カテゴリー「「私的『木枯し紋次郎』考」」の記事

1年前の「クイズ」の答え合わせ

>あと、このドラマに関して、東山にしこさんの感想で、もうひとつ
>非常にユニークな感想を聞いたのですが、それはなんと、我が中
>日ドラゴンズにも多少関係するものでした。これについては、また
>日を改めて述べることにします。

という「クイズ」を出したのが、約1年前の2007年2月10日でしたが、

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0d62.html

その答えは、「大前春子は福留孝介に似ている」というものでした。

なるほど、あの福留孝介選手の孤高を貫く姿勢、さらにいえば、よく、口を尖らせた、どこかふてぶてしい表情を見せていたのも、「ハケンの品格」の主人公を務めた大前春子、そして、その元ネタとでもいうべき、木枯し紋次郎にも通じるものがありました。

このクイズを出したまま、当の本人である私はすっかり忘れていたのですが、先日、市川崑監督が亡くなったことの影響でしょうか、私の「私的『木枯し紋次郎』考」の記事

http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat6793020/index.html

を検索して読んでくれる人が何人かいて、このクイズを思い出したしだい。

さて、福留孝介選手が、FA権を行使して、中日ドラゴンズを去り、大リーグのシカゴ・カブスに入団した理由については、いろいろなことが推察されていますが、私はやはり、「両雄並び立たず」に最後は行き着いたのだと思います。

両雄のもう一人は、落合博満監督。

今の中日ドラゴンズの打撃陣で、現役時代の落合選手に匹敵するポテンシャルを保持していたのは、タイロン・ウッズのような外国人選手を除けば、やはり福留選手しかいなかったといっても過言ではないでしょう。

事実、福留選手は、セ・リーグで二度も首位打者のタイトルを獲得していますし、落合監督がパ・リーグで三度の三冠王、セ・リーグでも本塁打王二回と打点王一回に輝いたことを考えると、その輝かしい実績に、将来匹敵するような可能性を秘めたドラゴンズの現役選手は、福留孝介選手しかいなかったといえます。

また、落合監督は、打撃部門三冠王の実績が示すように、打撃の超エキスパートであって、一塁手の守備は上手いと評価されてはいましたが、それは守備の負担が少ない一塁手における評価であり、肩と足に関しては必ずしも高い評価を獲得できなかったわけですが、それを補って余りある打撃の実績によって、確固たる地位を築いたのでした。

一方、福留孝介選手については、首位打者のタイトルを獲得した打撃の確実性はもちろん、本来が中距離打者とはいえ、本塁打数も、広いナゴヤドームでコンスタントに30本以上打つことができて、さらに強肩と俊足を生かした、いわゆる“走・攻・守”三拍子揃った選手であり、ある意味、現役時代の落合選手を凌ぐポテンシャルを秘めており、それだけ、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったことは、容易に想像がつきます。

もちろん、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったとはいえ、「優勝」という共通目標に向かって心を一つにして闘っていたのも事実ですし、福留選手がシーズン中に打撃不振に喘いでいたときに、打撃練習時に落合監督が熱心にアドバイスを送っていたのも事実でしょう。

ただ、現在の中日ドラゴンズは、時代劇に例えれば、落合親分が絶対的な貸し元として君臨する落合一家とでもいうべきファミリー集団であり、さらに、時の将軍様として白井文吾オーナーの治世が続く限り、本人が貸し元を引退すると申し出ない限り、この政権はずっと続くはずです。

そして、福留孝介が、東山にしこ氏がいみじくも喝破したように、大前春子=木枯し紋次郎に似ているのだとしたら、彼は、そういう大親分が取り仕切る「落合一家」とは袂を分かち、天涯孤独の無宿人として、次の「宿場」へと旅立つほうが、むしろ自然であると考えてよいと思います。

ただ、福留孝介選手は、妙に義理堅いというか、「一宿一飯の恩義」に厚いところもあり、それは、大リーグでの移籍先で米国人の記者に囲まれた際に、「キミの少年時代の野球のヒーローは誰だったんだい?」という質問に対して、たぶん記者連中の知っている過去の日本野球の有名選手は、ミスターNagashimaまたはOhしか知らないはずなので、てっきりその名前が出ると思っていたところ、Tatsunamiという、米国ではまったく無名の選手、そして、中日ドラゴンズの、超ドメスチックなヒーローの名前を敢えて挙げることで、米国記者連中が、“Tatsunami? Who?”と、騒然とさせたところに、彼の真骨頂が見て取れます。

3、4年前だったか、シーズンオフに「プロ野球コンベンション」というイベントが始まり、そこでは現役プロ野球選手たちが、野球をプレーしている中高生の質問に答えるコーナーが催されて、そこには、多くのPL高校出身者が出席したのですが、ある中高生の質問に対して、その出席者の中での最年長のPL出身者だった、立浪“先生”が、事前に用意していたフリップを使って野球理論を説明しようとしたところ、まずは隣に座っていた1学年下の宮本慎也選手がすぐにそのフリップを抱えたのですが、遠くに座っていた福留選手が間もなくそこに駆けつけて、そのフリップを支えたシーンを見て、私はえらく感動したことを思い出しました。

