カテゴリー「スポーツ」の記事

ラッキー&アンラッキー?

2008/08/12(火)21:57
本日は午後8時頃に会社を出て、近くの公園で「東海ラジオガッツナイター」の広島対中日戦を聴取。

広島戦のラジオ中継は、いつもは、広島側の地元局である「RCCカープナイター」との相乗り放送であることが多いのですが、今回は単独放送だったようで、解説の安仁屋氏と一柳アナが、(心ならずも)やたらと中日寄りのコメントを寄せていましたが、8回裏に栗原が一時的同点弾を打ったときには、さすがに身びいきの興奮を隠しきれず、はしゃぎまくる一柳アナ。

結局は、9回表にビョンギュが決勝弾を放って“接戦”に決着をつけたことになりますが。

まあ、山本昌に勝ちがついてよかったです。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080812

さて、勝利の余韻に浸りながら、汐留方面の最寄駅に着いたら、讀賣新聞社のスタッフが号外を配るところに遭遇。

まあ、せっかくの“縁起物”なのでもらいました。

その号外では、柔道女子の谷本歩実選手が金メダルを獲得したという、和文と英文の記事が表裏に掲載されていましたが、

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なぜか英文の記事のほうは、現地記者のレポートによる観戦コメントも掲載されていて異様に詳しく、どうも、デイリーヨミウリの宣伝チラシも兼ねていたようです。

そして、カップリング記事として、マラソン女子の野口みずき選手欠場の記事も掲載されており、悲喜こもごもといった感じの号外でしたね。

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あまりにもわかりやすい山本昌の表情

2008/08/13(水)00:23
午後11時からの「プロ野球ニュース」で、広島対中日戦をチェックしましたが、栗原に同点本塁打を打たれ、がっくりと肩を落としてうなだれながらベンチに戻る山本昌の表情がアップになった後、9回表の中日の攻撃も二死走者無しとなり、打席に入るイ・ビョンギュの姿を見て、ベンチの中で諦めムードの山本昌の表情がアップに。

なぜか、もうダメだと頭を抱えてしまう山本昌。

今日は3ランホームランをかっとばしてくれたのに、

http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200808/13/ser3214032.html

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3回、右越えに先制3ランの李炳圭は

山本昌(右)に迎えられる

もうそんな“奇跡”は二度と起きないだろうとでも思ったのか。

はたまた、8回裏二死無走者の状況で、すかさずマウンドに歩み寄ってきた谷繁捕手と慎重な間合いを取って、あんなに注意していたのに、結局は“天敵”の栗原に同点弾を打たれてしまった、おのれの不甲斐なさが蘇ってきて、その悔しさを反すうしていたのか…。

ところが、山本昌の“絶望的観測”を裏切り、あろうことか、またもやビョンギュが決勝弾を放つのを目撃した山本昌は、今度は子供のように大はしゃぎで喜んでいる表情がアップになります。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008081302000060.html

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広島-中日 9回表2死、勝ち越しソロを放った李炳圭(左)を笑顔で出迎える山本昌(中) (金田好弘撮影)=広島市民球場で

一方、本塁打を打ってホームインした後にベンチに戻ってきた自分を出迎えた山本昌とハイタッチを交わしたビョンギュ外野手は、決勝本塁打を打てたのがよっぽどうれしかったのか、山本昌の背後に回って肩をモミモミして、その労をねぎらっていました。

さすが、儒教の国の精神で、先輩を立てるのがうまいことうまいこと。

「先輩、ボクを信じてくださいヨ!」

とでも言いたげな感じで。

ヒーローインタビューでは、韓国語の会話の中でも「マサさん」と聴き取れる言葉が何べんか登場し、普段からそう呼んで、大変慕っているようですね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008081302000054.html

それにしても、まあ相変わらず喜怒哀楽がはっきりと表情に表れて隠しきれないのが、いかにも山本昌らしいところです。

なんというか、“大きな子供”の面と、人として尊敬できる、非常に“オトナ”の面が同居している、なんとも不思議な人物です。

ところで、山本昌も、私と同じことを考えていたようで。「アンラッキーだと思ってたけど、ラッキーだった」というコメントを寄せていました。

http://www.sanspo.com/baseball/news/080812/bsc0808122211000-n1.htm

中日・山本昌が通算201勝 43歳初勝利

2008.8.12 22:09

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広島戦の8回裏、広島・栗原に

同点ソロ弾を浴び肩を落とす

中日・山本昌

 (セ・リーグ、広島4-5中日、16回戦、中日10勝4敗2分、12日、広島)

中日・山本昌が5連勝で今季8勝目を挙げ、通算勝利を201に伸ばした。三回に4点の援護をもらったものの、自らの失策などで七回までに3点を失い、八回に同点本塁打を浴びた。だが直後の九回、李炳圭のソロ本塁打で勝ち越し。「アンラッキーだと思ってたけど、ラッキーだった」と笑みがこぼれた。「200勝をして気が緩んだと思われないように投げた」。11日が誕生日で、43歳での初勝利となった。

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ちょとウレシス

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“先生”に恵まれて、自らの“夢”を叶えた山本昌“先生”

昨日の中日スポーツに掲載された、山本昌投手の「独占手記」は、まさに道徳の教科書に掲載してもいいような、感動的な内容でしたね。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000087.html

山本昌は、当初は高校(日大藤沢高校)を卒業したら、大学の教育学部に進学して、最終的には学校の先生になるという“夢”を持っていたそうですが、高校時代の恩師のすすめでプロ野球選手を目指してみようということになり、当時、中日ドラゴンズのスカウトを務めていた、プロ野球界での最初の恩師、高木時夫氏の目に留まり、ドラゴンズに入団したのでした。

しかし、入団5年目まではなかなか芽が出ず、ついに、1987年のシーズンオフから、ドジャース傘下の1A球団「ベロビーチ・ドジャース」に武者修行に出されて、ここでプロ野球界では2番目の恩師となったアイク生原氏の熱烈指導を受け、ついにプロ野球選手としての実績を積み重ねるようになったのです。

そういう意味では、彼は、プロ野球界という、どんなに才能があり努力を重ねても、運に見放されたり実績を残せなかったりする人間は容赦なく見捨てられるという非常に過酷な世界で、2人も彼を救い育てた人物に出会ったことになりますが、そのような恩師に巡り合うことができたことこそ、彼自身の、いわば人間力のなせる業といえるのではないでしょうか。

彼は、20世紀末以降は、何度も訪れた「引退の危機」を乗り越えて、今日の快挙に辿り着きました。

私も、1999年に、「竜之巣」の「夢想妄想選手名鑑 人物往来篇」で、以下のような「寸評」を寄せていました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest990808.htm


背番号:34
山本昌(やまもとまさ)

公式データ…………………………………………
昭和40.8.11 生

身長・体重:186cm87kg
ポジション:投手
投打:左左
出身地:神奈川
略歴:松林小 - 松林中 - 日大藤沢高- 中日(84~)
血液型:AB/星座:しし
ニックネーム:ヤマ
愛車:セルシオ
生活信条:明るく
………………………………………………………
星野監督の信頼度(★5つが満点):★★★★+0.5★

★真の親分になり切れない親ブン★
(大マサ、小マサ、山本マサ)

 1980年代の中日ドラゴンズ投手陣を代表した小松(辰雄)の親分肌を受け継ぐべき人材でありながら、多くの後輩選手から慕われ(時にはなめられ)ている貴重な存在。
 責任感が強いが、どこかのんびりしたところがあり、そこが大きな魅力であり、弱点でもある。
 前回、星野ドラゴンズが優勝したとき、前半戦、山マサは、アメリカの1A球団(要するに、大リーグの3軍)で武者修業をさせられていた。
 野球発祥の地アメリカで、必殺のスクリューボール(左投手のシンカー)をマスターした(ブンブン振り回すアメリカの若者には、さぞかし有効だったことだろう)彼に、後半戦に向けての帰国命令が下された。
 優勝目指して突っ走らなければならない中日にとって、彼のスクリューは不可欠のものとなり、あれよあれよと連勝し、自信が確信に変わった彼は、その後、今中とともに“さわんだふるエース”((c)たかみね駆氏)を形成する。
 最近は、勝ちを忘れたカナリアのように苦しい時期を送ったりもしているが、持ち前の明るさで若ドラ投手陣の先頭に立つべき役割を担った彼の使命は大きい。
 もう一度、アメリカ武者修業時代の新鮮な気持ちを思い出せば、間違いなく、再びエースの座は約束されている。


結局、山本昌は、自分自身がプロ野球の世界で超一流の実績を上げることにより、自らが野球人かくあるべしという手本を、多くの夢多き野球少年少女たちに見せることによって、人生の“先生”役を見事に果たしたといえるかもしれません。

それでは、以下に、山本昌200勝達成関連記事のうち、とくに私の心に残った記事を、アーカイブとして掲載しておきます。

リンク元の記事が消えても大丈夫なように。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000087.html

【ドラニュース】

ドラゴンズに入ったのが一番の幸せ 山本昌、独占手記

2008年8月5日 紙面から

中日-巨人 200勝のボードを手に笑顔の山本昌=ナゴヤドームで(圷真一撮影)

