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“YAMAMOTO 34”Tシャツの霊験あらたか!

先日のGW名古屋遠征(5/4、5、6)で、遂に“YAMAMOTO 34”Tシャツがナゴヤドームのグッズ売り場「プリズマ・クラブ」で販売されているのを発見して、狂喜乱舞して購入し(彼の個人応援グッズは、特注品を除き、今まで何故か地元名古屋でもほとんど市販されていなかったように記憶しております)そのTシャツを着用しての応援が霊験霊験あらたかだったようで、昨晩の「讀賣対中日戦」は、何とか山本昌投手に勝ちが付く応援をすることができました。

関東地方在住「ドラファンの三大義務」といえば、神宮およびハマスタ応援に加え、東京ドームのレフトビジター応援席(と、最近は通常のレフト外野指定席もほとんどドラゴンズファンで占められるようになり、なかなか好ましい傾向となってきましたが)での熱烈応援といえますが、神宮とハマスタは、平日はアフターファイブ、土日はウィークエンドのまさに娯楽といえますが、こと、対讀賣戦に限っては、平日はサービス残業、土日は休日出勤のような気持ちで出掛けております。

今回の三連戦は、第1戦の5/11(金)に川上憲伸投手がボコボコに打たれた心と体のショックが大きく、土日の観戦は試合の中盤にやっと球場に辿り着くという、いわば「重役出勤」の体たらくで、5/12(土)はドラゴンズ怒涛の9点攻撃が終了した後に、5/13(日)は4回表にイ・ビョンギュのライトフライをヨシノブ坊ちゃまがご落球あそばれたという報道をラジオで聴きながら入場しましたが、その後ウッズが6回表に豪快なアーチを蹴散らして2点差に広げたものの、7回裏にドラ戦に強い矢野外野手に同点三塁打を打たれるも、その後の一死三塁の大ピンチを同点までで防いだのが勝因でしたね。

私の観戦したシートはレフト外野指定席だったので、後ろと右隣の席がジャイファンでしたが、彼らが、同点に追い付いたのに勝ち越せない状況になったら、「うちは中継ぎ投手が心配だなあ」というような話をしていたので、ひょっとしたらチャンスが来るのでは、と思っていたらそのとおりに。

案外、ジャイの弱点はそこにあるようです。

また、もうすぐ交流戦ですが、パ・リーグの各球団は手ぐすねを引いて対讀賣戦に備えていることでしょうね。

なんせ、パ・リーグの“顔”を、FAという事実上の裏金を使って強奪しているわけですからね。

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_0255.html

さて、現在の讀賣ジャイアンツが好調な要因は、特に、今年パ・リーグから移籍した谷選手と小笠原選手という、いわば、元パ・リーグ主力打者の活躍によるものが非常に大きいと思われますが、セ・リーグの投手陣が彼らに手こずっているのは、元々讀賣球団は自前の打撃陣がかなり強力なところに加えて、セ・リーグ投手陣が谷選手と小笠原選手の弱点を十分に研究する間もなく、まるで大波のように彼らと生え抜き打撃陣が波状攻撃を仕掛けてくるからそれを防ぎ切れないわけですが、谷選手と小笠原選手の弱点をしっかりと研究しているパ・リーグ各球団の投手陣には、そう簡単にはいかないでしょう。

そして、セ・リーグ各球団も、交流戦で谷選手と小笠原選手の攻略法のお手本をパ・リーグ投手陣に見せてもらいながらしっかりと研究すれば、「アフター交流戦」の後半戦では相当いい勝負が展開されることでしょう。

落合監督は、「勝負は6月(をどう乗り切るか)だよ」とおっしゃっていたそうですが、まさにそのとおりになりそうですね。

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新年の正月休みは、中日ドラゴンズの地元である名古屋市近辺に出掛けて

新年の正月休みは、中日ドラゴンズの地元である名古屋市近辺に出掛けて、ドラゴンズ選手たちのトークショーを観察して来ました。

その模様は、私のホームページ「竜之巣」の大家的管理人である東山にしこさんのホームページ「玉川オンライン」の中日系コーナー

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/draindex.htm

の「オフのあいつ」で詳しいレポートを追々挙げていただけるとのことですので、そちらにお任せすることにします。

1月2日には、森野選手と、ドラゴンズOBの木俣氏、川又氏による三者トークショー(鼎談)というか、実質上は木俣氏の独演会&クイズショーだったような気もしましたが、それを見た後、翌1月3日は、井端選手とドラゴンズOBの藤波氏とのトークショーを見てきました。