あのときの立浪選手の「おお、すまんなコースケ」というPLの大先輩としての面目躍如の満足そうな笑みと、「このフリップを持つ役目は、同じチームで後輩に当たるボクに任せてください」という福留選手の表情には、普段のチーム内ではあまり親しそうな素振りを見せない二人の間には、やはり目に見えない大きなつながりが存在していることを改めて痛感させられた出来事でした。

さて、立浪コーチ“兼任”選手ですが、今年から正式な打撃コーチの肩書も与えられたことになり、非常に張り切ってシーズンに臨んでいるように感じられます。

ひょっとしたら、近い将来には指導者としての“禅譲”が約され、それもあって今年は特に新たな役割に燃えているのかもしれません。

一方、新天地のシカゴに向かった福留選手ですが、これからいろいろな試練に立ち向かっていかなければならないでしょうが、まあ、彼のポテンシャルと驚異的な順応性を考えれば、海外に渡った日本人選手の中でも、必ずやトップクラスの成績を残してくれるに違いありません。

そして、いつの日か、立浪和義選手が中日ドラゴンズの監督に就任した際には、海を渡った旅ガラスが、「一宿一飯の恩義」を返しに再びドラゴンズに舞い戻ってくる。そんなシーンを私は夢想しているのでした。

それはまるで、1970年代に、市川崑監督が、どこか虚無的な風情を漂わせていた笹沢佐保の原作に、江戸時代中後期の生身の人間像を盛り込んだリアルで鮮やかな映像としての命を吹き込んだ「木枯し紋次郎」が、20数年の時を経て、1990年代初頭に「帰ってきた木枯し紋次郎」として再び甦ったが如く、きっと一陣の風の中からやって来るに違いありません。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ

| | トラックバック (0)

RPG的「ハケンの品格」考

第6話は、「春ちゃん大失敗の巻」というのが裏テーマでしたね。

彼女も「私としたことが」を連発していたし。

それは、先週放映分のラストで、“老兵”小笠原の無自覚な失態が招いた故障で停止してしまったエレベータ内での救出劇の後、そのエレベータに独り取り残されるという、らしくない失態を演じた彼女を救ったのが、「ハケン」の扱いをめぐり何かと対立していた東海林「天パ主任」であったことに端を発しており、その心の動揺を引きずったまま彼女は今週に突入したため、今回は「天パ主任」と珍しくやけに感情的なやり取りをしたことが、大きな失敗をしてしまった原因でした。

ところで、今週の春ちゃんの「敵」は、二大女性ボスキャラでしたね。

1人(?)は、グレたひねくれオバサマ派遣軍団。

もう1人は、職人の王様たる、チョコレート工房の女性社長。

どちらも、特A派遣としての大前春子の「特技」が全く通用しない相手だった訳ですが、まず、オバサマ派遣軍団に対しては、日頃から虐げられている派遣社員の代表として大前春子自らが、傲慢な態度で接してくる正社員に真っ向から正論勝負を挑んだ結果、見事彼を論破したことにより、「派遣35歳限界説」の煽りで世を恨んでグレていた彼女たちオバサマ派遣軍団の不満を代弁するととともに、彼女たち自身の「更生」のきっかけ作りも果たしたということで、大前春子が、東海林とのトークバトルがイベント会場用マイクの切り忘れという彼女の失態により会場に流れ、その結果図らずも初めて多くの聴衆の前で披露した大前春子の仕事に対する真摯な態度が、彼女たちのハートに響いたようです。

一方、大前春子を「バイト」扱いしかしなかったチョコレート工房の女性社長(「やっぱり猫が好き!」の長女役で一世を風靡した、もたいまさこが、実年齢を遥かに超えた神経質そうな老け役に挑戦していましたが)の例を挙げるまでもなく、手に職を持っている職人たちは、所詮派遣社員は「バイト」と同様に正社員の補佐的業務しかできないという評価を下しており、基本的には非常に低く見ていることを示したことになります。

まあ、実際のところ正社員よりバイトで“持っている”職場も結構散見されますが、それは置いといて。

大前春子の、そのような職人たちから受けた低評価に対する「リベンジ」の一策は、結局は自分の「裏ワザ」である助産師の技能でしか自身の失態をカバーできなかったわけで、今回は、ストーリー全体として、大前春子がひたすら失態と失敗を重ねる回であったことになります。

ただ、大前春子が助産師としての技能とともに、彼女が秘めていた「母性」を武器にした時、東海林をはじめとする男性陣はひたすら彼女の指示に従ってオロオロするしかなく、それと同時に、母親の経験もあるチョコレート工房の女性社長にしても、娘の急な陣痛に対しては全く無力であったわけで、そこの「立場の逆転」が描かれたのがドラマとしては面白かったですね。

さて次回は、営業部長桐山との剣道対決になりそうで、またもや「本業」とは違う形での対決となりそうです。

元々、このドラマは、通常では正社員の補佐的な仕事しかさせてもらえず、それに応じた収入、評価しか与えられていない多くの派遣社員たちの「怨念」や「諦観」を、大前春子が超絶能力としての「裏ワザ」を駆使して正社員側と対抗しながら晴らすという描き方がされており、そこが、あくまでエンターテインメント・ドラマと考えるしかない限界かもしれません。

つまり、毎回毎回クライマックス場面には、大前春子にとって「非常に都合のよいハプニング」が発生し、皆が混乱の極みに達したその瞬間、大前春子が保持する「二十数個の資格・免許」の1つが披露され、晴れて事態が収拾に向かう、という毎度お決まりのストーリー展開を見せています。