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 夢。そう。いつかボクが引退するときに振り返れば「夢の中のできごと」。ボクのような投手が高校からやり直したとして、もう1回ドラフトで指名されるかといえば、確率的にはほぼない。宝くじが3年連続で当たったようなものです。心から思います。「人生一回きりで本当によかった」。こんな幸せな野球人生を送れるはずがない。そう確信しています。

 強い体に生んでくれた両親に感謝。アイク生原さん、高木スカウト…。へたなボクに携わってくれたすべての監督、コーチ、チームメートに感謝したいです。そして、もちろんドラゴンズファン。一番の幸せは、ドラゴンズに入ったことだと思っています。

 声援は12球団で一番。昔から本当に変わらない。いいときも、悪いときも常に温かく、選手にはありがたい限りです。ボクにはすごく合うし、もう人生で一番長く住んでいる土地になりました。身も心も名古屋人です。ドラゴンズでなければ、こうはなっていなかった。それは自信をもって言い切れることです。

 そんな名古屋のファンの目の前で、200勝を飾ることができました。その中で「1勝」を選べと言われれば、通算で6勝目をあげます。1989年。前年に米国留学から帰国して5勝していました。開幕から勝負。ところが投げても投げても勝てません。迎えた5月27日で何と14試合目。相手は7連勝で名古屋に乗り込んできた巨人でした。桑田くんと投げ合ったその試合、何と1-0で完封することができたんです。正直、前年の5勝は「フロックかな」と自分の中で弱気な部分が出始めていたんです。あの1勝で「やっていける」と思えました。試合が終わった直後から泣いたのは、後にも先にもあの試合だけなんです。

 戦力外と紙一重だったボクが、人より上回っている部分があるとすれば、1つは「継続力」だと思っています。ガーッとやって休むんじゃなく、続けられる努力を続けることは苦にならないんです。性格的にしつこいんだと思います。2つめは「観察力」。なにをしたらうまくなれるか、ライバルを出し抜けるか。興味を突き詰めて、やっていく嗅覚(きゅうかく)にはたけていたかな。ウチでいえば、井端が最たるものだと思います。

 最後に、ボクのような「決して特別ではない野球少年たち」に言葉を贈ります。中学で終わる人、高校でやめる人。いろいろあると思いますが、やっている間は精いっぱいやってほしいんです。どのレベルまで上がるかは関係なく、自分が満足してやり終えてほしい。野球をバカにしたり、野球にウソをつかないでほしい。さぼる、グラブを踏み付ける、グラウンドにつばをはく…。たった1回の野球人生だからこそ、幸せをつかめた男からのお願いです。  (中日ドラゴンズ投手)

◆北京五輪日本代表監督・星野仙一氏(元中日監督)

 大したもんだ。マサの一番いいところは体が丈夫なところ。丈夫だから200勝できたんだな。第一印象で残ってるのは浜松のブルペン。投げ込みをやらせた時、30球ぐらい投げたところで私は「全力で投げんか!」と言ったんだよ。するとマサの返事は「これが全力です…」。そのころ、マサは整理対象選手に片足を突っ込んでいたが、私が「体がでかいから残せ」と言ったんだ。

 アイクとの出会いがよかったんだな。88年にベロビーチ(キャンプ)に行った時、アイクに「残していく」と言ったんだよ。何とか知られないようにしたんだけど、最後は知られてな。マサが泣くんだよ、私の前で。私たちが日本に帰る時に空港に見送りに来た時にもワンワン泣いていたな。

 アイクからはいい報告が来た。1Aのオールスターに選ばれたという連絡に続いて、メジャーからオファーが来たという。私は「行かせたらいいじゃないですか」と言った。中山球団社長が「日本に帰したい」と言うんで従ったが、その通りにしていたら野茂より前にメジャーリーガーになっていた。日本に帰ってきた彼は、球がベルトの上に絶対いかない別の投手に変わってた。

 マサは今、42歳か。自分が(88年に)優勝した年齢じゃないか。その年齢で現役として投げているのだから、すごい。しかも、ローテをきっちり守ってる。やれるまでやったらいい。現役が神様なんだから、この世界は。

 【山本昌広(やまもと・まさひろ)=登録名・山本昌】 1965(昭和40)年8月11日、東京都大田区生まれの42歳。186センチ、87キロ、左投げ左打ち。日大藤沢高からドラフト5位で84年に中日入団。最多勝利3度、最優秀防御率1度、最高勝率1度、最多奪三振1度、最優秀投手2度、ベストナイン2度、94年には沢村賞を受賞。06年には9月16日阪神戦(ナゴヤドーム)でノーヒットノーランを達成するなど輝かしい経歴を持つ。今年は中日で球団史上初の快挙となる通算3000投球回を達成。家族は夫人と1男1女。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000085.html

【ドラニュース】

いつまでたっても息子は息子!? 両親も支えた200勝

2008年8月5日 紙面から

山本昌を応援する父・巧さんと母親の幸子さん(左)(代表撮影)

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 勝利が決まると、父・巧さん(74)は立ち上がって両手をあげた。母・幸子さん(69)は座ったまま小さな安堵(あんど)のため息を漏らした。そして客席の知人、ファンからの握手攻め。晴れのヒーローインタビューは目を細めて聞いた。

 幸子さんはこの朝、神奈川県茅ケ崎市の自宅近くで四つ葉のクローバーを探した。登板する日は毎回そうしてきた。息子にしてあげられるのはそれくらい。だが見つからず、「昔は見つかったのに」と不安げに話した。だが、最高の瞬間を見届けることができた。

 心配な子どもだった。生死をさまよう事故にあったのは山本昌が1歳の秋。2階ベランダから落下し、頭蓋(ずがい)骨を骨折した。「医者から『今夜がヤマ場』と言われました」。だが、3日後には元気になった。強運も味方に、たくましい男に育った。

 あれから40年。いくつになっても母は母。今でも心配でたまらないのだ。故障しないか、迷惑をかけていないかと。だから今年、「もうやめなさい」と手紙に書いた。「でも返事が返ってこなかったけどね」と笑う。

 父は昨年暮れ、そんな息子から珍しく弱音を聞いた。心を鬼にして後押しした。ただ、本当にこの日がくるとは思わなかったけれど。

 「完投で勝ってくれたのが本当にうれしい。去年だめだと思い、今年も3つ勝ってまた2カ月勝てなくて、だめかと。今までお世話になった人に感謝しています」と話した。

 素質を見抜く者も少ない遅咲きの選手。困難も挫折もあった。それでも地道に歩み積み重ねた200勝。それは家族が支えた栄光の足跡でもあるのだ。(増田護)

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000088.html

【ドラニュース】

落合監督、手荒い祝福 左手で後頭部を“ペチン”

2008年8月5日 紙面から

200勝を達成した山本昌を手荒く祝福する落合監督

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 右手で握手。そして左手で後頭部をひっぱたいた。それが日本最後となるかもしれない200勝投手への、オレ流の祝福だった。

 完投。「代えられません! 日本シリーズとは違います。日本シリーズはチームの記録。きょうのは本人の記録です」。インタビュールームに笑いが起こったが、落合監督は真剣だった。そこから若かりしころの山本昌を、しみじみと語った。

 「オレとウーやん(宇野コーチ)くらいか。初勝利から知っているのは。体のでかい、球の走らないピッチャーだった」

 そんな投手が変身したプロセスも、主砲として見つめてきた。今は監督と大ベテラン。いつか来る“降板”の日に言及した。

 「最終的には本人の決断だ。本人が『やる』って言えば、この成績だから来年もいるだろうし、『やめる』っていえば(それはそれで)本人が決めること。この世界はユニホームを脱ごうと思って脱げる選手と、脱がされる選手がいる。やるって言うのなら、この先いくつ積み上げていくかだ。あえて言う。ユニホームを着ている間はな」

 球団ではない。まして指揮官たる自分でもない。ここから先の進退は山本昌に決定権がある。投げられるがやめる。それも生きざま。最後の1球まで投げる。それも人生。

 「重たい荷物を降ろしたから、今まで以上に枯れたピッチングをしてくれるだろ」

 気が付けば7勝目。そんな左腕が自ら“降板”するとは、落合監督も思ってはいないはずだ。 (渋谷真)

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080502000090.html

【ドラニュース】

マサやったぜ!!おめでとう200勝

2008年8月5日 紙面から

ナインから胴上げされる山本昌

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 おめでとう、山本昌投手! 中日に入団していきなり絶望のふちに立ちながら、多くの人との出会いを機に、勝ち星を200勝まで積み上げた。プロ25年目、間もなく43歳になる遅咲き左腕が、プロ野球史上最年長の完投勝利で、日本球界最後の200勝投手になるかもしれない偉業達成。しかも中日球団創設9000試合目の記念すべき試合に、杉下氏以来半世紀ぶりの200勝で花を添えた。

 歴史を刻んだ瞬間を、天国の恩師はどんな思いで見届けただろう。山本昌が笑う。仲間たちが叫ぶ。落合監督には手荒い握手で迎えられた。四半世紀をかけて築いた200勝に、“あの人”は労をねぎらうのだろうか。それとも活を入れるのだろうか。まだまだ通過点ではないか、と-。

