カテゴリー「文化・芸術」の記事

2ちゃんの人の言語感覚

2008年 5月20日(火)00時00分9秒   
本日の東スポによれば、先日の延長戦でカープに負けた讀賣のロッカーに、「悲G ワロタ」(もちろん、カナジイと読みます)という2ちゃん用語で書かれたメモ書きが落ちていて、それを知った関係者は、激怒した人半分、気味悪がった人半分だったそうです。

しかし、2ちゃんの人、よくこんな語呂合わせのような言葉考えつくよなあ。

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マスターズリーグ12月18日(火)東京vs名古屋のリベンジマッチ観戦を

マスターズリーグ12月18日(火)東京vs名古屋のリベンジマッチ観戦をする予定だったのですが、職場での会議が長引いて退社予定時刻の17時を過ぎるは、急に顧客からの対応をしなければならなくなるはで、結局会社を脱出したのが20時過ぎ。

東京ドームには21時ちょっと前にやっと到着することを考えると、18時開始のマスターズリーグの試合は、通常のプロ野球ペナントレースとは異なりサクッと進行するので3時間以内に試合が終了するはずなので試合は観戦できないだろうなという予想はつきましたが、このまま家路に着くのも何かシャクだったので、とにかく東京ドームに行くことにしました。

大江戸線沿線での東京ドームの最寄駅である春日駅で降車すると、東京ドーム外野席方面の入口に徒歩5分ほどでたどり着くことができますが、やはり予想通り、球場の入り口に着いたときが9回裏の攻撃のまっ最中で、まさに試合終了場面を迎えていたようです。

結局、試合は6対2で名古屋がリベンジを果たし、5チームで争うリーグ戦で、4チームが2敗で競う大混戦になっているようです。

試合経過の詳細は、以下の通りです。

<07-08プロ野球マスターズリーグ>No.12 2007年12月18日(火曜) 

東京ドリームス - 名古屋80D’sers 2回戦(東京ドーム)

http://www.sports-access.jp/04-05ML/score07-1218-12.html

さて、このまま何もせずに帰宅するのもバカバカしいので、野球関係の書籍が揃う、後楽園ビル近くの山下書店で、せめて野球関連の書物を買い漁って、自分を慰めることにしました。

購入したのは以下の3冊でした。

『図解 プロ野球「新・勝利の方程式」--「送りバント」と「守備力」が優勝を決める』(田端到著/講談社+α文庫)

『フォークボール一代』(杉下茂著/ベースボール・マガジン社)

『野球とシェイクスピアと』(佐山和夫著/論創社)

それぞれの本の購入動機ですが、『図解 プロ野球「新・勝利の方程式」』は、帯に書いてある「落合&ヒルマン『勝利の鉄則』」というキャッチコピーに惹かれたためで、『フォークボール一代』は、著者である杉下茂氏が、現在トーチュウ(東京中日スポーツ)および中日スポーツ紙上で断続的に連載されている聞き語り記事、「伝える」が、いずれは単行本化されるであろう前の“つなぎ”の本として興味を持ったのと、3冊目の『野球とシェイクスピアと』については、著者の佐山和夫氏については、1984年に、彼の処女作である、ニグロ・リーグの伝説の超絶速球投手サチェル・ペイジの生涯を取材して描いた『史上最高の投手はだれだ』に出会ってから、彼の著作のファンであったからでした。

真っ先に読了したのは、『野球とシェイクスピアと』で、文章の量が少なかったのと、内容が、野球のルーツに関することと、アメリカ合衆国が独立する前にイギリスの植民地だった時代に野球のルーツとなるボールゲームをプレーしていた清教徒たちのお話と、シェークスピアを巡る話がコンパクトにまとめられていたので、あっという間に読み終えることができました。

