2007年3月16日 (金)

モップスの思い出といえば

モップスの思い出といえば、まずは中学生の頃、1970年代初頭に、ませた同級生がクラスのレクリエーションで「月光仮面」を歌い、それがモップスというロックグループの歌であることを知ったのが最初でしたね。

その同級生がアカペラ(当時はカラオケは存在せず)でその歌を歌うものだから、なんか非常にシュールでシャウト系の歌だったような記憶があります。

実は、テレビドラマの「月光仮面」が放映されていたのは1960年代初頭ですから、それから約10年後の出来事でしたので、元歌の主題歌はほとんど廃れていたのでした。

したがって、私はモップス版「月光仮面」をその当時に聴いた後、遥か後になって再放送の「月光仮面」テレビドラマの主題歌を聴いたことになり、こちらを初めて聴いた時はやけに古臭い歌だなと思った記憶があります。

そして、高校生の頃が1970年代半ばで、当時はとにかく夜から深夜にかけてAMのラジオ放送を聴くのが若者たちの間で流行っていて、ニッポン放送の「日立  ミュージック イン ハイフォニック」という、放送時間30分間のほとんどを特集ミュージックのかけっ放しという番組があり、ある時の特集が、「吉田拓郎が楽曲を提供した歌手の特集」というもので、現在、ちょっと変な意味で話題を集めている森進一が歌った『襟裳岬』や、かまやつひろしの『我が良き友よ』や『シンシア』などと一緒に、モップスが歌う『たどり着いたらいつも雨降り』(作詞・作曲 吉田拓郎)が流れ、まさにノックアウトされました。

あと、当時流れていたのが、『晴れ  時々  にわか雨』(作詞 阿久悠・作曲 星勝)で、こちらもストーリー性のある、なかなかの名曲でした。

モップスの解散が1974年で、TBS系列で大映テレビ製作の異色刑事ドラマ「夜明けの刑事」の放映開始が1974年の10月(ということは、中日ドラゴンズの20年振りのリーグ優勝とも重なり、鈴木ヒロミツ氏にとってはいろいろな意味で“転機”だったことでしょう)なので、モップスの解散とほぼ同時期に俳優に転向したんでしょうね。

モップスの音楽性は業界では高く評価されたものの大ヒット曲には恵まれず、解散の理由は経済的なものが大きかったんでしょうね。

かつて、鈴木ヒロミツ氏がテレビのバラエティ番組に出演した際に、若い出演者や視聴者に対して、「昔、売れないバンドやってました」という自虐的な自己紹介をしていたのを観たことがありましたが、厳しい芸能界で生き残っていくための苦渋の選択だったのでしょう。

つまり、バンド・ビジネスには非常に多くのスタッフがかかわる訳で、うまくいっている時はそれだけの人員の食い扶持を稼いでくれるビッグ・ビジネスになり得る訳ですが、それだけに維持費も莫大なはずで、モップスが放った“中ヒット曲”だけでは、しだいにバンドを維持していくことが困難になったのでしょう。その点、俳優の場合は、基本的には本人とマネジャーの生活を支えるだけのギャラを稼いで、“上がり“を事務所に納めれば何とか暮らしていけるので、経済効率性はバンドより高いといえるでしょうね。

ただし、バンド解散後も音楽活動は細々と続けていたようです。このドラマ・シリーズで歌われた、

「夜明けの刑事」のエンディング・ソング、『でも、何かが違う』(作詞・作曲 マチ・ロジャース、編曲 あかのたちお)

「明日の刑事」のエンディング・ソング、『愛に野菊を』(作詞 岡田富美子 作曲 マイケル・ホルム 編曲・あかのたちお)

の2曲は隠れた名曲といえ、鈴木ヒロミツ氏の熱唱を聴くことができますが、これら2曲は必聴です。

現在、「モップス」で検索するとベストアルバムCDなども入手できますが、もう1つのお薦めが、鈴木ヒロミツ氏がソロで歌った上記2曲が収録されている「刑事魂  刑事ドラマソング・ベスト2」です。