 逆境に立たされてからが山本昌の真骨頂。この夜は、そんな野球人生を象徴した。1球ごとにボルテージが上がる異様な空気の中、先制点こそ失ったものの2回以降は無失点。丁寧さと大胆さを兼ね備えた投球で4安打の完投勝ち、粘り強さが味方の大逆転を呼び込んだ。

 運命の出会いがなければ大記録もなかった。挫折のたびに恩人に恵まれた山本昌が、とりわけ感謝しているのがアイク生原氏(元米大リーグ・ドジャース会長補佐)だろう。0勝のまま、戦力外も同然で中日から米国留学を命じられた88年。ドジャース傘下へ送り込まれた際に同氏が世話役だったのは有名な話だ。

 「ふて腐れて日本から来たぼくを、アイクが熱意と人柄で“野球が楽しい”と思わせてくれた。でもね、一緒に晩飯を食べたのは登板日くらい。スコアブックのコピーにコメントが書き添えられたものを送ってくれたり、当時から会話の多くが手紙だった」

 言葉数は少なくても、基本にうるさい人だった。低めに投げろ。カーブを磨け。ビールは3本以上飲むな…。当初は若気の至りで聞き流していた山本昌も、いつしか忠実に教えを守っていた。中日の主戦に転じた帰国後も、カーブに磨きをかけた。精度の向上に比例して3度の最多勝、沢村賞を獲得。留学中に覚えたスクリューが代名詞と言われがちだが、この日も谷繁が多く要求したスローカーブこそが、アイク氏の見抜いていた山本昌の宝刀だった。

 運命の出会いには、劇的な別れも…。92年8月。奮闘していたシーズン半ばのある日、前年まで中日監督だった星野氏(現北京五輪日本代表監督)の自宅に突然、呼ばれた。

 「アイクは今年いっぱいかもしれない」

 恩師の余命が少ないことを思いがけず知らされた。まだ55歳。信じられなかった。必死の祈りも通じず、同年10月、アイク氏はこの世を去った。この年、山本昌は初めて13勝をマーク。自己最多となった11勝目のウイニングボールは同氏の棺に納められた、という。

 「ずっと手紙でやり取りしてたから、しばらくは亡くなった気がしなかった。連続最多勝のころは“アイクが来てる”って思うと勝てたりしてね。ぼくが200勝するなんて夢にも思ってなかっただろうから、どう思ったかな。一番、見てほしかった」

 山本昌の自宅玄関には、微笑するアイク氏の写真が飾られている。「不思議だよ。笑ってるように見える時があれば、怒ってる時もある」。1勝から200勝、すべてがアイク氏と歩んだ輝かしい軌跡。この夜は、最高の笑顔で迎えてくれたに違いない。 (安藤友美)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080502.html

マサ中年最強 最年長200勝の理由

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 中日の山本昌投手(42)が4日の巨人戦(ナゴヤドーム)で2004年の工藤公康(当時巨人、現横浜)以来、日本プロ野球史上24人目の通算200勝を達成した。42歳11カ月での達成は史上最年長で、若林忠志(毎日)の持つ史上最年長完投記録42歳8カ月を更新する完投勝利のおまけ付き。「アラフォー(Around40)」まで活躍できる要因は意外にも…。
 マウンドに集まったナインに胴上げされて宙に舞うと流れた涙を右手でぬぐった。「ファンの声援もすごかったし、あれはたまらなかった…」

■25年目での偉業達成
 ここ数年は思うように勝てずに苦しんだ。2005年、40歳の節目の年に7勝8敗と負け越し「もう駄目かもしれない」と親しい関係者に漏らしたこともあった。周囲の200勝に対する騒ぎ方に違和感を覚えたこともあった。「もう200勝なんて…」。しかしその思いはマウンドに上がるたびに大きくなるファンの声援に打ち消された。「こんなにすごいことなのか」。今では苦しかったこともよき思い出だ。25年目での達成。一体何がベテランの背中を押し続けたのか。現役そして裏方と山本昌を見てきた都スコアラーと森バッテリーチーフコーチの見解は一致した。

■制球力が今をつくる
 「球が遅かったことがすべてだと思う」
 プロ入り後の最速が143キロという直球が山本昌を息の長い野球選手にしたというのだ。森コーチはこう説明した。「昔から速球派だった投手が技巧派に転身するのはやろうと思っても実際はできないんだ。ただマサの場合は最初から球が遅いことでどうするかを考え、制球力を磨いて打ち取る投球を覚えたことが今をつくった」。
 もちろん制球力だけではない。1988年に米国留学した時に出会った故アイク生原さんに徹底的に教え込まれた「基本」をベースにどう勝つか「新しいことや調整方法などいろいろ考えてやってきた」独自の理論を組み合わせた結果だ。毎オフ訪れるワールドウイング(鳥取市)では初動負荷理論を学び、動作解析を見てはいい時の投球フォームを参考にした。創意工夫が山本昌を名球会投手へ育てたのだ。
 自身は「大きな故障がなかっただけで大した素質もない投手だった」と振り返る。それでも今の野球少年に自身の経験で良かったことを伝えるなら「キャッチボールをたくさんしたことかな」と答えた。
 いつもキャッチボールがアイデアをくれた。だからこそ若手への助言はいつもキャッチボールの時。代名詞ともいえるスクリューボールは米国留学時代にメキシコ人がキャッチボールで投げていたのをまねたことで取得した。
 「飽きっぽくないし、頑張ることだけはできた。何かを盗んでやろうと常に思ってやっている」

■次の目標は「2けた勝利」
 まだ進化へ吸収の余地は残っている。「アイクさんに見せたかった」と言う200勝はかなった。次は「今季2けた勝利」。そして未勝利の「(日本)シリーズで勝ちたい」。目標は定まっている。またキャッチボールから新しい目標へ再スタートを切る。(山本 剛史)

【写真説明】ファンの声援に応える山本昌

(2008年8月5日更新)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080505.html

粘りの投球 彼の野球人生のようだ

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 ■本紙評論家・平光清さん、山本昌を語る
 通算200勝を成し遂げた山本昌は1988年9月16日、ヤクルト戦(神宮)でプロ初完投初完封を達成した。同投手の原点ともいうべき試合の球審が本紙評論家の平光清氏。1965年から92年までセ・リーグ審判員を務めた同氏の目に映った山本昌はどんな投手だったのか。球審の目線から200勝投手を語ってもらった。
 米大リーグ、レッドソックスの左腕岡島が右打者の外角に落ちる変化球を投げている。「ドキドキボール」とか「オカドキボール」とか呼ばれている球だ。そのボールでメジャーの打者を封じ込む姿が、わたしに88年の山本昌を思い出させる。
 山本昌がプロ初完投を完封で飾った試合の途中、当時ヤクルトの監督だった関根潤三氏(現野球評論家)が、わたしの所へ来て「山本昌のボールはバッターの打てないようなコースにきているのか」と聞いた。関根監督は「ストライクゾーンが広過ぎるのではないか」と言いたかったのだろう。だがわたしが「こんなボールは見たことない。ストライクとボールをより分けるのに必死です」と答えるとベンチに戻っていった。その球が米国で覚えてきたスクリューボールだった。
 当時、このボールを投げる投手はいなかった。それを右打者のストライクゾーン外角ぎりぎり、低めに落としてきた。バットが出なかったのは無理はない。打者の手元で伸びる直球は実際の球速より速く感じたし、カーブの切れは抜群だった。
 若いころから、ピンチを背負いながらも我慢強く丁寧に投げる姿が印象的だった。88年のシーズン終盤になって米国修業から日本に呼び戻されたが、そのまま米国で投げていたらどうなったか。面白かったと思う。
 だが正直に言って200勝する投手になるとは思っていなかった。粘りのスタイルは山本昌の野球人生そのもののように思う。昨季は2勝10敗。残り7勝を取るのは大変なこと。200勝を目前にして挫折した投手は多い。投手のレベルが高い中日で先発ローテーションに入り、白星を積み重ねた。焦りや逃げる気持ちを抑えて、よく乗り越えたものだ。
 審判の判定に対しても我慢強かった。不満を示したことはめったにない。黙々と投げ続ける。判定には苦労させられたが好きな投手だ。心から、おめでとうと言いたい。

【写真説明】若いころからピンチを背負いながらも我慢強く投げる姿が印象的だった山本昌=4日、ナゴヤドーム

(2008年8月5日更新)

http://www.meitai.net/archives/20080805/2008080501.html

井端がマサに攻守で恩返し

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 中日の井端弘和内野手(33)が4日、巨人戦で攻守に山本昌の通算200勝を後押しした。打っては今季4号ソロ本塁打を含む4打数2安打。「マサさんにイロハを教えてもらった」と言う守備でも好プレーを連発した。
 井端なりの恩返しだった。6回の三者凡退はすべて遊ゴロ。ヒットになりそうな打球を次々とさばいた。「こういう球を投げたら、こういう打球が飛ぶということを教えてくれた投手」。制球がいい山本昌は名手の育ての親だった。
 山本昌は井端について「何度も助けられた。ヒットだと思った打球の先にいるんだよね。総合的にいったら世界一のショートだと思う」と話したことがある。ベテラン左腕は自身の投球が育てた守備の職人に助けられ、偉業を成し遂げた。