元々、野球のルーツに関する話は、佐山和夫氏本人の講演会を10年以上前に聴いたことがあったので、予備知識も既にあり、興味深く読むことができました。

その講演会の終了後に行われた佐山氏との懇親パーティでは、野球のルーツに関する競技について、昔、東京で流行っていた、私も小学生時代にやっていたある日本の子供の遊び(球技)が、それに関係があるのではないかという仮説をもっていたので、それとの関係を直接彼に尋ねてみたいと思っていたので、その懇親会の席で彼に直接尋ねようとしたら、「じゃあ、その話の続きを聴きたいので別のところに行こう」と言って、数人のその会場で初めて知り合った人たちと別会場で二次会に行くことになりました。

結局、二次会場として着いた場所は、杉並区のとあるカラオケスナックで、飲めや歌えやに終始して、あまり詳しい話はしないまま分かれたのですが、佐山氏も一次情報を入手できればそれでよかったので、それ以上は話をしたくなかったのだろうと解釈しています。

その子供の遊びについては、また場を改めて。

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この週末に1回はブログを更新しようとは

この週末に1回はブログを更新しようとは思っていたのですが、前日金曜日の夜にとある新年会が催され、そこでは私が最年少という、ある意味私にとっては非常に貴重な会合なのですが、その一次会でビールと紹興酒をしこたま飲んだのが利いたのか、あるいは団塊世代も遥かに超える大先輩方のパワーに圧倒されたのか、その後深夜まで続く二次会のカラオケ大会にお付き合いをさせてもらった頃には相当ほろ酔い加減になっていたようです。

それでも、私のアルコールに対する体質は、帰宅するまでは特に悪影響を受けないのですが典型的な「二日酔いタイプ」で、翌朝に目覚めた頃から本格的なアルコールの悪影響が出てくるわけで、この週末は、そのダメージを払拭するので精一杯の結果となりました。

さて、プロ野球のほうは、いよいよ各地で自主トレが開始され、プロ野球選手の元旦はキャンプが始まる2月1日といわれており、しだいに球春を告げる時期が迫ってきましたが、先々週の三連休では、別のスポーツというか、ギャンブルでもある、さる競技の明るいニュースを知りました。

昨年の11月にいったん廃止が決定されていた、ばんえい競馬

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_2610.html

が、帯広市の単独開催になったとはいえ存続されていることを知り、スカパのーテレビ中継でそれを観戦することができました。

その背景には、各地の地方競馬でも積極的な支援活動を行っているソフトバンクグループの支援が大きかったとのことで、いつもいろいろな分野で少々物議を醸す事件を度々起こして賛否両論を巻き起こす孫さんも、今回は粋な計らいをしてくれましたね。

現在は、スカパーの「Ch.795 懐かし音楽★グラフィティTV/keiba」

http://search.skyperfectv.co.jp/prog/channel/795.html

でも、基本的には土曜日から月曜日までの3日間に開催されるレースについて、日中の無料放送中継が復活しているとともに、公式ホームページでもブロードバンド環境であれば生中継や録画映像も観れるようです。

公式ホームページはコチラ。

http://www.banei-keiba.or.jp/

公式ホームページの「ばんえいシアター」コーナーではプロモーション映像や過去のレース映像がアーカイブされているので、興味を持たれた方は、ぜひどうぞ。

プロモーション映像を観ると、競技の概要や簡単なルール解説がされています。

http://www.banei-keiba.or.jp/user-data/movie/000117.wmv


あと、詳しい歴史や現状については、やはり「WIKIPEDIA」ですかね。

「ばんえい競馬 WIKIPEDIA」で検索すると膨大な情報が得られて、あなたもたちまち「ばんえい競馬博士」になれます。

さて、先日私がスカパーで観たのは、2007年1月8日に開催された「ニューイヤーカップ」という、「特別競争」クラスのレースでしたが、ばんえい競馬で最高峰クラスとなるのは、3月下旬に開催される「ばんえい記念」だそうです。