鈴木ヒロミツ氏のボーカルは、決して上手いという印象ではありませんが、何とも言えない味わいがあるんですよね。これを機に、是非とも「夜明けの刑事」(正編・新編)&「明日の刑事」のサウンドトラックをまとめて発売してほしいものです。あと、上記2曲をカラオケにもね。

☆  ☆  ☆

ところで、彼が熱狂的な中日ドラゴンズファンであることを私が知ったのはごく最近でしたが、実は、1980年代には、東海テレビの「スーパードラゴンズ」という、中日ドラゴンズ応援番組の司会までをも務めていたほどの熱狂的なファンであったことさえも知りませんでした。

3月15日付け「東京中日スポーツ」の第18面(芸能面)では、鈴木ヒロミツ氏のエピソードが紹介され、「スーパードラゴンズ」番組出演当時のインタビューでは、

「先生に逆らうのが好きな子供だったから、(東京の中日ファンというのは)それと似たようなものかもしれない。周りの人と違うチームを応援するというのはね。」

という熱いメッセージを述べていたそうです。

これこそ、地元出身者以外の中日ドラゴンズファンの心の叫びであるとともに、真のロックスピリットを持ったシンガー、鈴木ヒロミツ氏の生き様の表明ともいえるでしょう。

Hey! Keep on rolling HIROMITSU forever!

| | トラックバック (0)

2007年3月10日 (土)

先見の明?

とある読者の方が、「西武,栄養費」を検索ワードにして、社長の「告白」があった前日9日に訪問していただいたアクセス記録が残されていました。

もちろん偶然ですよね。

| | トラックバック (0)

2007年3月 8日 (木)

「ハケンの品格」最終話と、中日ドラゴンズ「ノリダア」と「ケンシン」、の行方ごった煮考

昨日の「ハケ品」は、出だしで、森ちゃんが春子をかばって自分が東海林にプロポーズされたことにして、「それが何か」という春子の決めゼリフを替わりに発したのが面白かったですね。

いよいよ、最終話にはスーパー派遣社員の主役の座を美雪に譲って、春子は木枯らしとともに去って行くという伏線なのかもしれません。

ただし、今回の派遣先に対しては、春子ははかなり後ろ髪を引かれながらのエンディングとなりそうですが。

あと、大前春子は犬の訓練士の資格も保持しているとのことでしたが、その割にはクルクルに対しておっかなびっくりで接しており、結構シリーズ最後の方では、大前春子(と、篠原涼子本人)にもいくつかの弱点、つまり、イラストやクルマの整備(と、犬の扱い)が苦手であることが露呈されてしまいましたが、それはそれで、かえって好感度をもたらす結果となりましたね。

一方、恋の行方は、春子にこっぴどく振られた東海林は、実は入社以来ずっと東海林のことを憎からず思っていた黒岩の愛にほだされ、最後は二人がくっつくのかもしれないですね。

この点については、バレンタインチョコの回で、黒岩は義理チョコを東海林に渡す振りをして、実は「本チョコ」を渡したのだが東海林はそれに全く気付かず、「本チョコを買うなら、例のチョコレート工房のを買ってね」と言われて、ちょっと複雑な表情を浮かべていましたものね。

ところで、黒岩を演じている板谷由夏は、最近実生活で結婚を披露してちょっと話題になっていますね。

この人も芸歴は案外長いそうで、かつては、「DA・YO・NE」という、EAST END×YURIというユニットがリリースしたヒップホップ系ラップミュージックが1990年代半ばに一世を風靡したことがありましたが、その「地方版」がやたらと登場して、九州版五匹目あたりのどじょうソングを歌うユニットとして、博多華丸(当時は鶴屋華丸)やおたこぷー(当時はおタコ・プー)と共に、SOUTH END×YUKAとして、シングル「SO・TA・I」もリリースしたそうです。