***

感想はいろいろありますが、こういうOBを交えてのトークショーの場合、現役選手はOBにいろいろと気を遣わなければならないので大変だなと思いましたが、井端選手の場合は、あまり気を遣わなくてよさそうな藤波氏だった(注:褒め言葉です)ので、本音丸出しの話が聴けたので非常に面白かったです。

一方、OBというのは、トークショーのような一応オフレコが原則となる非公式な場では、現役選手をダシにして、もう自分の好き勝手放題のことが言えるわけで、例えば、昨年のプロ野球中継のような“公共の電波”上で話していた「タテマエ」とは異なり、本音をずばずば言い放つわけで、結局、人の好き嫌いというのは百歳まで変わらないんだなあ、という確信を得ましたね。

まあ、誰のことを言っているのか、察しのいい人にはすぐにわかったことでしょうね。

***

さて、話は変わりますが、昨年の12月に独断による推測記事を書いた、今年から讀賣に移籍した小笠原道大選手が、一昨日の日曜日NHK「サンデースポーツ」に生出演しましたが、やはり嘘のつけない男ですね、彼は。そういう意味では、先日の私の推測も、当たらずとも遠からずな点が多々あったのではないかと思っております。

一昨日の放送では、特に、ニックネームである「ガッツ」のいわれを、熱心なジャイアンツファンと思われる堀尾アナが、本当の事情をあまり知らずに嬉々として尋ねてきたのを、苦笑しながら答えていた小笠原選手が非常に面白かったですね。

「ガッツ溢れるプレーをするからそう言われているんですよね」みたいなことを堀尾アナから尋ねられ、「半分は本当です」と、苦しい返答をする小笠原選手。

一軍のプロ初ホームランを打った時に指を骨折してしまったのに、それを押し殺してベースを一周したエピソードもあるほどガッツがある、という美談も披露されましたが、実は、日本ハムファイターズの先輩である岩本勉投手(当時)が「ガッツ」の名付け親であるということは一応番組でも紹介されましたが、そこは“皆様のNHK”ですから、「何にでもガツガツ取り組むので、そういうあだ名になったのだと思います」と、小笠原選手も、かなりオブラートにくるんで話していました。

この「な・ん・に・で・も、ガツガツ」という受け答えに、思わず「ガッツ、ナイス回答!」と、往年のガンちゃんのようにテレビの画面に突っ込んでしまいました。

ちなみに、ガッツのあだ名の由来は、岩本勉氏の著書『ガンちゃんの世界一おもしろいプロ野球の本 』でも紹介されていましたが、まだ、あれでもちょっとオブラートにくるんでいたように感じましたね。

実は、私と東山にしこさんは2001年、まだ岩本投手がファイターズの主戦投手としてブイブイ言わせていた頃、シーズンオフに千葉県鎌ケ谷市のファイターズタウンで開催された、日本ハムファイターズ「ファン感謝デー」に参加した時に行われた、岩本投手や、一軍に定着して間もない小笠原選手らが参加したトークショーを聴いたことがありました。

その模様は、東山にしこさんの以下のレポートをどうぞ。

ただし、既に写真のリンクは切れていて、さらに「ガッツのあだ名のいわれ」は出てきませんが。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/ham/hamfan_01.htm

その時に岩本投手が語った「ガッツのあだ名のいわれ」が本来のものだと、私は今でも信じています。

そのトークショーで岩本選手は、「…ガッツのことについてはねえ、このトークショーは、小さいお子さんも聴いているので、これ以上は話せないけどね」という言葉で締めくくっていましたが、まあ、そういうちょっと“18歳未満視聴禁止”系のネタであったということになりましょうか。