■ナイン祝福のコメント
 立浪和義内野手兼打撃コーチ「マサさんも去年は苦しんだし、いまの野球で200勝は難しい。価値があると思う」
 谷繁元信捕手「横浜時代に対戦、すごい投手だと思った。きょうは回を追うごとに良くなってきた」
 中村紀洋内野手「今年中に絶対達成してほしいと思っていました。でもこれで終わりじゃないですからね。これからも後押ししていきたい」
和田一浩外野手「マサさんは僕が子どものころにスタンドから応援していた投手。それだけ長くやられているのだからすごいです」

【写真説明】4号ソロを放った井端

(2008年8月5日更新)

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20080805k0000m050107000c.html

中日・山本昌:通算200勝達成 最年長42歳11カ月で

 中日の山本昌(やまもとまさ)投手は4日、ナゴヤドームで行われた巨人戦で通算200勝を達成した。200勝は04年の工藤公康(当時巨人、現横浜)以来、プロ野球24人目。42歳11カ月での達成は工藤の41歳3カ月を上回り、最年長記録となった。中日からはフォークボールの元祖といわれる杉下茂(のち大毎)以来、球団史上2人目。
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完投で200勝目をあげた中日の山本昌投手
=ナゴヤドームで2008年8月4日午後9時
6分、小林努撮影

 現役投手で200勝に最も近い勝ち星を挙げているのは西武の西口文也投手(35)で155勝(4日現在)。先発ローテーション制が確立した近年、200勝はますます至難の業となっている。【村社拓信】

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【中日・巨人】力投する山本昌=ナゴヤドームで
2008年8月4日、小林努撮影

 ▽山本昌の話 (ゲームセット後、同僚に胴上げされる)こんなふうに投げられるのはそんなにないので感激した。緊張感はあったけど、たくさん来てくれたファンの期待に応えたかった。中盤からこの点差なら完投しなきゃいけないと思った。

 ◇宙に舞い涙

 最後までマウンドを守り抜いた。通算200勝目は、完封した昨年4月17日以来の完投で飾った。チームメートの胴上げには「うるっときた」と山本昌の目に涙が光った。

 「今季一番のピッチングだった」。カーブとスクリューボールで打者を惑わし、130キロ台の直球で空振りを奪った。中日OBでスポニチ専属評論家の牛島和彦さんは「スクリューボールが得意とされているが、右打者のインコースにきっちり直球を投げられるからこそ、変化球が生きてくる」と分析する。

 プロ25年間は山あり谷ありだった。入団から4年は鳴かず飛ばず。5年目の88年、米国留学をきっかけに飛躍を遂げた。数々のタイトルを獲得し、ノーヒット・ノーランも達成した。しかし、昨季は200勝を目前にわずか2勝止まり。「このまま駄目なら仕方ない」と弱気にもなった。それでも「常に進化していくという気持ちは持ち続けた」。ファームで若手に交じって汗にまみれ、復活につなげた。

 喜びのコメントの後には「今季は2けた勝ちたい。そして(未勝利の日本)シリーズで勝ちたい」と次々と新たな目標を口にした。11日に43歳になる左腕の歩みは止まらない。【村社拓信】

 ◇祝勝のひと言

 ▽中日・落合監督 今ユニホームを着ている中で、あいつの1勝目を見てるのは、ウーやん(宇野コーチ)とおれだけじゃないかな。(継投しなかったのは)代えられません。日本シリーズとは違う。日本シリーズはチームのもの、これは本人の記録。

 ▽西武・渡辺監督(山本昌とプロ同期) 同期の誇りです。この2、3年、勝てずに苦しんでいただけにうれしい。

 ▽ロッテ・小宮山(同じ65年生まれ) 苦しい時期を乗り越えての達成だけに、喜びもひとしおだと思います。自分のことのようにうれしい。

 ▽横浜・工藤 「今日は今日で、2けた勝利を目指す」というインタビューの最後の一言がチームを第一に考える(山本)昌投手らしく印象的だった。一緒に投げ合う日を楽しみに、オレも頑張ります。

 ▽中日でバッテリーを組んだ中村武志・横浜バッテリーコーチ 僕と山本さんは名古屋での巨人戦で育てられた2人なので、特別な星の下で生まれたような運を感じる。200勝に満足せず、さらに球界を盛り上げてほしい。

 【略歴】山本昌(本名・山本昌広=やまもと・まさひろ) 1965年8月11日生まれ。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。神奈川・日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日入団。背番号34。88年8月30日の広島戦(ナゴヤ)で初勝利。06年9月16日の阪神戦(ナゴヤドーム)で史上最年長の41歳1カ月で無安打無得点試合。登録名はチームに山本姓が複数いた時のものだったが、山本昌になって最多勝タイトルを獲得したことから、山本姓が1人だけになっても験担ぎで山本昌としている。

山本昌、200勝への軌跡より

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/m_yamamoto200/index.html

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/m_yamamoto200/3.html

Photo 

【中日1―0巨人】完封で初勝利を飾った中日・山本=ナゴヤ球場で、1989年5月27日撮影

***

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200601/CK2007031502100944.html

【ドラニュース】

山本昌、200勝必ず 恩師・高木時夫さんの死に決意新た

2006年1月24日 紙面から

 マサが天国に旅立った“オヤジ”に200勝を誓った-。日大藤沢高当時の山本昌広投手(40)の才能を見抜き、中日入りに導いた元中日スカウトの高木時夫氏が23日、原発性肺がんのため68歳で死去した。“球界のオヤジ”と慕った恩師の死に絶句しながらも、あと20勝に迫った200勝達成を誓った。

1983年12月、中日入団が決定し高木時夫スカウト(当時)と握手をかわす山本昌(右)=藤沢市の三笠会館で

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練習前訃報届く

 ショッキングなニュースは、練習前にメールで受け取った。関係者から山本昌あてに送られてきたメールには「高木時夫さんが亡くなりました」と書かれていた。

 何とか午前中の自主トレには参加したが、その背中にはショックの色がありありとうかがえた。

 「今は頭が混乱してます。どうしようということしか言えない。恩人なんで。あの人がいなかったら、今の自分はいないから」。絞り出す声が震えていた。

入団後愛のムチ

 山本昌にとって高木時氏は感謝してもし足りないほどの恩師。今でこそ甲子園出場経験がある日大藤沢高だが、山本昌がいた20年以上前は神奈川の新興勢力校。甲子園にも出ていない高校の左腕エースの才能を高く評価し、ドラフト指名を推薦したのが、当時の高木時スカウトだった。

 84年にドラフト5位で入団はしてみたものの、周囲のあまりのレベルの高さに戸惑う山本昌を叱咤(しった)激励したのも高木時氏だった。

 「励ますなんて、そんな生易しいものじゃなかった。『何をしとる、死ぬ気でやらんか』なんて会うたびにしかられてばかりいた。自分が入団させた選手を最後まで面倒みてくれた、スカウトらしいスカウトだった」と声を落とした。

「あの人がいなかったら今の自分なかった」

 なかなか結果が出ず、88年に米国への留学が決まった時も、背中を押してくれた。同年、シーズン途中で緊急帰国して5勝。チームのリーグ優勝にも貢献した。そのオフの挙式では、仲人を務めてもくれた。プロ入り、成長そして結婚と山本昌の歩んだ道すべてを導いてくれた、まさに球界における父親。

 「米国から帰って、初勝利の時に電話で報告をして以来、ずっと勝つ度に連絡をしてました。その度に『良かったな、良かった』って自分のことのように喜んでくれて…」。昨年、体調を崩したことは聞いていた。病床から山本昌の勝利を祈って、ラジオにかじりついていたという。

2人で追った夢

 積み上げた勝利は180勝。2人で夢見た200勝はあと2年もすれば手の届くところまできた。「お葬式に出たら『こんなところへ来てないで練習してろ』って言われそう」と遠くを見つめながら話した。今季は2年契約の切れる山本昌にとっては勝負の年。ことし活躍できなければ、来年はない。恩師に誓うのはまず今季、ローテーションの中心に復活すること。そうすれば大台も見えてくる。

 「天国で必ず見守ってくれているから。あと20勝、絶対に達成して、高木さんに報告します」。円熟のサウスポーが、悲願の200勝に向け、あらためて闘志をかきたてた。

残り20勝、天国に届け

 (青山卓司)

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いつか見た光景

昨晩の中日対阪神戦ですが、なんか、2005年に、「南西対談」http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2005/SEindex.htm

コンビが、「愛・地球博」観光旅行の“ついで”に、その前日に興行されていた、対阪神二連戦の二戦目のデイゲームを、このブログに時々名前が登場するBULLYさん(当時、名古屋に長期出張中。あんときゃ大変お世話になりました。本人はこれから夜勤とのことで、名駅でチケットだけをいただき、悠然と去って行かれましたが)にチケットを取ってもらって観戦した時のことを思い起こさせました。