この重賞レースについては、昨年の模様を記録した映像がありますが、はっきりいってスゴイです。

何がスゴイかは、以下の映像と、その実況を担当している、「ばんえい競走」(通称が「競馬」で、正式名称は「競争」だそうですが)のアナウンサー一筋26年、通算実況レース数3万6,000レースを超える、ばんえい競馬の語り部ともいえる井馬博氏の名調子がそれを雄弁に物語っています。

実は、ばんえい競馬は、超重馬場のダートコースを鉄製のソリに騎手が乗った状態でレースが行われる、いわゆるハンデ戦で、その重さは約500キロから約1トンまでですが、先日行われた「ニューイヤーカップ」の積載重量は750キロ前後ということで、中堅ランキングの競走馬が荷物を運ぶ、力勝負よりむしろスピードを競う軽快なレースのようで、その積載重量や馬場の状態(=馬場の水分濃度が決め手となるが、通常の競馬とは異なり、馬場が湿った状態のほうがレースが早くなる)によって、レースの趣が全く異なるのでした。

そして、最重賞レース「ばんえい記念」の場合は、最大積載重量である約1トンの荷物を200メートル先のゴールまで、2つの大きな丘を越えて一番最初に運び切らなければ優勝の栄冠を勝ち取れないわけですが、この条件は、このレースに出場する力自慢の競走馬たちにとってもほとんど限界に近い重量を運ぶ過酷なレースなわけで、まさに年間最優秀馬を決定するのにふさわしい最高峰クラスのレースといえます。

●「ニューイヤーカップ2007」の映像

http://www.banei-keiba.or.jp/user-data/movie/000179.wmv

●「ばんえい記念2006」の映像

http://www.banei-keiba.or.jp/user-data/movie/000113.wmv


ばんえい競馬の魅力をひとことでいえば、今やほとんどサラブレッドのみで行われるようになった近代競馬のスピードレースとは別次元の、いわば古代ローマで行われていた「戦車競争」のような雰囲気を醸し出している点ですね。

特に「ばんえい記念」などの重賞レースでは、まさにあの、ハリウッド全盛期につくられた、ウィリアム・ワイラー監督の一大スペクタクル巨編「ベン・ハー」のクライマックスで描かれた、主演俳優チャールトン・ヘストンとそのライバルを演じたスティーブン・ボイド(の影武者として、文字通りの“死闘”を演じたスタントマンたち)による戦車競争のような勇猛果敢なレースが展開されているといったら言いすぎでしょうか。

ちなみに、劇中の主人公ベン・ハーに扮するスタントマンが、疾走する戦車の座席から大きく跳ね上げられた後に再び元の座席に着地するという驚愕のハイライト・アクション場面で、エキストラの観衆が大歓声を上げるシーンは、演技指導が一切不要の一発撮りだったそうです。

まさに、「ばんえい記念」レースにおける井馬清アナの決め台詞、「期せずして大歓声が湧き起こりました!」というのと同じですね。

現在、この「ばんえい記念」を四連覇しているスーパーペガサスという馬がいるそうで、ある意味ディープ・インパクトを凌ぐような偉業を打ち立てつつあるわけですが、今年が10歳になるということは引退の年に当たるわけで、果たして五連覇を達成して引退の花道を飾ることができるのかということにも注目が集まっているのではないかと思いますが、その名前が「ペガサス」という古代ギリシア神話の天馬にあやかっているというのも面白いですね。

そういえば、今季、韓国プロ野球界から中日ドラゴンズに移籍してくるイ・ビョンギュ選手のニックネームは、古代中国の古典『三国志』や『三国志演義』に登場した伝説の名馬、「1日で千里を駆け、山や河を平地のように越え、『三国志演義』最強の漢、呂布や関羽にしか乗りこなせなかった」といわれる赤兎馬だそうですから、きっと気性は激しいのでしょうが荒馬さばきならお手の物の落合監督にかかれば十分に乗りこなせるでしょうから、是非ともばんえい競馬で活躍するスーパーペガサスのように力強い活躍を見せてほしいものです。