その頃の小笠原選手は、岩本選手にそのようにいじられても、全くリアクションできないほど口数も少なく極度に緊張していたものですが、翌シーズンにさらに大活躍して完全にチームの主力として認められるようになったら、そのシーズンオフに開催された2002年「ファン感謝デーの」同様なイベントでは、既に小笠原選手には、球団の顔としてチームを背負って立つ貫禄が備わっていて、非常に饒舌になっていたのには驚かされました。

http://homepage3.nifty.com/TAMAGAWA/dra/ham/hamfan_02.htm

そういう、選手の成長具合を確かめられるのも、オフのトークショー「観戦」の楽しみでもあるといえましょう。

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小笠原道大は、讀賣ジャイアンツの「ラスト・サムライ」になれるか(その3)

さて話を、冒頭の日曜深夜のスポーツニュースバラエティ番組に戻すと、小笠原選手がファイターズを去り、ジャイアンツに入団を表明するまでのドキュメンタリーで垣間見た小笠原選手の表情を思い起こすと、必ずしも、本人が望んで移籍していくようには思えませんでした。

ひょっとしたら、FA宣言をした後にも継続して行われた日本ハム球団との「慰留交渉」は、「(日ハムに残りたいという)キミの気持ちはありがたいが、球団が置かれている事情もわかってくれ」というように、むしろ球団側からの「FA流出の懇願交渉」だったのではないかとさえ思っています。

それは、この番組前半のドキュメンタリー部分に挿入された再現ドラマ風の映像で、小笠原選手の愛娘が「このままファイターズに残るという選択肢はないの?」と、小笠原選手自身に問いかけて、小笠原選手もその言葉を聴き、頭を抱えて苦悩するというシーンがありましたが、これはむしろ小笠原選手の本音が愛娘の心に反映され、それを受けた形で父親に向けて娘さんからその言葉が発せられたのかもしれません。

つまり、通常は自分の父親が単身赴任先から我が家に帰って来ることは娘さんにとっては非常に喜ばしいことであり、たとえ北海道のファンからの強い引き止めの声があり、その声が父親の帰りを待ち侘びている小笠原家に伝わってきたとしても、首都圏に居を構える家族の立場からすればそれほど直接的に報道されているとも思えず、やはり父親に是非とも地元に帰ってきてほしいと願う気持ちのほうが遥かに強いはずです。

ところが、北海道へのさまざまな愛着と、家族が待つ首都圏への帰還との板挟みに迷い苦悩している父親の姿があまりに痛々しかったので、その心情を察した娘さんのほうから、「北海道に残るという選択肢も考えてみたら」という言葉を敢えてかけたのかもしれません。

この番組では、そのように悩みに悩み抜いた小笠原道大選手ではあったが、結局は「ジャイアンツを変革する」という新たな使命感に燃え、北海道に残るという「安易な選択」を捨てて、敢えて道民の反感や、「お金につられて讀賣に入団したのではないか」というアンチジャイアンツファンのそしりを甘んじて受けるという“茨の道”を歩むことを彼は選択したのである、というストーリーでまとめられていました。

そして、そのことについては、番組の最後に小笠原選手がスタジオに登場し、番組キャスターの恵俊彰と槙原寛己から「釈明と決意表明の機会」を与えられてひととおりそれについて喋り、そのあとに2人から、「ジャイアンツを何としてでも変えてほしい、という原監督の熱い情熱に小笠原選手もほだされたのですよね」というような趣旨で、この話が“美談”としてキレイにまとめられようとしたところ、

「あのねえ!」

と、突然小笠原選手は語気を荒げて何かを言おうとしたが、その直後にそれを飲み込み、最後は当たり障りのない発言に収めたシーンが、図らずも流されました。

その一瞬だけ、同じ日曜夜の「洋画劇場」でテレビ放映された「ラスト・サムライ」の日本人側主演俳優、渡辺謙が演じた“滅びゆく運命を敢えて甘受するサムライ”のような光が、小笠原選手の眼中に宿ったような気がしましたが、それは私の見間違いだったのかもしれません。

ここ数年、パ・リーグ各球団から、讀賣ジャイアンツに多数の有力選手が“転入”してきたわけですが、大部分の選手は「名前倒れ」に終わり事なきを得ましたが、やはり一番手強かったのは、いろいろな「事情」を飲み込んで移籍してきた小久保選手でした。

そういう意味では、その雰囲気が酷似している小笠原選手は、来季に悲願のリーグ連覇を目指す中日ドラゴンズにとって、なかなか手強い存在になりそうな気がしています。

<終劇>

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小笠原道大は、讀賣ジャイアンツの「ラスト・サムライ」になれるか(その2)