一方、森美雪は果たして往年の大映テレビドラマのように里中とくっつくのか、そこについては確信が持てませんが、何か。

また、最後にいろいろと舞台裏が明かされるのでしょう。

大前春子は年齢不詳とのことですが、実は東海林(年齢は2歳上ですが)、里中、黒岩、一ツ木たちとほぼ同年代であり、つまり同期であったこと。

そして、タブラオのママは、かつては赤坂あたりの高級料亭の女将かなんかで、<S&F>社の役員である大滝秀治扮する謎の老人と懇意だったということで、今回の「ハケン弁当」の企画が、トップの承認をすんなりと得られた理由が明らかにされるのではないかと思います。

まあ、上記の予想は、全て裏取りなしのたんなる推測にすぎないことをあらかじめお断りしておきますが。

***

ところで、中日ドラゴンズのオープン戦の成績は、中村ノリ以外は打撃陣に貧打が目立ち、このままの状態が続くようでは、中村ノリをすぐにでも一軍に登録したいというのが落合監督の本音でしょうね。

元々、落合監督は、プロ野球選手は技量を発揮してなんぼの存在であり、人間性については、起用のさいにはいっさい考慮しないと思っているはずで、私もプロならばそれでいいと思っています。

それは、中日ドラゴンズにしても、あの選手、この選手というように、人間性を物差しにしていたら、ねえ…。

いわば、ライバルのスパイク(バレエ界でいえばトウシューズに相当)に画鋲を入れてでもレギュラーを勝ち取るべきであるというのが、プロの世界の掟であるともいえるからです。

つまり、実力のみが評価の基準でしょう、プロ野球選手はね。

***

さて、「中スポ」と「トーチュウ」で連載されている、杉下茂氏の連載「伝える」第1部は、本日でいったん一区切りを付けるとのことですが、昨日の中里篤史投手を「鈴木孝政二世」になぞらえ、本日の「タカマサ論」に結び付けていましたが、杉下氏と川上哲治氏のライバル関係と、鈴木孝政氏と長嶋茂雄氏のライバル関係の対比を挙げていましたね。

私も、鈴木孝政が実質上の初登板を果たした1974年(その前年は、杉下氏が語ったように、対大洋ホエールズ戦の1戦だけに登板した直後に肩か肘を痛め、シーズンを棒に振ったように記憶していますが)の対讀賣戦のことはよく記憶しています。

たしか、いきなり王、長嶋のONコンビを快速球で連続三振に斬って取るという鮮烈なデビューを飾り、その名を一躍球界に轟かせ、その年の貴重な新戦力として、20年振りのリーグ優勝にも貢献したのでした(ちなみに、右のタカマサとともに、この年左の速球派中継ぎ投手として優勝に貢献したのが、現在ドラゴンズの「査定担当」として鋭い視線のメガネが印象的な竹田和史氏です)。

そのシーズンの、その後の鈴木孝政対長嶋茂雄の対戦については、実は私は全く記憶していないのですが、長嶋もその年の初めに密かに引退を決意していたそうで、これから球界を背負って立つであろう「逸材」に対して、最初の打席は敢えなく三振に斬って取られたが、何としてでも「プロの洗礼」を浴びせてやろうと人知れず研究と工夫を重ねた結果、彼が速球と変化球の投げ分けがあまり得意でないことを見抜き、速球は自分の動体視力の衰えから判断するととても打てそうにもないと割り切り、変化球だけを待っていたところにおあつらえ向きのカーブがやって来たので、「よーし」と大声を挙げて、後楽園球場のレフト中段に狙い打ちのホームランを放り込んだのでしょう。

ちなみに、杉下氏は、そのシーンについて、「先輩捕手のサインに首を振れなかったのではないかと思う」と、彼をかばっていますが、その当時の主戦捕手(控え捕手は新宅氏でしたが、“目玉“の「巨人戦」だとすると、たぶん主戦捕手が受けているはず)は、誰あろう、“ミスター我田引水”木俣達彦氏であったろうと思われます。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_ca1f.html