この辺りの急展開の妙は、いつもの、上州無宿の渡世人紋次郎を描いた、リアルでニヒルな、1970年代「アメリカン・ニューシネマ」的時代劇というよりは、ドラマ中のクライマックス場面で、大前春子が助産師の免許証をさっと取り出し、「助産師の大前春子です」と、大向こうに見得を切った姿は、彼の国民的ワンパターン勧善懲悪マウンティング時代劇「水戸黄門」の見せ場で、助さんだか格さんだかのおつきの者が、「この葵の紋所が目に入らぬかあ!」と、徳川大幕府の紋章が刻まれた印籠を振りかざすお馴染みのシーンを想起させる趣がありましたね。

さて、来週は、果たして派遣は(好きな男のために)「企画業務」(=本来は、正社員がやるべきと思われている仕事)に携わるべきか、というテーマを扱うという予告もあり、またもや別の論議を呼ぶことでしょう。

| | トラックバック (0)

私的「ハケンの品格」考:その2

2月7日(水)に放映された第5話のストーリーは、ある意味予想通りの展開となりましたが、その表現方法が巧いと思いました。

もちろん、多少あざといやり方ではあるなという感想も持ちましたが、エンターテインメント=マンガ的手法のドラマであるという割り切り方をすれば、非常におもしろかったですね。

一方、その点を、あくまでリアルでシビアなドラマであるべきであるという観点から評価すると、少々アラが目立つのかもしれません。

以前、このブログの元リンクサイト「竜之巣」の大家さんに当たる東山にしこさんが、自身のホームページ「玉川オンライン」の「下書き日記:145 プロ野球がオフだからドラマを」で、こんな意見を表明しています。

http://mav.nifty.com/ahp/textview.cgi?run_iguchi+27463+145

要約すると、

1.ドラマの構造がおかしい。

2.このドラマ、わかってやっているのかどうかわからんが、ひどく男尊女卑だ。

(加えて、女が連れ立って昼飯を食い行くことのどこが悪いんじゃあ、という主張も)

という2つの感想が述べられています。

この「ハケンの品格」というドラマについては、手放しで高い評価をしている人たちが多い中、かなりユニークな視点で述べられており、この点については、私も同じような感想を持った部分もあります。

つまり、特に2.の要素ですが、私は「男尊女卑」の視点でこのドラマが作られているとは必ずしも思いませんが(その理由については、この記事の後半で述べますが)、通常は男性がやっている仕事を、敢えて女性の派遣社員がやってみせることにより、このドラマの劇的効果性を高めていく手法を用いているとは思っています。

それは、第1話の「大型クレーンを操作する大型特殊免許」であり、第3話の「マグロの解体技能と口上書き」、第4話の「海外商社とのシビアな商談交渉」、そして第5話の「エレベーター故障時のレスキュー作業」に代表される特殊技能など、通常は「男のやるべき仕事」であると捉えられている業務を、正社員の補佐的業務を担当すればよいとされがちな女性派遣社員である大前春子が、「こんな仕事は、女の私でも朝飯前!」と、ある意味男性正社員たちの鼻を明かす勢いでやってみせるところに、多くの視聴者に驚きとカタルシスを与えている面があり、この部分をどう考えるかで、このドラマに対する評価が大きく異なってくるのだと思います。

そして、次回の第6話では、なぜか「助産師の技能」を発揮するという予告もされたので、「たんに男顔負けの技能保持者」だけではないことをアピールしていくようです。

さて、このドラマで、加藤あい扮する「ハケンライフ」の後輩社員については、実は大前春子の若い頃にそっくりだと、第2話でフラメンコ・パブ(タブラオ)「カンタンテ」のママである天谷眉子(往年の、東宝特撮ドラマの可憐なヒロインであり、日活黄金期を支えた俳優の1人である二谷英明の妻であり、元・郷ひろみの妻であった二谷友里恵の母でもある、白川由美)が、春子にそう指摘したところ、春子本人は非常に嫌そうな表情を見せるも図星だったというエピソードもあり、きっとこの連続ドラマの終盤では、加藤あい扮する森深雪は、しだいに自信、自立心、技能を身に付けて、大前春子のようなスーパー派遣社員の道を歩もうと決意するところで終わるのかもしれません。

一方、このドラマの“仕掛け人”ともいえる、日本テレビ社員の女性プロデューサー櫨山氏と、フリー脚本家の中園ミホ氏は、2人共よく似たタイプの仕事大好き人間のようで、実力ひとつでこの業界を渡ってきた、一匹狼的気質の職人さんたちという印象を持ちました。

実は、大前春子扮するスーパー派遣社員の本当のライバルは、大泉洋扮するエリート男性正社員の東海林でもなく、ましてや、嫉妬深そうな他の会社から派遣されている古参の女性派遣社員たちでもなく、東海林や里中たちと同期入社でありながら平社員に甘んじている女性総合職社員である、板谷由夏扮する黒岩なのではないかと睨んでいます。

つまり、東海林を初めとする男性社員には、大前春子自身が保持している男顔負けの超絶能力を毎回毎回発揮すればたちまちのうちに降参してしまうから、本来の敵とは見なしていないはずです。

また、他の女性派遣社員たちに対しては、昼休みに連れだって高級レストランに行って結果的にエンゲル係数を高めたり、終業後はもっぱら合コンという結婚相手捜しにうつつを抜かしていると決め付け、「雑魚」呼ばわりしていて一線を画しているので端から相手にしていません。