私の推測では、その北海道への移転か、あるいは交流戦実施にからむあたりに事情が隠されているのではないかと思っています。

つまり、元々東京ドームは、いわば読売ジャイアンツが経営するプロ野球興行の“置屋”であり、日本ハムファイターズは、そこに間借りしていた“店子”に過ぎなかったのではないかということです。

それがある時、とある興行筋から「墾田永代私有法」なるお触れ、すなわち、北海道に屯田兵として移住して新たな市場を開拓(墾田)した球団には、そのご褒美として札幌ドームのフランチャイズ(永代私有)権を与えるというオファーが出され、関東圏という讀賣球団が事実上牛耳っている地域に見切りを付けて新たな市場を模索していた日本ハム球団は、それに賭けたのではないかということです。

ただし、そのためには、長期にわたることを条件にある程度の割引料金で間借りしていた東京ドームの利用料を途中解約する必要があり、その違約金を「お金」で払うか、あるいは「人材」で償うかという「証文」を書かされた上で、晴れて、日本ハムファイターズは、北海道に新天地を求めて“足抜け”が可能になったのではないか、というものです。

その結果、讀賣球団としては、このところいろいろと噂されているさまざまな“危機的状況”を脱するために、いよいよ伝家の宝刀である「証文」を日本ハム球団に突き付け、「そろそろ借金のカタを返してもらおうか。おっと、そこに生きのいいニイチャンがいるようだが、こいつをFA移籍で貰えるのなら、今までの借金をチャラにしてやってもいいぜ」という風に迫ったのかもしれません。

***

もう1つの推測は、「交流戦実施にからむ裏事情」とでもいうべきものですが、これはたんに日本ハム球団だけの問題ではなく、パ・リーグ全球団にもからむ問題であったとも思われます。

元々、2005年からセ・パ両リーグの交流戦が実施された背景には、経営的に苦境に陥っていたパ・リーグ各球団が、セ・リーグ球団との対戦というか、実質上は讀賣ジャイアンツとの対戦によって得られる興行収入がほしかったというのが、まずは第一の目的ではなかったかと思います。

この点について、最近は対讀賣戦の視聴率はジリ貧状態で昔ほどの「ドル箱」ではなくなってきたというのが実情ではありますが、そうはいっても、パ・リーグの他球団同士、特に“不人気球団同士”の対戦カードと比較すれば、それは天と地ほどの差があるはずです。

それは、フランチャイズ権があるパ・リーグ球団側の地元球場で開催した際の対讀賣戦における入場料収入とともに、テレビ放映権からもたらされる主催球団へのバックマージンも莫大な金額に上るものと思われます。

そのように、パ・リーグ各球団にとっては長年の“夢”だった、讀賣球団との交流戦が2005年から実現したわけですが、讀賣側としても、そのような「ドル箱」をただで供給したわけではなく、きっちりと“見返り”を要求したはずです。

それは、主に「パ・リーグ各球団有力人材の讀賣への“事実上の譲渡”」という形でなされたのではないかと思います。

例えば2005年のシーズンオフでいえば、日本一になった千葉ロッテマリーンズからは、好不調の波が激しいとはいえ本塁打の量産が期待できるイ・スンヨプ選手と、堅実な守備力と走力が売り物の小坂選手の移籍がそうだったのでないかと思っています。

そして、2005年はパ・リーグの勝率1位ながらプレーオフで優勝を逃した福岡ソフトバンクホークスについては少々変則的で、既に讀賣に移籍していた小久保選手の“拘束期間”が実は2年間で、2006年はオプション(その時の状況次第で互いに交渉する)という取り決めだったそうです(前述の『プロ野球スキャンダル事件史』をご参照ください)が、結局は讀賣側の強い要望によってもう1年の「年季奉公」を続けざるを得なくなり、小久保選手は2006年も讀賣でプレーしましたが、そういう形で讀賣側が見返りを求めた結果、ホークス側からすると、今年いっぱいでようやく元の親会社であったダイエーの“負の遺産”を完済することができたので、2007年からは晴れて小久保選手を取り戻すことができた、というのが本当のところだったのでしょう。