ということは、彼のリード(配球)にも問題があったことになり、そのために鈴木孝政は近藤貞雄ヘッド兼投手コーチに散々耳を引っ張られて(うーん、あの耳は思わず引っ張りたくなる形状をしているよなあ。でも、彼は千葉県立成東高校という、成東地区の有名進学校の出身で、あの耳は賢さの証明でもあったと思われますが)お説教を2回も食らったことになるわけで、ちょっと気の毒ではありますが、まあ、その後速球派から技巧派投手に転身して長寿命の投手として球界に生き残れたのだから、そういう彼の“やられキャラ”としての性格は頭脳派投球術の源泉ともなったのでしょうから、案外、「人間万事塞翁が馬」といえるのかもしれませんね。

ところで、杉下氏と川上氏のライバル関係は10年以上続いた同等の関係なので、最後に対戦した年にはお互いが衰えを感じていたはずで、杉下氏が、最後の年の川上氏との対戦の記憶が残っていないというのはもっともな話。

一方、“新米”鈴木孝政が、憧れの存在でもあった“老兵”長嶋茂雄との最後の対戦をしっかりと記憶に刻み付けているというのは別次元の話と捉えたほうがいい、と私は思いますけどね。

***

一方、「トーチュウ」第4面の「セブンアイ」では、同コラム連載陣の1人ねじめ正一氏(実は、十数年前に、彼が所属する「ファウルズ」という、長嶋茂雄が名誉監督を務める名物草野球チームと、当時私が勤めていた会社の草野球チームが練習試合で対戦したことがあり、私も人数合わせとしてセカンドあたりで出場したことがあるのですが、その試合で同僚がファーストゴロを打って、ファーストの守備についていたねじめ氏と交錯し、あわや乱闘になりかけた「事件」がありました。「詩人と聞いていたが、随分と荒っぽいプレーをするな」という、その同僚の言葉が印象に残っています)が、杉下氏の連載に触れ、その情熱と話の巧さを絶賛していました。

それを読んで気付いたのですが、杉下氏に、「ケンシンにフォークボールを伝授してやってほしい」と、昨シーズンの秋キャンプから落合監督が何回も依頼しているのは、たぶん落合監督もケンシンの“勤続疲労”に大きな不安を感じており、それをカバーするためにフォークを教えてほしいという「親心」のように感じました。

でも、結局ケンシンは、そういった落合監督の親心や杉下氏の教えを「時期尚早」と感じているのでしょう。

ケンシンにも超一流投手としてのプライドというか、意地があります。

彼からすれば、速球とカーブとカットボールのコンビネーションで打者を牛耳れるうちはそのスタイルを貫きたい。

それが、たとえ明治の大大先輩からの助言だったとしても、まずは自分の美学を貫き通したい。

たぶん、そういう男だと思いますね、ケンシンは。

そういう、一見無骨とも思われる意地を張るのも、立派な「明治魂」だと私は思います。

私は、近年のケンシンの調子を計るバロメーターは、阪神タイガースの金本選手との対戦にあると思っています。

2004年と2006年は、真っ向勝負を挑んで、重要な場面ではほとんど打ち取っていました。

それは、対戦上の通産打率・打点や被本塁打数がどうのこうのというような「数字」とは全く無縁の、真に重要な、ここぞの場面で投げ勝つかどうかのみが大切なのです。

が、2005年の後半、ケンシンは金本選手との対戦において、明らかに自信を喪失していました。

したがって、今年のケンシンの本当の調子を占うには、金本選手との対戦を待つしかないと、私は思っています。

| | トラックバック (0)

2007年3月 7日 (水)

「ハケ品」裏モノ検索ヒットに

「ハケ品」裏モノ検索ヒットに気をよくして?  全然関係ないですが、中日ドラゴンズ「中村王国」建国記念を祝して、中高年にはちょっと懐かしいよゐ子のための童謡をもとに、替え歌を作ってみました。

これでドラゴンズファン以外のご新規さんは、ちょっと“引いて”くれることでしょう。

我ながら意地が悪いなあ。

題して、「三匹の中村」

もちろん元歌は、「中村」の替わりに子ブタちゃんを入れたものですが。

♪Boo! Who? Ooh!