あれは、やはり、ちょうど今ぐらいの7月の暑い夏の日曜日で、中日が阪神に7ゲーム差ぐらい離されていて、名古屋の町も、中日関連では「シーン」となっている時でした。

その代わりに、当時は「愛知万博」で名古屋近辺は盛り上がっているときでしたので、市民の皆さんは、極力そちらに関心を向けていたようでした。

我々は、土曜日の朝に東京をのぞみで出発して、試合開始のちょっと前にはナゴドに着いていたのですが、やっているのは阪神の選手たちの打撃練習だし、球場全体に漂う気だるさに何となく気乗りがしませんでした。

私は、試合直前に行われる、チアドラのダンスやスピードガンコンテストなどのさまざまなイベントには目もくれず、ただひたすら、万博の見どころを説明する雑誌記事なんかを読みふけっていたら、突然、太鼓の音がドンドンと鳴り響き始めたので、ハッと我に返りました。

我々は、確か、1塁側の内野席に座っていたのですが、その音がした、遥か遠くのレフト側の外野席方面を見ると、黄色いTシャツを着た阪神・私設応援団のリーダーたちが、学生時代の応援団よろしく、一般の阪神ファンを巧みにリードしていて、1回表の攻撃がいつの間にか始まっていたことがわかりました。

ほら、普段のナゴヤドームで行われる中日ドラゴンズが主催するホームゲームだと、ビジターチームの攻撃のときは、少数の私設応援団の鳴り物が寂しく響き渡る中を、いかにも偉そうに米国人風の場内アナウンスで“PLAYBALL!”という声が鳴り響いた後に、本物のアンパイアが手を挙げて試合が始まるのが常ですが、阪神との試合のときには、そのシーンが阪神を応援する“騒音”で掻き消されてしまうのです。

何か、その時点で、その日に球場にやって来た中日ファンは、いつもとあまりに異なるその雰囲気に圧倒されてしまったようで、試合開始当初から静まり返っていました。

確か、先発投手は、当時のドラゴンズの左のエースを務めていた野口茂樹投手でしたが、既に、この頃から長期的なスランプに陥っていて、その試合も阪神打線にいいように打ち込まれて敗戦したことだけが記憶に残っています。

中日のあまりの不甲斐なさにショックを受けた我々は、本当は、観戦後はくたびれるだろうから、その日は市内でのんびりと過ごして、翌日の月曜日のみ、万博会場に出掛ける予定でしたが、何か気持ちの整理がつかず、急に思い立って、万博のナイトツアーに出掛けることにしました。

たしか、ナゴヤドームから万博会場に向かうほうが、名古屋市内の繁華街に戻るよりも近かったし、夜間割引で入場できるし(思いの外、試合が早く終わっちゃったし)というのも、それ以外の理由だったような気はしますが。

いわば、焼けのやんぱちで、ナイターでも行われている万博の“延長戦観戦”に出掛けたという感じでしたね。

おっと、たまたま、その時のチケットを保管していたことに気づきました。

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この、急遽思いついた夜間観戦のおかげで、万博会場の様子や穴場がよくわかり、翌日は非常に効率的に会場を見て回ることができて、大変有意義だったなあ。

さて、昨日の試合の感想を1つだけ。

時々思うのですが、ああいう試合は、審判のストライク・ボールの判定1つで、どのようにでもコントロールできるよなあ、というものでした。

つまり、その1球をストライクと言って三振とするか、四球として出塁させるかで、勝負の流れを簡単にコントロールできるような…。

もちろん、その判定が、中日に有利に働く時期もありますが、何か球界全体を覆う、そのときの“空気”に左右されているように感じられるのは私だけでしょうかね。

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悲しき五輪シフト?

本日のトーチュウ第一面の見出しを見て、寂しく悲しい気持ちになったのは私だけではないでしょうね。

http://www.tokyo-np.co.jp/tochu/article/shimen/CK2008071902100002.html

もう中日は、北京五輪の野球デモに、球界最多の4人もHOSHINO★EXPRESS JAPANに“供出”して球界に“貢献”するのだから、星野ジャパンに積極的に協力する中日系新聞を買ってね、という形でしか中日ファンの関心を引くことができない、ということのようですね。

第2面の「龍の背に乗って」でも、渋谷キャップが、こんな感じで冷やかにコラム記事を締めくくっていますし…。

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  「見どころは9回だけだったな。お互いに。9回だけ見てりゃ、お客さんはおもしろかったっていう試合だった」

  岩瀬から4安打放った阪神。藤川に冷や汗をかかせた中日。それをこう締めくくったのが落合監督だ。冷静にゲーム差なんか考えてたら、野球が楽しくありません。だって竜虎対決、これで5連敗なんだから…。(渋谷真)

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もう、2人(落合vs渋谷)の関係は完全に冷え切っているということですね。

ペナントレースより、北京五輪の星野ジャパンで活躍する、4人の星野チルドレンに注目せよ! ということのようです。

なんだかなあ…。

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案の定

2008年7月12日(土)08時35分19秒

昨晩のケンシンは、見事に石川に二塁打を打たれてましたね。

3回表の先頭打者が、ピッチャー石川だったので、たぶん、油断しまくりのケンシンがきっちり打たれるだろうなと覚悟すれば予想どおりの展開に。

ついでにいえば、8回表にケンシンが勝ち越し打を打たれたのは、石川が降板して、奴に勝ち星がつかないことが確定したので張り合いがなくなったために気が抜けたからだと思います。

ケンシンに対して敵愾心剥き出しでかかってくる石川に対して、極力平静を装うのがケンシンのプライドでしょう。

とはいっても、やはり奴に負けるのだけは悔しい。

そんな状況で、味方が2点差を追い付いてくれて、石川をマウンドから引きずり落としてくれたのが、逆に仇になったのかもしれません。

逆に、石川が続投してくれていれば、ケンシンの負けん気に火がつき、勝ち越しを許さなかったかもしれません。

まあ、野球にタラレバは禁物ですが、カモネギは付き物ですからね。

ほんとに、試合展開とは微妙なものです。

もう、中日ファンの関心事は、果たして、不倫騒動でお騒がせ男となった二岡をうちが獲得するかどうかだもんなあ。
   
ケンシンの言葉を借りれば、4失点のどこが悪いのですか!

でしょうね。

もうやってられませんわ。

メジャーに行ったる。

そんなところかな。

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リスペクトとライバル心

2008年 7月11日(金)15時18分27秒

昨晩の広島対中日の“死闘”は、仕事が多忙を極めたが故のとある「事情」で、結果的には、試合開始から終了までを、スカパーの映像でしっかりと見届けることができました。

序盤に7点という大量リードをしたにもかかわらず、あのような展開になることを、私“も”ある程度覚悟していました。

それは、先発投手が、プロ入り2回目、今季初登板であり、いまだ未勝利だった佐藤亮太であったこともそうでしたが、何となく、底知れぬ不安を伴った雰囲気が、試合の序盤から漂っていたからかもしれません。

ひょっとしたら、落合監督もそれを覚悟していたのかもしれないと思いました。

だから、試合の序盤に大量6点リードした時点でも、敢えて3番森野にスクイズを命じたのかもしれません。

そして、そのように指揮官が覚悟した試合だからこそ、7点差を追いつかれた後に、最終的には中日が勝てたのだと思います。

http://dragons.jp/game/scoreboard/2008/index.php?date=20080710

スカパー中継は、地元局のテレビ新広島(TSS)の製作によるものでしたが、ゲストには、なぜか中日ファンのDJ、SEAMOが呼ばれていました。

試合の途中でその理由が明らかになりますが、8月23日に、広島サウンドマリーナという会場でミュージックフェスティバルが開催される予定で、そこにはSEAMOをはじめとするミュージシャンやDJが出演するので、その「番宣」を兼ねてのことだったようです。

http://www.sunmari.jp/artist/artist.php#05

もちろん、TSSも主催者に名を連ねていました。

http://www.sunmari.jp/guide/summary.php

試合の方は、最初は中日の楽勝ムードだったのが、途中から広島が反撃を開始すると、TSSのアナウンサーと達川とで、SEAMOに対して、ネチネチと、真綿で締め付けるように彼の不安を煽っていましたが、結果的にもそのとおりの展開になりました。

ところが、後半7回表、中日の唯一のチャンスといってもよかった二死満塁の場面で、代打に立浪が告げられると、「キミは立浪のファンなの?」と達川が訪ねると、「もちろんそうですよ。」と、何をいまさらそんなことを聞くのと言いたげに答えるSEAMO。

そのあと、しばしの沈黙が流れましたが、実は、「自分もそうなんだよ」と、さぞかし言いたかったであろう達川でしたが、テレビ新広島の解説をやっている手前、そうは言えないのがもどかしかったのか、素直に立浪が好きと言えるSEAMOがうらやましくてしょうがない様子がわかり、大変面白かったですね。

元々、達川はことあるごとに立浪のことを誉めこそすれ、くさしたことはいっぺんもなく、ある時のコメントで、「立浪選手は、○○とおっしゃっていましたけどね。」と、“敵国”放送の同局の実況中継でも、知らず知らずのうちに敬語で解説していたこともありました。