そして、2005年にパ・リーグ3位だった西武ライオンズからは、当時は絶対的な守護神だった豊田投手をFA移籍の形で獲得するとともに、メジャー球団への移籍条件のこじれから“就職浪人”の立場になりかけたのを救済する名目で獲得した小関選手も、ひょっとしたら元々“出来レース”だったのかもしれません。

同様に、2005年4位に終わったオリックス・バッファローズからは主戦投手のパウウェル投手を獲得していますし、2007年シーズンに讀賣に移籍する谷選手もその関連によるものかもしれません。

そして、2005年の成績が5位に終わった北海道日本ハムファイターズについては、その年には敢えて“人材流出”を要求せず、2007年に向けて満を持して小笠原選手のFA引き渡しを要求したのではないかと思います。

なお、2007年が球団創設3年目に当たり、当面は最下位が定位置となっている東北楽天ゴールデンイーグルスから人材を強奪するのは、讀賣側から見ても現時点では得策ではないと思われるので、将来性が見込まれていて、大学生時代に讀賣も「栄養費」を渡していた一場投手や、現在、その人気と実力を急速に増しつつある鉄平選手あたりが、将来讀賣球団に狙われるかもしれないと、危惧しています。

以上のように挙げた、パ・リーグの“元主力”や“未来の有望”選手たちの全てが、讀賣球団との交流戦実施の見返り人材であると断言することはできませんが、少なくとも、これだけの人材が2005年と2006年のシーズンオフに讀賣に終結しているわけですから、讀賣球団に対する貴重な人材供給源の役割を、パ・リーグ各球団が果たしているのは紛れもない事実です。

2006年の開幕当初は、これらパ・リーグから獲得した優良人材の活躍もあり、讀賣ジャイアンツは「ロケットスタート」なるものに成功したわけですが、ちょうど5月から始まった、パ・リーグ各球団との交流戦の頃に故障者が続出し、さらにそういった“特効薬効果”の息切れが始まった結果急に失速し、原監督がいうところの、ロケットの「大気圏再突入」は二度と生じなかった(というか、一度大気圏を脱出した讀賣ロケットは、その後地球の引力に引き寄せられて再び大気圏に戻って燃え尽きたわけですから、実は原監督の作戦どおりになったという気もしますが)のです。

したがって、これこそまさに、自軍の貴重な人材を讀賣球団に強奪されたパ・リーグ各球団にとっては、一見きれいな言葉の響きに騙される「交流戦」ならぬ、讀賣球団に対する“復讐戦”であったという、讀賣球団にとっては何とも皮肉な結果に終わったわけです。

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小笠原道大は、讀賣ジャイアンツの「ラスト・サムライ」になれるか(その1)

話は全然変わりますが、先週の日曜深夜のスポーツニュースバラエティ番組で、何チャンネルか忘れましたが、熱狂的なジャイファンといわれているお笑いタレントの恵俊彰と、元読売の“DAMEMAJIN”こと槙原寛己がレギュラー出演している番組を何とはなしに見ていたところ、先日、今季日本一となった北海道日本ハムファイターズから、道民の切なる残留懇願もかなわず、この12月に讀賣ジャイアンツにFA移籍した小笠原道大選手についてのミニ特集が組まれていました。

その特集は、前半が、小笠原選手がFA宣言を決意して日ハムを去り、讀賣に入団を表明するまでの過程を追ったドキュメンタリーと再現ドラマを合わせた形式で、後半は本人が番組に出演して、恵俊彰と槙原寛己の2人からなされる質問に答えるインタビュー形式で進めるという、二部構成の番組でした。

私は、その番組を、他のスポーツ番組のハシゴの末に何となく惰性で見ていたのですが、番組が進んでいくうちに、根拠は何もありませんが、「あれ? この雰囲気、前にもどこかで感じたことがあるぞ」と思ってしまいました。

それは、2003年の11月に、当時福岡ダイエーホークス不動の四番といわれた小久保裕紀選手が、突如讀賣ジャイアンツに無償トレードで放出されたのと同じような雰囲気を、特に番組前半のドキュメンタリー映像部分で感じました。

