昨日の「ハケ品」は、出だしで、森ちゃんが春子をかばって自分が東海林にプロポーズされたことにして、「それが何か」という春子の決めゼリフを替わりに発したのが面白かったですね。
いよいよ、最終話にはスーパー派遣社員の主役の座を美雪に譲って、春子は木枯らしとともに去って行くという伏線なのかもしれません。
ただし、今回の派遣先に対しては、春子ははかなり後ろ髪を引かれながらのエンディングとなりそうですが。
あと、大前春子は犬の訓練士の資格も保持しているとのことでしたが、その割にはクルクルに対しておっかなびっくりで接しており、結構シリーズ最後の方では、大前春子(と、篠原涼子本人)にもいくつかの弱点、つまり、イラストやクルマの整備(と、犬の扱い)が苦手であることが露呈されてしまいましたが、それはそれで、かえって好感度をもたらす結果となりましたね。
一方、恋の行方は、春子にこっぴどく振られた東海林は、実は入社以来ずっと東海林のことを憎からず思っていた黒岩の愛にほだされ、最後は二人がくっつくのかもしれないですね。
この点については、バレンタインチョコの回で、黒岩は義理チョコを東海林に渡す振りをして、実は「本チョコ」を渡したのだが東海林はそれに全く気付かず、「本チョコを買うなら、例のチョコレート工房のを買ってね」と言われて、ちょっと複雑な表情を浮かべていましたものね。
ところで、黒岩を演じている板谷由夏は、最近実生活で結婚を披露してちょっと話題になっていますね。
この人も芸歴は案外長いそうで、かつては、「DA・YO・NE」という、EAST END×YURIというユニットがリリースしたヒップホップ系ラップミュージックが1990年代半ばに一世を風靡したことがありましたが、その「地方版」がやたらと登場して、九州版五匹目あたりのどじょうソングを歌うユニットとして、博多華丸(当時は鶴屋華丸)やおたこぷー(当時はおタコ・プー)と共に、SOUTH END×YUKAとして、シングル「SO・TA・I」もリリースしたそうです。
一方、森美雪は果たして往年の大映テレビドラマのように里中とくっつくのか、そこについては確信が持てませんが、何か。
また、最後にいろいろと舞台裏が明かされるのでしょう。
大前春子は年齢不詳とのことですが、実は東海林(年齢は2歳上ですが)、里中、黒岩、一ツ木たちとほぼ同年代であり、つまり同期であったこと。
そして、タブラオのママは、かつては赤坂あたりの高級料亭の女将かなんかで、<S&F>社の役員である大滝秀治扮する謎の老人と懇意だったということで、今回の「ハケン弁当」の企画が、トップの承認をすんなりと得られた理由が明らかにされるのではないかと思います。
まあ、上記の予想は、全て裏取りなしのたんなる推測にすぎないことをあらかじめお断りしておきますが。
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ところで、中日ドラゴンズのオープン戦の成績は、中村ノリ以外は打撃陣に貧打が目立ち、このままの状態が続くようでは、中村ノリをすぐにでも一軍に登録したいというのが落合監督の本音でしょうね。
元々、落合監督は、プロ野球選手は技量を発揮してなんぼの存在であり、人間性については、起用のさいにはいっさい考慮しないと思っているはずで、私もプロならばそれでいいと思っています。
それは、中日ドラゴンズにしても、あの選手、この選手というように、人間性を物差しにしていたら、ねえ…。
いわば、ライバルのスパイク(バレエ界でいえばトウシューズに相当)に画鋲を入れてでもレギュラーを勝ち取るべきであるというのが、プロの世界の掟であるともいえるからです。
つまり、実力のみが評価の基準でしょう、プロ野球選手はね。
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さて、「中スポ」と「トーチュウ」で連載されている、杉下茂氏の連載「伝える」第1部は、本日でいったん一区切りを付けるとのことですが、昨日の中里篤史投手を「鈴木孝政二世」になぞらえ、本日の「タカマサ論」に結び付けていましたが、杉下氏と川上哲治氏のライバル関係と、鈴木孝政氏と長嶋茂雄氏のライバル関係の対比を挙げていましたね。
私も、鈴木孝政が実質上の初登板を果たした1974年(その前年は、杉下氏が語ったように、対大洋ホエールズ戦の1戦だけに登板した直後に肩か肘を痛め、シーズンを棒に振ったように記憶していますが)の対讀賣戦のことはよく記憶しています。
たしか、いきなり王、長嶋のONコンビを快速球で連続三振に斬って取るという鮮烈なデビューを飾り、その名を一躍球界に轟かせ、その年の貴重な新戦力として、20年振りのリーグ優勝にも貢献したのでした(ちなみに、右のタカマサとともに、この年左の速球派中継ぎ投手として優勝に貢献したのが、現在ドラゴンズの「査定担当」として鋭い視線のメガネが印象的な竹田和史氏です)。