ということで、最後は何とか中日ドラゴンズネタでまとめてみました。

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気まぐれ更新連載「私のマイ中国語会話ブーム」その4 さて、それでは「皆様のNHK」が製作した非常に学術的で真面目な内容の番組の題名ですが

さて、それでは「皆様のNHK」が製作した非常に学術的で真面目な内容の番組の題名ですが、それは、2001年秋に放映された「NHKスペシャル 日本人 はるかなる旅」という5回シリーズものの特集教養番組でした。

日本人のルーツを探るという、なかなか魅力的なテーマを扱った番組で、その第3回放映分「第3集 海が育てた森の王国」は、縄文人のルーツを紹介する内容でした。

そして、番組の冒頭で、まずは氷河期時代に始まる、ある地域についての紹介があり、それが「スンダランド」と後世に呼ばれる地域であり、その地域を再現したアジア一帯の地図とともに、その地域が、氷河期が終わることで海面がどんどん上昇した結果海中に没するCG映像が衝撃的に映し出されたのでした。

現在、この番組はDVDで入手できますし、いくつかのオンデマンド放送でも視聴できるようですが、その一端を垣間見れる、公的に発表されたサイトとしては、「国立科学博物館」に以下のものがあります。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/3/3-02.html

***

約7万年前頃からはじまる最終氷期には、海水面が低下したり上昇したりをくりかえしました。

海水面が低下したときには、現在のインドネシア付近の島々は、ひと続きとなってスンダランドと呼ばれる陸地になっていました。海水面が上昇したときには、今と同じような島々に分かれました。

アフリカからきた新人(ホモ・サピエンス)は、陸上の食物だけでなく、丸木舟やイカダを使って海洋の食物を利用し、徐々に人口をふやしていきました。

東南アジア海洋民の誕生といえるでしょう。

やがて、彼らは、ここスンダランドを新しい故郷として、アジア各地に移住・拡散していきました。

丸木舟で黒潮に乗って北上し、琉球列島にまで到達した人々がいたことでしょう。彼らの子孫が、港川人や縄文人になったと考えられます。

***

上記の淡々と記述された文章からは、その様子がはっきりとはわからないと思います。

が、それがNHK製作の番組映像では、広大な東南アジアとオセアニア近辺の地域にまたがる“大陸”が、1万数千年前には本当に存在しており、その後、氷河期が終わり(正確にいうと、現在は前の氷河期と、次にやって来る氷河期の中間に位置している「間氷期」にすぎないのではないかという説もありますが)、やがて海面が100メートルほど上昇して、だいたい、今日の世界地図に表されているような陸地の姿になったわけです。

そして、その広大な「スンダランド」が、海面上昇の影響であっという間に海中に没していく様子を、時間軸を早めた世界地図上での移り変わりを再現したCG映像で見せられた瞬間、「あ、これこそムー大陸伝説だったのではないか?」と思ってしまったのでした。

もちろん、この「大陸の沈下」は、チャーチワードが主張したとされる、一昼夜で行われたものではなく、たぶん数百年、ひょっとしたら案外短期間の数十年単位で生じた出来事だったかもしれませんが、現地に暮らしていた、日本人のルーツの1つであった縄文人の祖先、あるいは東南アジア人やミクロネシア人を含む多くのアジア・オセアニア地域に暮らしている人たちの祖先にとっては、まるで、毎日毎日、海が陸地を飲み込んでいくように感じられ、恐怖に慄いていたはずです。

つまり、そういった恐怖の出来事の記憶が「沈んだ大陸」の伝説として子々孫々に口承され、さらに後世文字が発明されてその記憶を石版や粘土板に記録する技術が確立されると、その伝説が石版や粘土板という記録媒体に残された可能性は非常に高いのです。