この、2003年のシーズンオフに勃発した小久保選手の不可解なトレード劇は、その後、2006年6月に発行された『プロ野球スキャンダル事件史』(別冊宝島編集部・編)という本でも明らかにされたように、当時のホークスの親会社であったダイエー本社の経営が極度に悪化して立ち行かなくなり、その窮余の一策として、優良子会社であった福岡ダイエーホークスの中で、ひとり高騰を続ける小久保選手の人件費を払い切れなくなった福岡ダイエーホークスが、地元で絶大な人気を誇っていた小久保選手を泣く泣く手放さざるを得なくなったところに原因があったとのことです。

つまり、当時の中内ダイエー球団オーナーが、高額年俸所得者である小久保選手の売り先を国内で探していたところ、親交のある讀賣ジャイアンツの渡辺恒雄オーナー(当時)に実情を話して交渉がなんとかまとまり、形式上は「無償トレード」とはするが、讀賣側は小久保選手の莫大な人件費を肩代わりし、さらに、翌年春に3試合開催された、讀賣とダイエーが対戦したオープン戦のうちの2試合の主催権をダイエーに明け渡し、その興行収入を見積もると4億円以上にもなるそうで、これが事実上の移籍金であり、それが世間的には一方的にダイエーが損をしたように見えた「無償トレード」の真相だったとのことです。

小久保選手の場合は、高騰する年俸がネックとなり、さらに親会社の経営危機の“煽り”を食った形で福岡ダイエーホークスから“放出”されたわけですが、じゃあ、北海道日本ハムファイターズの小笠原選手の場合は、親会社の日本ハムはダイエーのように経営は悪化しておらず、むしろ現在の親会社の経営は順調であるともいえるし、球団経営も北海道に本拠地を移転して大成功を収めたのだから事情は全く異なるじゃないかという反論があることも承知しています。

私の推測では、その北海道への移転か、あるいは交流戦実施にからむあたりに事情が隠されているのではないかと思っています。

その事情説明については、また明日。

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かなり寂しい「ばんえい競馬、廃止へ 帯広市も断念」のニュースが

かなり寂しい「ばんえい競馬、廃止へ 帯広市も断念」のニュースが入って来ましたね。

http://www.asahi.com/national/update/1127/HOK200611270001.html

というのは、スカパーの「Ch.795 懐かし音楽★グラフィティTV/keiba」

http://search.skyperfectv.co.jp/prog/channel/795.html

では、懐かし音楽(という割にはかなり直近の90年代までの音楽をも含んではいますが)を、当時の映像とともにBGMやBGVとして流しっぱなしで聴けるので、数年前から愛視聴していましたが、このチャンネルの名前が示すように、「懐かし音楽と競馬中継の相乗り番組」で、昼間が主に競馬の実況中継で、夜が懐かし音楽という構成でした。

元々はノスタルジーあふれる60年代から80年代頃までのミュージック視聴が目的でこのチャンネルを契約したのですが、ある時深夜にテレビをつけたまま眠りに就いてしまい、翌朝が休日だったためか昼頃から競馬の実況中継が始まり、チャンネルをそのままにしてなんとはなしに、帯広でやっている「ばんえい競馬」というものを初めて映像で観たのですが、これが私の好奇心を異様にそそる内容だったのでした。

レースについての知識は、「ばんえい競走 Wikipedia」等で確認していただくとして、その面白さは、一度は映像で観ていただかないとなかなか伝えることが難しいのですが、まずは文字情報でなんとか伝えてみようと思います。

まず、通常の競馬と同様に、それぞれのレースに出場する競走馬がパドックで巡回します。(私は、馬券は買いませんが、レースを観たりするのは結構好きです)

その際、競走馬はそりを引かずにパドックを闊歩するわけですが、テレビでしか観たことがないので、その大きさを実感していませんでしたが、件の朝日新聞の記事から引用すると、

***

ばんえい競馬は明治末期、北海道開拓を支えた農耕馬の力比べを楽しんだことから始まったといわれている。体重がサラブレッドの2倍もある輓馬(ばんば)が数百キロの鉄のそりを引き、200メートルの直線コースで二つの坂を越えて競う。馬力や持久力が勝敗を分ける世界で唯一の競馬で、04年に北海道遺産に選定された。