それ以外にも、たとえば、自分がカープの監督をしていた時には、当時高卒で入団してきた東出に対しても、「彼は立浪2世になれる素質を持っている。」と、いち早く、自分の願望を口にしていたほどで、彼の守備が安定していないのにもかかわらず、立浪が高卒で入団直後に確保したショートのポジションを与えたほどでしたしたし。

たぶん、今回の番組終了後に、密かにSEAMOに、「実は、ワシも立浪が一番好きな選手なんじゃよ。カープの放送の手前、放送では言えんかったけどね。」と告白したかもしれませんね。

そういう、達川の「立浪リスペクト」についての、過去の「南西対談」の決定的な証拠を探そうとしましたが、結局は発見できず、代わりに、達川の「落合監督リスペクト」の証拠が見つかりました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/affairs/SE/SE2005/2005SE04.htm

ただし、昨日の解説で、達川は、落合采配の限界をさかんに強調していましたので、私は、達川にとって、「落合リスペクト」より「立浪リスペクト」のほうが遥かに上位に来ているものと思っています。

まあ、そういう風に、最近は落合采配限界説が、球界に流れてきましたが、それとは全く別の次元で、落合監督は采配を揮っているような気がしてきました。

つまり、もう目先のリーグ優勝や、CSを勝ち抜いての日本シリーズ出場をあまり重視しなくなってきたというのが本音でしょうね。

もちろん、現在のチームの指揮官としての立場上は、まだリーグ優勝を諦めてはいませんし、もし、CSへの出場権を獲得したら、昨年のようにベストを尽くすとは思いますが、それとは全く別次元の「課題」を、敢えて選手たちに課しているような気がします。

つまり、一言で表すとしたら、

「自分自身の限界を突破してみろ。」

たぶん、そう言いたいからこそ、ファンから見れば、「この選手はあんなに疲れているのにまだプレーさせるのか。」という文句の1つも言いたくなる采配をしているのでしょうね。

一方、昨日の試合で延長戦に入り、10回表の先頭打者のタイロン・ウッズが勝ち越し本塁打を放った後にもチャンスが広がり、一死三塁の場面で、敢えてスクイズを見破られることを覚悟で敢行し、失敗したシーンについて、中スポの渋谷真キャップが食い下がったところ、落合監督の発言には納得しかねる点があると言っていました。

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「龍の背に乗って」(抜粋)

…7回には守備が乱れてとうとう同点。野球に“流れ”というものがあるのなら、もう勝てるはずがない展開である。そこから浅尾でしのぎ、長峰が踏ん張って、ウッズのひと振りで勝ち越す。それもまた野球。こんな展開、誰が予想する?

「予想? してたよ。だから(4回の)7点目を森野のスクイズで取りにいった(結果はファウル)んじゃないか」。落合監督は事もなげにこう言った。さらに、こうのたまった。

「2回目のスクイズは、オレ(が敵の監督)なら4球とも外す」

勝ち越した延長11回表、なおも一死三塁から英智にスクイズを命じた。外されて空振り。走者も死んだ。だが、ピッチド・アウトをわかっていてなぜ?

「岩瀬は2点差より1点差の方がいいんだもん」。

は?

疲労困憊のロングゲーム。向こうのいい間違えか、それともこちらの聞き違えか…。

確かめたらもう一度うなずいた。

「こういうゲーム展開での岩瀬の投げっぷりを見たら、2点差になるのは嫌だった」。

要するに、追加点はノーサンキューということになる。理解はできるが、納得は…。

ともあれ、反省は山ほどあるが、最後に勝った。

勝利こそが救いとなり、覆い隠してくれる。(渋谷真)

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渋谷キャップの、かなり批判めいた「コラム」を読んだとき、私も、最初は、落合監督独特の、ちょっと天邪鬼的なものの言い方かなと思って、その話を受け止めていましたが、ひょっとしたら、こういうことなのかもしれません。

その裏に、抑えとして、久々に登板する岩瀬にとっては、ソロホームランで同点に追いつかれる危険性がある1点差より、このチャンスを生かしてもう1点追加して2点差にしておいたほうが、はるかにリスクが少ないと考えるのが当たり前ですが、落合監督は、岩瀬にそのような状況を作ってあげるほうが、かえって、ナインも含めて緊迫感が失われて油断するのではないか。

だとしたら、敢えて、スクイズを失敗してみせることによって、次の裏の守備について、岩瀬を含めた選手たち全てを死に物狂いで守らせたほうがかえって安全なのではないか。

これも、一種の、選手たちに対する「限界への挑戦」なのかもしれません。

そう思ったのは、彼が初めて監督となった2004年の開幕三連戦で、川上ケンシンが延長戦を投げ抜いて勝ち投手になった試合を思い起こさせたからです。

それまで、ケンシンが延長戦に入って、さらに150球以上投げさせられることはなかったはずです。

あの、厳しさで定評のある、星野仙一が監督をしていた時ですらそうでした。

あの試合のケンシンは、最後は速球の球速表示が130キロ代に落ちても投げさせられていました。

あの試合以降、落合監督はケンシンにそのような投球を要求してはいませんが、そこで彼の「限界」を見極めたかったのかもしれません…。

さて、本日の中日は、ヤクルトとの闘いですが、先発投手は、川上対石川が予想されますね。

石川は、昨日の先発もあり得たのに、たぶん、本人のたっての希望でケンシンに挑んでくるのでしょう。

石川は、自分がどんなに活躍しても、ケンシンがマスコミに注目を浴びることが悔しくて悔しくてしょうがないのでしょう。

それは、たんに人気の六大学出身のエースケンシンと、実力の東都大学リーグ出身の自分に対する扱いの違いに対するものなのか、それともケンシンのみが醸し出す“世界観”に対するものなのか。

なお、石川が人知れず自分に闘争心を燃やしているのを知ってか知らずか、ケンシンは極力淡々と対応すると思いますが。

集団戦の趨勢が、かなり、戦国の世に終わりを告げた、関ヶ原の合戦後の“徳川政権”に似てきた阪神に傾いてきた今日、個別の武将同士の一騎打ちに注目するのも一興かと思います。

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テイスト・オブ・ハニィ?

2008年 7月 5日(土)00時43分52秒   

久々に心ゆったりと終電で帰宅できます。

このところ、終電で帰れれば御の字という仕事状況が続いておりましたが、この3日間はあまりの忙しさで、中日の試合の詳細をほとんど記憶していないのですが、地上?では、対阪神三連戦の初戦で、9回裏にイ・ビョンギュさんの赤兎馬プレー((c)東山にしこ氏。しかし、さすが熱烈歓迎ファンの人はうまいこというなあ。)が飛び出してグッバイ・ベースボール(違)をやられるなど、いろいろなことが起きていたのですね。

まあこれが、北京五輪が終わっている頃にはどういう状況になっているのかが見物ですね。これ以上は悪くなりようがないだろうし。

中日は、阪神に極端に弱いだけで、他のチームに対してはそこそこ勝つから、むしろ始末に負えないんですけどね。

ある意味、ベンチが半ば確信犯的にイ・ビョンギュ元・赤兎馬選手を起用しているのは、現時点ではチームの本当の力を出し切らないように“調整”するための、いわば拘束具(エヴァンゲリオンでいうところの)の役目をしてもらっているのでしょう。

そして、森野や井端が復帰して、来週からは洞爺湖サミットで40年振りにギララが地球に来襲して大騒ぎになりhttp://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2008/01/3250/index.htm

さらに名古屋では、ナゴヤドームで8月20日から「世界妖怪サミット」が開催されるので、中日の親会社は本物のサミットどころじゃないし…。

http://yokai-dome.com/outline/index.html

やがて、いよいよ北京五輪が始まり、ビョンギュさんも晴れて韓国代表として召集されれば、大手を振って(?)ベストメンバーで戦うことができるようになるので、そこで本気モードで勝ち進み、阪神にプレッシャーを掛ける。

今シーズン、阪神は今まで全くと言ってもいいほど不調の時期がないだけに、かえって後半戦に息切れして大型連敗をするかもしれず、そのいっときが勝負となるという首脳陣の読みかもしれません。

そのときに大型連勝をしたチームが“ミラクル”を起こせるという筋書きでしょうか。

もちろん、そのチャンスは中日だけでなく、横浜以外のチームすべてにあるともいえますが。

まあ、職業野球とはそういうものでしょう。

ところで、なかなか波に乗れない中日ですが、結局、昨年の終盤に非常においしい思いをしてしまったことに原因があるのかもしれません。

いくら落合監督が、「CSは眼中にない」と発破をかけても、選手たちの身体には、昨年のポストシーズン・ゲームで覚えた甘い誘惑が染みついていますからね。

確かに、昨年のペナントレースでは、終盤に讀賣ジャイアンツにリーグ優勝をかっさらわれて悔しい思いをしましたが、その後に行われたクライマックス・シリーズで、オール阪神巨人に5連勝して日本シリーズ出場権を勝ち取り、その勢いをかって、北海道日本ハムファイターズまでをも撃破して54年振りの日本一を勝ち取ることができたのですから。

そのこと自体はめでたいとしても、それじゃあ、あの厳しい練習に明け暮れたキャンプから始まり、死力を尽くして戦ったペナントレースの奮闘努力はいったい何だったんだということになりますよね。