そのシーズンの、その後の鈴木孝政対長嶋茂雄の対戦については、実は私は全く記憶していないのですが、長嶋もその年の初めに密かに引退を決意していたそうで、これから球界を背負って立つであろう「逸材」に対して、最初の打席は敢えなく三振に斬って取られたが、何としてでも「プロの洗礼」を浴びせてやろうと人知れず研究と工夫を重ねた結果、彼が速球と変化球の投げ分けがあまり得意でないことを見抜き、速球は自分の動体視力の衰えから判断するととても打てそうにもないと割り切り、変化球だけを待っていたところにおあつらえ向きのカーブがやって来たので、「よーし」と大声を挙げて、後楽園球場のレフト中段に狙い打ちのホームランを放り込んだのでしょう。
ちなみに、杉下氏は、そのシーンについて、「先輩捕手のサインに首を振れなかったのではないかと思う」と、彼をかばっていますが、その当時の主戦捕手(控え捕手は新宅氏でしたが、“目玉“の「巨人戦」だとすると、たぶん主戦捕手が受けているはず)は、誰あろう、“ミスター我田引水”木俣達彦氏であったろうと思われます。
http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_ca1f.html
ということは、彼のリード(配球)にも問題があったことになり、そのために鈴木孝政は近藤貞雄ヘッド兼投手コーチに散々耳を引っ張られて(うーん、あの耳は思わず引っ張りたくなる形状をしているよなあ。でも、彼は千葉県立成東高校という、成東地区の有名進学校の出身で、あの耳は賢さの証明でもあったと思われますが)お説教を2回も食らったことになるわけで、ちょっと気の毒ではありますが、まあ、その後速球派から技巧派投手に転身して長寿命の投手として球界に生き残れたのだから、そういう彼の“やられキャラ”としての性格は頭脳派投球術の源泉ともなったのでしょうから、案外、「人間万事塞翁が馬」といえるのかもしれませんね。
ところで、杉下氏と川上氏のライバル関係は10年以上続いた同等の関係なので、最後に対戦した年にはお互いが衰えを感じていたはずで、杉下氏が、最後の年の川上氏との対戦の記憶が残っていないというのはもっともな話。
一方、“新米”鈴木孝政が、憧れの存在でもあった“老兵”長嶋茂雄との最後の対戦をしっかりと記憶に刻み付けているというのは別次元の話と捉えたほうがいい、と私は思いますけどね。
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一方、「トーチュウ」第4面の「セブンアイ」では、同コラム連載陣の1人ねじめ正一氏(実は、十数年前に、彼が所属する「ファウルズ」という、長嶋茂雄が名誉監督を務める名物草野球チームと、当時私が勤めていた会社の草野球チームが練習試合で対戦したことがあり、私も人数合わせとしてセカンドあたりで出場したことがあるのですが、その試合で同僚がファーストゴロを打って、ファーストの守備についていたねじめ氏と交錯し、あわや乱闘になりかけた「事件」がありました。「詩人と聞いていたが、随分と荒っぽいプレーをするな」という、その同僚の言葉が印象に残っています)が、杉下氏の連載に触れ、その情熱と話の巧さを絶賛していました。
それを読んで気付いたのですが、杉下氏に、「ケンシンにフォークボールを伝授してやってほしい」と、昨シーズンの秋キャンプから落合監督が何回も依頼しているのは、たぶん落合監督もケンシンの“勤続疲労”に大きな不安を感じており、それをカバーするためにフォークを教えてほしいという「親心」のように感じました。
でも、結局ケンシンは、そういった落合監督の親心や杉下氏の教えを「時期尚早」と感じているのでしょう。
ケンシンにも超一流投手としてのプライドというか、意地があります。
彼からすれば、速球とカーブとカットボールのコンビネーションで打者を牛耳れるうちはそのスタイルを貫きたい。
それが、たとえ明治の大大先輩からの助言だったとしても、まずは自分の美学を貫き通したい。
たぶん、そういう男だと思いますね、ケンシンは。
そういう、一見無骨とも思われる意地を張るのも、立派な「明治魂」だと私は思います。
私は、近年のケンシンの調子を計るバロメーターは、阪神タイガースの金本選手との対戦にあると思っています。
2004年と2006年は、真っ向勝負を挑んで、重要な場面ではほとんど打ち取っていました。
それは、対戦上の通産打率・打点や被本塁打数がどうのこうのというような「数字」とは全く無縁の、真に重要な、ここぞの場面で投げ勝つかどうかのみが大切なのです。
が、2005年の後半、ケンシンは金本選手との対戦において、明らかに自信を喪失していました。
したがって、今年のケンシンの本当の調子を占うには、金本選手との対戦を待つしかないと、私は思っています。