***

とあり、サラブレッドより遥かに大きな体躯をした馬種とのことですから、実物に接したらさぞかし圧倒されてしまうのではないかと思いますが、テレビで観る限り、ばんばはちょっと逞しい競走馬という程度の印象でした。

そして、パドックでの巡回による馬券購入者のための「馬定め」がひととおり終わると、やがて、通常の競馬レースと同様に、レース直前にファンファーレが鳴り響き、出走馬のゲートインが完了した直後にゲートが開くと、色とりどりの勝負服に身を固めた騎手を乗せた重い鉄製のそりを引きずった競走馬が一斉に勢いよく飛び出し、第一関門の「丘」を楽々とクリアして順調にレースが進んで行くのですが、ここから、このレースの本当の見どころが始まります。

なんと、今まで快調に先頭を切って走っていた馬が、第二関門の「丘」の手前で、その心理的な圧迫感のためか突然立ち止まったりしてしまうのです。

この光景を初めて観た時の驚きは、まさに、筆舌に尽くしがたいというのがぴったりでした。

そして、急に一時停止した先行馬が白い息をハアハアと吐きながら呼吸を整えたりしているうちに、他の馬は、先行馬を追い抜いたはいいが、「丘」の途中でスタミナが切れたのか立ち往生してしまったり、また別の馬は牛歩戦術のようにスローモーションでしか坂を登ることができず四苦八苦してしまったりと、およそ我々が普段見慣れているスピード感あふれる近代競馬とは別次元の競馬が展開されるのでした。

その光景をひとことでいえば、まさに“修羅場”という言葉が最も相応しく、騎手がいくらムチを振るっても一歩も先に進まずとうとうレースを脱落してしまう馬もいれば、大部分の馬が最後の「丘」に対して苦心惨憺しているシーンが毎回観られます。

しかしそんななか、ある一頭の馬が意を決したかのように、騎手の“愛のムチによる激励”に応えて最後の力を振り絞ってなんとかゴールインすると、多くの馬たちもそれに引きずられるかのように次々とゴールインするという、何ともいえない感動を、レースを観ているものに与えてくれるのでした。

ところが最近は、「Ch.795 懐かし音楽★グラフィティTV/keiba」の番組表を見ても、「ばんえい競馬中継」の予定が入っていなかったのでどうしたのかな、と思っていたのですが、とうとう廃止になるというニュースを聴いて、かなり寂しい思いにかられましたね。

いわば、これまで北海道日本ハムファイターズを支えてきた小笠原(北海)道大選手が、諸事情で北海道を捨てて東京に「戻る」のと同じような寂しさとでもいえましょうか。

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ところで、なんで「ちば」と、ひらがな表記のロゴになったのかというと

なんで「ちば」と、ひらがな表記のロゴになったのかというと、浦和市と大宮市が合併してさいたま市になったのがうらやましかった説が有力ですね。

おいおい、ちばのライバルはやつぱりさいたまかよ。

私はちばのライバルはてっきり神奈川だと思っていたのですが。

だって、ちばには、神奈川がもっていない、国際空港、でずにーらんどを持っているのですよ、アタマに「東京」が付く。

ところで、ひと昔前の中日ドラゴンズは、谷澤健一をはじめ、鈴木孝政、宇野勝など、スター選手が千葉出身の選手で占められていた時期があったんだけどなあ。

え、小笠原が中日に来ないと千葉枠が埋まらないって?

http://baseball.yahoo.co.jp/npb/player?t=db&id=11549

残念でした、ご安心を。

もう既に、市立船橋高校出身の小笠原孝投手が千葉枠を死守してくれた上に、小笠原枠までをも埋めてくれていたのでした。

http://dragons.cplaza.ne.jp/member/06member/43_ogasawara.html

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もう、かれこれ4年以上の日本ハムファイターズ公式ファンクラブ会員

もう、かれこれ4年以上の日本ハムファイターズ公式ファンクラブ会員でもあるので、誰はばかることなく、本日東京ドームで開催された、アジア・シリーズ決勝戦「北海道日本ハムファイターズ対ラニュー・ベアーズ戦」で、ファイターズを応援できる身なわけです。