それを、たまたまインドに少年兵として駐留していたとされる、ジェームズ・チャーチワードが、インドの山奥あるいはチベットにいた僧侶から、あるいは古物商の土産物だったかもしれませんが、“石版”を見せられ(もちろん、この話自体の真偽は定かでありませんが)、それをもとにイメージを膨らませて壮大な謎の大陸に関する「創作」をしたのかもしれませんが、少なくとも太平洋のかなたの東南アジアやオセアニア地帯の一帯に「スンダランド」という“大陸”が実在していて、それが氷河期の終わり、すなわちアジア人の祖先が築いた文明の勃興期(抽象的な概念を、人類が言葉で子孫に伝承することが可能になった時期)に海中に没したことまでは、学術的な見地から見てもかなり信憑性が高いのでした。

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おっと、これが肝心の「中国語会話」とどうつながるかということですが、昔、世界史の教科書で習った、「殷、周、春秋戦国、秦、漢…」と始まった中国国家の歴史ですが、現在の研究では、「殷」の前にも都市国家や文明の存在が発見され、いろいろと研究されていますし、ひょっとしたら太古に実在した「スンダランド」の歴史から、現在、少しずつ解明されつつある中国“超”古代文明につながる「ミッシング・リンク」が今後も発見されるかもしれないのです。

ただし、その真相は全て大陸棚(このネーミングも言いえて妙ですが、元々氷河期の終わりに沈下した陸地が、広大な“大陸”の棚のような形状をしていることに由来しています)という、はるか100メートル下に位置する海底に眠っており、将来氷河期が再び地球に訪れて、海面が100メートル以上低下した時のお楽しみということになるのでしょうか。

さて、それでは明日からは「本題」に戻る予定?です。

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気まぐれ更新連載「私のマイ中国語会話ブーム」その3 さて、ここであえて趣向を変えて「脇道」にそれます。 

さて、ここであえて趣向を変えて「脇道」にそれます。

元々の動機が、

「ラニューベアーズに代表されるチャイニーズ台北や北京五輪を経て国際経験とプロ意識に目覚めたチャイナスターズのスター選手たちが、中日ドラゴンズ主催試合の終了後に、お立ち台で話される中国語の生の声をダイレクトに理解するために、今から準備を始めよう」

というものだったので、チャイニーズ台北という漢字が主流の国なのに、何故「ラニュー」という変わった名称の球団なのかということを、Wikipediaで調べてみました。

***

La Newベアーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加盟団体 中華職業棒球聯盟
創設年度 2004年
フランチャイズ 高雄県鳥松郷
本拠地 高雄県立澄清湖棒球場
収容人員 35,000人
親会社 La New
監督 洪一中
タイトル リーグ優勝:1回
(優勝年度) (リーグ戦)2006年

La Newベアーズ(La New熊、ラニューベアーズ)は、台湾の中華職業棒球聯盟所属のプロ野球チーム。台湾大聯盟から中華職業棒球聯盟に移った前身の「第一金剛」が身売りとなり、現在のチームとなった。チームカラーは緑。

親会社は靴製造業の「La New」。現在打撃コーチとして巨人に在籍していた呂明賜が在籍している。

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つまり、親会社は靴製造業の「La New」とあるように、“La”というのはどうやら冠詞のようで、この「物語」の「エピソード0:ラニューの復習」

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat5124629/index.html

で、私が言い間違えて、ラ・ムーと電話口で言ったことは、あながち大きな間違いではなかったことになります。

ところで、当時「猫も杓子もロックバンド開始宣言症候群」が猛威を振るっていた芸能界で、生き馬の目を抜くショウビズ界でこのままトップアイドルとしてサバイバルしていくことに人一倍敏感だった菊池桃子が結成した謎のロックバンド、「ラ・ムー」ですが、私はこのバンド名のいわれは、超古代文明マニアが特に喜ぶ「ムー大陸伝説」にあるのではないかと睨んでいます。

ムー大陸は、特に男子の超古代文明マニア(もちろん、私もその中の一人に含まれかもしれませんが、私の場合は、オタクと呼ばれるほどの知識がないのが玉に瑕です)が特に引き寄せられるテーマです。