まあ、この点が「男尊女卑である」と、東山にしこさんから断罪された点でもあると思われますが。

そして、東海林たちと同期入社の女性総合職社員である黒岩は、かつては大前春子が女性銀行員としてのキャリアを積もうとしていたルートでもあったのかもしれません。

彼女(黒岩)は、派遣社員の名前を呼ばずに、ただたんに「ハケンさん」と呼んでいて、自分たちとの違いを露骨に強調している訳ですが、そういう「ハケンさん」たちの中に、自分たち女性総合職正社員の存在すらをも脅かそうとする能力を持った大前春子が出現したことに最も危機感を感じているのは、実は彼女のような気がします。

一方、昼休みに多くの女性社員同士がつるんでランチに行くことについての批判的な描き方は、これは女性脚本家と女性プロデューサーが日頃からウザイと思っている、典型的な女性社員たちの行動特性と捉えているのではないかと思います。

そして、大前春子のライバル役の黒岩が、実は「独りでランチに行けない症候群」であったことを、彼女がドジでのろまなカメであると見下していた、加藤あい扮する森深雪ごときに見抜かれたことに、酷くプライドを傷つけられているようです。

彼女(黒岩)は、毎日自腹を切ってまで後輩の(女性社員ではなくて)男性社員たちにランチをおごりながら、男性社員のボスが派閥作りのマウンティング行為をするために「パワーランチ」に部下を引き連れて行くのを真似て、自分の存在感をアピールしているようですが、そういう、女性総合職正社員が男の真似をする“背伸びした”キャリアウーマン気取りの行為も、作り手である女性脚本家と女性プロデューサーは、自分たちの職場における状況と照らしてウザイと思っているようです。

つまり、彼女たちは、あくまでこの業界の「職人」であるという意識で働いており、ある意味、大前春子(スーパー派遣社員)と同じような自負を持って、とかく男性中心になりがちなこの業界でサバイバルしているわけで、派遣にしろ一般職にしろ総合職にしろ、自分たち「職人(≒スーパー派遣社員)系」以外の女性社員たちに対する見方にはかなり厳しいものがあります。

また、彼女たちが、ある種の女性たちに対して手厳しいのは、ある意味自分たちとの対極に位置する連中が鼻持ちならないと感じているところに起因しているのだと思います。

つまり、敢えて言えば「志の低い女性陣」について大いなるもどかしさを感じており、その“リトマス試験紙”が、加藤あい扮する森美雪なんだと思います。

すなわちこのドラマにおいては、彼女(森深雪)は、そういった「志の低い女性陣」の誘惑にいったんは負けて転びそうになるも、結局は篠原涼子扮する大前春子のような、そしてあえて言えば“木枯し”吹きすさぶ裏街道をすっくとした姿勢で駆け抜けた“紋次郎”の如き「凛とした生き方」を見習って改心していくというパターンが、毎回毎回繰り返されていますが、それは、「心ある女性陣よ、この厳しい時代であるからこそ、目先の利益に囚われることなく、凛とした生き方を目指して自分の信じる道を歩みなさい」というメッセージが込められているように、私には思えます。

まあ、こういう、ランチに連れ立って出掛け、就業後には合コンに明け暮れる「志の低い女性陣=女性社会内における“勝ち犬”を目指すことにしか眼中にない連中」という描き方に嫌悪感を覚える、東山にしこさんのような人たちも存在するのでしょうが、たぶん、このドラマを見ている女性視聴者の多くは、かつて『負け犬の遠吠え』辺りの主張にかなり動揺を隠せなかったものと思われ、結構「痛い所を突かれたな」と、心の奥底で感じているのではないでしょうか。

あと、このドラマに関して、東山にしこさんの感想で、もうひとつ非常にユニークな感想を聞いたのですが、それはなんと、我が中日ドラゴンズにも多少関係するものでした。

これについては、また日を改めて述べることにします。

| | トラックバック (0)

私的「ハケンの品格」考:その1

さて、「ハケ品」ですが、いろいろと「木枯し紋次郎」との共通点を指摘する記事が(週刊誌を含めて)増えてきましたね。

別に、私が最初に言い出した訳ではないのですが、私の場合、第2回放映分の途中から見て、その回のエンディングまでの情報だけであの記事を書いてしまったのがちょっと偉いんじゃないかな、と自画自賛というか、「わ褒め」をさせていただきます。

(私の両親の田舎は鳥取県のある地方なのですが、そこに「わ褒め」というのがあるそうです。「わ」とは自分自身を意味する言葉で、ちょっと自画自賛みたいな意味のようですが、実はニュアンスが若干異なり、「普段謙虚にしているので、たまには自分を褒めさせてね」というものだそうです。)

さて、「ハケンの品格」の元々のメイン・ターゲットは、女性の派遣社員や契約社員、あるいは、正社員とはいえ男性社員の補佐的業務しか担当させてもらえず、いろいろな苦労や不満を感じている女性視聴者たちであったと思われました(それは、「第1回放映分の試写会参加者」を映したシーンに色濃く出ていますが)が、実は同様な“閉塞感”を痛感していた多くの男性視聴者にも大いに受けたという点に面白さがありますね。