Boo! Who? Ooh!

三匹の中村♪

♪一番上はBoo!

Boo!Boo!Boo!の文句言い

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?205

♪二番目はWho?

Who?Who?Who?で誰だっけ?

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?56

♪一番下はOoh!

Ooh!Ooh!Ooh!の甘えん坊

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/07member/player.html?51

♪Boo! Who? Ooh!

Boo! Who? Ooh!

三匹の中村♪

オソマツでした。

| | トラックバック (0)

2007年3月 3日 (土)

3月1日から始まった中日ドラゴンズOB杉下茂御大の

3月1日から「中日スポーツ(&「東京中日スポーツ」)」で始まった中日ドラゴンズOB杉下茂御大の「伝える」という連載ですが、流石と思わせるものがありますね。

まず、連載の最初の話題は、現在ドラゴンズの大エースとして君臨している川上憲伸投手に関する「心配事」を直球でズバリ。

私も、彼に関する中日新聞社系の今年の記事を読むにつけ、「ケンシンは大丈夫だ」と報道する一方で、「本人は腰のあたりのシコリが取れないと訴えているが、これが完治すれば万全」みたいに「不安説」を一掃しようと懸命ですが、やはりここは杉下氏にズバリ断言していただいたことで、ある程度の覚悟を決めたほうがいいと思います。

私は、今シーズンのケンシンは、少なくとも前半戦は無理に登板させないほうがいいと思っています。まあ、開幕戦は興行の目玉なので休むと大変なことになるので登板するとして、責任回数の5回表まで投げ切ったらお役御免ぐらいでもよいのじゃないでしょうか。

元々ケンシンは“隔年投手”の異名があったように、その活躍度合いは1年おきに異なってきましたが、ここ3年間は珍しく?コンスタントに活躍、それも重要な試合を常に任されてきたように感じられ、そろそろその“勤続疲労”が溜まってきたのでしょう。

そういう意味で、「腰のシコリ=鈍痛が取れない」というのは、思った以上の重症なのではないかと思います。

その点を杉下氏は、「先日、ケンシンは250球近くブルペンで投げたようだが、死んだ球を投げていた」とズバリ断言していました。

つまり、ケンシンとしては、「自分で納得する球を1球投げて投球練習を切り上げたかったのに、何か自分自身で納得できないために、結局手探りの投球を続けた結果が250球だった」というような趣旨の見方を杉下氏はしていましたが、たぶんそれが真実なのでしょう。

すなわち、250球もブルペンで投げられたのだから、もう調子は万全であるという見方をせずに、本当に生きた球を投げていたかどうかという、量よりも質を重視することこそ大切なのでしょう、超一流投手の場合は。

たぶん、ケンシンも無理をすれば今年の開幕投手として投げることはできるとは思いますが、そうすると、後半にその無理が祟って「失速」するような気がします。

それならば、いっそのことシーズン前半は疲労回復に努めて、後半の山場に活躍してもらうほうがいいように思います。

なんせ、今年はペナントレースとともに、「クライマックスシリーズ」という、新たな興行の目玉が控えているので、後半戦を重視した戦いをするためにも、前半はケンシンを“温存”しておいたほうがいいように思います。

***

さて、本日(3/3)は、杉下氏の連載3回目でしたが、早速、有望新人の浅尾拓也投手の「球筋」の見極めについてでしたね。

以前、野球小僧の連載でお馴染みのアベマサ“流しのブルペンキャッチャー”氏が、その球筋に惚れ込んだのと全く同様に、杉下氏は「彼の球は次元が違う」という表現をしました。

