1年前の「クイズ」の答え合わせ
>あと、このドラマに関して、東山にしこさんの感想で、もうひとつ
>非常にユニークな感想を聞いたのですが、それはなんと、我が中
>日ドラゴンズにも多少関係するものでした。これについては、また
>日を改めて述べることにします。
という「クイズ」を出したのが、約1年前の2007年2月10日でしたが、
http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0d62.html
その答えは、「大前春子は福留孝介に似ている」というものでした。
なるほど、あの福留孝介選手の孤高を貫く姿勢、さらにいえば、よく、口を尖らせた、どこかふてぶてしい表情を見せていたのも、「ハケンの品格」の主人公を務めた大前春子、そして、その元ネタとでもいうべき、木枯し紋次郎にも通じるものがありました。
このクイズを出したまま、当の本人である私はすっかり忘れていたのですが、先日、市川崑監督が亡くなったことの影響でしょうか、私の「私的『木枯し紋次郎』考」の記事
http://ryuunosu.cocolog-nifty.com/blog/cat6793020/index.html
を検索して読んでくれる人が何人かいて、このクイズを思い出したしだい。さて、福留孝介選手が、FA権を行使して、中日ドラゴンズを去り、大リーグのシカゴ・カブスに入団した理由については、いろいろなことが推察されていますが、私はやはり、「両雄並び立たず」に最後は行き着いたのだと思います。
両雄のもう一人は、落合博満監督。
今の中日ドラゴンズの打撃陣で、現役時代の落合選手に匹敵するポテンシャルを保持していたのは、タイロン・ウッズのような外国人選手を除けば、やはり福留選手しかいなかったといっても過言ではないでしょう。
事実、福留選手は、セ・リーグで二度も首位打者のタイトルを獲得していますし、落合監督がパ・リーグで三度の三冠王、セ・リーグでも本塁打王二回と打点王一回に輝いたことを考えると、その輝かしい実績に、将来匹敵するような可能性を秘めたドラゴンズの現役選手は、福留孝介選手しかいなかったといえます。
また、落合監督は、打撃部門三冠王の実績が示すように、打撃の超エキスパートであって、一塁手の守備は上手いと評価されてはいましたが、それは守備の負担が少ない一塁手における評価であり、肩と足に関しては必ずしも高い評価を獲得できなかったわけですが、それを補って余りある打撃の実績によって、確固たる地位を築いたのでした。
一方、福留孝介選手については、首位打者のタイトルを獲得した打撃の確実性はもちろん、本来が中距離打者とはいえ、本塁打数も、広いナゴヤドームでコンスタントに30本以上打つことができて、さらに強肩と俊足を生かした、いわゆる“走・攻・守”三拍子揃った選手であり、ある意味、現役時代の落合選手を凌ぐポテンシャルを秘めており、それだけ、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったことは、容易に想像がつきます。
もちろん、お互いの野球観や野球理論に大きな隔たりがあったとはいえ、「優勝」という共通目標に向かって心を一つにして闘っていたのも事実ですし、福留選手がシーズン中に打撃不振に喘いでいたときに、打撃練習時に落合監督が熱心にアドバイスを送っていたのも事実でしょう。
ただ、現在の中日ドラゴンズは、時代劇に例えれば、落合親分が絶対的な貸し元として君臨する落合一家とでもいうべきファミリー集団であり、さらに、時の将軍様として白井文吾オーナーの治世が続く限り、本人が貸し元を引退すると申し出ない限り、この政権はずっと続くはずです。
そして、福留孝介が、東山にしこ氏がいみじくも喝破したように、大前春子=木枯し紋次郎に似ているのだとしたら、彼は、そういう大親分が取り仕切る「落合一家」とは袂を分かち、天涯孤独の無宿人として、次の「宿場」へと旅立つほうが、むしろ自然であると考えてよいと思います。
ただ、福留孝介選手は、妙に義理堅いというか、「一宿一飯の恩義」に厚いところもあり、それは、大リーグでの移籍先で米国人の記者に囲まれた際に、「キミの少年時代の野球のヒーローは誰だったんだい?」という質問に対して、たぶん記者連中の知っている過去の日本野球の有名選手は、ミスターNagashimaまたはOhしか知らないはずなので、てっきりその名前が出ると思っていたところ、Tatsunamiという、米国ではまったく無名の選手、そして、中日ドラゴンズの、超ドメスチックなヒーローの名前を敢えて挙げることで、米国記者連中が、“Tatsunami? Who?”と、騒然とさせたところに、彼の真骨頂が見て取れます。
3、4年前だったか、シーズンオフに「プロ野球コンベンション」というイベントが始まり、そこでは現役プロ野球選手たちが、野球をプレーしている中高生の質問に答えるコーナーが催されて、そこには、多くのPL高校出身者が出席したのですが、ある中高生の質問に対して、その出席者の中での最年長のPL出身者だった、立浪“先生”が、事前に用意していたフリップを使って野球理論を説明しようとしたところ、まずは隣に座っていた1学年下の宮本慎也選手がすぐにそのフリップを抱えたのですが、遠くに座っていた福留選手が間もなくそこに駆けつけて、そのフリップを支えたシーンを見て、私はえらく感動したことを思い出しました。
あのときの立浪選手の「おお、すまんなコースケ」というPLの大先輩としての面目躍如の満足そうな笑みと、「このフリップを持つ役目は、同じチームで後輩に当たるボクに任せてください」という福留選手の表情には、普段のチーム内ではあまり親しそうな素振りを見せない二人の間には、やはり目に見えない大きなつながりが存在していることを改めて痛感させられた出来事でした。
さて、立浪コーチ“兼任”選手ですが、今年から正式な打撃コーチの肩書も与えられたことになり、非常に張り切ってシーズンに臨んでいるように感じられます。
ひょっとしたら、近い将来には指導者としての“禅譲”が約され、それもあって今年は特に新たな役割に燃えているのかもしれません。
一方、新天地のシカゴに向かった福留選手ですが、これからいろいろな試練に立ち向かっていかなければならないでしょうが、まあ、彼のポテンシャルと驚異的な順応性を考えれば、海外に渡った日本人選手の中でも、必ずやトップクラスの成績を残してくれるに違いありません。
そして、いつの日か、立浪和義選手が中日ドラゴンズの監督に就任した際には、海を渡った旅ガラスが、「一宿一飯の恩義」を返しに再びドラゴンズに舞い戻ってくる。そんなシーンを私は夢想しているのでした。
それはまるで、1970年代に、市川崑監督が、どこか虚無的な風情を漂わせていた笹沢佐保の原作に、江戸時代中後期の生身の人間像を盛り込んだリアルで鮮やかな映像としての命を吹き込んだ「木枯し紋次郎」が、20数年の時を経て、1990年代初頭に「帰ってきた木枯し紋次郎」として再び甦ったが如く、きっと一陣の風の中からやって来るに違いありません。
| 固定リンク | トラックバック (0)