極論すれば、ペナントレースは阪神さんに目一杯頑張って走ってもらいビール掛けで腑抜けになってもらった後に、リーグ戦終了後に行われるクライマックス・シリーズに2位で進出できる権利を確保しておきさえすれば、今年から1勝分のハンディが付けられるとはいえ、その短期決戦にだけ集中して頑張って勝ち抜けば、簡単に栄誉を受けられる。

そのこと自体が非常に虚しいと頭ではわかってはいても、身体が、昨年のおいしい蜜の味を知ってしまった以上言うことをきかないというのが実態なのかもしれません。

大体、蜂蜜という食品の成り立ちが、本来は、働き蜂が、自分たちの女王様のために身を粉にして花の間を駆け巡りながらやっとの思いで蜜を集めてきたのを、「はい、ご苦労さん」と、人類とクマのプーさんが横取りするシステムで作られている商品であり、その有り難みをつい忘れて、その滋味だけを甘受しているところが間違いのもとともいえるでしょうね。

まあ、昨年は、蜂蜜のおいしい味をたっぷりと味わったので、今年の前半は、虎ん蜂に身体のあちこちをチクチク刺されて目を覚ますぐらいがちょうどいいのかもしれませんが。

ただし、私は蜂蜜が非常に好物で、特にスタバの「本日のカフェ」ショートサイズ(これだけは、ショートサイズなのにトールと同じ分量ですし、ほとんどが甘ったるすぎるともいえるスタバ商品のうち、唯一、苦み走った男らしい味がする商品なのです。)に、コンディメントバーで、タダで入れられる蜂蜜とシナモン、ミルクをたっぷりと入れて、オリジナル・ブレンド・ハニィ・ミルク・カフェを飲むのがマイブームですが。

『スタバではグランデではなくて、ショートの「本日のカフェ」を買え!』という本を書きたいぐらいですが、何か。

はて、何の話でしたっけか。

あ、そうそう、そういう意味では、この、クライマックス・シリーズは、長期的に見れば、中日ドラゴンズにとって、非常に危険な罠になるという話をしたかったのでした。

今季も2位か3位でクライマックス・シリーズに出場して、万が一優勝してしまったら、もう二度とリーグ優勝を目指さない身体になってしまうかもしれませんから。

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忘れ物は何ですか?

昨晩の小池正晃選手に教えられました。

中日ドラゴンズは、選手もファンもある忘れ物をしていたようです。

それは、日本一、いやアジア一となった栄誉と引き換えに忘れ去られていった物ともいえます。

つまり、我々は日本シリーズのチャンピオン、そしてアジアシリーズのチャンピオンとなった瞬間から、ちょっと格好悪いことはできないなという“驕り”の精神をつい保持してしまっていて、小池選手が一昨日と昨日に身を持って示してくれた、がむしゃらさやひたむきさをいつの間にか忘れていたように感じました。

あの、プレー中はにこりともせずにしゃにむに白球を追いかけ、ファーストベースに無我夢中でヘッドスライディングする小池選手の姿は、紛れもなく1999年のリーグ優勝に貢献したファイトマン“ジャガー”関川浩一を彷彿とさせました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/nest/view_nest990808.htm

そうだ、中日ドラゴンズに移籍してきた選手に対して、移籍した当初は個別の応援歌がつかないのが通例ですが、彼には関川選手の応援歌をあてがってあげてもいいんじゃないかな。

それぐらいのインパクトを、彼は今のチームにもたらしてくれましたね。

だいたい、このところ、不振を極める打撃陣の中でなんとか及第点の結果を出してきたのは、FA移籍1年目で、とにかく結果を出さないと何を言われるかわからないので必死にプレーする和田一浩外野手と、昨年の育成枠採用から這い上がってレギュラーポジションをつかんだものの、年俸は全盛期に比べればはるかに“薄給”となってしまい、家族を養うために死に物狂いで働かなければならない中村紀洋内野手の2人のみ。

結局は外部からドラゴンズに入ってきた、いわば“外様”のベテランのみが目立ち、ドラゴンズ生え抜きの親藩・譜代、旗本・直参の中堅や若手選手たちは、ちょっとのんびりと構えすぎていたと言われても反論できない状況でした。

それを象徴するようなシーンが、やはり昨晩の試合の守備で見られました。

6回表の無死一塁のピンチで、ロッテ今江のサードとレフトの中間地点のファールフライを、フェンスに激突しそうになりながら、さらにお互いに膝小僧をぶつけながらも打球を必死に追いかけていったのが、中村紀洋と和田一浩の移籍組両ベテラン選手であったことが、いみじくもそれを証明していました。

考えてみれば、小池選手が属していた横浜ベイスターズは、前回優勝した1998年以来、10年間ずっと中日ドラゴンズに煮え湯を飲まされ続けているわけですし、最近は異様に中日ドラゴンズに敵愾心を燃やす阪神タイガースも、そして、昨年、久し振りにリーグ優勝を達成したのにクライマックス・シリーズでドラゴンズに3タテを食らって、本拠地東京ドームの満杯の観客の前で赤っ恥をかかされた讀賣ジャイアンツも、今年こそはドラゴンズの寝首を掻いてやろうと、虎視眈々とその機会を狙っているのです。

そんな状況の中で、我々だけが日本一の余韻に浸ってのほほんと暮らしていたことがよ~くわかりました。

小池正晃という新たな起爆剤によって、ようやく目覚めた落合竜が、後半戦でどのような巻き返しを見せるのかを、我々ファンも、再度気持ちを引き締め直して、期待を込めて見守っていくことにしましょう。

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困ったときのファックン頼み?

中日がボロ負けして、ドラファンが怒り心頭に達しているときには、トーチュウ第1面に、メジャーで活躍する福留のことを報道すると、そっちに関心が移るという、車や競馬に替わる新たな選択肢を中日新聞系は見つけたわけで、今後も中日のベテラン選手にはどんどんメジャーに流出してもらったほうがうれしいのでしょうね。

そのほうが読者層が広がり、新聞も売れますしね。

まあ、福留自身からすると、自分のエラー気味の内野安打が、まさかトーチュウの第1面を飾っているとは、つゆ知らずなことでしょう。

それも、なぜか、わざわざローマ字でFUKU DOMEと綴るものだから、あやうく禁断の四文字を間違って印刷したのかと思い、あせってしまいました。先入観とは恐ろしいものです。

昨日の敗戦後の落合監督のコメントを、珍しく大々的に報道していましたが、「勝ち負けの責任はオレらが取る」というニュアンスのところだけ、大きなカラーフォントで強調され、要するに、活字を読むのが苦手な選手たちにもよくわかるように、目立たせたのでしょう。

確かに、ナゴドでの主催試合が2カード続き、難関と思われた、対ソフトバンク戦が、なまじっか2連勝だったものだから、パ・リーグ最下位に低迷するオリックス相手には、悪くても1勝1敗では終わるだろうと思っていたら、2連敗のうえに両方とも大量失点を喫する完敗と、そのショックは、球団だけでなく、親会社やファンにも動揺が広がっているということでしょうね。

これだから、野球はやってみなければわからないということでしょうか。

●本日のレコーディング

モーニングプレート(ハニートースト、スクランブルドエッグ、ベーコン、ヨーグルト、キャロットジュース、アッサムティー)


多忙のため、久々に昼抜き


仕事で一区切りつけた自分へのご褒美として、若鯱屋で“豪遊”
牛すじ土手味噌煮込み、鯱風きしめん

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朝倉氏没洛中・・・。

若殿様こと、朝倉氏没洛中・・・のようですね。

結局、ますます切支丹バテレンに対する苦手意識が増幅されているような。

本日の試合は中継ぎではなく、先発で登板したということは、これで結果が出なければ二軍落ちもやむなしということかもしれませんね。

本日のトーチュウ(中スポ)の安藤友美記者の「ドラ番記者」の朝倉に対するエールが、結局は“予定稿”になっちゃったしなあ。

一方、同じく本日のトーチュウ(中スポ)の「CD夢を追いかけて」のコーナーでは、打撃投手で中日OBの山田喜久夫氏への取材記事が掲載されていましたね。

相手を務めるバッターからスローボールを要求され、その直後に普通の直球を再び投げようとすると、どこに行くかわからない珠を投げてしまうんじゃないかという恐怖心が芽生えて、打撃投手としての選手生命の危機が訪れてしまうこともあるなど、なるほどなあという感想をもちました。

その記事では、落合監督の著書『プロフェッショナル』での「打撃投手は球団の財産である」という言葉も紹介されていました。

是非とも、現在、中日打撃投手陣12人衆の1人である鶴田君(本来はカープファンなのに、広島に移籍した鶴田のファンになってしまったばっかりに、いまだにバッピーとして投げる彼の姿をひとめ見ようと関東の球場にやって来る中日の試合の打撃練習だけを観戦に訪れる、熱狂的な鶴田ファンを私は知っていますが)にも読んで聞かせたい言葉ですね。