ひょっとしたら、その層の開拓を目指して菊池桃子がその名前をバンド名(ただし、「ラ・ムー」(Ra Mu)という呼称は大陸そのもののことではなくて、ムー大陸にいたとされる神官に使われた言葉だそうで、さらにマニアックなわけですが)に冠したのか、あるいはそういう事務所の方針だったのかもしれませんが。

なお、ムー大陸については、現在では、その存在を主張したジェームズ・チャーチワードの「創作」ではないかという説が有力です。

これも、過去のいろいろな“とんでも本”を読み漁るとともに、Wikipediaの「ムー大陸」でその一端に触れると理解が早いかもしれませんね。

ところで、私は果たして「ムー」という“大陸”が実在し、なおかつ、そこに高度な文明が存在していたかどうかについての確信は持てないのですが、ある番組で、「あ、これこそ『ムー』だったのではないか!」と思わず叫んでしまった記憶があります。

それは、なんと「皆様のNHK」が製作した非常に学術的で真面目な内容の番組でした。

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気まぐれ更新連載「私のマイ中国語会話ブーム」その2 さて、「私のマイ中国語会話ブーム」ですが、実は今回が初めてではなく

さて、「私のマイ中国語会話ブーム」ですが、実は今回が初めてではなく、20数年前、まさに1980年代に突入する直前の学生時代に、一般教養的な選択科目で「中国語会話」の授業があり、せっかく学校が教員養成的な学部、しかも中国語教員養成学科もある学校だったので、ちょっと興味本位で、他学科学生も対象とする入門的なクラスを受けてみることにしました。

そのクラスの先生ですが、戦前生まれのかなり年配の先生だったのですが、少々変わった経歴の持ち主でした。

その先生が中国語を勉強したのは戦前で、しかも、当時日本が中国と戦争状態というか、中国本土に侵攻している時代で、国立の某外国語専門学校に入学したところ、そこの実態は“特務工作員養成学校”、すなわちスパイ養成学校の役割を果たしていたのだそうです。

要するに、戦前の日本がしだいに軍国主義の色彩を帯びてくる昭和初期の当時、日本は日独伊三国(さしずめ、今米国のブッシュ・ジュニアが声高に叫んでいた“悪の枢軸”に当たりますね)と、防共協定(これは、共に防御する意味だと当初思っていたところ、後に「共産主義の侵攻を防ぐ」という意味だったと知りましたが、知ってました?)を結び、それ以外の多くの国々とは、戦争状態や国交断絶状態、あるいは侵攻の対象となる国であったわけで、そういう国々の言葉を学ぶということは、事実上、その技量を活かして諜報活動を行うことを意味していました。

その先生は、まずは学校で中国語を徹底的に頭に叩き込まれるとともに、中国人の考え方や行動パターンさえも完璧近くにマスターさせられてから、中国本土に、一般の中国人になりすまして生活しながら諜報活動を行うように命令されていたそうです。

その授業では、工作員として中国で暮らしていた時に体験したエピソードがいろいろと散りばめられ、中国語を学習できる上に、中国人のものの考え方や行動パターンなどもいろいろと聞かされました。

まあ、今ではそのほとんどをうろ覚えでしか記憶していないのですが、ひとつだけ鮮明に覚えていることがあります。

日中戦争も末期になると、戦況がしだいに日本に不利な状況になってきて、各地で、中国人による「日本人諜報員狩り」が始まり、その先生もかなり厳しい尋問にあったそうです。

その先生は、まずは現地の人たち(当時は殖民された側の立場の中国の人たち)とも、むしろ公平に接して仲良く暮らしていたので、事情を知っている中国人の仲間が、「彼は中国人だよ」とかばってくれたのですが、それでも徹底的に日本人を炙り出すことを当局から義務付けられている尋問係が、いろいろな「罠」を仕掛けてきたそうです。