まあ、このドラマ、男の視点で見た場合でも、今まで職場で威張り散らしていた男のエリート正社員連中が、有能な派遣社員にこっぴどく「指導」され、職場のみんなが彼女に翻弄されたり平伏す姿にカタルシスを感じられるというのが特に受けているように思います。

つまり、極端な話、主人公は女である必要もなかったわけで、1970年代には、木枯し紋次郎という、漂泊の無宿人たる男優が演じた役を、今日の現代劇で男がその役を演じられる余地は既に何処にもなく、今や「一点突破型のANEGO女優」となった、篠原涼子がその役割を果たしてくれていることに、世の老若男女が喝采を送っているのだと思います。

それだけ、現代は「格差社会」の色彩が強まってきているともいえます。

このドラマでも、実は多数の“虐げられている人たち”が描かれています。

http://www.ntv.co.jp/haken/chart/index.html

それは、あの会社に働く男女の派遣社員たちだけではなくて、

例えば、松方弘樹扮する桐島部長と同期入社(年齢は2歳上ですが)であり、かつては敏腕営業「マン」として名を馳せていたのに、何らかの事情でレールからはずされ、今や嘱託社員としての“余生”を送らざるを得なくなった、小松政夫扮する小笠原だったり(たぶん、次回でそのあたりの「事情」が明かされるかも知れません)、

また、東海林と同期入社(年齢は東海林より2歳下ですが)なのに、左遷人事に甘んじるしかない、小泉孝太郎(ある意味、現在彼が業界におけるリストラ予備軍に属しているという点であまりにリアルな役柄でもある)扮する里中だったり、

同じく東海林、里中と同期入社(年齢は東海林より2歳下ですが)で、総合職として採用されたのに、女性というのが理由なのか役付きの2人とは異なり平社員に甘んじている、板谷由夏扮する黒岩だったり、

さらに、この3人と同世代で、あの会社より遥かに安い給料で派遣会社のマネジャーをやって、同社に平身低頭して仕事をせざる得ない立場の安田顕(ドラマ中で東海林と同年代であるという設定であるとともに、実生活でも、大泉洋と北海道の大学時代の同窓であり同じ劇団仲間でもあった)扮する一ツ木だったり、

(と思ったら、以前は掲載されていた「年収」が、「相関図」から削除されています。まあ、スポンサーがらみなどの事情がいろいろとありそうですが、その「跡地」がWIKIPEDIAに残されていますね)

さらに、同社のエリート社員たる大泉洋扮する東海林自身ですら、得意先百貨店の店長である、渡辺いっけい扮する緑川には頭が上がらず、そしてさらにその緑川自身でさえも、自分が責任を持つ百貨店の売上に一喜一憂して、上役たる役員連中のシビアな目にいつもびくついている、という、果てしなき“負のスパイラル構造”が、このドラマの中に展開されているのでした。

つまり、このドラマに登場する人たちの多くは、実は視聴者の立場を代弁する“弱者”たちであり、その「声なき声」に呼応するかのように、あの篠原涼子扮する大前春子が、そのような現代社会の閉塞的な状況を、一瞬ではあるが打開してくれる姿に、多くの人たちが共感しているのだと思います。

ただし、その“怒りの一閃”はもちろん非常に鋭いものではありますが、それですら、1970年代前半、すなわち大阪万博に象徴される高度成長時代が終焉を迎え、気だるい倦怠感と閉塞感が漂い始めた、オイルショック勃発前後の時代に紋次郎が放った“無宿人の一分”たる長ドスの一撃と同じく、今の時代が孕む「妙に危うく淀んでいる空気」を本質的に突破することは、もはや叶わないのかも知れません。

| | トラックバック (0)

プロ野球春あけましておめでとう

プロ野球春あけましておめでとうございます。

日本プロ野球界にとって、キャンプ解禁日の2月1日こそお正月といわれるので、いよいよ本日からが事実上のプロ野球シーズン・インとなります。

これまでは、テレビドラマやムー大陸などでお茶を濁す日々を送っておりましたが、これからはそういう話題も徐々に減り、このブログも中日ドラゴンズの話題一色となると思われますので、あちら方面の話題がお好きな方は次のシーズン・オフまでお待ちください。

というわりには、昨年同時期の自身の「バックナンバー」を見るとあちこちに興味が移っているようなので、まあ、適当に私の夢想や妄想にお付き合いください。

***

さて、昨晩の“水十ドラマ”「ハケンの品格」、略して「ハケ品」ですが、いよいよ佳境に差し掛かってきましたね。

私の周り、ネットとリアルな世界の両方で、最近テレビドラマをチェックしている人たちの間で事前期待以上の評価を得ているのがこのドラマです。

たとえば、日曜日の夜9時「華麗なる一族」などは、超豪華なオープンセットを上海につくり、大阪万博の開催準備に追われる1970年直前の神戸を再現したりして、製作予算の0の桁数が「ハケ品」とは1つ以上多いと思われますが、そういう大作に比べて、本ドラマは、製作者の「目の付け所」と、一癖も二癖もありそうな役者陣の「芸達者振り」の両輪のみで視聴者の心を掴んだところに意義がありそうです。

結局、第4話のメインテーマは、かつて一世を風靡した「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメーションの主人公である碇シンジが、満14歳にして掴んだ、「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」というものであって、あとの要素やエピソードはそれをいかに面白く見せるかの味付けに過ぎなかったのではないかとさえ思っています。