これぞ、ドラゴンズファンが待ちに待っていた言葉です。

たぶん、浅尾投手については即戦力として“使い減り”させることなく、その素質に磨きをかけて、精神的なタフネスさを身に着けさせてからデビューさせるというのが球団の方針でしょう。

そういう球団としての戦力的な余裕と、長期的な展望に立って、将来の「球界の至宝」となりうる存在を育てる球団に入れたことは、浅尾投手にとっても非常によかったのじゃないかと思います。

あと、杉下氏は、他球団の逸材にも目配りしていましたね。

横浜ベイスターズの岸本投手でしたっけ。まだ勝ち星はついていないが、やはり球筋に光るものがあるとか。

私の記憶では、昨シーズンの後半戦での対横浜戦で、ちょっと岸本投手に苦戦した記憶があり、こういう逸材との対決も、心躍らされるものがあります。

明日の午後6時からは、いよいよナゴヤドームでのオープン戦としての「開幕戦」が千葉ロッテマリーンズを迎えて開催されます。CSの「JSports2」では中継放送も実施されるようですね。今年は例年より「中日戦」のオープン戦中継が多いように感じられ、何気に嬉しいです。

http://www.skyperfectv.co.jp/sports/baseball/schedule/2007open.html

***

いよいよ球春到来です。

そういえば、私も今シーズンの観戦に備えて、冬季の寒さで鈍った身体を“締める”ために、近所のサウナに行ってきたのですが、ちょうどサウナの室内テレビで「福岡ソフトバンク・ホークス対讀賣ジャイアンツ」のオープン戦中継が放映されていました。

讀賣のラインナップには、谷、小笠原、イ・スンヨプと、かつてのパリーグの主力打者がずらりとならび、なるほどなあ、とある感慨に耽ったしだい。

この打線にキャッチフレーズを付けてあげることにしました。

名付けて、「困パ救済人質打線」。

その心は、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_0255.html

お後がよろしいようで。

| | トラックバック (0)

2007年2月20日 (火)

巧いぞ、本日のトーチュウ第一面

巧いぞ、本日のトーチュウ(「東京中日スポーツ」)第一面のトップ記事。(兼、画像貼り付けテスト)

http://tochu.tokyo-np.co.jp/

20070220

大見出しに、中村ノリに落合監督が、さも「ダメ出し」したということで、すわ不合格か、とアンチノリ派のいちる?の望みを煽りつつ、もう1つの右下サブ見出しも「清原引退」(「危機」と小さく追加)と、姉妹紙(?)の夕刊紙「東スポ」(もちろん、ジョーダンです。でないと石黒広報に怒られちゃう?)の見出しにならって、多くの野球ファンを獲得しようと懸命です。

懸命といえば、賢明なドラゴンズファンは、第2面以降の松坂フィーバーに躍らされることなく、まずは第6、7面からの「ドラゴンズ&日本プロ野球特集面」を読むべし。

本来なら第2面から掲載されるべきオイシイ情報が満載されています。

第7面の「江藤(弟)省三の新野球教室」なんて、中2でオーバースローから安易にサイドに転向しようとするガキに、わざわざ松沼(兄やん)博久に取材して、いかにサイドスローに転向した投手が不退転の決意でそれを行ったかを示して安易な転向を戒め、なかなか好感が持てます。

そうか、ドラゴンズの今年の中継ぎエースを密かに狙っているスズキ(鈴木義広投手)も、過去にそれを決意して、それでも球威とコントロールの両立を達成しようとしている訳で、人知れず苦労しているのね、と妙に感慨に耽りました。

あと、昨日から中面に各球団の「カラー選手名鑑」(昨日は、中日ドラゴンズとセリーグAクラスの計3球団で、本日はセリーグBクラスの3球団の陣容)が掲載されているのですが、あまりアピールされていないようで、気付かずに捨ててしまわないように。