日本人は、何かに非常に驚いた時に発する言葉が「嗚呼!」とか「うわあ!」と叫んでしまって、実は日本人であることがばれてしまうのですが、その時に「アイヤア!」という中国人独特の叫び声を挙げて切り抜けたところ、ようやく信用してもらったそうです。

そういうわけで、その先生にとって、中国というところは、生活のために諜報活動を行わざるを得なかった国であるとともに、いろいろと自分を助けてくれた人たちが暮らしていた土地でもありました。

1970年代後半、当時は、毛沢東政権の後を継いだ「四人組」の時代も終わりを告げ、その“悪行”の糾弾とともに、鄧小平がしだいに権力を握りながら、国家経済としては少しずつ市場経済への移行が開始され、今日の「伸びゆく中国」が胎動している時代で、自分としては、そういう中国に関心を持ってくれた日本人学生に対して、中国語とともに、中国人のものの考え方や、文化習慣を教えていくことで、中国への恩返しとともに“罪滅ぼし”をしたいという気持ちで、授業を進めていたようです。

その当時使用された「教材」は、北京放送製作の「中国語会話入門講座」で、ある意味正統派の教材でした。

興味深かったのは、中国では、今でも多少その傾向が見られますが、紙というのが非常に貴重なものであり、テキストに使用されている用紙が、日本のテキストではまずは使われないような、わら半紙のような紙質であったことを記憶しています。

実は、先日ちょっとモダンな印象のある、銀座のはずれにある中華料理店に昼食を食べに行く機会があったのですが、そこの箸袋の紙質がまさにそのテキストと同じもので、中国人にとって、紙というのは非常に貴重品だという意識があるからこそ、ちょっと気取ったレストランの箸袋にも良質の紙を使用しないという習慣をいまだに守っていることを実感したしだい。

なんせ、最初に「紙」を発明したのは中国の人たちだったはずですから、そういうことにプライドを持っているのでしょう。

さて、その北京放送製作の教材には、オプションで音声教材も付属しており、1年間の授業の終わり頃に、その先生のツテで、音声カセットテープを購入することができました。

まずは、実際の授業でその先生のチャイニーズ・ネイティブスピーカー並みの発音(なんせ、中国人の尋問係に彼が日本人だと見破れなかった訳ですから、生死を賭けて習得した中国語なわけです)で教わった後に、そのカセットテープで本場の中国語を聴いたことになります。

ただし、そのように学んだ中国語ですが、私はむしろ先生の話すエピソードのほうに興味が移ってしまい、いまだにヒアリング能力のほうはさっぱりでした。

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気まぐれ更新連載「私のマイ中国語会話ブーム」その1

本日から、気まぐれ更新連載「私のマイ中国語会話ブーム」を始めることにしました。

その動機は、「FNS地球特捜隊ダイバスター」が、来る2025年に地球にやって来る知的生命体パピルスからの質問に備えて、現在の地球のありとあらゆる疑問を解決するために結成されたのとちょっと似ています。

すなわち、来る2010年に、我が中日ドラゴンズに多数採用されることになる、ラニューベアーズに代表されるチャイニーズ台北や北京五輪を経て国際経験とプロ意識に目覚めたチャイナスターズのスター選手たちが、中日ドラゴンズ主催試合の終了後に、お立ち台で話される中国語の生の声をダイレクトに理解するために、今から準備を始めようという意図で、中国語会話の、特にヒアリング能力を高めることにしました。

というわけで、とある「中国語会話」の教材(いわゆる、イーラーニング。愛称:イーラン)で少々勉強してはいたのですが、生来の怠け癖が抜けず、先月の11月末に修了期限が訪れてしまい、駆け込みでひとおり教材のスキット(会話場面)は見たのですが、修了時に提出する「レポート問題集」が採点された結果修了条件の60点に達せず、「未修了」となってしまいました。

が、おまけに付属していた『わくわく中国語会話』の市販書籍と音声CDを記念にもらえたのと、駆け込み学習での「スキットのドラマ」の“思い出”を語るコーナーとしたいと思います。