逆にいうと、このドラマの作り手たち(女性プロデューサーと脚本家の中園ミホ氏と、演出担当の監督クルーたち)は、メインのテーマさえしっかり作れば、他の瑣末なトコロについては、どー批判されてもいいや、ぐらいの気持ちで作っていると思いますね。

***

ご参考までに、以下の紹介を。

公式ホームページには「相関図」まで用意されており、まずはこれが、このドラマにおける人間関係のもつれを紐解くための基本図式ですね。

http://www.ntv.co.jp/haken/chart/index.html


以下は動画配信ですが、完成披露試写会の模様です。

櫨山プロデューサーの挨拶や脚本家の中園ミホ氏が登場。

これでこの番組の製作意図がかなりわかります。

出だしがスポンサーのCMで、それを我慢?してからお楽しみください。

http://ssl.dai2ntv.jp/cse/Shop?EcLogicName=freeitem.play&itemId=NtvI00013606

***

というのは、先ほど述べたTBS日曜午後9時始まりの「カレーイチ」との製作予算比較だけでなく、たぶん“水十ドラマ”というのは、今やゴールデンタイム的な扱いを受ける午後9時始まりの他の曜日の連続ドラマなどよりかなり予算が厳しいはずなので、全てに目が行き届くドラマづくりをするのは難しいのだと思います。

そんな状況にもかかわらず、多くの視聴者が関心を寄せ、話題づくりにも成功し、また大多数の視聴者の心を掴んだ点を、私は評価したいですね。

ドラマの進行上、また、視聴者からの期待もあり、このドラマの主人公である大前春子が伝家の宝刀である超絶能力を発揮するのは必然でありますが(いわば、米製テレビ版「超人ハルク」でデイビッド・バナー博士が本人の意思とは裏腹に毎回ハルクに変身しないとドラマが成立しないのと同様に)、http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_c945.html

実は、主人公自身は超絶能力をなるべく発揮することなく淡々と仕事をこなして、午後6時になればさっさと退社したいと毎日思っているのです。

それを、正社員たちがあまりにだらしなく、そして、自分の信条である「午後6時になれば即行で定時退社する」というモットーを貫くために、今回も、伝家の宝刀である「ロシア語の語学力に加えて、強気一辺倒で押しまくってきたロシア人おばさんをも圧倒する交渉テクニック」という自身の超絶能力を発揮したわけです。

この点は、今回のドラマの冒頭で、S&F社の正社員と派遣社員が職場でデキてしまった挙句に結婚式を挙げて、同社の社員たちも、平日にもかかわらずその結婚披露宴にこぞって出席せざるを得ないという、ドラマ的にもストーリー上でも非常に馬鹿げた設定の場面で、新婦が派遣社員であったことを披露宴の席で初めて知らされて新婦側を罵倒する新郎の親戚連中や、それに不快感を示して別の理由で反論する新婦側の親戚連中、さらには出席したS&F社の社員たちの「派遣社員という存在に対するそれぞれの見解」を巡り、喧々囂々の愁嘆場が展開されて会場が騒然とする中、突然スーパー派遣社員たる大前春子が登場し、その場を収める「何か」をしてくれるのではないかという視聴者の期待を見事に裏切り、ただたんに「6時に定時退社したいので、上司に決済印をもらいに会場に現れただけ」であったことに、彼女の生活信条を示す目的がこのシーンに込められていたわけです。

したがって、もちろん彼女としては、優秀な正社員といわれる東海林が、今回のロシア企業との商談を単独でうまくまとめることができたなら、大前春子はたんに議事録作成を担当する秘書の役目しか果たさなかった、という前提が語られているわけです。

そして、今日ではそのような信条で生きている主人公ではあるが、このように“達人”として振る舞えるようになるまでには、実はさまざまな“下積み”を経ており、かつては大いに迷いもしたしドジも踏んだしと、加藤あい扮する“のろまな亀”に、その姿を借りてその事実を示しているわけです。

そういう意味では、加藤あい扮する森美雪は主人公の分身であり、その「青春グラフィティ」の役目も果たしているわけです。

***

さて、ここで恒例の「木枯し紋次郎」との接点ですが、言ってみれば「伝家の長ドスは最後に抜く」でしょうかね。

ドラマの冒頭で、たいてい紋次郎は悪党にからまれ、助けを求める弱者を冷たく突き放す一方で、自らに悪党が絡んできたときにはさらりと身を翻して肩透かしを食らわせたり、その辺に落ちている棒切れを拾って悪党をしたたかに叩きのめしたりと、見目鮮やかに撃退してしまいます。

まるで、ドラマの冒頭で長ドスなどを振りかざすのは野暮の骨頂であると言わんばかりに。

それが、ドラマの後半部分クライマックスとなる修羅場ともなると、自身も地べたを這いずり回り、重い長ドスをただただ振り回し、汗まみれ泥だらけになりながら、リアリズムに徹した殺陣回りを演じ、多勢に無勢の絶対的に不利な状況を、毎回かろうじて切り抜けるのでした。

その、紋次郎が絶対的に不利な状況を乗り切る秘密が何となくわかった時があったのですが、それはまた回を改めて述べることにします。

| | トラックバック (0)