なお、私は「書籍版」の選手名鑑の購入はしばらく控えます。

なぜなら、中村ノリが育成枠採用にしろそうでないにしろ、その「合否」によって戦力分析が大きく変わってしまうと思っているからです。

| | トラックバック (2)

2007年2月14日 (水)

落合中日の中村ノリの獲得は

落合中日の中村ノリの獲得は、個人的には非常に巧い「補強」だなと思いました。

もちろん、「落合中日が中村ノリを獲得へ」の一報を聴いた時は我が耳を疑いましたが、「育成選手枠」を活用しての採用とは、味方ながら誠に巧く考えたものです。

つまり、昨年オフに小笠原の獲得に失敗(タテマエ上は「撤退」でしたが)し、打者に関しての即戦力補強は、韓国のビョン君だけ。

特にサードは、いくら立浪が「今年はレギュラー奪回だ」と声高に叫んでも、立浪自身としては、昨年のように「代打の切り札」としての存在感を示し、また、彼が代打の切り札として登場するとファン側からも大歓声が得られるという、想定外のオイシサを十分に知ってしまったので、万が一森野が勝手にこけて自分にレギュラーが回ってくれば儲けもの、そうでなくても左の代打の切り札でも結構シーメが食えるぞシメシメ、ぐらいは思っていたはず。

一方、森野側は、今年はサードのレギュラーを約束されていないとはいえ、当面のライバルはてっきり立浪さん1人だけと思い込んでおり、少なくとも守備については絶対に大丈夫。正月ドラゴンズファン対象の新春トークショーでは大スター扱い

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_ca1f.html

と、こいつは春から縁起がいいやと、結構我が世の春を謳歌していたことでしょう。

しかも、昨年まで在籍していたサード守備固め要員の川相さん、奈良原さんまでもが引退して、守備要員すらも自分がイチバン安泰と、かなり安心しきっていたとしても不思議ではありません。

そういう、森野のちょっとした「慢心」を落合監督は敏感に感じ取っていたのでしょう。

それは、昨年の秋季キャンプに、当初は参加を予定していなかった森野が自主的に参加していたのに、来季のサードレギュラー争いのライバルとなりかねなかった小笠原の獲得合戦から中日が撤退を発表した翌日、森野が腰痛を訴えてリタイアした(それ自体は本当で、たぶん相当無理して参加していたのでしょうが)「事件」がありましたが、落合監督としては、その点については何らかの「不安要素」を感じていたに違いありません。

したがって、サードレギュラー争いを繰り広げながらも、少々「談合体質」が見え隠れしていた、森野と立浪に対する「第三の刺客」としての役割も、中村ノリは担っていることになります。

その上、手薄になった右の代打の切り札の座を争う人材をもう1人確保できたので、この点も、平田や新井、堂上(弟)ら伸び盛りの右の強打者候補にとっても乗り越えるべき大きな壁が立ちはだかることになり、まさにジグソーパズルにぴったりはまるワンピースが見つかったといえましょう。

| | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

プロ野球春あけましておめでとう

プロ野球春あけましておめでとうございます。

日本プロ野球界にとって、キャンプ解禁日の2月1日こそお正月といわれるので、いよいよ本日からが事実上のプロ野球シーズン・インとなります。

これまでは、テレビドラマやムー大陸などでお茶を濁す日々を送っておりましたが、これからはそういう話題も徐々に減り、このブログも中日ドラゴンズの話題一色となると思われますので、あちら方面の話題がお好きな方は次のシーズン・オフまでお待ちください。