本日は「前書き」のみで、明朝から不規則定期?連載を始めたいと思います。

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少年時代は関東地方(東村山市や千葉市)に住んでいましたが

少年時代は関東地方(東村山市や千葉市)に住んでいましたが、その時のドッヂボールのローカル・ルールでは、横手から円盤投げのような要領で投げる投法が女投げ、上手から投げる投法が男投げでしたね。まあ、要するにオーバースロー以外の変則投法が女投げと呼ばれていたようですね。

ちなみに、野球が現在のように世界的に普及していなかった(笑)20数年前は、野球というスポーツをやったことがない国、例えば中国あたりに野球を導入しようとすると、何故か、陸上競技の槍投げの選手が呼ばれてピッチャーの真似事をさせられていたのが笑えましたね。

確か、チェコの槍投げ世界記録保持者ヤン・ゼレズニー選手が、アトランタ五輪後に競技生活を引退した後に余技として、アトランタ・ブレーブスの入団テストをピッチャーとして受けたそうですが、いくら身体能力が高いとはいえ、野球未経験者の彼が、ただ速い球を投げれればピッチャーが務まるというほど甘い世界ではないことを知っている我々から見ると、随分無謀なことをしたものだと思ったものです。

ところで、少年時代のボール遊びで「ろくむし」という球技をやっていた子はいねえか。これは、アメリカのベースボールの原型となったタウンボールという遊びが、どこかで直輸入されて、日本の子供の遊びになったものと思われますね。

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本当は世界一だったニグロ・リーグ

本当は世界一だったニグロ・リーグ

佐山和夫氏の『史上最強の投手はだれだ』という、ニグロ・リーグの大投手サチェル・ペイジの伝記本を1980年代に熱読した者としては、「真の野球の世界一はどこなのか。そしてWBC、メジャー、NPBは、果たしてガチンコなのか?」という疑問に対して黙っているわけにはいきません。

実は、ニグロ・リーグ(当時、本当にこう呼ばれていたので、この呼称が正しい)では、NPB王貞治の本塁打記録を遥かに超す1,000本以上の本塁打を打った打者の話や、史上最高の豪速球投手といわれたサチェル・ペイジを初めとするニグロ・リーガー選抜と、当時のメジャー・リーガー選抜がガチンコで対戦した結果、メジャーが子供扱いされ負けてしまい、その実力だけはメジャー・リーガーからリスペクトされながらも、世間からは差別されていたのがニグロ・リーガーたちだったわけです。

そして、ニグロ・リーグには正確な記録が残されていないのですが、じゃあ、何故記録がきちんと残されずに参考記録に留まり、また記録自体が重視されなかったかというと、ニグロ・リーグというのは、貧しい黒人達の唯一の娯楽の対象であり、それは賭けの対象、すなわち黙認されたギャンブルだったわけです。

したがって、彼らは胴元からの指示で勝ち負けをコントールして、いつでも160キロを超す直球を投げて相手を三振に切ってとったり、相手の打者の打ち易いところに投げてホームランを配給したり、一方打者のほうも、ポール直撃弾を放つことさえ朝飯前だったのです。実力世界一というのはそういうレベルのことなのです。

プロというのは、どの競技でも生活が掛かっているからね。

ちょうど、バスケットボールの「模範試合興行」で有名なハーレム・グローブ・トロッターズの超ロングシュートが、九分九厘ネットインするのと同じくらいに、あらゆるスポーツのプロの技術というのは恐ろしいし、そのために毎日厳しいトレーニングを積んでいるのです。

 

さて、WBCのどの試合が、あらかじめシナリオが用意された試合で、どれがガチンコ試合なのかを推理するのも、そして、たとえシナリオがあらかじめ用意されていた試合であったとしても、そのシナリオとそれを実現した選手のパフォーマンスが素晴らしければ、敢えてその趣向に乗って、本当に感動の涙を流すのも、長年のファンとしては心躍らせる楽しい瞬間でもあります。

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