へえ、お前さん、随分と器用じゃないか? まるで女みたいだよ。

「へえ、お前さん、随分と器用じゃないか? まるで女みたいだよ。」

これは、「木枯らし紋次郎」で毎回登場する悪女役のゲスト女優達のうちの何人かが、主人公の紋次郎に向けて放ったお決まりの台詞です。

十歳の時に故郷を捨て、その後一家は離散し、天涯孤独となった紋次郎は、終わりなき旅生活の全てを常に独りで賄わなければならず、たとえば道中合羽が長旅でいささか擦り切れてきたら、それを繕うのは自分自身しかいない訳で、紋次郎が持ち歩く振り分け荷物(現代でいえばバックパックの役割をする万能の荷物入れ)の中には裁縫道具まで常備してあり、それを用いて繕い物をする紋次郎に対して、普段は自分の妖艶さを武器にして男達を手玉に取っている悪女たちが、自分の色香に全く無関心な紋次郎に対してある種の苛立ちを覚え、上記のように、「まるで女みたいだよ!」と、紋次郎をからかう捨て台詞を吐くのですが、彼はそんな、彼女達自身の「女」を貶める逆説的な侮蔑の言葉にさえも全く反応を示さず、淡々と我が道を歩こうとします。

いわば紋次郎は、敢えて、異性としての「男」を捨てた生き方をしているのです。

実は、「木枯らし紋次郎」のテレビシリーズは、主人公の中村敦夫以外は毎回キャストが変わり、特にゲストとして登場する女優陣には毎回当時の新進女優が起用されており、回が進むにつれてしだいに、「木枯らし紋次郎に客演できる女優こそ、妖艶な魅力を持った女優であることの証明である」というような評判が立ち、シリーズ後半になると女優陣とそのマネジメントサイドからの出演オファーが引きも切らなかったそうで、それほど「木枯らし紋次郎」シリーズの主人公には、異性としての「男」の魅力が備わっていたのですが、その一方でドラマの中で描かれる紋次郎は、異性としての女性に対する関心を全く示しません。

女性への関心についての唯一の例外は、幼い時に自分が間引きされそうになったのを救ってくれた、今は亡き実の姉に面影が似た女性か、あるいは、自分が旅の途中で瀕死の病に苦しむ時に助けてくれた後に何処かへ去った「みゆき」と名乗った宿場女郎だけだったと記憶していますが、そこにも異性としての女性へ関心はありませんでした。

さて、「ハケンの品格」の主人公も、現時点では、少なくとも職場においては、彼女自身が異性としての「女」を捨てているように感じましたね。

そして、伝家の宝刀ともいえる、「スーパー派遣社員」としての超絶能力は、中には「誰もが旨いと感じるお茶を出す」というスーパーOL的な特技もありますが、それよりはむしろ、「男勝りの技量」を示すことによって、初めて周囲に自分の存在価値を認めさせるために発揮されるものということになります。

それは、第1話で後輩の派遣社員と職場の危機を救った、廃車置場でスクラップ寸前となるクルマを大型クレーンで持ち上げた「大型特殊免許」所持者にしか許されない技術であったり、第3話の「まぐろの解体ショー」を長ドス仕様の特殊な解体用包丁で裁きながら、大道芸人よろしく口上書きまで述べるといった、職人はだしの技量であったりしますが、まさに普段は「男の仕事」と思われることを、女性の派遣社員がやってのけるところに、視聴者、特に多くの女性視聴者のカタルシスを得ようとしているように思われました。

そして、他の女性派遣社員達が結婚相手の物色を前提にした合コンに励む姿を冷ややかな視線で見ている点や、今回のクライマックスとも言える、ライバル役の男性エリート社員からの突然の「感謝のキス」に対しても、次回の予告編から予想されるように、全く動揺したそぶりも見せずにやり過ごした点についても、「職場では女であることを敢えて捨てる」という姿勢を貫こうとしているように感じました。

実は、第3話にして、初めてオープニングからフルでドラマを観ることができたのですが、オープニング・ナレーションは、NHK「プロジェクトX」のパロディであるとともに、「木枯らし紋次郎」のエンディング・ナレーションからも言葉を拝借していたことを初めて知りました。

木枯らし紋次郎

上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという

十歳の時に国を捨て

その後一家は離散したと伝えられる

天涯孤独な紋次郎が

どういう経路で無宿渡世の道に入ったかは定かではない

結局、紋次郎はドラマの中では異性としての「男」を捨てたまま、漂泊の旅の中に消えて行ったわけですが。

中村敦夫主演版「木枯らし紋次郎」テレビ・シリーズ、すなわちフジテレビ系列製作の正編、続編、および東京12チャンネル製作の新編の、事実上の最終回となる、1990年代の初めに製作されたテレビ特別編時代劇「帰ってきた木枯らし紋次郎」では、濡れ衣殺人の罪を被せられた結果逆恨みの仇討ちに遭い、刺客もろとも崖から転落して瀕死の重症を負うが九死に一生を得たに後に、堅気の山衆に助けられ、紋次郎にもその命の恩人の娘と結婚して堅気になれる機会が訪れるものの、結局は渡世の宿命によってそれを振り切らざるを得ない道を選択したわけですが、果たして「ハケンの品格」の主人公にも、同じような運命が待ち受けているのでしょうか。

そこは、方やニヒルな時代劇、方やトレンディな現代劇。

その結末は、木枯らしだけが知っているということになりましょうか。

| | トラックバック (0)