というわりには、昨年同時期の自身の「バックナンバー」を見るとあちこちに興味が移っているようなので、まあ、適当に私の夢想や妄想にお付き合いください。

***

さて、昨晩の“水十ドラマ”「ハケンの品格」、略して「ハケ品」ですが、いよいよ佳境に差し掛かってきましたね。

私の周り、ネットとリアルな世界の両方で、最近テレビドラマをチェックしている人たちの間で事前期待以上の評価を得ているのがこのドラマです。

たとえば、日曜日の夜9時「華麗なる一族」などは、超豪華なオープンセットを上海につくり、大阪万博の開催準備に追われる1970年直前の神戸を再現したりして、製作予算の0の桁数が「ハケ品」とは1つ以上多いと思われますが、そういう大作に比べて、本ドラマは、製作者の「目の付け所」と、一癖も二癖もありそうな役者陣の「芸達者振り」の両輪のみで視聴者の心を掴んだところに意義がありそうです。

結局、第4話のメインテーマは、かつて一世を風靡した「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメーションの主人公である碇シンジが、満14歳にして掴んだ、「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」というものであって、あとの要素やエピソードはそれをいかに面白く見せるかの味付けに過ぎなかったのではないかとさえ思っています。

逆にいうと、このドラマの作り手たち(女性プロデューサーと脚本家の中園ミホ氏と、演出担当の監督クルーたち)は、メインのテーマさえしっかり作れば、他の瑣末なトコロについては、どー批判されてもいいや、ぐらいの気持ちで作っていると思いますね。

***

ご参考までに、以下の紹介を。

公式ホームページには「相関図」まで用意されており、まずはこれが、このドラマにおける人間関係のもつれを紐解くための基本図式ですね。

http://www.ntv.co.jp/haken/chart/index.html


以下は動画配信ですが、完成披露試写会の模様です。

櫨山プロデューサーの挨拶や脚本家の中園ミホ氏が登場。

これでこの番組の製作意図がかなりわかります。

出だしがスポンサーのCMで、それを我慢?してからお楽しみください。

http://ssl.dai2ntv.jp/cse/Shop?EcLogicName=freeitem.play&itemId=NtvI00013606

***

というのは、先ほど述べたTBS日曜午後9時始まりの「カレーイチ」との製作予算比較だけでなく、たぶん“水十ドラマ”というのは、今やゴールデンタイム的な扱いを受ける午後9時始まりの他の曜日の連続ドラマなどよりかなり予算が厳しいはずなので、全てに目が行き届くドラマづくりをするのは難しいのだと思います。

そんな状況にもかかわらず、多くの視聴者が関心を寄せ、話題づくりにも成功し、また大多数の視聴者の心を掴んだ点を、私は評価したいですね。

ドラマの進行上、また、視聴者からの期待もあり、このドラマの主人公である大前春子が伝家の宝刀である超絶能力を発揮するのは必然でありますが(いわば、米製テレビ版「超人ハルク」でデイビッド・バナー博士が本人の意思とは裏腹に毎回ハルクに変身しないとドラマが成立しないのと同様に)、http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_c945.html

実は、主人公自身は超絶能力をなるべく発揮することなく淡々と仕事をこなして、午後6時になればさっさと退社したいと毎日思っているのです。

それを、正社員たちがあまりにだらしなく、そして、自分の信条である「午後6時になれば即行で定時退社する」というモットーを貫くために、今回も、伝家の宝刀である「ロシア語の語学力に加えて、強気一辺倒で押しまくってきたロシア人おばさんをも圧倒する交渉テクニック」という自身の超絶能力を発揮したわけです。

この点は、今回のドラマの冒頭で、S&F社の正社員と派遣社員が職場でデキてしまった挙句に結婚式を挙げて、同社の社員たちも、平日にもかかわらずその結婚披露宴にこぞって出席せざるを得ないという、ドラマ的にもストーリー上でも非常に馬鹿げた設定の場面で、新婦が派遣社員であったことを披露宴の席で初めて知らされて新婦側を罵倒する新郎の親戚連中や、それに不快感を示して別の理由で反論する新婦側の親戚連中、さらには出席したS&F社の社員たちの「派遣社員という存在に対するそれぞれの見解」を巡り、喧々囂々