落合監督のすごいところは、こういった言葉を本当に実行してしまう、有言実行力をもっているところですね。

つまり、たとえ経費増加になってもそれ以上の効果が期待できることを経営陣に訴えて、それを認めさせてしまう力をもっているということです。

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阪神も負けたことをよしとするしか

2008/05/28(水)23:44
阪神も負けたことをよしとするしかないですね、本日の、対オリックス戦での敗戦は。

山本昌は、オリックスというより、西武に対するコンプレックスを払拭できずに負けたという感じですね。

本日も、元西武のカブレラに3打点を許したわけで、西武の“影”におびえてたということになるかな。

とにかく、1988年、2004年の日本シリーズでも、山本昌は西武に勝てなかったし、2005年から始まった交流戦でも、西武との対戦成績は分が悪いはず。

実は、岡本真也投手も西武が苦手で、そしてとくにカブレラに対しては、異様に苦手意識を持っていたんです(2004年の日本シリーズ第3戦での、谷繁が満塁弾を打った直後に岡本がカブレラに満塁返しされたり、2005年の西武ドームでの交流戦の第1回戦では、やはり岡本がカブレラにサヨナラ本塁打を打たれたし)が、彼が西武に移籍して、中日はその被害を被らなくて済むようになったのですが、岡本自身は、今度は対オリックス戦で、相変わらずカブレラにボコボコに打たれていたからなあ。

やはり、相性ってのは、運命的なものですよねえ。

●本日のレコーディング

フレンチトースト、ビフィズス菌飲料(大瓶)


青梗菜とタラバガニのとろみあんかけ、春巻、サツマイモの煮物、スープ、お粥セット


オフィスグリコのプレッツェル類、野菜ジュース

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★野ジャパンについての夢想妄想

2008/05/27(火)16:40
★野ジャパンの投手陣を考えると、明大OBはテッパンで選ばれるでしょうね。

そうなると、川上ケンシンと小笠原はまず引っこ抜かれるでしょうね。明大の後輩はワシが育てたので無理をいってもそれをきいてくれるはず。

あと、中日では岩瀬、阪神では藤川と久保田かな。ワシが育てたからね。

ということになると、阪神は、ジェフは豪州代表だろうから、JFKがみんなもって行かれることを恐れているのでしょうね。

でも、阪神に優勝してもらいたい★野としては、あえて久保田をはずすかも。

今年も中日が優勝してしまうと、またもや落合監督に名を為させてしまうことになり、自分の中日復帰の目がなくなるのはいやがるでしょうね。

オーナーが替われば、中日復帰の可能性が全くないとはいえないので、安全策として残しておきたいはずだから。

野手では、赤★と鳥谷は決まりでしょうね。

中日では、ひょっとしたら井端ははずされるような気がする。憎き落合の信子夫人と親しすぎるので。

一方、荒木はワシが育てたので間違いなく連れていくでしょう。

出身校と、★野政権時代に彼がその選手をどう扱っていたかで、選ばれるかどうかが決まるんじゃないかな。阪神と中日の選手についてはね。

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よっぽど北京五輪が怖いんだねえ。

2008年5月26日(月)22時57分

阪神さんは。

でないと、こんなに死に物狂いで勝ち続ける必要なんかないんじゃないの。

あまりに好調だと、そのチームからたくさんの日本代表選手を選ばなければならないのが、一応の筋というものでしょうに。

そうなると、主力をごっそりと星野ジャパンに“供出”したチームは、極端な戦力低下を覚悟しなければならないので、今のうちにしっかりと貯金を貯めこんでおこうという目論みかな。

でも、まあ星野阪神SDさんが、そのへんをどう解釈して、他チームから貴重な戦力を引っこ抜くつもりなのかは知らんが。

ところで、ナゴドのホームチーム主催試合とはいえ、ソフトバンクに両方とも1点差で2連勝するとは思いませんでした。

とくに2試合目は、向こうがエースの和田で、こちらがかろうじてローテーションを守っている小笠原だったので、投手の「格」の上では不利だなと覚悟していたら、向こうの打線が打ちあぐねるのだから不思議ですね。

まあ、このあたりが交流戦の妙で、有名な選手は、とにかく交流戦の前から先乗りスコアラーたちにマークされていて、弱点を分析されていたりするわけですが、かろうじてローテーションを守っている投手あたりについては、自分のチームの対戦時に投げてくるかどうかわからないので、せっかく分析してもローテからはずされたりしたら、分析した努力が水泡に帰すので、案外ノーマークになるんじゃないかな。

そうすると、打者もいきなりデータ無しで対戦することになって、面食らっているうちにイニングを重ねてしまい、とうとう得点できなかったりする。

一方、たとえばうちでいえば川上ケンシンや中田あたりだと、自分のチームが当たる確率も高いし、既に、そういうデータを分析する専門の会社には、かなりのデータが蓄積されているはずなので、お金で解決すれば、それを入手して分析することもできるしね。

和田投手の投球術なんかは、市販の書籍でそれを分析した本が出回っているくらいだから、もっと詳細なデータを専門業者はもっているに違いないでしょうね。 

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明日は弱い者同士の対戦?

まあ、「ダイエーの王監督」の采配も酷かったんじゃあないかな。

中日があまりに弱いんで、阪神が1点差で負けるところを見てやろうと、ちょうどスカパーのチャンネルを回したところ、9回表の二死満塁で、赤星が逆転タイムリー安打を打った直後のシーンだったらしく、湧きかえる阪神ファンが陣取る外野席とともに、悔しそうに唇を噛む王監督のアップ映像が。

まるで、あなたの、抑え投手のプライドにこだわりすぎる采配が、こういう結果を招いたんですよ、と地元のテレビ局がそれを非難するような意図が画面から伝わってくる、アップ映像でした。

それにしても、うちは北海道で弱いなあ。

2006年と2007年に開催された日本シリーズでも、彼の地で勝ったのは中田賢一ただ1人。

そういう意味では、本日の先発投手を中田と予想して、「敵地で川上と中田で2つともいただきだ!」という内容の記事を書いて、中日ファンを煽って新聞をたくさん買わせようとする中日系新聞の意図はわかりますが、現実があまりに違うので、かえって怒りが倍増するんだよねえ。

まあ、冷静に考えれば、たとえ敵地で勝っても興行収入は、球団承認グッズのライセンス料など、雀の涙程度なのに対して、翌日の日曜日には地元に帰って、莫大な売上が見込めるゲームが控えているのだから、そちらに中田をもってきて、がっぽり儲けるという算段のほうが理にかなっているのは当然でしょう。

ただし、もちろん、中田がその試合で好投して、逆転負けの後遺症が残る偽ダイエー球団をこてんぱんにノシて、それを観たドラファンが溜飲を下げて、財布の紐が緩んで、帰り道でドラゴンズショップやイオンショッピングセンターで“散財”してくれないと、この“賭け”には勝ったことにはならないわけですが。

しょうがないので、スカパーで、さいたま西武対讀賣戦のリピート放送をやっていたので、讀賣さんもパ・リーグ球団にボロボロと負けるのを“観賞”していたら、お立ち台には、8回表の一死三塁のピンチをしのいだ岡本真也投手が、先発の帆足とともに上がりました。

インタビューでは、「ライオンズに来て、初めて勝ちに貢献できたといえる仕事をすることができました。」というような趣旨の、非常に謙虚な発言をして、ファンの喝采を浴びていました。

よかったね、岡本選手。

まあ、このトレードについては、お互いの選手がきちんと活躍しているので、結果論的には良いトレードとはなりましたね。

ただし、中日には、しっかりとした中継ぎ右腕がいまだに現れない“ブラックホール”が発生したままですが。

早く帰ってきて、すーさん!

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200805/CK2008052302000062.html

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なるほど、旧人類的なやまさきせんしゅ

2008年5月22日(木)14時35分

楽天のやまさきは、名古屋やドラゴンズに対する愛が強すぎるからこそ、妙に力んでしまって、思ったような結果が残せないのでしょう。

とかく、自分の思い入れの強さに大きく左右される“旧人類”の良さであり悪さでもありますね。

一方、同じドラゴンズOBでも、鉄平や川岸などは、ドラゴンズでは思ったような活躍ができなかった分、ドライに割り切ってプレーに徹することができるので、良い対戦成績を残すことができるのでしょう。

いわば、きわめて“新人類”的な発想ですね。

まあ、本当の「新人類世代」はとっくの昔におじさんやおばさんになってしまっていて、本来の意味とは異なるけど。

今は、ゆとり教育を受けた世代が大学を卒業し、いよいよ新入社員として入社してきて、さまざまな波紋をビジネス社会に投げかけているらしい。

その代表が、沢尻エリカや上田桃子に代表される、空気を読めずに問題発言を平気でしてしまう世代ということになります。彼女たちは、自分たちの才能を発揮して社会に出るのが早かったので、波紋を投げかけたのも早かったし、その“さきがけ”となったという分析があります。

「日経ビジネスアソシエ」のサイトで、その点を扱った非常に面白い連載が始まっています。

「ゆとり世代との付き合い方」というタイトルのWeb上の連載だったかな。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080326/151309/

事例がなかなか面白いし、イラストも今風でウマイし。

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よっぽど北京五輪が怖いんだねえ