「ハケンの品格」にとある時代劇の風を見た

私の通勤経路には日テレビルの近辺をうろつくというパターンがありますが、最近目に付くのが、同局の新春“水十ドラマ”としてスタートした「ハケンの品格」の番組宣伝の看板です。

看板に書かれている「ハケンは自由業である。」とか、「バカに付き合うのは9時-6時で充分なので…」という、ちょっと過激で挑戦的な表現が面白かったので、近頃はあまり熱心にテレビドラマを観なくなっていたのですが、これは割と気になっていました。

実は1月10日の初回放映分は見逃したのですが、1月17日の第2回放映分は、オープニングを除いてきちんと観ることができたので感想を述べると、なかなかよくできたドラマですね。

ひとつだけ、たぶん誰も言っていない感想を言うと、このドラマは「非正社員化なしでは語れなくなった現代社会の世相を描く、意外と硬派なエンタテインメント・ドラマ」であるとともに、1970年代に一世を風靡した、私のイチバンのお気に入りの時代劇、というかほとんど私の人生観さえも左右したともいえる「木枯し紋次郎」に非常によく似ている点があることです。

「ハケンの品格」の主人公は、少なくとも職場では、他人とのかかわりを極力避けて、定時退社の時刻になったら速攻で退社することをモットーとしており、それでも相手が自分に関わろうとすると「それが何か」という決め台詞を吐きますが、その言葉とともに、「それは私には関係ありませんので」という言葉も口癖のようです。

これは、紋次郎の決まり文句である「あっしには関わり合いのないこって」という口癖と同じ趣旨の言葉といえ、「ハケンの品格」の主人公の、己の技量ひとつを頼りに、3ヵ月限定という定めで、自身の上司たる派遣会社マネジャーが指定した職場で務めをきっちりと果たした後は、その職場に対する思い入れをいっさい拭い捨てて風のように去っていく“漂泊の仕事人”を貫き通すという生き様も、どこか、宿場町を旅から旅へと渡り歩く宿命を負った旅烏、紋次郎を彷彿とさせます。

そして、「ハケンの品格」主人公の通勤時の服装は、なぜかいつも、ネイビーブルーのPコートでしたっけか、トラッド系のコートを羽織り、灰茶色の生地に網目模様のマフラーをさらりと首に巻いて、木枯らしの吹きすさぶ中を颯爽と歩いて行くというスタイルのようですが、普通のOLさんの場合、通勤ファッションを毎日替えて通うところを定番スタイルを貫き通しているようにお見受けしましたが、その服装も、ちょっと、渡世人が羽織る紺の道中合羽と三度笠の風体を思わせ、なかなか興味深いですね。

そして、各回のドラマ前半では、主人公は職場において他人との関わりを極力避けて生きて行くスタイルを貫こうとするわけですが、ドラマ後半では、それを貫くことができない事態が必ず発生し、自身の生き方の「掟」を破ってまでも人助けをしてしまう理由というのが、彼女がこだわる「品格」というものなのでしょう。

これは、「品格」というものを、とかく同じに考えがちな「プライド=自尊心」とは全く別次元のものであると捉えているのが面白いですね。

実は、「木枯らし紋次郎」のストーリーも同じような展開を見せます。

ドラマの前半では、地元の無頼漢に虐げられている弱者が紋次郎に助けを求めても、「あっしには関わり合いのないこって」という決まり文句で冷たく突き放すのですが、その理由は、貧しい農家に生まれ、幼い時に危うく間引きされそうになったところを姉の懇願で辛うじて救われたが、結局、自身は十歳の時に家を捨て、その後一家も離散の憂き目に会い、無宿渡世で生きることしか選択肢がなかったという出自を持つ紋次郎に対して、義を見て人助けをするという、お決まりの「股旅物」のようなキレイ事の考え方をしろというほうが土台無理な注文だったわけです。

つまり、彼は通常の任侠の徒がこだわる「義理と人情」に代表される、「渡世人としてのプライド」には全く無縁の生活をしているわけです。

ところが、紋次郎が旅の途中で立ち寄る宿場町や農村・漁村を通り抜けるためには、最低限、その土地の人間たちとの関わり合いを持たねばならないわけで、結局は、自分の身を守るためと、「自身のアイデンティティを揺るがす何か」が、彼自身の心の奥底に眠る琴線に触れた瞬間に激情が湧き起こり、紋次郎は初めて「悪」と対峙する姿勢を見せ、道中合羽をバサッと翻すと、赤錆色の鞘に秘めていた長ドスを抜き放ち、無手勝流の必殺剣法で「悪」を滅ぼし、自身と弱者を助ける運命に身を投じるのです。

この点も、この「ハケンの品格」の主人公が、「派遣社員」として今の会社で働く限り、職場で働く人たちとの関わりを持たざるを得なくなり、自身が唯一こだわる「派遣社員としての品格」を守るために、結局は心ならずもスーパー派遣社員(時給3000円。取得資格も20数個)としての超絶能力を発揮して、自身と、弱者たる同僚の危機を救ってみせるというストーリー展開になるわけですが、この点が、私が「木枯し紋次郎」との共通点を見たしだいです。

さて、いわば「ハケンの品格」というドラマをネタに、「木枯らし紋次郎」を語りたいという試みなわけですが、次回以降の展開がどうなるか、これからもゆるりと見守っていくことにします。

| | トラックバック (0)