がしかし、9回表にファイターズの絶対的守護神マイケル中村が、ベアーズ最後のバッターを打ち取って、ファイターズのアジア・シリーズ・チャンピオンが確定し、東京ドームのライト側外野席から色とりどりの紙テープがグラウンドに一斉に投げ込まれるのを一塁側内野席から目撃したまさにその瞬間に、もう既に遥か昔のことのように感じられたあの時の記憶がフラッシュバックしてきました。

すなわち、今年の10月10日にこの地で行われた「讀賣ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦」でのセ・リーグ優勝の瞬間に、自分がレフト側外野席から紙テープをグラウンドに投げ入れた当事者であった記憶が蘇り、ちょっと複雑な心境に陥りました。

思い起こせば、この試合の延長12回表の一死満塁から福留の勝ち越し打とウッズのグランド・スラムが飛び出し、ドラゴンズの勝利が九分九厘確定した時に、レフト・ポール際で応援していた私の背中をポンポンと叩いた、見知らぬドラゴンズファンから「これ、使ってください」と、手渡されたドラゴンズ・ブルーの紙テープをスタンドに投げ入れた瞬間こそが、今シーズンの私にとっての至福のひとときであり、今から考えると、その紙テープとともにドラゴンズに関する全ての幸運が流れ出て行ってしまったようにも感じられました。

そういえば、紙テープを投げるなんて行為は、高校の文化祭で「クラス対抗のど自慢大会」に出場したクラスメートに対して、紙テープをステージに投げ入れて以来かもしれないなあ、と思い起こしながら、この、少々ほろ苦い感覚はいったい何なんだろうという思いに駆られていました。

言うなれば、学生時代に、中日竜子さんという、クラスの高嶺の花にダメ元でアタックしてみたところ案外脈があり、途中まではいい線行っていたのに結局はうまく行かず大失恋して極端に落ち込んでいたところ、日公闘士子さんという、昔から近所に住んでいてあまりに身近だったので恋愛の対象外だと思っていた女性から、突然「本当はずっと好きだったのよ、あなた」と告白され、つい心の癒しを求めて何となく付き合い始めたら、あれよあれよという間に結婚にまで話が進み、ふと気付いたら、結婚披露パーティーの席上で仲間から「よかった、よかったね」と祝福されてはいるのだが、今ひとつ実感が湧かず、「果たしてこれでよかったのか」と自問自答している、そんな心境が一番近いような感覚に襲われましたね。

それはまるで、ユーミンが作詞・作曲して、三木聖子に提供した「まちぶせ」という名曲の、待ち伏せされた側の男のような心境ともいえますし、もっといえば、三木聖子に提供した「まちぶせ」が、アルバム収録時にはさしたる脚光を浴びなかったのに、その後、それをカバーした石川ひとみが歌ったら大ヒットにつながり、「さすがはヒットメーカーのユーミンだ!」ともてはやされて面映い思いをしたユーミンの心境か。

はたまた、「イチゴ白書をもう一度」という曲は自分にはふさわしくないということで、当時は少々マニアックな印象が強かったバンバンというフォーク・デュオに提供したところ、曲を提供したことをとっくの昔に忘れていた頃にバンバンがその曲を大ヒットさせて、その後ヒット記念ということで開催された“凱旋コンサート”で、その曲をバンバンと一緒に歌うはめに陥ったユーミンの心境にも通じるものがありますね。

さて、そんな一言では説明のつかない心境で東京ドームを後にして、最寄駅の水道橋駅近辺を流れる神田川に架かる橋のたもとに近付くと、「小笠原選手の残留要請署名にご協力を!」という横断幕を掲げる一団に遭遇し、今年はいいことづくめだったはずの北海道日本ハムファイターズ・ファンの人たちも、実は手放しでその幸福に浸ってはいられない現実に直面しました。

「今、赤信号で立ち止まっている熱狂的日ハムファンのあなた、是非ともご署名を!」と促されて、日本ハムファイターズ公式ファンクラブ会員特典で獲得したファイターズ印のジャンパーを着ていた私としては、心の中で「もちろん、小笠原は、讀賣にも中日にも移籍しないで日ハムに留まるのが一番なんだけれどね」と、かなり打算的な思考を働かせながら、彼ら彼女らの熱意に負けて署名をした後に、家路に着いたのでした。

これで、今年のプロ野球シーズンは本当に終了というのをまさに実感した一夜でした。

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